海外では、ここまで問題になっていますか?
僕の予想では、フランス・イタリア・ドイツでは問題になっている可能性はあるが、ここまでヒドくはないんじゃないか、と思うのですが。
やはり、二大政党制というのは狩猟民族のための制度なのですね。
農耕民族である日本人には、三大政党制くらいがちょうど良いんじゃないか、と思うんですけど。
「和を乱す個体を排斥するという考え」私もこの考えには賛同ですね。
日本は島国であり、少数の民族がひしめき合って生きていかなければなりませんでした。大陸のように逃げる場所もありませんから、和を尊しとし、それから国家というまとまりが継続したのです。和がなければ部族同士の争いが続き、どこかの部族が大国に助けを求め、その見返りに隋とか唐に支配されて、属国化していたことでしょう。
そう言った体質のもと、やはりいじめは社会的にも存在してました。「村八分」がそれです。しかし、このような状況でも、残りの二分では助け合いはみられていたのです。
それが戦後の個人主義の導入で、考え方の表面だけが欧米化しました。個人主義は、kubira711さんの言うように、狩猟民族的考え方で、他人の自分と違う所を尊敬し合うことを根底にして成り立つ考えです。相手の存在を認めた上で自己主張するのです。
しかし、表面的な考えの導入によって、おかしなことが起こっているのです。
違うところは排斥しようとする考えのもとに、自己の主張を優先する考えが入り込む。
自分は自分、他人は他人。でも、自分と考えの違う相手は排除したい。自分と他人は別の存在なので、他人がどうなろうとかまわない。こういった考え方が大人にあり、それを子供が学習している。大人はある程度しがらみなどで妥協するが、子供は妥協しないためにいじめが陰湿になり、追いつめ、追いつめられた方は逃げ道がないので、最終手段を執ってしまう。
こんな風におもいます。
ではないか、と思うのですが。
例としては、韓国ドラマはヨン様ブームで大人気ですが、
それに比べると中国のドラマは今ひとつです。
喫茶店のママさん曰く、中国のは見ててもベラベラベラッという感じで、英語的で何言ってるかわからんらしい。それに比べると、韓国語の方が、まだ雰囲気がつかめるんだとか。
ただ僕は、日本の「和を持って尊し」という考え方は、あまり好きではありませんね。
島国だからそういう思考法が必要だった、というのは理解できますが。
そういう思考法は結局、少数派を排除することにつながるのです。
山椒は小粒でぴりりと辛い、のにね。
結局、狩猟民族は、強いけど、本質的にオレオレ主義。
東洋で主流の農耕民族は、狩猟民族に力では負けちゃう。
あー、でももう時間がないから、この続きは帰ってきてから。
(^^;)
中国は、大陸的だから。
土地の成り立ちから考えて、中国は大陸で、狩猟民族的。
韓国は、大陸から突き出た半島の国で、食べ物も美味しい。
その点で、伊太利亜と共通点が多いかも。
でも日本は島国なんです。
真似するんなら、米国ではなく英吉利を見習うべき。
幸い、英吉利もイギリス王室が支配する王国。
日本は、皇族が支配する皇国で、共通点も多い。
米国の猿真似は、してはいけない。
アメリカでは人種がからんだいじめが多く、生徒の中に監視委員会
みたいなものを組織していじめ対策をやってる例以前TVでやってました。
委員会は集団でまず、いじめ側に接触し、ディスカッション形式という態
の良いつるしあげを行ってました。
委員会が独自にやっているのだから、いじめられた方はしかえしを恐れる
理由がないのです。
いじめられ側が知らん振りしながら委員会にチクルこともできます。
それでも改善しない場合は委員会は先生にチクルのです。
報告を受けた先生はまずいじめられてる生徒に接触して『いじめられたら
反発しなきゃだめだ』と勇気を鼓舞してました。
同時にいじめ側にも接触してこれは『いじめは卑怯で恥ずかしいことだ。
二度とやってはならない。』と、これははっきり叱ってました。
なぜ日本では白人社会よりいじめがひどいかと言うと、白人には狩猟、遊牧民族の血がながれていて、人と同じことをやってはいけないという暗黙のルールがあります。これは遊牧民が新たな牧草地をさがそうとでかけていったら、土地の奪い合いを避けるために『俺はこっち行くからお前はあっちへ行け』となるからです。
このときYESかNOの態度をはっきり決めないやつは土地の権利を失うわけです。
この『民族の血、本能』が学校でも、人まねをする人間を非難する。ユニークな人間を褒める。自己主張のはっきりした人間を褒めるという伝統が今も脈々と流れています。
日本など一箇所を営々と守っていかなければならない農耕民族は人と異なる行動をしたがる人間を『和を乱す』などといって極端に嫌ってこれを排斥することが常日頃行われてきました。
いじめはこの伝統、遺伝子から発している部分が多くいわばこれは日本や東アジア米作民族の伝統ともいえるものなのです。