私の上司が得意先の社長の葬式に参列したのですが、その葬式はかなり悲惨だったそうです。
その社長は内外に知られるワンマン経営で従業員に相当苛烈なしごきをしていたり、取引相手に傲慢な態度を取っていたそうです。
しかし折からの不況で業績が低迷し、捲土重来を期しながら志半ばにして斃れて、件の葬式となったそうです。
その葬式は会社の取引実績から言えば数百人になると見込まれていたのですが、実際弔問に訪れたのは私の上司を含めてほんの十数人だったというのです。
未亡人となった社長夫人は、うずたかく積まれた香典返しのタオルを前に恥と悔しさに耐えながら、亡き社長の人望のなさを嘆いていたということです…。
誰からみても嫌われることをする人間はいつか報いを受けるだろうといわれますが、実際こうした具体的なエピソードはなかなか表には出てこないもので、じかに聞くとかなり新鮮で衝撃を受けました。
後学の戒めのため、人望を失った人間がどのような末路を辿ったかのエピソードを知っている人がいたら教えてください。
後学の戒めのため、人望を失った人間がどのような末路を辿ったかのエピソードを知っている人がいたら教えてください。
興味本位のための間違いじゃないの?
私の以前いた会社の社長はベンチャーで、ワンマン社長。すぐに社員を殴るそんな社長でしたが、私の在籍中何人も結婚しましたが、社長を結婚式に呼んだのは1人だけ。経理的な手続きや休暇の手続きがあるので、必ず会社には報告し、社長の耳に届くのですが、その人以外は社長には、海外挙式だとか、身内だけでやるとか(実際は普通にやる)いって、社長は絶対に呼びませんでしたね。
URLはダミーです。
こういう目に遭っても、件の社長さんはこたえないものなんでしょうか。結婚式に呼ばれない、というのも痛烈なエピソードですね。
どうもありがとうございます。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1085126708/
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1009478338/
まあでもご本人がなくなられた後の話ですから・・・。
生きていれば、人望のなさを噛み締めて改心することもできたのですが、
もうそのチャンスはめぐってこないのですね。
残された奥様は残念でしょうが、きっと生きている間に散々、
「もっとやさしくすれば、人の気持ちを考えて」
などアドバイスをしようとなさったのでしょうね。
だとしたらさぞ悲しいことでしょう・・・
お疲れさまでしたとしかいいようがありません。
上にあげたリンクは、どちらかというと生きている人たちが
お葬式に関するお話をするものですが、
やはり生きている人のほうが大変かなと思います。
でも直すチャンスもいっぱいあるので、直していきたいですね。
そうですね、死者に鞭打つという側面もあるかとは思います。
しかし、NAPORINさんの仰るように、生前にそのことに気づいて、言動を改めることをしてくれたらと思うのです。
死んだ後に悪く言われないよう、生きている間に「直すチャンス」が得られればと思います。
どうもありがとうございます。
そうですね、私の父親も亡くなられた得意先の社長さんに似ているタイプでした。広島から裸一貫で大阪に進出して一代で海運会社を築き上げたのですが、「余計なお金は人格を変える」というか、道楽の限りを尽くし、莫大な借金を作ったうえ、社員にそっぽを向かれるわ、家族から愛想づかしされるわで、人望のバロメーターがあるとすれば、プラス100から一気にマイナス100へ落ち込んだはずです。
結局、会社は一代で倒産し、どこにも居場所が無くて、一人で広島へ帰ってしまいました。
私はそれも人生で、自分に後悔や未練が無いのであればOKかなと思いますし、起業家としては尊敬しています。人望とは字が示すとおり「人が望むものであって、人が評価するもの」ですから、本当に表裏の無い“信念の人”でない限り、本人は案外窮屈かもしれません。また、本当の人望を測るのであれば、人生最後のお葬式のときに、幽体離脱した本人が参列者の顔ぶれを見る以外ないのではないでしょうか。
件の社長側に立った考え方ですね。なるほどと思わされます。
こうなってくるともう究極的にはそれぞれの立場の人間がどう感じるか、ですね。「周りの人間がどう言おうと、俺は俺のやりたいことをやる!」ということになれば、大切なのは周囲の人間の評判より「自分の夢を貫くこと」ということになるでしょう。
私としては、企業家としてのお父様を尊敬されるnicedayhiroさんのお気持ちも分かります。
しかし他方では振り回される側の立場として、手放しで称賛することは決してできないとも思います。
立場や関係性の違いで、位相は異なって見えますね。考えさせられました。
どうもありがとうございます。
結婚もせず友達もほとんど作らなかった人が、他の人達と比べて裕福な生活をしていましたが、定年を迎えて身体が弱ってきても誰も介護してくれることなく話し相手もいなく悲惨な生活を送ったという話を聞いたことがあります。
まるでアリとキリギリスの話みたいです。
これは人望を損なうというより、人を遠ざけ、避けてきた人が辿る道という感じですね。
ちょっと私の質問の意図とは違うのですが、しかし同様に悲惨な結末を辿ってしまうという意味では興味深いエピソードです。
どうもありがとうございます。
知人の祖母ですが、
・お嬢様育ちで我がまま
・誰に対してもとてもハッキリと物を言う
・ケチ
だったそうで、晩年は呆けてしまいましたが数人いる子供も誰も面倒を見るのを嫌がり、介護士に任せっぱなし(幸いそれ位のお金はあったようです)だったそうです。
呆けて数年で亡くなったそうですが、お葬式に来る方も少なく、参列しなかった孫もいたくらいだったそうです。
我がままで、思いやりがなく、ケチ、ということですか。共通することは「他人を思いやる要素がない」といったところでしょうか。
老人の孤独死がクローズアップされ、地域のコミュニティの希薄さなどが取り沙汰されたりしますが、こういうエピソードを聞くと、老人自身が思いやりのある人柄で、そのために周りの人からも世話をしてもらえるような人だったのかどうか、という観点も気になるところです。
世間的にはこうした視点・観点はタブーのようですが…。
どうもありがとうございます。
硫黄島関連の記事を検索しているうちに、
読むことができた下記の戦闘日記に、ちょうど
ある軍曹のお話が出ています。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/
『祖父の硫黄島戦闘体験記』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/page2.html
「工藤軍曹死す
工藤という軍曹が居った。彼は兵を情け容赦なくこき使う。
上官の命は天皇の命だと言う。兵はよく思わないがやむを得ず従っている。彼は病気になった。岩のかげに寝ていた。軍医も居らぬ南洋の島で、誰にも看取られず淋しく死んだ。その場に埋められた。悪いことをすると罰があたるという。本当だ。天皇の命も通用せず死んだ。人間死ぬ時は如何なる悪人も真心になると言う。彼も、兵をいじめたことを後悔して死んだことであろう。あわれである。」
戦争という極限状態の中でのエピソードは強い印象を残しますね。
死ぬ時に真心になるというのは悲痛な思いを感じさせます。死に際してのみしか、自分の為し来たことを顧みることはできないのでしょうか。
生きている間に、正真に返って後悔をすることはできないのでしょうか。
やはりこうしたエピソードは、広く多くの人たちに知られるべきじゃないかと思います。死の間際ではなく、生きている間に気づけるように。
どうもありがとうございます。
もうちょっと具体的な話をしていただけたらと思いますが…。
でも、仰ろうとしていることは分かります。
団塊世代のいわゆる飲みニュケーションのアンチテーゼは、ネットでもちらほらと見かけるようになりましたね。
http://blog.livedoor.jp/onisoku/archives/51774974.html
他にもどこかのサイトのコラムで見たのですが、「若者はなっていない」という上司に対して、「あなたは本当に部下に信頼されるような行動をしていますか?」みたいな記事を思い出しました。
裸の王様ではいかにもマズいです。上司の人たちには気づいてもらいたいし、自分もまたそのような独善的な考えに足を踏み入れていないかを自戒したいと思いますね。
ありがとうございます。
会社じゃないとだめっぽ?
・三国志で有名な張飛は身分の高い人は敬愛するが、身分の低い人には情けをかけないという性格上の欠点がありました。
しばしば厳しい刑罰を行い、部下から人望を失っており
関羽の弔い合戦で、「全軍喪服姿で出陣する。三日以内に白装束を全員分準備しろ。出来なければ死刑だ。」
と難題を押し付け、耐えられなくなった部下に殺されるという悲惨な最期を遂げています。
・信長は光秀を公の場で金柑頭とか呼んだり、意味もなく殴りつけたり、家臣に対してひどい扱いを行ったことで
人望を失い、本能寺で暗殺されました。
なるほど、史実からの援用ですか。それも充分アリですね。
ただ、いただいた例ではもう少し具体性が欲しいところです。というのは、昔の人の話だとどうしても心理的に距離があって、エピソードを生々しく追体験しづらいかなあと。
会社に限るわけではないですが、「身近」なエピソードの方が、実感的に真に迫ってくるんじゃないかと思ってます。
でも全然コレもアリです。
どうもありがとうございます。
人伝に聞いた話ですが・・・
ある若者がいて、職場では上と顧客に媚び、同輩や下の者に容赦無いという性格で普段から嫌われていたそうです
その者が結婚する事になり、受付や2次会等を頼もうとした時に、やり手がおらず苦労し、しかも2次会では職場の者がほとんど出席せず、かなり寂しい式だったそうです。
こういう時に普段の態度のツケが回ってきたなと思いました。
同じ結婚式でも「盛り上がりすぎて時間オーバーし、式場から延長料金を取られた方」や「2次会でも収まらず、3次・4次会まで行き、小遣いが足りなくなって夜遅くに両親にHELPした方」等のケースと比べると・・・やはり人望は貴重な財産です。
お、これも結婚式ネタですね。ものすごく盛り上がった結婚式のエピソードと対比するとコントラストがくっきり出ますね。
今ふと思ったのですが、冠婚葬祭といういわばかなり「義理」の要素が強い場なのにもかかわらず、その義理さえも果たそうと思えないくらい人望を失っていることが如実に出てしまうから、葬式や結婚式といったエピソードが出てくるのかと思いました。
別にこの質問を冠婚葬祭に限定するつもりは全くないですけどね。
どうもありがとうございます。
知り合いの人の話なんですが、
会社の経営が傾きかけると、スゴイ勢いで人がいなくなり、
しまいには会社の内情を2ちゃんねるにアップされたそうです。
関係者曰く「その会社にいたことが人生最大の汚点」とか。
あー、「カネの切れ目が縁の切れ目」を地で行くお話ですね。カネだけで繋がっている縁というのも悲しい話です。
しかも今はネットがありますから、一たび軋轢が噴出するようになったら、崩れるまでの加速度は凄まじいものがありそうです。
どうもありがとうございます。
誰からみても嫌われることをする人間はいつか報いを受けるだろうといわれますが
因果応報を想定しているのでしょうが、残念ながら、人の世にはそれに当てはまらない例はいくらでもあるようです。
山田風太郎の秀逸なエッセイ『人間臨終図巻』を一度、ご覧になられることをすすめます。
ISBN-10: 419891477X
悪行非道を尽くしたあげく長生きして大往生した者、誠実な人生の最後が悲惨な末路を終えた者、ざらにいるようです。納得できないといってもそれが人生。
仰りたいことはよく分かりますが、私の質問の意図とは違うんです。すみません。
私のかつての上司の話です。
その上司は、人を動かそうとするときに、同僚の悪口を言い、だからお前がやれ。とあることないこと悪意をもって暴き立て、それに自分がいかに馬鹿にしており、回りのものも馬鹿にしているかを得意になって話すような人でした。
それに反対する部下もおらず、普段は皆黙って聞いているだけでした。
あるとき、私の部署に有能と思える社員がやってきました。
ところが配置換えの手続きがどこかで滞っていたらしく、こちらの部署に届いていなかったせいもあり、その有能な社員がやってくると、どこにも確認の連絡もとらず、その社員に悪態をつき罵倒し、どこかのスパイかもしれんから、誰も口をきくな。と皆に言い放ったことがありました。
その有能な社員はこれに怒り心頭します。
後になって、配置転換の書類が回ってきて間違いないことが赤らかになったあと、その有能な社員は反撃に出ます。その上司に苦しめられた部下の一人一人とひざ詰めで話あい、とうとう最後には、部署のみんなを味方にして、以後、上司の命令に従うものは誰もいなくなりました。
当然、この話は社長の耳にまで届き、社内ぜんたいを巻き込んでとんでもない大騒ぎになりました。
でもそんな上司でも味方するものはいるもので、社内規律を破ることは問題だと指摘する人もいますが、そういう人も含めて、社内は2派に別れていきます。
そして社長は決断します。
その上司とそれに荷担したもの全員、平に格下げ。そしてその有能な社員が今までの上司に代わって私たちの上司になり、いままで威張り散らして、悪口を言いつづけていたもと上司は隅っこに追いやられ、みんないつ会社を辞めるのか、と冷ややかな目でみるようになりました。
案の定、それからほどなくして、その上司と荷担した人たちはまとめて辞表を出し、集団でやめていきました。
こりゃまた生々しい社内抗争のお話ですね。社内規律を破るっていうのはその上司に従わなかったってことを指してるんでしょうか。
しかし従おうというモチベーションを激しく削っているのはその上司なのだから、部下の方々が責めを受けるというのもお門違いなのに…。でも会社組織ではウンザリするほどよくある構図のような気がします。判断力のある社長さんで良かったですね。
どうもありがとうございます。
「誰からみても嫌われることをする」というのは、なかなか難しいんじゃないかと思います。
件の社長さんでもそうかと思いますが、ある程度「上」に立つ人間は、「嫌われる」要因があるのでしょうし、それは立場が違えば「好かれる」理由になるのでしょう。
知っている人に、社長ほどの立場の人間ではありませんが、非常に日常的な言動にさえ問題がある方がおりました。所謂、仕事がワンマンだというタイプですね。
取引先に対しても、社内に対しても、暴言は当たり前。ただ、全国的に第一人者の一人としてそれなりの影響力があったり、実績があったりで、かなり要職のポストへと移動されました。
客先や会社で嫌われていようとも、上としては有益な人間だったから「好かれ」たのですね。
ところが、ほんの数ヶ月で、たたき出されるようにして急遽退職。
無責任だと罵る声は高くとも、引き止める人はいなかったそうです。
やはり自分本位のワンマンタイプが、要職についた所で所詮は「上」の引き抜きによるもの。
そして、そんな自己中心的で、問題の多い人を、いくら実績が良いからと引き抜くなんて事をする人間は、同じ「ワンマン」タイプだったからでしょう。
大抜擢から一転して、無職です。
退職してから、かなりの月日が経過しましたが、今でもその方の事は、時に名指しで批判されつづけています。
批判する人間(引き抜いた上役)の立場が立場だけに、批判の全国展開です。
全国で名を売って、その名前で商売してきたような人でしたから、きっと屈辱的な日々が続いている事でしょう。
随分良い年齢で、今までやれていた、やりたいことをやらせてもらえず、更には退職しか選ぶ道がなかったのですから、生活だって楽じゃないと思います。
けれどね、思うんですよ。
その人に同情は起こりませんが、人として問題だったからといって、それを理由に批判的な手段に出る人間にも、また同意できる物ではない、という事を。
件の社長さんの取引相手もまた、同じなんじゃないでしょうか。
人望がないゆえに、それに応じた人間(目に見えない部分などでちゃんと礼節は通していたのかもしれませんが)しか集まってこないのかもしれませんが、そんな人間の人望なんて、所詮ナンボのモンなんだろう、と。
ぶっちゃけ、夫の葬式に来ない礼儀のない相手を詰るよりも、葬儀の場で失った家族の人望のなさを嘆いているような身内…という時点で、社長さんがどんな人であったとしても、批判よりも同情が先に集まるのではないでしょうか?
最近、退職した本人から嫌な目にもあっており、以前は批判をしていた方が、あまりにも上の批判が露骨に続くという事で、逆に上役の事を「辞めた人間を何時までも…」と批判されるようになりました。
私は、この方の反応が一番まともに思えました。
人望を失うと、悲惨な結果が待っているとも思いますが、
同時にまた、そんな事をいつまでも言っている人間も人望を失うのだなぁ、と。
(でも、上役の方は批判されようとも窮地に陥らないのが現実…なんでしょうね)
丁寧に回答いただいてありがとうございます。
4番目の回答者さんのコメントにも書きましたが、仰るとおり立場が違えば見方も違ってくるでしょう。
それから、いかに嫌われているからといって、一度川に落ちた人間を棒で叩くようなマネも決して褒められたものでもないということも分かります。
だからこそ、川に落とされないような、最低限の人望はキープするべきだと私は思います。それに、確かに棒で叩くことを喜ぶようなサディスティックで品性の低い人もいなくはないでしょうが、しかし大部分は今まで散々酷い目に遭わされてきた人たちの恨み、ルサンチマンがそうさせるのだと思います。
だとしたら、そんな彼らの人望を失わせて恨みを抱かせてしまったことも含めて、因果応報の責任と言えないでしょうか。
そのワンマンの人は、暴言を吐いて客先や会社で嫌われていなければ、こんなことにはならなかった、というのが私の考えです。
どうもありがとうございます。
Σ|3<結局は、人間関係と政治だとおもいますよ
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/national/update/05...
ホットな話題です。wikipediaで故人のページを見るとその後がわかりやすいかと思います
人望があった人の例
人望が無かった人の例
政治、つまり権力の力学ということですね。仰るとおりだと思います。権力でごり押ししてしまうから、人の不満も一緒に封殺してしまうのですよね。
ホットな話題の方は事情に明るくないのでなんとも言えませんが…。
人望があった人、なかった人のwikiの対比は面白いですね。興味をひかれます。
どうもありがとうございます。
ここら辺で質問を締め切ろうと思います。エピソードを寄せてくださった方々、本当にどうもありがとうございました。m(_ _)m
私の質問が気に入らないというのなら、それはそれでfuk00346jpさんのご意見ということで分かるのですが…。
意見を仰りたいのなら、コメントを寄せていただくことで充分目的は達せられるでしょう。
なぜ後学の戒めといったのか、理由をご説明しましょう。
得意先もそうですが、なまじ権力があるために人の苦しみを顧みず、自分のやり方だけが正しいと思って周囲を振り回し、下手したら関係する人の人生さえ狂わせかねない人を数多く見てきました。
たとえ数字を出せている、成功しているという結果があっても、人望を失うようなことをしていては、決して当人のためにさえならない、ということをエピソードとして知り、さらには後輩の人間にも数字ばかりを見ずに人の信頼を得ることが大切だ、というような説明のネタに使いたいと思ったからです。
確かに、不幸話を募集したのはあまり趣味が良いとは言えないでしょう。しかしながら、良いことをすれば良い報いを得るという情報は世間にあふれていますが、人の信頼を損なえば成功しても悲惨な目に遭うという抑止的な戒めは、もはや童話くらいでしかお目にかかれません。
具体的な、抑止的なエピソードがあればこそ、人の信頼を失うような行為は決して嘉されないということを伝えることができると思ったからです。
っていうか、ここは私の質問に回答者の方が答えていただく場なのに、私が逆に質問されて私が答えるのはおかしい話です。もうこういうことするのやめてくださいね。