『現代はマトモな時代か』
ハエがほとんど居なくなった。害虫が居なくて良かったと人々は思うであろうが、虫が住めないという事は、実は生き物には住みにくい世界になったという事である。老人はそうでない時代に育ち、快適な世の中になったから、文句を言わない。若い世代はハエが居ない世界が当然の世界だと思っている。本当にそうかというなら、その「当然の」世界はたかだかこの半世紀にしかすぎない。この半世紀と、人類の歴史数万年と、さらに生き物の歴史の数十億年を比較したら、どれが当然でマトモな世界だろうか。現代は決してマトモな時代ではない。虫の異変はそれを正直に示しているだけなのである。(茨城新聞「現論」9/9)
以上の文章を読んで、どう思われましたか。
確かに正論だとは思うが、現在の世界が『当然でマトモ』かどうかは現在判断できるものではなく未来の人が判断すべきことだと思う。もしかしたら現在の「ハエの居ない世界」が数万年、数億年後も続くかもしれないのだから・・・
日本人は現在のところ借金を積み上げている。
借金できるだけマシだという意見もあるが、借金は無い方が良いに決まっている。無理をして借金して何を作ったかと言われれば、管理された社会と膨大なハードウェアだ。そして住みやすくなったはずの社会で人口は減り続けている。
ハエが少なくなったのは下水道が普及したからで、それはそれで喜ばしい事だ。快適なインフラを築き上げるには凄まじい努力と費用が必要だった。そして残された借金の山を片付けるのに管理された生産性の高い「生き難い」社会が必要になった。
学校教育が普及して画一的な限定された教育が普及し、知識と常識の範囲は範囲を狭くして細分化されるようになった。一見すれば知識の探求が深まったように見えて、実は辺縁部を切り捨てて内部進化に特化した病的な状態と言える。通信網や道路網などのインフラは維持管理だけでも費用を必要とする。人々は、それだけの稼ぎを求められ、適応できなければスポイルされる。ただ住んでいるだけでも占有を指摘され、その分の費用の負担を求められる。
人間が生きていくには費用が必要だ。しかし、余りにも多くの費用を必要とする社会のシステムが多くのハードウェアや社会制度とともに人々に圧し掛かっている。我々は今現在でも、我々自身が築いた社会と借金の山に押し潰されようとしているのだ。
私はこの考え方に同感です。
今現在、全くハエもいないような地域というのは、まだそう多くはないと思います。しかしそれでも、虫と言えばハエやゴキブリなど、人間の生活環境に偏利共生的に生息している種類の虫ばかりになっている、という地域は、全国的にかなり増えてしまっているのではないでしょうか。
人によれば、そんな心配はない、日本はその面積のほとんどを森林が占めている、まだまだそこにはたくさんの虫がいる、と言うかもしれません。しかし日本の森林面積の大半はある程度の標高以上の山であり、平地とは生態系が異なります。やはり平地の生態系は深刻な危機に瀕していると考えていいでしょう。
そして問題なのは、こうした変化が、近年急激に広がっていると言うことです。今でも口ずさまれている近代の歌に登場する生物が、どんどん人の暮らしの隣から消えています。
あれ松虫が・・・・鳴いてますか?
ほー、ほー、蛍は呼んでも来てくれますか?
夕焼け小焼け・・・・は見えても、赤とんぼは見えますか?
虫だけに限りません。
モズが枯れ木で・・・・鳴きますか? というか、モズの鳴き声、知っている人は今どのくらいいるでしょう。
カエルの歌が・・・・聞こえてくる場所も今や限られています。
いわんや、叱られて・・・・お使いに行く途中の道で、コンとキツネが鳴きますか?
自然環境の指標は、そこに生息する生物の多様性です。豊かな多様性に恵まれた国土は、ほんの数十年で、人間と、その生活に寄生するようにして生きられる限られた生物ばかりになってしまいました。でも、今なら戻せます。ほんの数十年の出来事なら、まだ傷は浅いんです。
私達の世代がその必要性に目覚められるかどうか。そこがポイントです。この国の自然の未来は、そしてもちろんそれに連動する人間の未来も、まだ修復可能な時代に生きる今現在の私達にかかっています。
ハエが絶滅したかのように書いてますが、住む場所を分離させただけでいなくなってはいません。
現代はたしかにまともじゃないかもしれませんが、それは今更言われるまでもなく世間に浸透していることであり、ハエはまったく関係ありません。
茨城新聞がそういうならそう(=ハエが減った)かもしれませんが、私個人でいうとしょっちゅう見かけますよ、蠅なんて。
「なあに、かえって免疫力がつく」という有名な地方新聞のコラム(一部のネチズンの間でお祭りになった)と似ていますね。
団塊のオジサン(実は農作業が大嫌い)の回顧が向かう先はみんな同じようなものなんですねえ。ネタがなくなると自然信仰じゃナウシカマニアの中学生と変わりません。仮にも、虫も自然も含めて動かす力(ペンは剣より強し、でしょ?)をもったオトナなら、甘っちょろいこといってないで人間社会をどうしたいのか決めていかないと。
私の感想は、「家庭じゃ生ゴミを奥さんに処理してもらって、外ではハエをマトモな世の中の指標にまつりあげて懐かしんでいるんじゃ、まるっきり「井の中の蛙大海を知らず」で笑われますよ」です。
何言ってんだかわかりません。
「虫がいないのはマトモではない」
と言いたいのか、
「現代がマトモな時代ではないことを虫の異変が示している」
と言いたいのか(言い換えれば、「マトモではない」とは、虫がいないことなのか、それともそれが示す他の何かなのか)が混乱しています。
逆に言って、筆者は何が言いたいのか。
「ハエがいるような世の中にしよう」
と言っているのか? まさか。
たぶん、現代社会の「マトモでなさ」を批判して、もっと「マトモ」な世の中にしよう、と言いたいのでしょう。
で、何が「マトモ」であって、筆者は何をどうしたいのか?
それは全く抜け落ちています。
ただ「今の世の中は間違っている!」と叫んで終わり。
いや、これは長文の一部であって、この後に「これこれこのようにマトモではない」という論述が続くのかも知れませんが、それにしてもこじつけくさい。
確かに、「ハエがいない社会」というのは、地球の歴史から見ても、あるいは現在の世界全体を見ても稀なことであって、普通でないのは確かです。
しかし、それを言えば、(本文中でも触れられているとおり)生命の歴史数十億年から見て、人類が生まれてからの数万年というのはごく一瞬です。
では、それを根拠に
「人類が生存している時代というのはマトモではない」
「人類がいなくなったほうがマトモなのだ」
……と主張したらどうでしょうか?
それこそ、マトモではない主張だと思うのですが。
過剰な清潔志向や、生態系のバランスを無視した害虫・害獣駆除には警戒が必要ですが、地球上に誕生してからの時間の長さで「マトモ」さを計ろうとするのは無意味でしょう。
……たぶん、筆者の言いたいことは清潔志向でも生態系のバランスでもないと思うのですが、じゃあ何が言いたいのか、となると、これだけではさっぱり。
ううむ。
極端な文章で、結論が突飛だと感じました。
たしかに家の中のハエは少なくなったかもしれません。
しかし、それを以って過去がマトモとは言えないと思います。
「生き物の歴史の数十億年」の間でも、
いろんな種で栄枯盛衰がありました。
例えば、恐竜が反映していた時代、
哺乳類は細々と生活していたように。
したがって、家のハエが少なくなった事を理由に、
過去と比べ「現代は決してマトモな時代ではない」と言えません。
>生き物の歴史の数十億年を比較したら
などと吹いてますが、三葉虫やアンモナイト。恐竜など大量に生息していて、人間が無関係でも滅んだ動物なんて珍しくもありません。
マンモスが滅んだから現代はマトモでないとか、
もしかしたらクロマニヨン人も言ったかもしれませんが、彼らは農耕を知らなかった狩猟生活者。
これはそういう短いスパンでの感想文ですね。
>若い世代はハエが居ない世界が当然の世界だと思っている
などと書いてますが、
東南アジアやアフリカでは当然、ハエだらけの環境で現在も暮らしている人が大勢居る事をメディアなどで知れると思います。
勉強不足なこの人の世界とはなんともちっぽけで島国根性的に閉鎖的ですね。
書いたご当人は大きな話のつもりが、卑小さだけが伝わる内容と思います。
なんか大学受験の時の現代文の問題を思いだすような文章ですね。
問題なのはハエがほとんどいなくなったということよりはそれにほとんどの人が気付いていないことだと思います。
マトモか、マトモじゃないか?正しいか、正しくないか?というのはそれぞれの主観でしかないと思いますので。
筆者が言う「マトモな時代」が分からないです。
一見正論のように読めるが、生物の進化から考えれば、環境によって生態系が変化する事は当たり前なのだから。
それを現代の環境問題に結びつけるのはちょっと強引すぎる気がします。
たぶん筆者は、紙面を埋めるために、それ程深く考えずに「まあ正しそうなこと」
ことを書いただけでしょう。
筆者の所では、家の中へ入って来てうるさいようなハエは、最近少ないかも知れま
せんが、どこかで定点観測したデータでもあるのでしょうか?
夏、窓を開け放さないで、エアコンを使っているから、ハエが室内に入らないだけ
かも?あるいは、近所の特定のハエの発生源が対策をするようになったからとか?
そこまで意地悪を言わなくても、日本全国的にハエは減ったかもしれません。でも
蚊は、減ってないでしょう。
それは、生ゴミやら屎尿やらからハエが発生しないうちに、処理出来るようになった
からで、街に、農薬を撒いているわけではありません。人間が居なかった時代、人間
の生ゴミや屎尿からハエが発生していなかった時代へ戻っただけのことでしょう。
筆者の年齢は判りませんが、1970年代頃の日本の公害問題が酷かった頃から比べれば
自然は少しは回復したのではと、私は感じています。
また、この半世紀前よりは、少なくとも日本では、環境に関しての意識は高まってい
るでしょう。
虫の異変=マトモな時代ではない と言いたいのでしょうが、畑に植える作物が変わる
だけで集まる害虫が変わりますしねえ。
これで世の中を批判したつもりなんでしょう。
批判するのはつねに内で、外を批判する能力がゼロでは信用されませんね。
どこかの国の不衛生で野蛮な様は「活気がある」「ダイナミズム」なんていうくせに~
ハエと白熊やホワイトタイガーを同列に論じようというすごい新聞ですね。
ハエがすみやすい環境はあきらかに人間にはきつい環境のはずですが。
ほんと知性の欠片もない。
コメント(1件)
身近な自然環境から遊離して、歪みに気付かない人は不幸なのでしょう。