世の中には二つのタイプの人間がいる。
それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
こんなことを言うやつはMacintoshを使う人間に違いない。
Windowsを使う人は保守的で、Macを使う人は先進的だ。
Wは広く一般に使われているので、初めて使う人もとりあえずこれにしとこうと考える。
それに対してmは少し人と違ったことをしたいというタイプの人が使いがちである。
新しい流行に飛びつくのもこのタイプ人と考えられる。
世の中には二つのタイプの人間がいる。それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
両方使うやつ?……そんなコウモリやろうは人間じゃない。
おまけ
http://www15.big.or.jp/~t98907/unmei/R3_temp/R3_temp.swf?inputSt...
世の中には二つのタイプの人間がいる。
それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
こんなことを言うやつはMacintoshを使う人間に違いない。
世の中には二つのタイプの人間がいる。
それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
両者の違いは・・・
りんごが詰まってむせるのを好む人間か、窓が壊れてこごえるのを好む人間か、ということだ。
「世の中には二つのタイプの人間がいる。それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。両者の違いは・・」
愛を感じたい人と、愛を感じなくても大丈夫な人というところです。
そのわけは、Macintoshを使う人は「パソコン」を「まっく」と愛称で呼びます。
私は「まっ君」という呼び方が好きです。
「オカルト派」と「非オカルト派」
本人が自覚していない場合でも、どちらかに分類される気がします。
「死後の世界を信じるか信じないか」という問いに、「わからない」と答える人を信じない方に入れるなら必ず分けることができます。
両者の違いは、それぞれを代表する韮沢潤一郎さんと大槻義彦さんを比べると明確に考察することができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A7%BB%E7%BE%A9%E5%BD%A...
世の中には二つのタイプの人間がいる。それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
両者の違いはお腹のすきぐあいにある。前者はお腹一杯。だけど、後者は永遠に満たされない。
まず前提として、「マッキントッシュ」は「マック」と省略でき、「ウィンドウズ」にはそのような略語は流通していないため、一見お得なように見える。ところが、「ウィンドウズ」はその名前を語る必要すらないという狂気に満ちあふれている。
この差は大きい。就職の面接で「パソコンは使えますか?」と尋ねられたとき、「私はマックに命かけてます。」と自身ありげに言うと、某ハンバーガーショップの店員にうつつを抜かしていると間違えられて、蹴落とされてしまう。ところが、先ほどの質問に「はい、使えます。」と答えれば、それすなわち、「ウィンドウズ使い」確定なので、採用側も「おおっ!これは心強い!!!」と、文句無しの内定を決めてしまう。
さらに悲惨なのが、「マック欲しい」なんて言った日には、某ハンバーガーショップに連行されて、ダイエット中なのにカロリーの過剰摂取という落ちが待っている可能性が高い。運良くそれがパソコン関連の話題であると理解されたとしても、今度は「MacOS X」だけが手に入ったりするという可能性も残されている。ウィンドウズなら、「パソコン欲しい」で全てが通じてしまうのだ。
さらに追い撃ちをかけるのが、MacintoshもAppleも「りんご」という意味であり、いかにもダイエット中のお腹にこたえるような名前をしているのに対し、WindowsやMicrosoftはぜんぜんおいしそうな名前ではない。
したがって、リンゴ使いはお腹一杯だが、窓使いは何も食べれていない。だが勘違いしてはいけない。満腹度とお腹のたるみには何の関連もないということを。関連付けをしようとしたものには、、え?ちょっと、うわ(y、、、、、、、、
二重人格な私はMacintoshとWindowsの両方を使います。
心の中:
ってゆーかぁ、ゎたしゎぁMacintoshもWindowsも同じ様に使っています。
違いが分かりません。
なぜ差別して分けたがるのでしょう?
「世の中には二つのタイプの人間がいる。それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。両者の違いは
己に勝てるか否か、だ。Macintoshを使うものは、己に負けない強さをもち、Windowsを使うものは、己に勝てんのじゃ。
Windowだけにカーテン、なんちゃって☆
Macintoshを使う人はリンゴが好きな人だ。
Windowsを使うは人はウィンドウショッピングが好きな人だ。
なぜならば「Macintosh→アップル→りんご」「Windows→Windowsを使っている人はウィンドーズを買っている→ウィンドウショッピング」だからなのだ。
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こんな答でもいいのでしょうか?
「世の中には二つのタイプの人間がいる。それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。両者の違いは、チーズとワインのようなものだ。どちらか一つでも充分楽しめるが、両方あればもっと楽しい」
とこんなのはいかがでしょうか?
「世の中には二つのタイプの人間がいる。
それはMacintoshを使う人間とWindowsを使う人間だ。
両者の違いはマジョリティを悪と見ているか、善と見ているかだ。」
コメント(6件)
先ほどのいわしでは以下のものを書いてましたが書き込みしようとしたら締め切られてました(^^;
お題が変わってしまったのでもう使えませんが、せっかくなのでコメントで載せるだけ載せてくださいな。
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人間には2つのタイプがある。
酒飲みと、そうでない人間だ。
前者は人生の半分、すなわち日が暮れてから夜が明けるまでを楽しく過ごせる分、得をしているだろう。
しかし酒飲みでない諸君、羨む事はない。彼らは残り半分で地獄を見ているのだから。
<em>――とある二日酔いの男</em>
~~~~~~
あまりに集まりが悪かったので、みなさん、
いわしでは書きにくいかな。。と。
ありがとうございました。
現実を重視すると、Windowsになってしまいます・・・
夢は、現実に対するアンチテーゼです。
Macユーザーになりたいと思いつつ、コストに縛られています。
Macユーザーはエピキュリアンと感じます。
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カプチーノを入れながら、私は窓をチェックする。
ふうむ、今日は曇りだ。カプチーノを入れて、青空を眺めながら飲むのが一番の楽しみだというのに。
そんな時、私はWindowsが住む箱に魂を吹き込む。
決して、「窓がインスコされてるマシンの電源ボタンを押す」などと表現してはいけない。紳士には詩が似合うのだよ。
そうこうしているうちに、Windowsが起動する。私はとりあえずカプチーノで髭を湿らせながら、おもむろに“メモ帳”を呼び出す。XPを使ってはいけない。とにかく、骨董品を使いたいならば、Windows98、あるいは95が最高だ。そうして、メモ帳を起動すると、私は次のメモ帳に命を吹き込む。
そうしていくつもの芸術的な窓がデスクトップに立ち上がると、やがて、Windowsは私に素敵なプレゼントをくれるのだ。
今日だって例外ではない。沢山の窓は一挙に眼前から消え失せ、素敵な青空が出現する。決して「それってブルースクリーンじゃね?」などとお下品な言葉を使ってはならない。違う、断じて違う。これは青空なのだ。ああ、それにしてもなんて美しい青空なのだろう。まるでアクア・マリンのような、醒めるような青。私を悠久の地中海へといざなってくれる。断じて、断じてサポート・センターいざなうわけではない。まして、「サポセン」等というお下品な言葉を使ってはならない。断じて、断じて使ってはならない。
……少し興奮してしまったようだ。
しかし、こうも鮮烈な画面が続くと、さすがに芸術家肌の私もそのすばらしさに心まで奪われてしまいそうになる。そんな芸術家の私には、やはりMacintosh。
だが、フォトショ、いや失礼、フォトショップを軽快に操りながら、ふと気付くことがあるのだ。
マウスの右クリックがない。
思わず背中から汗が噴き出る。
Windowsが青空の景観ならば、Macintoshは推理小説。私の頭をひどく悩ませるのだ。ああそれと、これはなんと読むのだろう。アドビ? いや、そうかこれは“アドベ”に違いない。きっと間違いない。多くの人間を欺いて、PDFをまき散らすとは、なかなかやりますね、アドベシステムズ。そう言えば、Dreamweaver という素敵なソフト。ドリーム・ウィーバーと沢山の人はいっているのだが、いや、違う、ドレアムウェアバーがきっと正しい。
「はっ」
気がつけば深読みしすぎていた。やりますね、ワンボタンマウス。そこまで私を悩ませるとは。
そうですね、Windowsは青空文庫、Macintoshは西村京太郎でしょうか。意味が分からない? いや、断じて、断じてそんなことは決してないのだよ。
ないはずです。
ないと思う。
あひゃー。
私の頭が錯綜する中、ある存在がふと脳裏をよぎる。
「Linuxはどうなんでしょう」
楽しかったです。
ありがとうございました。
(最近、Windowsの使い方忘れかけて困っています・・)