もしそうだとしたら、このような違いはどこから来るのでしょうか?
私の目から見ると「鉄腕アトム」や「ガンダム」は非科学的なものです。特にガンダムのニュータイプなんかエックスメンと完全に同じ範疇だと思いますが。
基本的に「フィクション」は非科学的な話が多いと思いますし、それが日本と海外とで大きな差があるとは思えません。
科学的、非科学的という比較をするとアメリカのコミックのほうが科学的な感じがします。例えばファンタスティックフォーは太陽の紫外線によりDNAが変化し特殊能力を得る設定ですし、スパイダーマンも化学実験で遺伝子操作された蜘蛛にかまれて力を得ています。今回あげられている例から察するに、日本はロボット、もしくは主人公がロボットに乗るのに対して、アメリカの漫画は生身の人間が力を得るという違いの由来のことではないかと推測しました。
アメリカで好まれるのは”ヒーロー”です。強靭な肉体や能力を持ち、見返りを求めず、率先して弱者を救う、そのために率先して悪を倒すものが人気があります。
逆に日本のロボットものは基本主人公が進んで戦うということをせず、なんだかの要因をもって戦っていくうちに成長をしていくものが人気があります(ガンダム、エヴァンゲリオンなんかそうですね)
また、派生していった起源の違いがあるのではないかと思います。
日本では、鉄腕アトムがロボット漫画というジャンルを形成し、ロボットというキーワードを元に今日までロボットものが作られてきたのに対し、アメリカでは1938年に生まれたスーパーマンの大ヒットからスーパーヒーローというジャンルが生まれ、今日まで来ているのではないかと考えられます。
質問者の言わんとすることは何となく分かります。
ただ、どこを科学的と捉えているのかについては、回答者の視点とのずれもあるようなのであくまで個人的見解として聞いてください。
>アメリカでは「スーパーマン」「エックスメン」
>日本では「鉄腕アトム」「ガンダム」
(質問者が比較対象として出した例が偏っているようにも見受けられますが)私の知る限り、アメリカで流行してきたアニメ・コミックの中では日本に多く見られるような「主人公がロボット・メカを操って活躍する、あるいは主人公そのものが人間でない(ロボットなど)」タイプの作品は殆どないように思います。むしろ「主人公が人間をベースとした特殊な存在である、あるいは改造による特殊能力を操る」という作品が有名のようです。
これはそれぞれのお国柄といいますか、主人公に対する嗜好が大きく関わっているように見受けられます。
日本では、昔から「人間自身が人工的に外見や能力を変化させること」への抵抗があるように思います(例:外科手術に対する抵抗感)。更にはそれよって通常と違う能力を持つ/本来持っている能力を失った存在への違和感を感じやすいため、こういった主人公が出現する作品では、同様の素質を持ったキャラが次々に出現することで特殊性を薄めている様に思われます(例:ドラゴンボールZ、NARUTO)。また、更なる能力を身につける際、ほぼ必ず”探検/修行/特訓”の類(即ちあくまで本人の努力によるもの)がついてまわります。主人公自身が人間離れする代わりに機械や可逆的な能力変化装置を使ったり、何らかの使役キャラの力を借りて圧倒的な力の差を見せ付けるタイプの作品は受けが良いようですね。
一方アメリカでは、民族の多様性もあってか外見の差異はあまり問題となることはないようです。なので、外見が人間とは著しく異なるキャラ(宇宙人など)が頻繁に登場します。しかし、あくまで世界の中心は”人間”であることがお約束のようです。主人公はヒーローとしてのカリスマ性を必ず持っているようですがかなり人間くさい一面も持ち合わせています。能力的には必ずしも圧倒的な力の差は必要なく、敵味方互いの背景も実に混沌としていることから、一方的な善悪はつけ難いように思えます。能力差の際立ちがやや乏しい反面、幸運/偶然による展開が多いのも特徴的でしょうか。
あとは、それぞれのキャラクターの設定がどこを中心に細かく設定されいるか、ということになるかと思います。
コメントのa2giさんが書いてることが正解です。
アメリカの漫画は子供を対象にしたものが多く、大人が読めるもの科学的なものなどは未発達だからです。それに比べ日本の漫画はアメリカに比べ非常に多様化しています。
詳しく説明すると、日本の漫画は60年代に起きた漫画の青年化というプロセスを経て、子供の読むものから大人の読むものまで多様化しました。日本は特に思春期の読者層に対する対応がよく子供と大人の間の中間層を取り込みます。70年にはドラえもんとゴルゴ13が連載を開始し、子供から大人まで漫画を読み、多様なサブジャンルを作り出していきます。少女漫画。4コマ。同人誌。エロマンガ等です。
アメリカの場合は同じ60年代に、漫画の青年化が起きたときに赤狩りと同時に社会的なバッシングが起こり、そのときに多様化しつつあった漫画が社会的に叩かれてアングラ化してしまいます。その結果、スーパーマンをはじめスーパーヒーローの類型だけが残ります。
当時のアメリカでは50年代から60年代、第2次世界大戦で大量の若者が復員してきて、街には元気のいい職の無い若者が急に溢れて、いきなり暴力が増えました。そのころケネディ暗殺。それでどうしてアメリカには暴力が溢れるんだと偉い人が原因を考えて、その矛先はテレビと映画と漫画に向けられます。それでテレビの中から暴力シーンは削られ、漫画は何を書いてはいけないという道徳的なマニュアルが作られてしまいます。そのような時代背景のため漫画が日本ほど発展しませんでした。
日本もそっち系の作品があるので違いがあるとは言えないかもしれませんが…
その時代で言うとロボット関係の玩具販売という点でロボットアニメが乱発していたというのも
あるのではないでしょうか?
作品の内容は日本人らしいという部分なのか消極的だけど英雄になって
世界を平和に導く戦いに流れるというパターンが多く、アメリカは一般人がなんらかの形で
超人的な力を得たのでヒーローになってしまう、なるしかない。
というストーリーが多い気がします。
文化的な問題なのか判りませんが英雄のあり方が作品の違いに繋がっているのかも知れません。
例の作品では、アトムもガンダムも幾人かの協力者や組織という存在があってヒーローたる
主人公が活躍していますが、スーパーマンやエックスメンはどちらかと言えば数人の協力者とか
孤高のヒーローという感じだと思います。
「自分が英雄になる」という思想と「誰かが英雄になるがそれがなぜか自分であった」
という思いの違いが日本とアメリカにはあるのではないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%8...
日本の漫画やアニメの多様性だけでは
質問者のretorinさんが腑に落ちない理由は
アニメが多様化する過程でロボットものというジャンルが発生したのではなく、
漫画の神様と言われる手塚治虫が鉄腕アトムをまず描いているのは何故?
という点なのではないかと思います。
自分が推測するに
日本における子供向けSFの浸透という事が影響しているのではないかと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%A...
手塚治虫が影響を受けた小説家の中に
海野十三、江戸川乱歩、アイザック・アシモフ
とあります。
いずれもSF作家でありSFと関係の深い作家です。
江戸川乱歩についての記事
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/fd13c5fda844bdf8c7b39f613d606...
江戸川乱歩は日本SFの大恩人である。と、断言しても異論のある人は少ないだろう。矢野徹が日本にSFを広めたいと考えて、まず相談に行ったのが乱歩である。乱歩は矢野に的確なアドバイスをおくり、陰になり日なたになって矢野を支援した。星新一を見い出し筒井康隆を見い出し、探偵小説界の軒下を借りていた生まれたばかりの日本SFの大きな力となってくれた。日本SFが今日あるのは、矢野徹、柴野拓美、福島正実の3先輩をはじめ星、小松、眉村、筒井たち諸先輩方の尽力の賜物ではあるが、初期の乱歩の応援を忘れてはいけないと小生は思う。
乱歩がなぜこれほどまでに日本SFに肩入れしてくれたのか?小生は根っからのSFファンとして知りたいと思っていた。この番組を見て納得した。番組で紹介されたストーリーの、人名を入れ替え、「探偵小説」を「SF」に入れ替えるだけで、話しはそのまま見事に相似形となる。
漫画の神様である手塚治虫がSF小説のファンであったことから
自然に漫画の中にもSF的なものが描かれるようになり
鉄腕アトムなどのロボットものも発生したのではないかと。
弟子の石ノ森章太郎も海外SFをそのまま使ったような作品を多数描いています。
(昔は著作権についてそれほど煩くなかったようですね)
日本発のテレビアニメである鉄腕アトムが成功したことで
日本のアニメの時流も
SF的な作品が増えていったのではないでしょうか。
それに伴いバンダイなどの玩具メーカーが
玩具を売るためにロボットアニメの提供となり、
ロボットアニメの大量生産が行われた。
逆に言えばアメリカには「手塚治虫が居なかった」
SF小説はあっても大人向けのものが主流でSFは子供のものではなかったので
アニメや漫画などに影響を与えなかったのではないかと。
以上、裏づけを取っていない半端な知識からの推測ですので
間違っているかもしれません。
今時間があまりないので、時間があったら資料を探してみます。
まずretorinさんはあまり漫画もアメコミも読んでらっしゃいませんね?
retorinさんの頭の中にあるアメコミっていうのはゴールデンエイジと言われるアメコミ黄金期のイメージしかないようです。
大半の日本人のアメコミイメージはゴールデンエイジのものですが、ゴールデンエイジは1930年代から第二次世界大戦までの時期です。
その頃あまりにもアメコミに人気があったので、その頃のイメージ(マッチョで独善的、楽観的)が日本人にすり込まれているらしいです。
アメコミもその後進化し、日本の漫画に勝るとも劣らないほど科学的です。
でもわたしは、連載当初の時点だけ見ても、鉄腕アトムとスーパーマンやX-MENを比べたら、どう考えてもアメコミの方が科学的だと思いますけどね…
コメント(10件)
アメリカ→超能力や霊的な特殊能力
日本 →ロボットなど機械的なもの
という意味です。
つまり
アメリカ→超能力や霊的な特殊能力
日本→ロボットなどの機械的なもの、超能力や霊的な特殊能力、日常生活を叙情的に表現、動物とのふれあい、医療、スポーツ、武道、宇宙、不良など・・・
という感じで日本はいろいろなジャンルがあるけどアメリカではあまり漫画を認知されないためその文化が育つ素養がなく限られた分野だけしかない。
プロテスタントが主流な国家の中で、神秘的なものを賜る (プロテスタントの複数の教派で強調する聖霊とか) というイメージが沸きやすいとか?
選ばれしもの的な。
白人ばっかり選ばれてる気がしないでもないけど。
なぜアメリカに手塚治虫のような漫画家がいなかったのか、いても後に影響力を与えなかったのかということの説明はありません。
むしろ日本よりもアメリカの方がSFの本場ですから科学的にリアリティのある作品が生まれているほうが自然です。
アメリカのテレビではスタートレックのようなSF作品はあるのに、どうして漫画はアメコミ、アニメはディズニーなのか。
それは回答でも書いた理由で、漫画が大人の読むものとして発展できなかったからです。
ヨーロッパなんかですと、やはり60年代に漫画の青年化が起こるのですが、日本と違い子供と大人向けに2極化して中間層が抜けてしまい多様なサブジャンルを作るにはいたっていません。日本の漫画の多様化は世界的には特殊であったと言えます。
要は、それぞれの作風の違いに国民性などの理由があるのか?ということが言いたかった訳で・・・
みなさんの回答を読んでいて新たに疑問が浮かんだのですが、
アメリカと日本、それぞれの作品のジャンルの割合はどんな感じになっているんでしょうか?
アニメや漫画は日本だけが異様に発展したということですが手塚治虫以外の要因には何があるのでしょうか?
仮面ライダーは?本人を大改造してますよねぇ。
魔女っ子、おじゃ魔女は?非科学的もはなはだしいでしょ。
アキラだって超能力(って非科学だよね)だし、鬼太郎等々非科学分野花盛りですけど。
デビルマンってXメンに通じません?
DCはゴールデンエイジ以降映画化に恵まれなかったこともあって日本での認知度はどうしても低くなっても仕方ないのでしょうね。
(私も旦那に色々解説してもらうまでよく知りませんでした)
マーベルと東映の蜜月について誰か語ってくれないかなと思ったり。
(私には力不足)
また思うに、
スーパーマンと比較するなら黄金バット、
X-MENと比較するならサイボーグ009
逆にガンダムとならトランスフォーマーあたりと比較しないと、時代があわない気がします。
(こう考えると大体対応しているような気がしないでもない)
ただし鉄腕アトムについては1960年代に既に米国でも放映され認知されているので、
日米のヒーロー比較の題材にするのは向かない気も。
むしろなぜアメリカには「ドラえもん」がいないのか、ということの方が論議しがいがありそう。
↑のネタはハイクで書いたら☆5つ以上のネタだと思います。
(私もそう思ったから)