わたしや兄貴はいつもオカンの自転車の荷台(いすも何も無い真っ平らな荷台)に載せられていた。
足をぶらぶら振って後輪のスポークに絡まって、オカンにタコ殴りされるのが日常茶飯事だった。
足よりも、殴られた頭の方が痛かった。
ある時はそれで靴が落ちた。
「靴が落ちた」と言おうとしたが、靴と言う単語も落ちたという単語も咄嗟には出なかった。
荷台から飛び降りてとりに行こうとして、頭から着地した。さすがにこのときはオカンも病院に連れて行ってくれた。
これが3歳の頃だったと思う。
時は下って幼稚園児の頃。
親父がいきなりわたしのチャリの補助輪を外してしまった。
「俺が支えてやるから幾らでも練習しろ」と親父は言った。
親父が後ろを支えた状態で走ること数回。ふと振り返ると、親父はチャリを支えては居らず、遠くで満足そうにわたしを見ている。
オレも兄貴のように、補助輪無しでチャリをこいでいる!
わたしは浮かれて、そのまま区画を一周した。
帰ってみると、親父の顔から満足は消え、わたしが視界の外にいた間のハラハラした表情のみが残っていた。
・・・・・・もう、あれから30年。ここに書いたことは、オカンも親父も全く覚えていないと言う。(健在ではあるのだが)
だが、後年になって創造した記憶ではない。断言する。
わたしや兄貴はいつもオカンの自転車の荷台(いすも何も無い真っ平らな荷台)に載せられていた。
足をぶらぶら振って後輪のスポークに絡まって、オカンにタコ殴りされるのが日常茶飯事だった。
足よりも、殴られた頭の方が痛かった。
ある時はそれで靴が落ちた。
「靴が落ちた」と言おうとしたが、靴と言う単語も落ちたという単語も咄嗟には出なかった。
荷台から飛び降りてとりに行こうとして、頭から着地した。さすがにこのときはオカンも病院に連れて行ってくれた。
これが3歳の頃だったと思う。
時は下って幼稚園児の頃。
親父がいきなりわたしのチャリの補助輪を外してしまった。
「俺が支えてやるから幾らでも練習しろ」と親父は言った。
親父が後ろを支えた状態で走ること数回。ふと振り返ると、親父はチャリを支えては居らず、遠くで満足そうにわたしを見ている。
オレも兄貴のように、補助輪無しでチャリをこいでいる!
わたしは浮かれて、そのまま区画を一周した。
帰ってみると、親父の顔から満足は消え、わたしが視界の外にいた間のハラハラした表情のみが残っていた。
・・・・・・もう、あれから30年。ここに書いたことは、オカンも親父も全く覚えていないと言う。(健在ではあるのだが)
だが、後年になって創造した記憶ではない。断言する。