前回の選挙は世論誘導がひどかったですが、今回は比較的中立に戻った感じがします。
ジャーナリストの田原総一朗氏は、かつて講演でこんなことを言いました。
みなさん、報道というものは、もともと違法なんだ。
違法だけど罪として問われる筋合いではないし、違法だからといちいちやめていたらジャーナリストは報道活動ができない。
国民が事実を知るべきだという信念があったら、伝えることが違法だとしても、国民に伝える。それがジャーナリストというものだ。
報道機関は、隠している事実を調べ、事実を隠している人にとって不都合な事実を暴露する活動なのですから、報道はすべて違法であり犯罪です。
けれど、そういうジャーナリストの活動は現代社会の維持発展に必要なものであり、違法性は阻却されるべきです。裁判でも事実性(事実であること)、公益性(みんなに利益に適うこと)、公共性(みんなが関心のあること)があれば違法性は阻却されるとの司法判断もあります。
今回の選挙期間の一部報道は、政府・与党にとって「不都合な真実」を伝えていたことはたしかでしょう。
しかし、政府にとって「不都合な真実」を伝えていたこと=ネガティブキャンペーンというのであれば、わたしはネガティブキャンペーンこそどんどん報道すべきだと思いますし、そうであるべきです。それは有権者の権利(情報権。知る権利)であって、その国民の権利を実現しようとしない一部マスメディアこそが問題です。
仮に違法性があったとしても、それを正すのはメディア自身です。政府ではありません。
メディアはジャーナリズムの観点から、政府とは距離を置いてつきあわなければなりませんし、違法性があるからといって政府がいちいちメディアをコントロールしていては、メディアは国民に政府の真実の姿を伝えることはできません。真実を知ることができないことで利益を害するのは、結局はわたしたち国民です。
メディアにとって政府・与党はあくまでも「取材対象」です。取材対象の利益のために奉仕するメディアはジャーナリズムに反しています。
政府が「違法性がある」として北朝鮮やロシアのようにマスメディアの報道を強権的に支配するようになったら、政府の誤った判断や行動を誰も伝える人がいなくなりますし、政府の誤りを国民が知ることもできなります。
大事なことは国民が知るべき事実を国民が事実として知ることができるかどうかであり、その過程・プロセスが違法であろうと合法であろうと、そんなことはどうでもいいことです。
大事なことは伝えていた報道が真実かどうかです。政府のネガティブな活動をネガティブに伝えていたのだとしたら、それは単に事実を事実として伝えていたにすぎないわけですから、正しい報道姿勢と考えられます。
メディアが政府のネガティブな事実をネガティブに伝えるのはあたりまえです。悪いのは中立性を欠きネガティブなことをしていた政府であって、メディアのせいではありません。それが結論です。
前回の選挙は世論誘導がひどかったですが、今回は比較的中立に戻った感じがします。
ジャーナリストの田原総一朗氏は、かつて講演でこんなことを言いました。
報道機関は、隠している事実を調べ、事実を隠している人にとって不都合な事実を暴露する活動なのですから、報道はすべて違法であり犯罪です。
けれど、そういうジャーナリストの活動は現代社会の維持発展に必要なものであり、違法性は阻却されるべきです。裁判でも事実性(事実であること)、公益性(みんなに利益に適うこと)、公共性(みんなが関心のあること)があれば違法性は阻却されるとの司法判断もあります。
今回の選挙期間の一部報道は、政府・与党にとって「不都合な真実」を伝えていたことはたしかでしょう。
しかし、政府にとって「不都合な真実」を伝えていたこと=ネガティブキャンペーンというのであれば、わたしはネガティブキャンペーンこそどんどん報道すべきだと思いますし、そうであるべきです。それは有権者の権利(情報権。知る権利)であって、その国民の権利を実現しようとしない一部マスメディアこそが問題です。
仮に違法性があったとしても、それを正すのはメディア自身です。政府ではありません。
メディアはジャーナリズムの観点から、政府とは距離を置いてつきあわなければなりませんし、違法性があるからといって政府がいちいちメディアをコントロールしていては、メディアは国民に政府の真実の姿を伝えることはできません。真実を知ることができないことで利益を害するのは、結局はわたしたち国民です。
メディアにとって政府・与党はあくまでも「取材対象」です。取材対象の利益のために奉仕するメディアはジャーナリズムに反しています。
政府が「違法性がある」として北朝鮮やロシアのようにマスメディアの報道を強権的に支配するようになったら、政府の誤った判断や行動を誰も伝える人がいなくなりますし、政府の誤りを国民が知ることもできなります。
大事なことは国民が知るべき事実を国民が事実として知ることができるかどうかであり、その過程・プロセスが違法であろうと合法であろうと、そんなことはどうでもいいことです。
大事なことは伝えていた報道が真実かどうかです。政府のネガティブな活動をネガティブに伝えていたのだとしたら、それは単に事実を事実として伝えていたにすぎないわけですから、正しい報道姿勢と考えられます。
メディアが政府のネガティブな事実をネガティブに伝えるのはあたりまえです。悪いのは中立性を欠きネガティブなことをしていた政府であって、メディアのせいではありません。それが結論です。