病院の先生は今の薬のことをピルとは呼んでいませんが、成分的にはピルのもっと高濃度な物のようです。
私の場合、薬を飲まないと出血量が極端に多く期間も極端に長いのですが、自然のままでは無排卵がちであり、上記の薬で定期的な排卵を習慣づけて出血量を減らさないとそのまま不妊症になる確率が高いようです。
仮に、もしカトリックになったら治療は続けられないのでしょうか。
どのみち他にも持病があり教会に通えるような状態ではないし、具体的に受洗を考えている訳でもありませんが自分のしていることが関心のある宗教においてどう判断される事なのかはとても心に掛かります。
そこに明確な治療目的があり避妊目的でなくても、あえて言うなら性生活が無くてもピルは教義に反するのでしょうか。
カトリック系の様々なHPでピルの服用を殺人と同一視するような記述を見る度にちょっとつらいです。
ところで、すこし別な話になりますが、大人になってから初めて教会に行かれたときってやたら恥ずかしくありませんでしたか。
それとも幼児洗礼とかからだからそういう経験はお持ちではないのでしょうか。
ピルだの持病等の問題が出るずっと遥か以前にちょっと知り合った方から「関心があるのならお近くの教会に行ってみたらいかがですか」等と言われた事もあったのですが恥ずかしくて行けませんでした。
この場合の恥ずかしいというのは「神の御前で自分の罪が・・・」とか言う大層なのではなくて、ただもう照れてしまうというか「好きな男の子の前でもじもじするような感じ」と言いますか、変な例えですが「一億円の指輪の試着をしてみませんか」と言われて、内心「ちょっとはめてみたいなぁ」とか思いながら、どぎまぎして「けっ結構ですっ」と後ずさるような感じなのです。
皆さんはこういう感じって無かったですか。
それとも皆さんにはそういう感情をするっと飛び越えて教会に行ってしまえた瞬間みたいなのがあったのでしょうか。
私には切実に「なにが何でも教会に行きたい」みたいな感情が足らないから行けないのでしょうか。