塾通いの子供が学校へ行っても、塾で先に教えられているものであれば新鮮味がなくなりつまらなくなる。
それで学級崩壊につながっていく。
解決策としては
塾の廃止、塾の学校法人化、塾の復習専門化などがあると思います。
倫理教育、情操教育、または実社会で生活していくための教育を充実させるべき。教師と親いう特定の大人としか接する機会がなく、実社会で必要とされる倫理や知識などが習得できずにいるような気がします。社会見学といったものはありますが、様々な分野からの専門家などを招いて講義・交流をしてもらうなど、学校という学びの場をよりオープンにすることで多少は解決されるのではないでしょうか。
訓練、鍛錬があまりにもなさすぎて頭も体もフニャフニャ。
解決策の仮説
ゆとり教育、週休2日をやめる。
夏場のエアコン義務化。夏休み2週間に。
運動のクラブ活動を義務化。
しんどいことをさせる。それだけ。
学力低下
解決策は
・教科書を1960年代にもどす
・全国テスト実施
・個人ランキング、学校ランキングを発表する。
・学校ランキングと教員給与を連動させる。
こんなもんかな?
今の子供に最も欠けているのは、「命を尊ぶ情操」でしょう。核家族化して肉親の死に立ち会わなくなった反面、戦争や凶悪犯罪などの報道で、あまりに簡単に人が死んでいくという情報にだけ接していきます。
死というものが完全に他人事になって、自分の死さえ他人事のようにとらえてしまうようになってしまった時代。こんな時代には、「生まれる」ということが何なのかということを教えていく教育が必要です。
今、いくつかの助産師会が、そのための教育方法を考え、実際に小学校などに出かけていって、「命の教育」を始めています。その様子は、こんな感じです。
まず子供は、子宮に見立てた布の袋に入ります。中には羊水に見立てたふかふかのクッションが入っています。子供はその中で手足を縮込めて待機します。「今、あなたはお母さんのお腹の中にいるんだよ。温かくてふわふわしていて、気持ちがいいね」などというナレーションが流れます。
しばらく子供がその中でうとうとしていると、「さあ、生まれるよ」という声がかかります。子供は頭の上にある穴から出ようとしますが、そこには一人通り抜けるのがやっとの布の筒がつながっていて、まるで障害物競走みたいで、なかなかうまく出ることが出来ません。
見守っていた友達からも、がんばれ、あと少し、などと声がかかります。出口が見えてきました。光が眩しいです。やっと外に出ると、やったー、生まれたーと、みんなが喜んでくれます。
そんな「誕生の追体験」をしたあと、保護者の中から妊婦さんやお母さんなどが出て、子供たちに、妊娠出産にまつわる色んな体験を話して聞かせます。
これで、人一人生まれるということがどんなことなのかを、子供たちは掴んでいくわけです。そして、それほどのプロセスを経て生まれてきた人という存在への尊さを、再認識していきます。
こんなことは、昔はみんな、弟や妹の誕生に接して、そして末っ子は甥や姪の誕生に接して、普通に身につけてきたことなんですけどね。今は、こんな特別なカリキュラムを設けないと、接する機会がないんです。
生まれるということがどんなことなのか。それを知れば、全ての人が生まれてきたからこの世にいるという事実をリアルに認識すれば、全ての人が尊く、いじめたり蔑んだりしてはならない存在なんだと分かります。
いわんや、人を傷つけることも自分を傷つけることもデフォルトでいけないことなんだと。理屈以前の問題としてそれは避けるべきが大前提なんだということが分かります。
こうして、現代の子供が抱えている問題点の多くが解決されていくことになるでしょう。
その上で、「平和」を何より尊ぶ情操を育んでいくことです。戦争は国の過ちによって引き起こされる惨禍であるということをハッキリと、持って回った言い方ではなく、ストレートに教えていきます。これは日本国憲法の記述をそのまま教えるだけですから、誰に遠慮も要りません。
最近の青少年による凶悪事件の多発や、いじめや自殺の問題は、日本の右傾化、「改憲」再軍備の議論と、ほぼ時を同じくして問題化しています。内閣もそれに気付いているからこそ「教育改革」などと躍起になっているわけですが、根本原因は国が命を尊ばなくなってきていることにあるわけですから、その根本を正さずして、解決されるはずがありません。
教育の場を、命の尊さと平和の大切さを広げていく場としていくこと。そして大人の責任として、戦争の出来る国へと刻一刻と傾斜していく危険な政治をやめさせること。これが大切です。家庭や教育の現場だけでなく、国全体を命と平和を尊ぶ環境に戻していくこと。これがすなわち、理想的な教育環境を整備することにつながります。
今切実に悩んでいるのは、テレビゲーム等のゲームを自分の子どもたちにどのように与えるか、ということです。
私自身、そういったゲーム類には全くといっていいほど興味がなく、子どもにも今のところそういう遊びを経験させていません。
それよりも小さい頃には、外でどろんこ遊びをしたり、虫取りをしたりというような経験をたくさんさせることが、人間形成にとって大切なことだと考えています。
しかし、保育園の友達は家でゲーム遊びをしている子が多く、話題についていけないようなこともあるようです。また、友達の家に遊びに行った時にゲームをさせてもらって、自分も買って欲しいというようなことも言い始めています。
ゲーム遊びを経験せずに大人になったところで何も悪影響はないと思うのですが、やはり友達関係を円滑にして、いじめを受けたりしないようにするためには、やむなくゲーム機を買い与えざるを得ないのかなあと思っています。
今、その買い与えるタイミングを悩んでいるところです。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/special/s08/20061005tv01.htm
①大学の低学力化
受験勉強はもはや必要ない。社会に出てから必要な実学的な内容の勉強を必要とさせるべし
②公立小中学校の授業の崩壊
教師に工夫が必要。コンピューター教育で楽しく学ばせる。
小中学校での体罰が無くなった事が大きく影響していると思います。
体罰はいけない事だとわかってますが、これが抑止力になっていたということも事実です。
言ってみれば必要悪なんだと思います。
教育関係者の頭が固い。多様な選択肢が求められているのにあまり選択肢がない。多様な個性を認める寛容さが日本社会にあるのか疑わしい。
工場労働者になるために生まれた学校教育制度で、受験のための塾通いで、想像的な教育は見込めない。
小学生向けの野球チームも監督がまるで甲子園、プロ野球を目指すような罵声を浴びせて練習や1軍選手選抜を行っており、なんだか余裕がない。
教育に問題があるとする考えには絶対的な基準が欠けています。具体的に「どのような人間に育てるための教育か」という観点です。では、どのような人間に育てるべきなのか。社会が必用とする人材を育成する。では、どのような人材が必要とされているのか。現在必用な人材は十年後には余っているかもしれません。
実は人材に関する視点には社会の機能だけを問題にした基準であるという欠陥が存在します。では、機能以外のものとは何か。それは私たちの欲望です。このような社会であって欲しい、と望む気持ちを形にしたものです。では私たちの欲望とは何か。私たちは、どのような社会に住みたいと思っているのか。個人的な欲望で言えば、反社会的と言われる欲望がセクシャルに絡み合います。深部で本能が鬩ぎ合って収拾不能です。物欲、食欲、性欲、支配欲、その他諸々。心理的に社会を成立させているものは、欲望の制御だと言えます。
寄り良い社会を実現するには欲望を程よく制御する必要があります。それも部門別に。しかし、やりすぎは社会を矮小化します。何故なら欲望は社会を形成する唯一のエネルギー源だからです。望まなければ何も生まれません。その人の理性の範囲内でしか創造は生まれないのです。
とりあえずの方針としては物欲を抑制すべきだと思います。食欲もこれに準じます。地球環境の悪化により、そうすることで、寄り生存確率の高い個人が増えると思います。
性欲はむしろ開放すべきでしょう。少子化を解消すべく個人的欲望を諦める動機付けを増やすためです。支配欲は中立でしょう。周囲の阿漕な諸国に対抗するには絶対に必用です。何か自分勝手な欲望に見えるでしょう。それこそが望む処なのです。現在の社会的不満の大半を解消できると思います。どうせ、その後で次の問題が発生しますが、それは次の世代の課題です。 以上 草々
一番大きな問題は、資本主義が社会をあまりにもゆがめたことでしょうね。
子供には横断歩道を渡れといいながら、横断歩道で停車する車のあまりに少ないこと。仕事のために急ぐ必要があるというのでしょうね。
大人は仕事を失うことを恐れて何もいえなくなってしまい、パチンコやくだらないテレビで時間を潰す。子供が大人になりたくなくなるもの当たり前ですね。
この質問に対して言えることは、つまらない人生を送りたくなければ、上位3パーセント位に入れるようがんばれという教育をしなさいということでしょうか。私はもう社会が良い方向に向きを変えることを期待できなくなりましたから、このようにしか答えられません。
問題:心の教育がなされていない。
解決策:自尊心を育むこと。
幼い頃は、親からの評価、しばらくすると周囲の人からの評価を気にするようになります。
しかし、最終的には自分で自分の価値を認めることが必要です。自分で自分の良い所を見つけ、それを伸ばしてゆく。そのような好循環を作り出すことが大切だと思います。
スポーツのできる子、数学が好きな子、料理が得意な子、人を笑わせるのが上手な子、いろいろいな長所があります。決してテストなどで上位に入ること「だけ」が自分の価値と思わせてはなりません。それは本当に上位に入れる子にとってしかメリットのない考え方だからです。
自分で自分の長所―ひいては存在価値を知って、それを伸ばすという好循環が一旦回りだせば、自分の悪いところも冷静に見つめられます。それは裏を返せば、他人の悪いところが見えたときに、軽蔑したり攻撃したりしなくなることを意味します。また、自分の悪いところを直すチャンスが生まれることでもあります。そして、他人を思いやる余裕ができてくるので、他人を精神的あるいは肉体的に傷つけることも思いとどまるようになると思います。そのように精神的に自立し、他人を思いやる余裕がある状態を、ここでは「自尊心」があると呼ぶことにします。
人間は3歳までに人格の基本的な部分は決まってしまうといわれているようです。したがって、心の教育も3歳までが重要です。親との関係が親密な時期であり、心の教育は学校や幼稚園ではなく、家庭で行うべきものだと思います。大切なのは、①子どもの長所を見つける ②子どもを思いやる の2点。
①は子どものすることで褒められるところを見つけて褒めてあげます。たいがい褒められると子どもは嬉しくなってどんどん続けます。この時によほどの事情が無い限り、むげに中断しないことです。この間に集中力を育んでいるからです。集中力を増すと、そのうちに本当に心から大人がびっくりするようなことをやってくれるようになります。
②は子どもに思いやりを教える前に、まず親が子どもを思いやる必要があるということです。そして子どもにも他の人を思いやって行動することを教えてゆきます。とにかく子どもは親の背を見ています。テレビを見せている場合ではありません:-)。具体的な社会のルールについてはもっと行動範囲が広がる幼稚園~小学校の時期に教えればよいと思います。
「教育」と一言でいうと、勉強というイメージがありますが、実際は知識や技能の習得よりもまず先に、心の教育が大切だと思います。「自尊心」さえあれば、あとは子ども達は自然に自分達の長所を伸ばして行くことができると思います(もちろん簡単なことではありませんが)。逆に「自尊心」ができていなければ、習得した知識や技能が悪用されてしまうかもしれません。
[問題点]
表面的な知識はあるが実践力がない
自分の感情や考えを表現する方法が稚拙だったりうまく出せない
一人一人はおとなしくていい子(のように思える)が集団になって暴走すると手がつけられない
学校で教えきれない部分は家庭任せのため子ども間の格差が大きくなる一方
[原因]
学校週休2日制および祝祭日が増えたことにより授業時間数がへったため実戦まで学校で手が回っていないこと
学校に指導力のある大人が少ないこと
教師が危機感を持っていても親に伝わらず、親の心配が教師に伝わっていないこと
[解決案]
教師の教育の充実、魅力ある教師の育成(これがむずかしいですが)
複数担任制、父母・地域参加などで一人の教師の色に染まらないようにする
書道とかそろばんとか水泳とかのやる必要のないカリキュラムの見直し
もっと教育に予算を!教師だけではなく、事務員、警備員費用も年々減らされています
外の血を入れる(教職員、教育委員会、文部科学省・・・)
ロールプレイ、実験、実習などを通して自分の身体を使った「生きた教育」「実になる教育」が必要なのではないかと思います
問題点
子供が変な知恵をつけたのか注意しても、
「どうして?」
「みんなやっているじゃん」
など、言い訳ばかりで素直にきかない。
それは、先生に対しても同じで目上を敬うということが、ほとん どない。
解決のために
親が先生の悪口を言わない。
「政治が悪い」などの投げやりな文句を子供の前でいわない。
問題点:教育の先には激しい市場原理、資本主義、競争などが待ち構えているにもかかわらず、教育の場そのものは市場原理に晒されておらず、平等だとかゆとり教育だとか全く現実社会と矛盾したことを行っている。
一つの方向は、官から民へ、郵政民営化、公務員削減、じゃないけど、そういう流れに沿って、資本主義、市場原理、競争といったものに全面的に教育を晒すというやり方があろうかと思います。学校民営化、塾化、予備校化ということです。この場合当然、全校私立化ということですから、学校間での激しい競争、淘汰がありますし、金持ちほど高レベルの教育をする学校に通うことになります。この際ですから義務教育を廃止するというのもいいかもしれません。もともと勉強に向いていない人もいるのですからそういう人を無理やり学校に通わせることは無駄以外の何物でもありません。
もう一つの方向は、先に述べた問題点を十分に理解した上で、それでもあえて、流れに逆らうやり方です。「教育」とはなんなのか、「学問」とはなんなのか、人間は何のために学ぶのか、というようなことをもう一度十分に考えること。
「詰め込み教育」への反省や、「偏差値至上主義」による受験戦争の激化への懸念として本来「ゆとり教育」というものが導入されたはずです。しかし、現在の揺り戻しは、それが単なる「絵に描いた餅」であったことを明かしています。
「ゆとり教育」が悪かったのではないと思うんです。もし、本当に「ゆとり教育」を成功させようとするならば、まず、テストの点数によっていい学校へ行けたりいけなかったり、出ている学校のレベルによって将来もらえる給料が高くなったり安くなったりする、この当たり前の考え方、システムを撤廃する必要があったのです。
で、どうするかということですが、方法はたぶんないです(笑)。というのも、もし上のようなことを国が強制的にやったら、それは共産主義化に近いことになるでしょう。そもそも自民党がそんなことするはずはありませんしね。折衷案として、全学校全企業NPO化ということも考えますが、それも結局、働く人、経営する人の意識が、金儲けではなく、やりがいとか生きがいとかのほうに向かっていけば自然とそうなる、というか、そういう政策をする政党が与党になって、そういう政策が採られるのではないかと考えています。
もしかしたら、そういう萌芽は、不登校とか引きこもりあるいはニート、フリーターと呼ばれる人たちによってやや先走った形で社会へのプロテストとして実行されていると考えることもできるかもしれませんし、自殺や鬱などの精神障害あるいはいじめなどの現象を通じて社会への病理としてシグナルを発していると見ることもできるのではないかと思います。
・教師の質、親の質が低い
悪いことを悪いと教えられる(最低限のしつけを出来る)親が少ない。子供を理解している親も少ない。ちゃんと子供たちに向き合える教師がいない。親の学校を作ってみてもいいかも。
・教育を学校任せにする風潮がある
「しつけも学校でやってくれればいいでしょ?」というような無責任な親もいる。どこからどこまで家庭がやるべきか、学校がやるべきか明確にするべきだと思う。
・教師への信頼がない
子供からも親からも教師の信頼がない。教師も悪いし、親も悪い。尊敬されるだけの性格、指導力を持っている教師が少ないし、親も教師を軽く見ている(昔は教師=エリートだったから、親も世間も教師に対する見方は違った)。また、教師の力もどんどんとなくなってきている(体罰、教育内容など子供への権限)。教師・親ともに、協力関係が結びにくい環境にいると思う。これは双方努力するしかないと思う。
・教師の権限がない、本当の意味での教育を行っていない
決められた時間内に決められた教育内容の授業を行うのが教師の仕事になってしまっている。このせいで面白い授業を行うのが難しくなっている。教育=「知りたいと思ったときに調べることが出来る能力を作ること」だと思う。全部覚えれば試験に困らない授業よりも、生徒が興味を持つきっかけになるような授業を行った方が良い。そのために、もっとフレキシブルな指導要領に変更するか、教師に権限を与えた方が良いと思う。
・人付き合いが上手く出来ない子が多い
不登校、いじめなど人付き合いが上手く出来ないで起こるトラブルが多く起きている。言葉で教えるだけではなく、実体験から学べることが少なくなっている。学年を超えた付き合いなんてものはすくないし、近所付き合いもほとんどなくなってきている。人付き合いが浅くなってきているのが原因になっていると思う。習い事や、ボーイスカウトのような活動に参加させるなど、大人が学校以外の世界をみせ、子供の世界を広げてあげるしかないと思う。
問題点:子ども自身が「自分のいいところ」が分からない。
教育の根底にあるべき「自分自身を受け入れる」事が、すっ飛ばされている。一方で情報や物にあふれ、一方で与えられるべき(簡単に言うと)多くの人からの愛情を受けられなくなっている。結果、自分を大事に思えない子どもを増やしているのではないか。学ぶ気持ちは「どんな大人になりたいか」分からないと、わいてこない。それを知る為には、人間関係の中で、まず自分を好きになる事が必要なのではないか。「思いやり」とか、自分を好きでない人には思いつかないはず。
改善策:年齢の低いクラスは少人数、複数担任で。
教育の場では、TVの話禁止、ゲームの話禁止、キャラクター物を持ち込まない。いっそ、全員ジャージで登校、とか。逆の発想で家庭や社会から切り離した環境を作るべき。
ビデオではなく読み聞かせ等でいろんな物語を体験する。低年齢ほど教科教育ではなく、物語、計算の基礎、身の回りの事物を総合的に学習出来るようにする。(イギリスの初等教育参考)
少人数、複数担任で、大人も子どもも助け合って成長出来る環境を作る。疑似大家族、って言う感じで。
子どもが関わる悪いニュースを見る限り、中学1年くらいまで、そんな環境でもいいかなー、と思う時もあります。
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