なぜか終了してしまいましたので再度出掲です。「通り」の名前を付けるのに悩んでいます。場所は神奈川県横須賀市若松町、京急横須賀中央駅前商店街大通りの裏通り、幅約2m、長さ約70mで両側に焼鳥、寿司、ひれカツ、和食、台湾等の名物飲食店やキャバクラ等が立ち並ぶ地元では有名な路地です。(戦前は「ションベン横丁」「親不孝横丁」等と呼ばれていたらしい。)最近、地面を白いタイルで舗装した為、もう少し洒落た(風刺のきいた)親しみやすい名前をお金を掛けずに付ける方法はないかと考えていたところ、この「はてな」を思い出しました。大々的には、命名した名称を掲げる看板設置費用や維持費も捻出できるのではないかと、「ネーミングライセンス」導入を考えたり、新聞で一般公募するとか、第3者命名してもらうとか、アンケートを配り募集するとかアイデアは色々出るのですが、内々では決めかねています。名前の付け方、方法や、第3者命名を委託する先、勿論、「~通り」「~横丁」等この通りにちなんだ名前のご提案も大歓迎です。何卒、ご協力の程宜しくお願いします。

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  • 終了:2008/02/13 02:20:02
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回答8件)

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medianox様有難うございます gonzalez52982008/02/06 02:39:34

この近所には町名の「若松」と名のつくところが多いので、「三本杉」がなじむかどうか...。とは思いますが、関係者にて図らせて頂きます。実はこの辺りは埋立地にしては意外と歴史があり、江戸末期、まだ海岸だった頃、かの坂本竜馬をはじめ明治維新の立役者の多くも、東海道から横浜、横浜から浦賀、久里浜までと、度々大挙してやって来たペリー提督を初めとする黒船をひと目見ようと、この近辺の海岸沿いの旧道(山道)を歩いて通って行ったそうです。山を隔てて反対(南側)東京湾口側の江戸湾警備に当たっていたのが、幕府より任命された会津藩で、山の反対北側(現在の汐入辺り)には料亭や遊郭があったそうです。そこで会津藩の人達が任務から解き放たれると遊郭へと早く行きたい...笑。「そうだっ!山越えよりも海を埋め立てて真直ぐ行けばすぐ近いじゃないか!!」と、いうわけで埋め立てたのが会津藩、で、その埋立た場所が「若松町」になったと聞いています(笑)。ちょっと素人なので歴史認識が間違っているかも知れませんが、少しこの通りの近所の情報も載せてみました...。

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