さしづめ 生命とその存在を 善と規定すれば この善に対する損傷が 善の欠如であり 悪です。
悪をなくすには はじめの善を回復しなければなりません。また 生命とその存在そしてその保持という善を回復すれば 悪は なくなる方向へ向かいます。
なくなるという状態は 悪を為すことができないという初めの人間存在の能力を回復し 保守するという状態です。言いかえると 悪を取り除こうとすることによってなのではないとも言えます。
ひとことで言って 悪を為すことのできないという自然本性ともいうべき能力を 取り戻すことが 正解だと考えますが さらに具体的には どう考えどう対処するか。
欠陥(悪)ゆえに人を憎まず 人ゆえに欠陥を愛することなく 欠陥を憎み 人を愛する。欠陥を憎むというのは その欠陥を みづからの想像力によって みづからのもとに捉え これを分析し何が問題かを認識しておくこと しかも この欠陥を もはや自分のもとで棄てること これの繰り返しだと思われます。
皆さんから多数の回答、コメントを頂いて下ります 感謝します。
悪人に対して目には目を歯に歯をの状況で居れば、世の中均等に悪人だらけで基準が無くなるので居なくなります。
現在世の中に居る悪人は、善人が居る事で自分たちの生活を成り立たせている面があると思います。
相手が同等に悪人だった場合、正面切って今までの態度で居られるか疑問です。
さて、こう言う事言う前に、何が全てにおいて悪になる存在なのか定義しなければ・・・。
有難う御座います、戦争になりますね?
懲罰を今より格段に重くすること。そして見せしめの取締りを行うことが効果的だと思います。ただ誤認が起こらないように十分注意する必要はありますね。
有難う御座います、北朝鮮になりますね。
まず、何をもって「悪」とするのかが問題です。
一方にとっては善行、他方にとっては悪行なんてこともあるでしょうし、また同じ行為でも文化や国、宗教によって「善悪」の基準にはズレがあります。
「悪」を無くすには、まずベースになる価値観を共有することが必要不可欠です。自国だけでなく他国の文化、宗教への高い関心、理解が当然要ります。国レベルに押し広げなくても、他人の習慣、信条、思想などをどれだけ受け入れるかが問題です。
おそらく「そういう文化もある」「そういう人もいる」という理解はほとんどの人が出来ると思います。しかし、理解ができた上で人は過ちを犯すことがある、それが人間です。
私は自分自身の「善悪」の基準を全うし、行動することすら難しいと思っています。「人の文句を云わない」などの些細なことでも守り続けている人は稀でしょう。
単純に云えば「善悪」の概念をすべて駆逐し消せれば「悪」は滅びるでしょうが、きっと人間がいる限りこれらは残り続ける概念だと思いますね。例え一人になっても「あの時、俺はああしとけば良かった」などと思えば、それが「悪」の萌芽になります。
人間がいるかぎり無理でしょうね。きっと。
有難う御座います、おっしゃることは解りましたが、問いは悪をなくす方法ですがね、つまりアイデア求むです。
人間生まれつきの悪人というものは存在しないように思われます。つまり、今生きている自分たちが悪の権化でありその自分たちと接触をしないように生まれた子供たちを隔離すれば、悪という存在は消えます。
そのためにはまず、生きていくうえで必要な知識をTV等で彼らに姿を見せずに教えれば(ただし、悪や善に関するものについては見せない)自分たちは相手と接触を取らずに済みます。そして、彼らが大きくなりリーダーとなる人間が現れたときに彼らを隔離から解放しそれ以外の人間である自分たちを全員殺します。そのときに自分たちがやってきたことの情報は全て消して死にます。
こうすることで残った人間である彼らの中には悪は存在しないことになります。(ただし善も存在しないことになります。悪を無くすというより悪や善といった存在を「消す」と言った方が正しいかもしれません)
有難う御座います、本当ですかね、人を狭義に理解しすぎてませんか。
人は動物です、動物は殺戮の中で強いものが種を保存し、遺伝子を受け継ぐ(ダウイーン進化論)その遺伝子を持つ子供達が何故悪人にならないのですか。
自分の中から悪という概念を追い出せれば、ある意味>「悪人」は消滅します。しかし、ひとつの概念を追い出すのは非常に困難であり、仮にどうにかして追い出せたとしても、誰かが悪という概念を使っているのを見聞きしてしまっては、また悪という概念が自分の中に戻ってきてしまう可能性が高いので現実的ではありません。
あるいはできるだけ何も認識しないようにするという手もあるかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E6%88%91%E8%AB%96
上に書いたのは完全に本気で言ってるわけではありませんが、普通の意味で「世の中から悪人を無くす」ことはほぼ無理だと思ったので上のように書きました。ほぼですが。残りの可能性に期待したいと思います。…一番現実的で確実だと思われるのは、人類が絶滅することですかね。
有難う御座います、ただ 問いの意味を理解されてない、平和目的での志向に於いての連帯感作り、概念の形成です。
善である存在を愛するというのは 特には 一人ひとりにおいて 意思による自由な選択を大事にするということだと考えます。
つづいて その意思として表現された問いかけに対しては 問題をはぐらかさず 論点をすり替えず 自分の考えを述べて答えるということです。
そうでなければ 意思表示という善(善の行為)が 無視され 損傷を受け そのことは 取りも直さず 善が欠如したその分だけの悪だということになります。
また 問いと答えとの立ち場を替えた場合 方向を変えて 同じように 悪の行為が発生しても わたしは甘受しますと言っていることになります。
つまり その善の欠如に甘んじるというのは その悪の分量だけ 存在の欠如を みづからが欲したということを意味します。
つまり その善の損傷の分だけ その人は 自殺しているという意味になります。
これでは 悪はなくなりません。もっとも そのように部分的な自殺を好み 時々 実行している人は それが趣味であるからには 悪が好きなのかも分かりません。
わが日本も 自殺大国になってきたのでしょうか。
善と悪は裏腹だという事ですね、多くの人の善が自殺したら困りますね。
善を小難しく考えないで、人間社会が平穏に暮らしていける、天然自然を敬い地球を壊さない人々の心がけが善、それを害するものが悪としたら如何でしょう。
仮に犯罪者と言われるものをこの世から一掃したとしても平穏な生活の中にある何気ないやり取りが人に出来心を起こし、それが悪の芽として育っていくだろうと思います。自分では悪いと思ってなくても周りから悪と認識されればそれは悪です。大悪が滅びたとしても小さな悪と言うものは消えないんじゃないかな。
有難う御座います、繰り返しになりますが、善を小難しく考えないで 人間社会が平穏に暮らしていける、天然自然を敬い 地球を壊さない人々の心がけが善、それを害するものが悪としたら如何でしょう。
たくさんのコメント等回答も頂きました 有難う御座いました。
一生懸命回答を頂いた方に申し訳ありませんが、私をうならせる回答は頂けませんでした、押しなべて 取り留めの無い回答が多く失礼ながら これが現在日本人のレベルと解さざるを得ませんでした 再度有難う御座いました。
有難う御座います、面白いですね 勉強になります。ただ不特定多数の人がこのこと実行できるでしょうか、そうなれば素晴らしいですね。