偏差値を上げてどうするのかという目的がないのと同じように、魂のレベルを上げてどうするのかという目的は分かりません。(仏教であれば、最終的には解脱して無になる)
しかし、もしかしたら別のひな形があるのではないかと考え、質問してみることにしました。例えばゲームにもレベルを上げるという概念が出てきます。
もしかしたら、昔からある日本人に伝統的な考え方かもしれません。これについて書かれた本、仮説などあれば教えてください。
魂のレベルを上げる、すなわち進化することが目的ですね。
だから少し乱暴に言えば、レベルを上げること自体が目的だといえると思います。
と言うのは、この世界(物質世界)で経験を積まないと魂は進化できないのだそうですよ。
神(始めから終わりまで永遠に存在する意識)はこの物質世界に現れることで、さらにもっと神である自分の事を知り、そしてもっと先に進みたいのだと思います。
わたし達は神の分身のような存在ですから・・・。
大分勘違いされているようなので、質問の内容をもう一度明確にしますね。
噂でも物語でもなんでもそうなのですが、出来る時には「祖型」を利用するんですね。無からは作らないわけ。で、スピリチュアルの祖型が何なのかを探そうと思っているのです。人生相談をしたいわけではありません。
瀬戸内さんは好きですが、仏教にはレベルを上げて天国に行くという考え方はないと思います。最後は無ですからね。
この本の紹介文にはこうあります。「 生きている限り、わたしたちは、幸せになる権利があるのです。」これ、裏を返せば「幸せになる権利がない」と思い込んでいる人や、実際にこう言われたことがある人がたくさんいるということですよね。わざわざそう言ってもらえないと、幸せになってもいいんだと思えない。
加えて、今日読んだ「「イライラ脳」の人たち 脳の仕組みから探る男女の違い」によると、女性は話を聞いてほしい、分かってほしいという気持が強いということなので、悩みを黙って聞いてもらえると、なんとなく分かってもらえたと考えるのかもしれません。
「魂のレベル」と聞いて、ダンテの「神曲」を連想しました。
ただ、キリスト教の素地がない我が国の場合は、「魂のレベル」というのは「権力闘争」の一種じゃないですかね。目的は現世利益――だって、偏差値を上げる目的は現世利益でしょ? 親や先生はそうは言わないかもしれないけど、大人ならみんな知ってますよね。
いつの時代も格差がありますから、少しでも上のレベルへ行きたいですよね。なにせ、格差は世襲しますから。
親の魂のレベルが低いと子どもも低くなってしまう――なんて言っているスピリチュアルな人はいませんか? え?いないって。失礼しましたー。
むしろ、現世利益の方がすっきりするんですよね。医者になりたいから勉強するとか。ある一定以上のポイントためないと天国行けないとか。
スピリチュアルの考え方って、例えば「子どもが授かれなかったけど、これにも意味があって、修行の一貫なのだ」という現世利益を得られないが故の意味付けを持っていたりするものです。魂のポイント貯めても現世では威張れないわけ。だからあの世とか魂を持ってくる必要があるわけです。
まあ、回答者の方も最後に一人ツッコミを入れているように、違うなあと思っているわけですよね。
魂のレベルを上げる、という考え方は日本に限らず、というか世界中の宗教の根幹を成す部分に少なからず組み込まれていると思います。
イスラムや西欧宗教における「天国」と言う概念は、
生前に徳を積んで煩悩から解放された人は魂のレベルが上がり、天国という名前の「より神様に近い世界」に生まれ変わる権利を得る、という概念でしょうし、
バラモン(ヒンドゥー)のカースト制度も、「今生でそのカーストに見合った魂しか持たない人間が、今生の努力により徳を積んで魂を磨くことで、来世においては高いカーストに生まれ変わることができる」というものです。
もちろんそんな単純な話ばかりではないとも思いますが、スピリチュアルな人たちはそういった色々な宗教観やなんかをごちゃ混ぜにして自分の話のひな形にしているのではないでしょうか。
「人生は苦行である」という事に関しては、聖書を読んでみると良いと思います。どこを読んでも「今は辛いよ、苦しいよ。でも今がんばれば神様はきっと見ていて、来世かどこかできっと救われるよ]というようなニュアンスのことが書いてあります。
やっとまともな回答が出て来た…
ありがとうございます。
この中で近いのはヒンズー教ですかねえ。生まれ変わらなければ格差が埋まらないという究極の格差社会。仏教の前段階宗教だから、隔世遺伝ですよね。
ちなみに今朝偶然聖書を読んだのですが「キミたちが言う事聞かないから、剣とか病気とかで殺してやる」と神様が宣う話が出てきます。鳥に体を食わせるという話もありました。もちろん旧約聖書の話ですが。神様はきっと見ていてやさしく救ってくれるような存在ではありませんでした。
新約聖書は「もうすぐローマの馬鹿どもが滅ぼされる」と約束していたフシがあり(もちろんいろんな説があるようですが)、現世で救われるという話だったようです。結局成就しなかったので、黙示録はいつの話だかがぼかされた形で残存しているというのです。新約聖書で「来世」とか「天国」を探すと苦労することになると思います。キリスト教に生まれ変わりの概念はないですから。
魂のレベルを上げると一切は空となります。
仏教の基本的な考えです。
人生に上も下もない。成功も失敗もない。すべては空なのです。
http://www.aiseikai.or.jp/documents/inhalt/information/st3/hanny...
あるのは それゆけどんどん。
私しゃそう思ってます。
どうも宗教の実践者の人たちって、人の話を聞かなくなるようですね。悲しいことです。まったく質問の答えになってない。しかも宣伝まで。ご苦労様としかいいようがないですね。
実際に仏教を実践している人たちのなかにも「私の方がマシ」とか「俺の方が真実に近い」と思っているヒトは多いかもしれません。日本の仏教では戒名にも格と価格がありますからね。
すべては空で、それゆけどんどん。こういう理屈だと、リーマンブラザーズも成仏できるというものですよね。やれやれ。
まあ質問の答えにはなってないとは思うのですが、面白い考え方ですよね。魂を磨くことが自己目的化しているなら「何のために生きるか」を考えなくてすむわけですからね。しかも本来は「何かすばらしいもの=神」と同一だろう。まだそれに出会っていないからだろうと。今の私は本当の私ではない。
受験勉強も同じですよね。「勉強しなさい」というお母さんに「どうして勉強しなきゃいけないの」か聞いたら、「成績を良くするためでしょ」と答え、どうして成績を良くしなきゃいけないのか聞いたら、今度は「幸せになれるから」と答える。例えば法律家になりたいからとか、具体的な目的はなんとはなくぼかされている。