仏教では、釈尊が出家した理由を「四門出遊」として説明していますが、この四門出遊は、どこに出典があるのでしょうか。原始仏教経典の中に記述はあるのでしょうか。ないとしたら、どこでしょうか。HPに四門出遊を紹介している人たちは、いったいどうして四門出遊によって、釈尊が出家したのだということを知っているのでしょうか。


http://www.jbf.ne.jp/m_budda02.html

http://www.shingon.or.jp/buddha.htm

http://www.link-age.or.jp/kyoushuuji/buddhism/a02_2.htm

http://plaza.rakuten.co.jp/seiichi1177/diary/200507200002/

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id:booboo_002 No.5

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%AB%E7%B5%8C

Wikipediaの『阿含経』に関する記述が参考になるでしょう。

長阿含経はディーガ ニカーヤに対照されます。

http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/dn.html

阿含経はサンスクリット語から漢語訳されたという説があります。パーリ語によるディーガ ニカーヤに同様の記述があるということは、弟子によってまとめられた初期の法話が、釈尊という一人の人物をルーツとして言語は異なりながらも地続きのアジアに広まったと考えることができます。

四門出遊自体は漢語の表現ですから、出典元を長阿含経と考えてよいのではないでしょうか。

以下に件の部分と思われる内容を貼ります。


長阿含経 抜粋

http://panna.dyndns.org/bukkyo/kyouten/agon/0001-1.html

於時菩薩欲出遊觀。告勅御者嚴駕寶車。

詣彼園林巡行遊觀。御者即便嚴駕訖已。

還白今正是時。太子即乘寶車詣彼園觀。

於其中路見一老人。頭白齒落面皺身僂。

杖羸歩喘息而行。太子顧問侍者。

此爲何人。答曰。此是老人。又問。何如爲老。

答曰。夫老者生壽向盡。餘命無幾。故謂之老。

太子又問。吾亦當爾。不免此患耶。

答曰然。生必有老無有豪賎。

於是太子悵然不悦。即告侍者迴駕還宮。靜默思惟念。

此老苦吾亦當有。佛於是頌曰

【偈】

見老命將盡 杖而羸歩

菩薩自思惟吾未免此難

爾時父王問彼侍者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢老人是以不樂。爾時父王默自思念。

昔日相師占相太子言當出家。今者不悦得無爾乎。

當設方便使處深宮。

五欲娯樂以悦其心令不出家。即便嚴飾宮舘。

簡擇 女以娯樂之。佛於是頌曰

【偈】

父王聞此言方便嚴宮舘

増益以五欲欲使不出家

又於後時。太子復命御者嚴駕出遊。

於其中路逢一病人。身羸腹大面目 黒。

獨臥糞除無人瞻視。病甚苦毒口不能言。

顧問御者。此爲何人。答曰。此是病人。問曰。

何如爲病。答曰。病者衆痛迫切存亡無期。

故曰病也。又曰。吾亦當爾。未免此患耶。

答曰然。生則有病無有貴賎。

於是太子悵然不悦。即告御者迴車還宮。靜默思惟念。

此病苦吾亦當爾。佛於是頌曰

【偈】

見彼久病人顏色爲衰損

靜默自思惟吾未免此患

爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢病人是以不樂。於是父王默然思惟。

昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。

吾當更設方便。

増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。

佛於是頌曰

【偈】

色聲香味觸微妙可悦樂

菩薩福所致故娯樂其中

又於異時。太子復勅御者嚴駕出遊。

於其中路逢一死人。雜色 幡前後導引。

宗族親里悲號哭泣。送之出城。太子復問。

此爲何人。答曰。此是死人。問曰。何如爲死。

答曰。死者盡也。風先火次諸根壞敗。

存亡異趣室家離別。故謂之死。太子又問御者。

吾亦當爾。不免此患耶。答曰然。

生必有死無有貴賎。於是太子悵然不悦。

即告御者迴車還宮。靜默思惟念。此死苦吾亦當然。

佛時頌曰

【偈】

始見有人死知其復更生

靜默自思惟吾未免此患

爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢死人是故不樂。於是父王默自思念。

昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。

吾當更設方便。

増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。

佛於是頌曰

【偈】

童子有名稱 女衆圍遶

五欲以自娯如彼天帝釋

又於異時。復飭御者嚴駕出遊。

於其中路逢一沙門。法服持鉢視地而行。

即問御者。此爲何人。御者答曰。此是沙門。又問。

何謂沙門。答曰。沙門者。捨離恩愛。出家修道。

攝御諸根不染外欲。慈心一切無所傷害。

逢苦不 遇樂不欣。能忍如地。

故號沙門。太子曰。善哉。此道眞正永絶塵累。

微妙清虚惟是爲快。即飭御者迴車就之。

爾時太子問沙門曰。剃除鬚髮法服持鉢。

何所志求。沙門答曰。夫出家者。

欲調伏心意永離塵垢。慈育群生無所侵 。

虚心靜寞唯道是務。太子曰。善哉。此道最眞。

id:ShinRai

これはこれはご丁寧にありがとうございます

真偽については、やはり疑問ということになるのでしょうかね

アンベードカルは、「ブッダとそのダンマ」の中で、否定していますね。そんなのありえないって。

所詮、ヒストリーは、ストーリーですから、虚実いろいろとあってかまわないのでしょうが、それを聴く我々ひとりひとりが、何を信じ、何を信じないようにするのかの基準や判断力を培う必要があるということでしょうかね

2007/03/27 12:50:01

その他の回答4件)

id:fuk00346jp No.1

回答回数1141ベストアンサー獲得回数54

ポイント10pt

天上天下 唯我独尊

とほぼ同じでしょう。口伝です。

 

後世に(サンスクリット語で)経典として編纂されますが元々仏教は原典が存在せず、説話説法で釈迦から弟子へ悟りが伝えられたとされています。

参考URL:

http://homepage3.nifty.com/54321/kyouten.html

id:ShinRai

答えになっていないようで、実はなっているのかなあと思いました。ありがとうございます。

経典のどこにも記録はないということですね。

口伝であるかもしれませんが、第一回の結集で記録されていなかったとすると、釈尊が弟子たちに語ったものではないということになりますでしょうか。

言い方を変えると、釈尊に直接話を聞いたことのない人が、想像でつくった作り話ということになりますね。

その程度の話なんですね

2007/03/26 06:57:10
id:kappagold No.2

回答回数2710ベストアンサー獲得回数249

ポイント20pt

私的仏教論というサイトに、


「釈尊が生誕直後に七歩あるいて、「天井天下唯我独尊」と宣言したという挿話など、後世に作られた伝記が多くの資料中に混在しているので、注意深く読み取らなければならないが、釈尊が少・青年時代は恵まれた環境で育ち、冬は冬の宮殿で、夏は夏の宮殿で過ごしたと、「自らの言葉」として述べられていることは信じてもよかろう。

 釈尊の青年時代を彩る伝承の中で、後に佛教を創始するに足りる契機をなしたと思われる挿話が遺されている。史実であるかどうかは不確実だが、青年の理想主義、人生への悩み、自分の存在の確認(アイデンティティ)を象徴するのに、如何にも格好な挿話ではある。「四門出遊」と呼ばれ、多くの佛伝や経典類に記されている。」


とも記載されていますので、やはり挿話と考えるというのが一般のようです。



http://brahma.zushi.org/index.php?/categories/52-ccaee

id:ShinRai

挿話、すなわち作り話ということですね

ありがとう

2007/03/26 13:43:02
id:sougetsu No.3

回答回数519ベストアンサー獲得回数15

ポイント20pt

http://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%B6%E2%C1%D2+%B1%DF%...

金倉圓照「インド哲学の自我思想+釈迦の生涯」より抜粋&要約

釈迦の生涯については、伝説的な部分が多く、初期の仏典には、断片的な出来事が書かれているだけで、一貫した伝記が書かれたのは、後の時代だそうです。伝記は史実の伝承というより、信仰を目的とした空想も含んだ物語(フィクション)として書かれたものが多い中、比較的まとまっていて、原文の伝記として重視されているのは、

■北方梵語系統

「大事(マハーバスツ)」「遊戯の開陳(ラリタヴィスタラ)」「佛所行讃(ブッダチャリタ)」

■南方パーリ語

「因縁物語(ニダーナカター)」

あたりだそうです。


釈迦の晩年については、最期まで彼に付き添っていた若い弟子・阿難(アーナンダー)の記憶をベースに直弟子達が口伝・問答を集めたもの(聖書の4福音書の共通ベースとなったQ資料のようなもの)を作ったそうですから、晩年のリアルな釈迦の姿が伝えられています。

id:ShinRai

空想ですかね

2007/03/26 14:40:08
id:norita34 No.4

回答回数302ベストアンサー獲得回数1

ポイント10pt

http://www.silkroad.ne.jp/tianjin/bijiao/%E5%AE%97%E6%95%99/%E4%...

釈迦の教えには四門出遊・中道・山法印・慈悲などがある。四門出遊とは老・病・死は自らの意のままにならない人生上の根本を表したものであり、これは釈迦が出家するきっかけになったともいわれている。確かにこの3つは自分の意志とは関係ない。しかし僕はこの3つに事故をあわせてもいいかなぁと思わないことはない。次に中道とは単に真ん中ということではなく、道の中(あた)るということで道理にかなうこと。すべてのとらわれを離れた立場であり、その具体的な実践方法が八正道である。八正道とは正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定のことである。この中道は僕は両極端をさけどちらにも偏らないことを表していると思う。そして三法印とは諸行無常(物事は無常であり常住・不変なものはない。)と諸法無我(諸々の存在には我はない。つまりそれぞれの存在は色・受・想・行・識より成り立つがそれは実体はない)と涅槃寂静(究極の安らぎの世界は、煩悩の火が消えて静まった世界である)の3つである。この中で聞いたことのあるのは諸行無常ぐらいでいくら栄えていてもいつかは滅びるということだと思う。そして慈悲の『慈』とは『喜び与えること』、『悲』は『くるしみを取り除くこと』であり自我に対する執着を離れ、無常・無我に基づく実践原理である。慈悲の僕なりの考えは友とともに喜びを分かち合い、悲しみをともに感じあうものだと思っている。そのほかにも四諦といわれる苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦や因縁生起の略である縁起などがある。そしてこれらの釈迦の教えが後の仏教の土台となり、きっかけになったのは言うまでもない。

id:ShinRai

あまり的を得てない回答ということになりますかね

遅くなりましたが、のっかり様ご支援ありがとうございました。


ニカーヤに、四門出遊について書いてあるのかな?

http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/nayami20.htm

2007/03/26 17:13:25
id:booboo_002 No.5

回答回数352ベストアンサー獲得回数14ここでベストアンサー

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%AB%E7%B5%8C

Wikipediaの『阿含経』に関する記述が参考になるでしょう。

長阿含経はディーガ ニカーヤに対照されます。

http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/dn.html

阿含経はサンスクリット語から漢語訳されたという説があります。パーリ語によるディーガ ニカーヤに同様の記述があるということは、弟子によってまとめられた初期の法話が、釈尊という一人の人物をルーツとして言語は異なりながらも地続きのアジアに広まったと考えることができます。

四門出遊自体は漢語の表現ですから、出典元を長阿含経と考えてよいのではないでしょうか。

以下に件の部分と思われる内容を貼ります。


長阿含経 抜粋

http://panna.dyndns.org/bukkyo/kyouten/agon/0001-1.html

於時菩薩欲出遊觀。告勅御者嚴駕寶車。

詣彼園林巡行遊觀。御者即便嚴駕訖已。

還白今正是時。太子即乘寶車詣彼園觀。

於其中路見一老人。頭白齒落面皺身僂。

杖羸歩喘息而行。太子顧問侍者。

此爲何人。答曰。此是老人。又問。何如爲老。

答曰。夫老者生壽向盡。餘命無幾。故謂之老。

太子又問。吾亦當爾。不免此患耶。

答曰然。生必有老無有豪賎。

於是太子悵然不悦。即告侍者迴駕還宮。靜默思惟念。

此老苦吾亦當有。佛於是頌曰

【偈】

見老命將盡 杖而羸歩

菩薩自思惟吾未免此難

爾時父王問彼侍者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢老人是以不樂。爾時父王默自思念。

昔日相師占相太子言當出家。今者不悦得無爾乎。

當設方便使處深宮。

五欲娯樂以悦其心令不出家。即便嚴飾宮舘。

簡擇 女以娯樂之。佛於是頌曰

【偈】

父王聞此言方便嚴宮舘

増益以五欲欲使不出家

又於後時。太子復命御者嚴駕出遊。

於其中路逢一病人。身羸腹大面目 黒。

獨臥糞除無人瞻視。病甚苦毒口不能言。

顧問御者。此爲何人。答曰。此是病人。問曰。

何如爲病。答曰。病者衆痛迫切存亡無期。

故曰病也。又曰。吾亦當爾。未免此患耶。

答曰然。生則有病無有貴賎。

於是太子悵然不悦。即告御者迴車還宮。靜默思惟念。

此病苦吾亦當爾。佛於是頌曰

【偈】

見彼久病人顏色爲衰損

靜默自思惟吾未免此患

爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢病人是以不樂。於是父王默然思惟。

昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。

吾當更設方便。

増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。

佛於是頌曰

【偈】

色聲香味觸微妙可悦樂

菩薩福所致故娯樂其中

又於異時。太子復勅御者嚴駕出遊。

於其中路逢一死人。雜色 幡前後導引。

宗族親里悲號哭泣。送之出城。太子復問。

此爲何人。答曰。此是死人。問曰。何如爲死。

答曰。死者盡也。風先火次諸根壞敗。

存亡異趣室家離別。故謂之死。太子又問御者。

吾亦當爾。不免此患耶。答曰然。

生必有死無有貴賎。於是太子悵然不悦。

即告御者迴車還宮。靜默思惟念。此死苦吾亦當然。

佛時頌曰

【偈】

始見有人死知其復更生

靜默自思惟吾未免此患

爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。

答曰不樂。又問其故。答曰。

道逢死人是故不樂。於是父王默自思念。

昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。

吾當更設方便。

増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。

佛於是頌曰

【偈】

童子有名稱 女衆圍遶

五欲以自娯如彼天帝釋

又於異時。復飭御者嚴駕出遊。

於其中路逢一沙門。法服持鉢視地而行。

即問御者。此爲何人。御者答曰。此是沙門。又問。

何謂沙門。答曰。沙門者。捨離恩愛。出家修道。

攝御諸根不染外欲。慈心一切無所傷害。

逢苦不 遇樂不欣。能忍如地。

故號沙門。太子曰。善哉。此道眞正永絶塵累。

微妙清虚惟是爲快。即飭御者迴車就之。

爾時太子問沙門曰。剃除鬚髮法服持鉢。

何所志求。沙門答曰。夫出家者。

欲調伏心意永離塵垢。慈育群生無所侵 。

虚心靜寞唯道是務。太子曰。善哉。此道最眞。

id:ShinRai

これはこれはご丁寧にありがとうございます

真偽については、やはり疑問ということになるのでしょうかね

アンベードカルは、「ブッダとそのダンマ」の中で、否定していますね。そんなのありえないって。

所詮、ヒストリーは、ストーリーですから、虚実いろいろとあってかまわないのでしょうが、それを聴く我々ひとりひとりが、何を信じ、何を信じないようにするのかの基準や判断力を培う必要があるということでしょうかね

2007/03/27 12:50:01
  • id:booboo_002
    宗教には説話や逸話が多いですね。

    教えをわかりやすく説明するためや、
    始祖が奇跡的な行いをしたとか、
    人徳が高いことを示すため、なのでしょう。
    近いところでは松本さんは飛べるとかですね。

    有名なところでは
    マホメットが猫(?)が、自分の着物のすそで気持ちよく寝てしまっているのに、用事があって立ち上がらなくてはならない。猫を起こさないようにはさみを持ってこさせて、着物のすそを切ってその場を離れた、とか、
    キリストが磔刑の後に復活したとか。


    四門出遊は教えをわかりやすくするためと、
    早くから非凡であったという聖性を高める目的でしょう。

    しかしながら、北伝・南伝の双方に記録が残っていることから
    かなり早い時期に成立したことは事実です。

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