もし日本国が大東亜戦争において勝利していたら、
現在の日本国はどのような社会になっているでしょうか。
戦前の日本国の礼儀作法、生活習慣などの多くが
現在も健在でしょうか。
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戦前の礼儀作法、武道教育もその一つです。
個性が相手にとって無礼にならないよう教えるのが礼儀です。
わたくしはつぎのように思います。
神武天皇からの歴代天皇は、
国を果てしなく広く創り開き、
深く厚く徳を広めてきています。
国民は忠実かつ敬虔で、
すべての国民が心を一つにして
その美徳を代々持っていることは、
我が国体のすぐれて美しい特色です。
教育の根源は実にここにあるのです。
国民は父母に孝行しなさい。
兄弟に慈愛深くしなさい。
夫婦は仲良くしなさい。
友人には誠実にしなさい。
慎み深く心を引き締めるよう己を律しなさい。
博愛を皆に広めなさい。
学習し、技術を習い、知能を発育させ、立派な人格を作りなさい。
進んで公益のためになることをし、世の中の務めを果たしなさい。
常に憲法を重んじ、国法に従いなさい。
万一国家に危急の事態が起こった場合には、
正義にかなった勇気を奮い起こし、公共のために尽力しなさい。
そして天地と共に窮まりない天皇を戴く日本国の運を助けなさい。
このようなことは、単に良き忠実な国民であるというだけでなく、
あなたの祖先が残した美風を表現することにもなるのです。
この道は実に歴代天皇の遺訓であり、
子孫である国民が共に遵守すべきことです。
これは昔から今に至るいつの時代に実践しても間違いなく、
我が国で実践しても外国で実践しても道理に反することはありません。
わたくしも国民と共に謹んでこれをよく守り、
皆でその徳を一つにする事を願い望んでいます。
大東亜戦争の前後には、何らかの価値の変換はなかったと思い込んでいる貴君が、
これからもそういう思想で生きていくことを、別に咎めたりはしない。
それでいいよね。
親子が殺しあったりする家庭の雰囲気は日本国には昔からあったのかな、
いじめられた子供が自殺する学校の雰囲気も日本国には戦前からあったのかな?
それを自分の目で確かめて、多くの人の意見を確かめてみたいと
思っているだけのことなのさ。それだけさ。
確かに日本国は、ほぼ同一民族で歴史を断絶させることなく共有してきた。
しかし、大東亜戦争の前と後とでは、道徳観念や、精神的な支柱といものは
大きく変化して入れ替わってしまって、一見して別な民族のようになってしまった。
戦前生まれの人々が亡くなったら、一体どうやって、
日本古来の道徳観念や伝統を維持していくのだろう。
親子が殺しあったりする家庭の雰囲気は日本国には昔からあったのかな
戦国時代まで遡ってみなされ
・江戸時代が如何に平和だったか分かるはずだ。
いじめられた子供が自殺する学校の雰囲気も日本国には戦前からあったのかな?
成年式でアボンだろ
確かに日本国は、ほぼ同一民族で歴史を断絶させることなく共有してきた。
真面目に「同一民族」だとお思いですか?
少なくとも縄文時代に南方種族、弥生時代に北方種族が混血しています。そしてアイヌ併合、琉球王朝併合
明治~昭和が異様に好戦的、虎の威を狩る狐 だった事に気付くべきだろうな
これは敗色濃厚になった時期に限らず、日清・日露の「美しかった時代」にもあったでしょう。
殺人やイジメが最近になって増えていると感じるのはマスコミ報道による錯覚。
マスコミは犯罪が発生すること自体が「メシのタネ」だから、数少ない犯罪をさも重大な事象のように報道する。
実際、日本の少年犯罪は高度成長を境に急減し、「生物学的に大丈夫だろうか?」と学者が心配するくらいに「犯罪レス」な社会になった。
戦前の刑法にも尊属殺人の規定があった。この規定自体の合理性の議論は置いておくとして、そういう規定を設ける必要性があった(=一定頻度の尊属殺人が発生していた)ということが推察される。
戦前には親殺しがなかった、というのはただの幻想。
ついでに言えば、現代流幼児虐待は無かったかもしれないが、「児童の身売り」は数知れず。
お詳しいようですね
美しい自然は昔の方がはるかに多かったですけれども、
子供にとっては、昔に比べて現代の方が
物資が豊かで、はるかに幸せな時代だと思います。
ただ人と人との付き合い方は全体的にみれば
昔のほうが情熱的で率直で刺激的であったような気がしています。
>昔のほうが情熱的で率直で刺激的であったような気がしています。
その伝で行くと、さぞや北朝鮮は、情熱的で刺激的と言うことになるのでしょうか?
それよりも、退屈でささやかなことなのかも知れないけど、豊かでそこそこ幸せな日常を過ごすことのほうが、遙かに価値のあることだと思います。
戦前の日本国の礼儀作法っていったいなんのことをいってるんですか?わたしにはよくわかりません。
「戦前」と「戦後」に何らかの価値の変換があるという考え自体から再検討してみるべきではないでしょうか?
たとえば野口悠紀雄は、現在の経済システムや官僚体制は1940年に戦時体制として作られたものがそのまま続いていると指摘しています。
現在、日本の総理大臣はアベさんですが、このおじいさんのキシさんは、戦時中も戦後も大臣じゃないですか。
夏目漱石は『三四郎』のなかで「日本は滅びる」と予言したことになっていますが、そもそも漱石の世代でさえ、もう旧の暦の読み方がわからなくなっています。
文化は断絶したわけではなくて、徐々に変化してきているだけだと思います。昔はよかった、昔へ返れなんていっているのは、たいてい現実逃避に過ぎません。礼儀は個人の属性で、国家とは関係ないと思います。