「今日をちょっと楽しく、ちょっと特別にすることって何だろう?家で過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運」。イエと日々に幸運を呼ぶ、幸福を招く、ちょっと幸せな気分になる、そんな暮らしのサプリを生み出していきませんか?衣食住、健康、リラックス、生活習慣…。日々の小さな幸せになることなら何でもOK!毎回のテーマをヒントに、幸せのサプリ、そこにこめた思いや由来とともにメッセージ下さいね。
※日本と世界の言い伝え&おまじないも常時募集しています!
#003 THEME:「贈り物」「布」「キッチン」+「言い伝え&おなじまい」
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※今回の「いわし」ご投稿は12月17日(月)正午で終了とさせて頂きます。
地方によって微妙に違うのですが、塩を体にかけるもの、履物で踏むもの、塩を撒くもの、塩で手を揉んで洗うもの、口に含んで吹くもの、供えるものと様々ですね。
お相撲さんの勝負にも塩を使うし、清めの塩は効用があるのでしょうね。
でも私の家ではあの塩を使いません。
なぜかというと、葬儀を不浄と考えては亡くなられた方に申し訳ないから。
不浄でなければ清める必要はないので塩は要らないという考え方なんです。
うちではずっとその考え方でやってきていますが、
特にそれで縁起が悪い思いをしたことはありません。
良い人の居るイエには、幽霊も住み付かないという信仰が中国にはあるそうです。死んだ人だからといって恐がって祓ったりしてはいけませんね。
塩や味噌で葬儀のあと身を清めますが、どうして塩や味噌なのかなあと思います。
古事記には伊邪那岐命が黄泉国より戻られた際に、海の水で禊祓を行ったことが記されています。おそらくお葬式の後に塩を振りかけるのは、これにならったものではないかと思います。
味噌で身を清めたことがありません。どうやって清めるのですか??
実はこれ、ちょっと社会問題にまで発展しているんですよ。(財)福岡県人権啓発情報センターというところが発行した人権啓発パンフレットに葬儀の後の「清め塩」の習慣について言及された部分があって、その内容をめぐってちょっとした論争に発展してしまったんです。
基本的に塩による清めは、CandyPotさんが書かれているように、古事記に書かれている伊邪那岐命のお話に由来すると考えられています。つまりこれは神道に由来する儀式だということですね。
ここで大切なことは、神道で言う「穢れ」とは何なのか、という認識です。一口に神道といっても様々な流れがありますし、体系化された教義や経典に基づいて成立した信仰でもありませんから、「穢れ」という言葉ひとつをとっても様々な解釈があると思いますが、基本的に神道の用語としての「けがれ」は「よごれ」とはちょっと別のもの、と考えた方がいいと思うんです。
神道の一部では、今でも「けがれ」を「きがれ」と発音します。漢字を当てはめれば「気枯れ」とでも表現できるようなニュアンスです。その考え方から言うと、古事記に書かれていたのは、黄泉の世界に渡って、心身共に打ちひしがれ疲れ切って帰ってきた伊邪那岐命が、その枯れてしまった気を癒し回復させるために行った儀式のことだったんだ、と考えることができます。
したがって、その故事にならう葬儀の後の「清めの塩」も、死が忌まわしい出来事だから、その汚れを落とすために使う、というものではないことがわかります。本来の意味は、人の死に立ち会って、深い悲しみに打ちひしがれてしまった心を励まし、立ち直らせるためのパワー注入アイテム。それが本来の「清めの塩」の意義なんだ、ということですね。
葬儀の後に清めの塩を使うなら、そういう意義をもって使っていくことが大切ではないかと思います。
なお、塩の代わりに味噌を使うのは、ごく限られた地域に伝わる風習らしいです。盛り塩のように味噌を盛った器を置いたり、手足に塗るなどして使われるようです。
Wikipediaにも「近年の民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。」と書かれていました。
死を忌みごととして嫌うから塩を撒くのではない。親しい人を失ってしおれてしまった心を立ち直らせるために撒く。心の底から納得できる説明です。これで私も長年感じていた疑問が払拭できました。ありがとうございました。
社会問題にまでなっていたんですか!しりませんでした。
言葉というものはいろんな意味を含んでいますが、年を重ねるにつれて少しずつ意味を変わってとらえるようになってしまったのかもしれませんね。
言葉は時代とともに変化していくと言いますが、本当にその通りですね。
しきたりの形は変わらずに伝えられていても、
言葉の意味が変わってしまったので目的がずれてしまった。
そういうことって、ほかにもまだあるかもしれませんね。
歴史の奥深さに、ちょっと触れた思いがしました。
これは、今でもやってますよね。葬儀から帰ってきた人に玄関先で、塩を降りかけ「清める」と言うこと。