1183903468 幕末に会津藩の家老を勤めていた原田種龍(対馬)の行方を探しています。

戊辰戦争後に会津藩は斗南(青森県むつ市)へと移されましたが、原田は藩士と共に過酷な新天地への入植へ同行したのか不明です。

明治四年に遠祖である大蔵系糸島原田氏の菩提寺・金龍寺での法要に現れているので、存命していたことは確実です。

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  • 登録:2007/07/08 23:04:31
  • 終了:2007/07/15 23:05:28

回答(1件)

id:kawashima58 No.1

kawashima58回答回数106ベストアンサー獲得回数02007/07/10 00:09:42

id:hizakatatoshizo

ありがとうございます。

こちらの方ともすでに連絡をとっておりました。

会津時代の逸話はいつくつかあるようなのですが、明治になってからの足跡を知りたいです。

2007/07/11 03:27:28
  • id:T_SKG
    小説の中の記述なので、コメントの方に書かせて貰います。

    「北の地」
    http://www.geocities.jp/nayoyajp/novel11.html

    の中に、

    他に山口と共闘したことのある者では原田対馬も斗南には来ていないことなど、淡々と語った。
    ・・・
    途中省略
    ・・・
    家名再興といいながら体のいい流罪だと斗南行きに逆らって、原田も消えた

    との記述があります。
  • id:hizakatatoshizo
    ありがとうございます。

    やはり原田は斗南へは行ってなかったのでしょうか。
    新潟や東京へ行ったとの説もあります。

    原田氏が城主であった頃に崇敬していた高祖神社(福岡県前原市)にも問い合わせてみたのですが、対馬からの手紙や書類は残っていないとか。

    また種誠と言う息子がいたことも判明しました。

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