夏休みの読書感想文をコピペする子供たちにネットの怖さを教えたいと思います。一見すると普通の読書感想文だが、よく読むと原作にないエピソードが混ざっているニセの読書感想文を書いてください。優秀作を集めてニセ読書感想文サイトをつくります。


・課題図書(好きなものをひとつ選んでください)
「こころ」(夏目漱石)
「人間失格」(太宰治)
「沈黙」(遠藤周作)

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  • 終了:2008/07/26 00:30:02
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回答12件)

id:zapa No.1

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ポイント15pt

人間失格を読んで

        五年三組 増田増男

 僕が「人間失格」を読んだきっかけは、この本の表紙が小畑健さんのイラストだったからです。デスノート小説版の新作が発売されたのかと思い、間違えて買ってしまいました。だまされた気分になり、読みもせず、そのままずっと本棚に放置していました。五年生になり、ちょうど夏休みの読書感想文の課題図書として指定されたのを機に、人間失格を読むことにしました。

 人間失格を読んでみて、僕の心の中に衝撃が走りました。共感せずにはいられない作品だったからです。この小説は、人間として失格な人間の特徴を、こと細かに説明していました。たとえば、「部屋は汚いが、片付け始めるとトコトンやる」、「公の場では綺麗に使うよう心がける、友人の家も綺麗にする」、「熱しやすく冷めやすく、一度冷めたらどんなに中途半端でもヤ~メタ」、「基本的に無気力だが、変な事には異常にこだわりを持つ」、「洗濯物はタンスに入れず、出かけるときは無造作に置いてある中からチョイス」、「家に帰ると即効で着ていたものを脱ぐ」、「夜中に昔の痛い自分を思い出してあああああああああとなる」、「人の悩み事は親身に聞くが自分の悩みは話さない」、「人情話に弱いが実際に人と接する場はあまり好まない」、「コンビニでお釣りの渡され方を妙に意識してしまう」、「寝てたわけじゃないのに、ごめん寝てたの言い訳を使うことがある」などです。僕に当てはまりすぎていてビックリしました。今まで自分が人間失格であるという自覚は全くなかったのに、ここまで正確に当てられては、自分のことを人間失格であると認識せざるを得ませんでした。僕は人間失格です。

 この本の作者、太宰治さんも小さい頃から人間失格であることを自覚し、人間に対する最後の求愛として道化を行っていました。そして中学校時代には、道化という自らの技術が見抜かれそうになることを恐怖し、酒や煙草や女に溺れるようになります。モルヒネにも手を出し、少しでも平常心を保とうとしました。なぜ平常心を保てなかったかというと、太宰治さんは人間失格だからです。人間失格な人間は、デスノートによって殺されてしまうのです。人間失格な人間は、この世に存在する価値がありません。生きていても無駄です。無駄な人間は殺してしまった方が良いという、新世界の神「夜神月」がデスノートを使って殺人を犯すのです。デスノートに名前を書かれた人間は、心臓麻痺によって殺されてしまいます。太宰治さんは夜神月に、デスノートに、殺されたくはなかったのです。少しでも人間として失格にならないよう、酒や煙草や女にも手を出しました。しかし、それでもダメでした。人間失格は何をしても人間失格でした。平常心を保つことはできず、モルヒネにも手を出しました。最後は結局、己の人間失格である部分を認め、自ら命を絶ちました。夜神月に殺されるくらいなら、自ら命を絶った方がマシだと思ったのでしょう。

 僕も太宰治さんと同じく、人間失格です。僕も自ら命を絶つしかないのでしょうか。それともデスノートで殺されるのを待つだけでしょうか。僕は死にたくありません。でも人間失格です。このままでは死んでしまいます。こんな人間失格が生きていけるような世界は、今後現れないのでしょうか。新世界となれば、人間失格でも生きていけるのでしょうか。それとも新世界には、人間失格など誰一人として存在しないのでしょうか。

 僕は死にたくありません。人間失格のままでいたくはありません。どうすれば人間失格ではなくなるのでしょうか。どうすれば人間失格から脱却できるのでしょうか。教えてください。このままでは僕は死んでしまいます。このままでは殺されてしまいます。人間失格は嫌です。もっと、もっと、もっとまともな人間に生まれてきたかったです。

id:NaO No.2

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ポイント15pt

人間失格

「恥骨の多い生涯を送って来ました」

大庭葉蔵は鬱屈した少年時代を送り、上京すると堀木にホイホイついていってしまい時代錯誤のマルクス系左翼運動に没頭する。

だがそれでも、生来のイケメン面が功を奏し、ヒモ生活を満喫する。

紆余曲折を経た末、しがない漫画雑誌(週刊少年サンデゐ)に腹上志郁太(ふくじょうし・いった)という筆名で連載をもつようになるが、担当にカラー原稿をなくされたことに腹を立て、ブログにその旨を公表したところ、契約を打ち切られてしまう。

むしゃくしゃした彼は、いつものように酒をすこぶる飲み、それを注意したタバコ屋の娘から処女のにおいがぷんぷんしたので強引に唇を奪い、「知ってる?初めてキスした人と結婚すると幸せになれるってルバイヤットに書いてあるんだ」と騙し、のうのうと結婚する。

漫画家としての生命を絶たれた葉蔵は、エロ絵を売って細々と暮らすことにした。

しかしある日、堀木と二人で楽しく悲劇名詞と喜劇名詞の当てっこをしていたとき、妻はエロ絵を買い取っていた商人に処女を奪われたのだった。

なぜさっさと食っておかなかったのかと葉蔵はひどく後悔し、世の中に絶望した。

そして、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、草むらに躍り入って、再びその姿を見なかった。

id:paranoiautopian No.3

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ポイント14pt

夏目漱石「こころ」を読んで

「こころ」という本を読むことになって、僕がまず最初に考えたのは、心とは何だろうということです。確かに、誰にでも人の心、気持ち、スピリチュアルオーラというものがあります。でもそれはどこにあるのか分かりません。だからといって、心とは脳だというようなミンスキー的唯脳主義に陥っても良いのでしょうか。僕はまず、そのことを心に留めて読むことにしました。

読んでみると、これは「私」と「先生」との触れ合い、そしてすれ違いを描いた作品でした。「先生」は学費に苦心しているうちに自由惑星同盟軍に士官することになり、特にイゼルローン要塞を陥落させたことで英雄となりますが、その胸中には勝っても負けても人死を増やさざるを得ない、戦争というシステムに対する強い不信感がいつもありました。「私」は誰よりも「先生」のそばで、そうした感情の揺れを読みとっていましたが、しかし「私」は「先生」に意見するにはあまりに遠く、また「先生」も「私」に助けを求めるにはあまりに大人でした。

この本の一番の魅力は、言うまでもなく「先生」にあります。「先生」は「私」にとって大人の見本のように完成された人物であり、また多くの人にとっては戦争の英雄でした。しかし一方でそうした外面が、内に抱く自分の理想像と全く異なることに、いつも悩み苦しんでいました。「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」と先生が吐露するシーンが、その象徴です。普通なら、心の思いをぶちまけてしまっても良いはずです。しかし「先生」は一方で「自分の信念をひけらかすのはやめよう」と言い切る、孤独な理想家なのでした。

結局「先生」は死に至りますが、もし「先生」があと少し弱い人間であれば(あと少し強い人間ではなく)、おそらく死ぬことは避けられたでしょう。もしかすると、この本が示すのは、清く生きるのは難しい、ということなのでしょうか。戦争の英雄は戦争で死に、理想家は理想に死ぬということなのでしょうか。そう考えると「先生」が、より理想だけを追い求めて生きる、狂信的な信者によって殺されるというのは、皮肉なことに思います。

人が死ぬと、もっと話をしていれば、というようなことがよく語られます。もっと心を通い合わせていれば、死は避けられたのではないか。そういうことが、病死や自殺に対して言われます。僕は自分が「先生」のような理想を持つとは考えられません。しかし「私」のように「先生」のような人間と出会う可能性はあります。その時のために、この本を何度も読み直して、心を通わせるというのはどういうことか、それがいかに難しいか、考えたいと思います。

id:at_akada No.4

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ポイント14pt

「人間失格」を読んで


「人間失格」。ある日突然自分がそう宣告されたらどう思うだろうか。

太宰治の人間失格はそんな重厚なテーマを扱った作品だ。

マザーコンピューターに管理される未来都市の平凡な官吏である主人公の葉蔵は、ふとしたきっかけで、自分が人工的に合成されたクローンであることを知ってしまう。これまで当然のように受け止めてきた自分の半生は、とある組織によって捏造された記憶に過ぎなかったのだ。

だが、主人公の悲劇はそれに留まらない。周囲をかぎまわる謎の道化師や、執拗に主人公を追跡する黒服の男たちの手をかわしながらも、自分の存在の秘密を解き明かそうとする主人公はやがて、自分の住む国全体が、捏造された架空の人工世界であったことを知ってしまう。主人公と祖国は、多国籍企業の陰謀によって造られた壮大な実験場であったことが明らかになっていく。 家畜のように管理されることを嫌う主人公は、力を求め、過去の自分を知る唯一の人間である「ディズニーランドの老人」に接触しようとする。

人間とは何か、生きるとは何か。そして本当の自分とは。人として希望を持って生きることの本当の価値を問われるような作品である。

id:matsunaga No.5

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ポイント14pt

夏目漱石の『こころ』を読んで

          五年五組 ○○○○

 ぼくは、夏目漱石といえば、思い出すドラ

マがあります。それは、夏目漱石が主婦に乗

り移ってしまうという宮藤官九郎さん作の昼

ドラ「吾輩は主婦である」です。

 斉藤由貴さんが演じる主婦の矢名みどりは

ごく普通の専業主婦でした。ところが、レコ

ード会社に勤める夫の矢名たかし(赤パジャ

マ/及川光博)が、本当に好きな音楽を作る

という夢を追って、レコード会社をやめてし

まいます。

 アパートのローンもあるし、中学生のまゆ

み(東亜優)と小学生のじゅん(荒井健太郎)

という二人の子供もいるので、家計が大変な

ことになります。結局、アパートを売ること

にして、一家はたかしの母・ちよこ(泣き女・

竹下景子)の家に引っ越します。

 お金の心配をしすぎたみどりには、なんと

旧千円札の夏目漱石が乗り移ってしまいます。

自分のことを「吾輩」と言い始めたみどりは、

商店街の人たちと大騒動をくり広げていきま

す。

 お向かいに住んでいるたかしの幼なじみ・

やすこ(なまはげ・池津祥子)とひろし(レッ

ド吉田)や、喫茶ジャン・バルジャンのマス

ターゆきお(川平慈英)のオーバーアクショ

ンも毎回笑えます。

 週刊誌「女性タブン」の編集者小松(岡田

義徳)や芥川賞を受賞した人気作家の夜しず

か先生こと浅野(高橋一生)も楽しいキャラ

クターです。

 そのほかにも、たかしの妹ももえ(猫背椿)

などのインパクトの強いキャラクターが登場

してはさわぎを巻き起こしていくので、全四

十話(各三十分)なのに途中で全然あきるこ

とがありませんでした。

 ぼくは年が近いこともあって、小学生のじゅ

んに感情移入しました。すみれ先生(マドン

ナ・原史奈)のようにきれいで優しい教育熱

心な先生だったらよかったのにな、じゅんが

うらやましいな、と思いましたが、ぼくの先

生はこわいおじさん先生で、授業中に携帯で

FX取引ばっかりしています。悲しく思いま

した。

 まゆみはきれいでかわいいお姉さんだと思

いましたが、中学生の女子はどうしてあんな

ふうに不機嫌だったりするんでしょうか。と

くに、お父さんのたかしに嫌いと言ったり、

いっしょに靴下洗わないでと言ったりしたの

は、たかしがかわいそうだと思いました。で

も、ぼくもあんなお姉さんがほしかったです。

ぼくはお兄さんしかいません。しかもニート

で無職で引きこもりをやっていてオタクで太っ

ています。正直言ってうっとうしいです。

 そういえば、みどりもきれいです。たかし

も、かっこつけすぎですが、かっこいいです。

ぼくのお母さんもお父さんも全然きれいでも

かっこよくもありません。ああいうのはテレ

ビのきょこうの世界だけの話だとおばあちゃ

んに聞きました。でも、おばあちゃんも、竹

下景子さんみたいにきれいじゃありません。

現実ってきびしいと思います。

 最後の方では、夏目漱石にゆかりの地を、

みどりとちよこが訪ねていくシーンがありま

した。ぼくも夏休みの小旅行として、夏目坂や

夏目漱石旧宅あとや、東京大学の三四郎池な

どを訪ねてみましたが、漱石がどういう人だっ

たかはよくわかりませんでした。それより、

夏休みには海や山やディズニーランドに行く

約束だったのに、漱石ゆかりの地訪問でごま

かされたので、お父さんもお母さんも嫌いで

す。

 ちなみに、このドラマの毎回のサブタイト

ルはひらがな三文字で統一されていましたが、

第四十話(最終回)のサブタイトルが「ここ

ろ」でした。ぼくはこの最終話まで見て、感

動して涙が出てしまいましたが、最後には思

わず笑ってしまいました。

 おわり。


※四百字詰め原稿用紙四枚分です。

id:filinion No.6

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ポイント14pt

 「こころ」を読んで

 三年一組 filinion

 

 「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。」

 作中、「私」が「先生」から受け取る遺書の一節に、私はどきりとしました。

 もちろん、自殺はいけないことです。「明治の精神に殉死する」という言葉には、現代に生きる私には理解しきれない意図があるのだと思いますが、それでもやはり、自分を慕っている妻を置いて死ぬことは裏切りであり、誉められたことではない、と思います。

 しかし、私は、「こんな風にして」とは、結局どのような生き方のことを指しているのだろう、「先生」は、何を「記憶して」欲しかったのだろう、と、考えずにはいられませんでした。

 

 この作品を読んで感じたのは、「裏切り」ということです。

 この作品の主要な登場人物の多くは、裏切りの被害者であり、同時に加害者でもあります。

 一見すると、これらの「裏切り」の最大の被害者は「K」だと感じられますが、一方で、彼も、医者を目指すと思わせて実際にはそうしない、という形で養父母を裏切っています。

 そしてもちろん、「先生」は、「K」の精神的な弱点をついて「お嬢さん」を手に入れた上、「K」を自殺に追い込んだ、という自責の念をついに妻に打ち明けずに死んでしまったわけで、周囲の人間を裏切っています。

 そして、その「先生」も、若い頃には叔父に遺産をだまし取られています。また、「先生」の教え子である「私」が、「先生」の奥さんをなぐさめるうちに関係を持ってしまう、というのも、「先生」の妻に対する態度に一因があるとはいえ、裏切られたと言って良いと思います。

 

 生きている時、「先生」は「私」にこう言います。

「鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」

 私は、これが、「こんな風に生きてきた」の中身であり、漱石が最も言いたかったことではないかと思います。

 ふだんはふつうの「いい人」として、友だちや家族と仲良くしている人であっても、いったん大きな利害が関わってくると、手のひらを返したように家族や友人を裏切ってしまう、ということは、自分の経験をふり返っても感じられます。

 

(読書感想文をあなたのオリジナルなものにするため、ここに、適当な自分の経験を挿入しましょう。

 友人に裏切られた恨みなどを書いても良いですが、一般に、自分が裏切ってしまった自責の念を書いた方が評価が高いはずです)

 

 自分の裏切りが、自分に特有のものだ、と思っていたなら、「先生」は、それを「記憶して下さい」などと書きはしなかったでしょう。

 それが誰にでもあることだと思うからこそ、「先生」は「私」にそれを伝えておく必要を感じたのではないでしょうか。

 そして、そう伝えた相手が、密かに「先生」自身の妻と関係を持っている、ということに、漱石の強烈な皮肉を感じます。

 

 「私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもり」で「明治の精神に殉死」した「先生」が、実際には、信頼して遺書を託した相手に裏切られている(しかも、読み取れる限り、「私」は作中で誰からも裏切られていない)、ということは、時代が移り変わっても、人間のこのような本質は何も変わりはしない、という漱石の諦念を示しているのかも知れません。

 「私」と「先生」の奥さんの情交の場面での、明治の作品にしてはひどく生々しい描写や、作品全体を貫く露悪的な雰囲気も、そのような漱石の思いの表れかも知れません。

 

 しかし、それで良いのでしょうか。

 作品の中で描かれた数々の裏切りは、結局は不幸を生み出すだけでした。

 お互いに信頼し合い、正直であることこそが、お互いの幸せにつながる、というのは、多くの人にとっては聞き飽きた言葉かも知れません。

 でも、この物語を教訓とするならば、むしろ私たちは、その古い道徳の正しさを、改めて見直すべきなのではないでしょうか。

 

(ここで、もう一度自分の経験を挿入しましょう。

 前とは別なエピソードでも良いですが、前に挿入したエピソードに絡め、

「友人を裏切ってしまったが、その後真実を打ち明けて謝った結果、友情が深まり、物事がうまくいった」

 というような内容が理想的です)

 

 だから、この作品を読んで、私は、みんながお互いを信頼できる世の中が早く来ればよいと思いました。

 そして私自身、できる限り正直に生きていきたいと感じました。

id:byj6 No.7

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ポイント14pt

「沈黙」

 ふだんはあまり意識していなかったのですが僕の家はキリスト教です。

 作家の遠藤周作もキリスト教徒だと解説に書いてありましたが、お父さんの教えてくれたキリスト教とは少しちがうと思いしまた。

 キリスト教で一番大事なのは聖書です。内容は聖書というだけあって、僕にはむつかしいものですが、映画になっているのでそちらを見ました。キリストが同じ日に生まれた人と間違えられて、じぶんのいっていることを誰にも信じてもらえず、中には話も聞かないうちにわかってしまう人もいて、とても悲しい思いをします。

 最後には間違われたまま処刑されてしまうのですが、アイドルが「人生の明るい方を見ようよ」という歌を、みんなで歌ってくれて映画は終わります。死んでしまうのに、どうしてそんな歌を歌うのか、僕にはよくわからなかったけど、たぶんあの後キリストは間違いがわかって助かるのだと思いました。

 聖書にはそんな話がたくさんありますが、この本でも皆キリストを信じているので、最後には死んだと思った人も、実は生きていて幸せになります。

 お父さんから、この本は教会から読んではいけない本になっている、といわれたので読みませんでしたが、僕の家がキリスト教だということを思い出してとてもよかったと思います。

id:nastack No.8

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ポイント14pt

「人間失格」を読んで

 僕は読書が苦手です。頑張って読もうとしても、2ページくらい読んだらすぐ飽きてしまいます。

だからこの読書感想文もあらすじを適当に書いてさっさと終わらせようと思っていました。

何か手ごろな本はないかと父の書斎を漁っていた時です、この本に出会ったのは。

「人間失格」いかにもつまらなそうなタイトルでしたが、なぜか興味をそそられ読んでみました。

 

 「人間失格」を読んでみて、僕の心には衝撃が走りました。

こんなにすごい作品をしらなかったなんて、「まるで井の中の蛙、崖の上のポニョじゃないか!!!」そんな思いが僕の中を駆け巡りました。

まず驚かされたのはその表紙でした。「ホームレス中学生」を思わせるダンボール模様かと思いきや、

本物のダンボールで、よく見るとamazonのダンボールだったので、目を書き足してamazonさんにして遊びました。

あと、裏に無理やり「天地無用」をプリントするあたりに、出版社の遊び心が見れて良かったです。

ページは古新聞紙に文字がプリントされてあって、グッチャグッチャで内容をみるのが大変でした。

全部で20000ページ、そのうちプロローグが110ページ、人物紹介の下りが6580ページ、物語が92ページで、残りの13218ページがエピローグでした。

エピローグのほとんどが、作者のセミヌードのブロマイドで、きもかったので飛ばしました。

肝心の物語ですが、主人公が実家に帰る途中、車壊れてJAF呼んで、直って実家について玄関あけたらお母さんが出てきて、でもよく見たらお父さんで、

お母さんが二人になってて、お母さん(お父さん)とTSUTAYA行って、24借りようと思ったけどカード忘れてたって所で終わってて、とても続きが気になります。

来年出版予定の「人間失格 -琵琶湖でBQ編-」に期待したいです。

id:setyoufree24 No.9

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「こころを読んで」 2年8組  あかだしょうご

この夏、僕は、夏目漱石の「こころ」を読みました。

これを読むきっかけとなったのが、1通の手紙でした。

「しょうご、もう小学生なんだから、本でも読みな?人生の視野を広げてくれるわよ。」

という、おばさんからの手紙でした。

はじめ僕は、「そうなのか?」と、若干疑問でしたが、

この「こころ」を読んでから、それは、正しかったのかもしれないと感じたのでした。

なぜ「こころ」を読もうと思ったかはここでは割愛しますが、

先生も絶対読んだ方がいいと思いました。

この作品をまとめると「人間の空と虚の現実性と利己性の転換と社会性」です。

というのは、主人公の男の子がはじめて、人生につまづきそうになった場面が

P26の5行目から記述されています。

「僕は、この地球のすべての空想が、僕に相反した思想のかたまりなんじゃないかと思ったんだ。」

この1行に主人公のこころが、いや、初期のこころが記されているからです。

この1行は、のちの主人公の行動からも想像できるように、

主人公の「思い込みの強さと、現実に目を向けそうで、向けるに至らない」その境界線を見事に表しています。

のちのP69の2~9行目に次のようにあります。

「世界には、いろいろな人がいる。僕は、まだまだ、世界をみたいんだ。」

「かといって、忠信(ただのぶ)が、悪いわけではない。」

「モチベーションの誠実さを、ライン川に上流でたしなむ人々」

ここから想像できるように、主人公の成長を目にすることができます。

といっても、ここでの成長というのは「ある種の人間性価値観」にかんするものであり

すべての価値観に当てはまるものではありません。

しかし、まだ若い主人公が、成長していく姿を明確に感じることが出来るのは、この作品のすばらしい点であるといえます。

また、この主人公の心の葛藤とともに、もうひとつ同時進行で、記述されていることに気づきます。

それは友人Fの大きな存在です。

話のなかで友人Fとしか記されていませんが、この友人Fの、主人公に対する、暖かい態度がどれほど、主人公の心を救っているのかが

分かると思います。

以下P18にこうあります。

「ねえ、もっと、外でようよ。お日様はあったかいよ。君は僕のお日様なんだ。」

一見すると意味がよくわからないかもしれませんが、このライティングには実はおおきな意味があったのです。

この一文から、友人Fのやさしさがあふれるようにつたわります。

友人Fは、この後、母親とケーキを作ったとの記述が17行目にあります。

つまり、母親とケーキを作りながらも、友人である主人公のことを気にかけているということです。

これは、どうでもないことのように感じるかもしれませんが、そうではないと僕は思います。

なぜなら、友人Fは、地元のサッカーチームで活動しており、そこで、万年ベンチでした。

そんな、友人Fが、サッカー場で、主人公のけるボールを、おなかで受け止めたそうです。

おなかという表現は、つまり腹筋で、という意味だと思うのですが、普通なら、足で止めませんか?

おなかぐらいの高さのボールなら、高めに足を出してボールを止めませんか?

それをあえてしなかった友人Fの心が主人公の心にタッチしていることが分かります。

さらに、友人Fは、ケーキを母親と作るほど、母親っ子、表現を変えれば、女らしい一面を持っている

といえはしないでしょうか?そんな友人Fが、腹筋で主人公のボールを受け止める。

そして、主人公伝えた「君は僕の太陽なんだ」という表現。

友人Fという人間が主人公の心をあたためていることが、主人公の成長に大きな影響をあたえているといえるでしょう。

人間にとって、大切なものは複雑に見えて、実は単純なものが多いと聞きます。

僕は、それを、この本を通じて感じることが出来ました。とはいっても、まだまだ、分からないのが、僕の本音です。

世界のことは、まだまだよくわかりません。

大好きな人のこともまだ、よく分かっていないのかもしれません。

でも、前に進もうとしないといけないんだなと、強く感じるようになりました。

これから、すこしづつでも成長していけたらと思います。

また、冒頭で書いた、おばさんの「人生の視野を広げてくれるわよ」という言葉ですが

本にはいろんな人間が描かれているという点では

その意味をすこし理解できたような気がします。

これからも、成長していけたらと思います。ありがとうございます。

id:filinion No.10

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「沈黙」を読んで

 3年1組 filinion

 

 私は、キリスト教徒ではありません。特に宗教を信じてもいません。でも、ロドリゴの苦しみは分かるような気がします。

 長崎奉行の、キリシタンに対する恐ろしいごう問に、私は驚きました。

 でも、ロドリゴは、決して、自分が楽になりたくてキリスト教を捨てたのではありません。

 自分の信仰を貫きたいという思いと、農民たちの命を助けなければ、という思いの板ばさみになって、後者を選んだのです。

 その結果、キリスト教らは離れてしまいましたが、彼は、自分が本当に信じるべきもの、本当に大切だと思えるものを見つけたのだと思います。

 

 人間は、だれでも、自分たちとは違うものを恐れ、しりぞけようとします。

 江戸幕府が、キリシタンを迫害したのも、それが理由だと思います。

 ロドリゴに日本人の名を与え、妻を与え、寺に住ませたのも、ただキリスト教から引き離すためだけでなく、仏教という、自分たちと同じ考えにロドリゴを染めようとしたからでしょう。

 宣教師を失ったキリシタンたちが、

「羽根が生えたり、頭に天使の輪を乗せた仏像をおがむようになっている」

 という話をしたのも、正統なキリスト教が、かんたんにくずれてしまう、その程度のものだと強調するためだったと思います。

 しかし、「正統派」であること、「だれかと同じ考え」であることに、どんな価値があるでしょうか。

 自分が正統派であるかどうかを気にするより、自分が本当に正しいと信じる道を貫く方が、ずっと大切ではないでしょうか。

 ロドリゴはそう考えていたと思います。

 

 ロドリゴは、「正統な」キリスト教徒でもなければ、「正統な」仏教徒でもない、ちゅうとはんぱなものになってしまい、仏教徒からも受け入れられず、子どもたちから石を投げられたりします。

 

 ポルトガルの修道会も、そんなロドリゴを認めませんでした。

 

 でも、かつては友人だったガルペに、「彼の魂を救うため」と言ってロドリゴを殺させようとしたり、異端審問官を送り込んで、ロドリゴをおどしたりする教会のやり方に、長崎奉行とどんな違いがあるでしょうか。

 

 キリスト教を捨て、しかし仏教徒にもならないロドリゴ。

 長崎奉行にごう問されるとキリスト教を捨て、異端審問官におどされるとそれに従うロドリゴ。

 

 でも、私は、ロドリゴはおくびょうでも、優じゅう不断でもなかったと思います。

 

 異端審問官のおどしは、言ってみれば、ロドリゴの妻を人質に取るようなものです。

 農民を人質にした長崎奉行と、やっていることは同じです。

 「自分はどんなに馬鹿にされても、つらい目にあっても、身近な人の命を助けたい」

 それがロドリゴの信念だったのだと思うし、それを貫き通したロドリゴは立派だと、私は感じるのです。

 

 長崎奉行が潜ませていた乱破にガルぺが殺された時、ロドリゴが問いかけた、

「お前は何のために血を流したのだ。神のためなのか、それとも自分のためだったのか?」

 という言葉は、決して、ガルぺのしたことを「私欲のためで、神のためでない」と責めたのではなくて、「お前は、自分の信念に従って行動したのか?」と聞きたかったのだと思います。

 

 「自分は正統な考えの持ち主でなければならない」という無意味さ。

 「みんなと違う」というだけで、他人を迫害するおろかさ。

 それは、***でも同じだと思います。

 

(「***」の部分には、適切な言葉を入れましょう。

 いじめ、障害者差別、在日外国人差別、ワーキングプア、「自己責任」論、など。

 その時大きくニュースなどで取り上げられているテーマを書いても良いですが、身近なエピソードがあればそれを書くと良いでしょう。

 また、地域によって、高く評価されるテーマが異なることに注意しましょう。

 北海道「アイヌ差別」、関西地方「同和問題」など)

 

 この小説のような、悲しい出来事を起こさないため、そして、***のような問題を解決するためには、だれもが、自分自身の考えをしっかりと持っていくこと、そして、お互いの違いを受け入れて、手を取り合っていくことが、大切なのだと思います。

 私も、ロドリゴのように、きちんと自分の頭で考え、そして、おかしいと思った時には「沈黙」しない人間でありたいと思います。

id:emmet No.11

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ポイント14pt

「こころ」を読んで ○○中 1年 ○○○○

国語の副教材に「こころ」の一部が出ていたことがきっかけでした。

読んでも良く意味がわからなかったので国語の○○先生に

「全然意味がわからない」と聞いたら

「全部読まないと難しい」と言われました。

思い切って読んでみる事にしました。


読み終わって最初に思ったのが「なんでこんなに昔の人は簡単に自殺するんだろう」っていうことでした。

「こころ」に出てくる第3部からあとの「私」の周りは、自殺する人だらけです。

親友のKからお嬢さんを奪ったとか言いますが、Kってちょっとどうかと思います。

それくらいのことでイチイチ死んでたら、今なら日本中の中学生や高校生が死滅してしまいます。


あと「私」に給食のときに笑わされて鼻から牛乳が出たからって、死ぬことはないと思います。

鼻から牛乳くらいじゃなんとも思いません。正直普通過ぎます。

小学校の時に一緒だった○くんは、目から牛乳が出せました。


それから「私」と学祭でコントをやったのにダダすべりしたからといって、なんでわざわざ死ぬのでしょうか?

ダダすべりが怖かったら(自主規制)の(自主規制)だって、とっくに死んでないとおかしいし、

(自主規制)なんか、すべってないところを見たことがありません。


おかしいのが、死んだ人がイチイチ『私』に遺書を残すことです。

しかもその『私』は「私」を先生と慕う『私』なのですごく混乱しました。

読んでいてクラクラしてきました。

なので、何回も読み直してやっと理解しました。

確かに○○先生の言うとおり、全部読まないと難しい本です。


よくおばあちゃんが「昔の人は真面目だった。よく働いた。ちゃらちゃらしてるヒマはなかった」

と私にくどくど言うのですが、おばあちゃんの考える真面目というのは、こういうことなのかなと思います。


でも男の人だったら、こんなにタラタラ言い訳ばかりしないで、死なないで真面目に生きてたほうがかっこいいだろうし、奥さんもそうしてほしいと思うと思います。

なので、私は真面目な人じゃなくて、適当に適当な人が良いと思いました。

本を読んで自分の男に対する目が間違いないと気づけて本当に良かったです。

id:minaminnnn No.12

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原稿用紙5枚に収まります↓。


こころを読んで

○年○組 △△△△

 「いつだってやり直しはできるんだ。」

 これが、私が「こころ」を読み終わって始めに思った感想です。

 どうしてこのような感想を持ったのかというと、登場人物たち(主人公、先生、K)が、みんなそろって癖のある人たちなのに、なんとか立ち直って生きているからです。逆説的かもしれませんが、私はこういうふうに思いました。

 最近、少年犯罪がとても多く起こっています。十代の子供たちの犯罪が起こるたびに、テレビや新聞で報道が行なわれ、私たち子供を一くくりにして「最近の子供はキレやすい」「子供の教育を何とかしたほうがいい」みたいなことが言われます。しかし、当事者の私たち子供にとっては、そんなことよくわからなくて、昔と比べて今の子供がキレやすいのかだとか、昔の教育がどうだったとか、分かりません。私たち子供は、いつだって透明な存在です。だから、テレビでそう言われるたびに、違和感を感じてしまいます。きっと、事件を起こした子供も、私と同じような感想を持っていると思います。

 でも「こころ」を読んで思ったのは、こういうことは昔も今も変わらないのかなあということです。「こころ」は、夏目漱石が書いた作品ですが、夏目漱石が生きていたのは明治時代なので、今からもう百年以上も前のお話です。「こころ」は、夏目漱石が体験した実話をもとに書かれています。だから、百年以上前のことが、そのまま書いてあるのがこの本だと言えます。

 そんな百年以上前のことを詳しく表現している「こころ」を読んでいると、今も昔も変わらないんだなあと思う部分がいくつもありました。

 例えば、主人公が先生に対して言った「同情するならカネをくれ」という言葉。これは、今私たち子供が感じていることと同じだと思います。「すったもんだがありました」という言葉もそうでしょう。この時代に私たちが同じ言葉を言っても、納得してもらえると思います。

 ところで、そんなことを考えながら「こころ」を読んでいたら、次第にストーリーは衝撃的な展開になっていきます。私も「まさか」と思いましたが、最後の最後で、Kの友人が自ら死んでしまったことが手紙で告白されるのです。いくら三角関係があったからと言って、自分で自分の命を絶ってしまうなんて意味がなくなってしまうと私は思いました。死んでしまったKの友人の気持ちも、わからないわけではありません。恋人にふられてしまったら、悲しいに決まっています。でも、死を選ぶなんて情けない。どうして主人公は、それを知りながらKの友人が自殺現場に向かうことを止めなかったのでしょう?

 でも、これは今の私たち子供にも通じる問題です。「こころ」に描かれた百年以上前の気持ちは、今私たちが言ってもそのまま通じます。これと同じで、百年以上前に自ら死ぬことを選んだKの友人の気持ちも、もしかしたら今私たちが言っても共感してくれる人がいるのかもしれません。死に共感するだなんてとても怖いですが、いろいろな人がいるので、中にはそういう人もいると思います。

 まだKの友人が死んでしまう前に、マルサの女でもある先生が主人公に対して言っている言葉がとても象徴的です。その言葉は「そうは言っても(生きていくことを)投げたらアカン」。ああ、こうやって追い込まれていくんだ、これは私たち子供にも当てはまる、と思いました。

 でも「こころ」を読み終わってしばらく経ってからしっかり考えてみました。「こころ」は夏目漱石の体験を小説風にしたお話です。夏目漱石は、Kの友人の死を止めなかったというちょっとした悪人なのに、最後まで生き抜きました。私たち子供は、宿題が出来なかったぐらいでも死にたくなってしまいますが、こうやってふてぶてしく生きていった夏目漱石を知ると、なんとかなる気がします。とても逆説的かもしれませんが、「こころ」は、私たち子供に、そんな「人生なんとかなる」ということを教えてくれているのかもしれません。

 決して死を選んではいけません。そして、もしもそんな場面に自分が遭遇してしまっても、決して下を向くことなく、前を向いてしっかり歩いていくことが大事なのです。そうやって生きていくことが出来て、人生を最後まで走りぬくことができたら、私は自分で自分を誉めてあげたいと思います。

  • id:har23ara
    大学に勤めていたとき、1割は友達のレポートの切り貼りでした。読み続けると「このフレーズさっきのレポートにもあったなぁ」と見つかってしまうものです。それに途中で文体が変わってるバレバレのものや前後入れ替えのものなど、学生のレポートには毎回笑わせてもらいました(もちろんまじめな学生のレポートはこちらも勉強になるので、後で会って話を聞かせてもらうこともありました)。もちろん評価は「D」なのは当たり前のこと、でも誰も文句言ってこないのは自覚があるからでしょう。
  • id:yokikotokiku
    完全に違う内容のものを並べると子供が気付くと思うので、
    「一応内容はほぼ合っていて、一部決定的に違う」にしないと意味ないような気がします…。
  • id:kiri-mtdk
    頑張ってください.
    応援してます。
    青ざめた生徒を想像すると、大変たのしみで仕方がありません。
  • id:ragey
     ある遺伝子が発見された時,遺伝学者がまずやる事は,ほかの遺伝子と1対1で比較してどれぐらい近縁なのかを相似度で表す事です.こうして分類された遺伝子が○○スーパーファミリーと言われる遺伝子群で,現在は進化の系統樹も遺伝子の相似度で組まれています.

     何の話かと言うと,その解析に使われるソフトです.BLASTなどが代表的ですが,これらの多くはUNIX上で動き,ほとんどがオープンソースです.15年くらい前に大学で初めてこれに触れた時,
    「他人のレポートを丸写ししたらこのソフトで解析されてバレバレぢゃん!」
    と言うのがわたしの感想でした.

     しかし,アレから15年.未だにそう言うソフトは出て来ない.レポート丸写し問題と言う物にギークな方々が興味を持ってくれれば,こんなもん一晩で作れると思うのですが.単に文字列の相同性を解析してグラフ化するソフトですから.
  • id:filinion
    「子どもが使いやすい親切なコピペ元作文」
    を目指しました。(悪質)
     
    ネタ成分が低いのは許して下さい……。
     
    >regeyさん
    ソフトウェアによるコピペ対策はアメリカではけっこう前からあるそうですし、最近になって日本語化も進行中とのことですが……。
    http://sankei.jp.msn.com/world/america/080701/amr0807011717005-n1.htm
    ↑これとは違うのでしょうか?
  • id:moshi_moshi
    でもこの感想文をニセ読書感想文サイトにコピペするんだよね?
  • id:hiro_kun
    >でもこの感想文をニセ読書感想文サイトにコピペするんだよね?
    (笑)
     
    子供の頃、読書感想文、作文などが異常に書けなかった。書きたいことが多すぎて異様な文になる、句読点の使い方がわからない、文法がわからない、起承転結がわからない、具体的にどう書けば良いのか教わらなかったなどなど、理由は色々考えられるが、もしかすると自分の脳には障害があるのかもしれない。居残り日数&総時間そうとう多いと思われる。当事身近にパソコンがあったら、自分もコピペしていたかもしれない。書けなかったら書けなかったで、「書けませんすいません。」で良いような気がする。作品などに対する自分の意見、感想をもつことは大事だが、「皆がより幸せに、社会がより平和になる重要なことを日頃から頭に入れておき、己の言動に反映させること。」が大切で、それが、それさえ出来れば、文という形で表現できなくても良いような気がする。
  • id:Dee-suke
    原稿用紙に書き直すと、一番上の列がなんらかのメッセージになるような感想文を作ってくれる職人さんが登場しないかな…
  • id:ottyanko
    昔、読書感想文で、夏休み最終日までなにも読んでいなくて・・・勝手に物語を創造?想像?して、出版されてもいない本をでっちあげて、勝手に感想文書いて提出したら、佳作を取った・・・・(><;
    出典がいつバレるか? ドキドキしてた・・・・
  • id:chinjuh
    ottyanko さんみたいなのは、仮に出典がばれても先生たちの評価は高いかも。さすがにコンクールに出ちゃうとマズイかもしれないけれど(笑)
  • id:yokuzai
    (はてなにより削除しました)

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