スピリチュアルな人たちの書いた文章を読んでいると「人生は苦行であり、魂をステップアップするためにある」という人生観が語られます。これ、なんとなく「勉強は苦しいけど、偏差値を上げるためにある」と似ていると思います。


偏差値を上げてどうするのかという目的がないのと同じように、魂のレベルを上げてどうするのかという目的は分かりません。(仏教であれば、最終的には解脱して無になる)

しかし、もしかしたら別のひな形があるのではないかと考え、質問してみることにしました。例えばゲームにもレベルを上げるという概念が出てきます。

もしかしたら、昔からある日本人に伝統的な考え方かもしれません。これについて書かれた本、仮説などあれば教えてください。

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  • 終了:2008/09/25 08:17:13
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回答5件)

id:kuramoto No.1

回答回数273ベストアンサー獲得回数5

ポイント10pt

魂のレベルを上げる、すなわち進化することが目的ですね。

だから少し乱暴に言えば、レベルを上げること自体が目的だといえると思います。

と言うのは、この世界(物質世界)で経験を積まないと魂は進化できないのだそうですよ。

神(始めから終わりまで永遠に存在する意識)はこの物質世界に現れることで、さらにもっと神である自分の事を知り、そしてもっと先に進みたいのだと思います。

わたし達は神の分身のような存在ですから・・・。

id:webees

まあ質問の答えにはなってないとは思うのですが、面白い考え方ですよね。魂を磨くことが自己目的化しているなら「何のために生きるか」を考えなくてすむわけですからね。しかも本来は「何かすばらしいもの=神」と同一だろう。まだそれに出会っていないからだろうと。今の私は本当の私ではない。

受験勉強も同じですよね。「勉強しなさい」というお母さんに「どうして勉強しなきゃいけないの」か聞いたら、「成績を良くするためでしょ」と答え、どうして成績を良くしなきゃいけないのか聞いたら、今度は「幸せになれるから」と答える。例えば法律家になりたいからとか、具体的な目的はなんとはなくぼかされている。

2008/09/24 20:06:10
id:peach-i No.2

回答回数4652ベストアンサー獲得回数93

ポイント15pt

生きることば あなたへ

生きることば あなたへ

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • メディア: 単行本

こちらを一度読んで見るとすごくいいと思います

id:webees

大分勘違いされているようなので、質問の内容をもう一度明確にしますね。

噂でも物語でもなんでもそうなのですが、出来る時には「祖型」を利用するんですね。無からは作らないわけ。で、スピリチュアルの祖型が何なのかを探そうと思っているのです。人生相談をしたいわけではありません。

瀬戸内さんは好きですが、仏教にはレベルを上げて天国に行くという考え方はないと思います。最後は無ですからね。

この本の紹介文にはこうあります。「 生きている限り、わたしたちは、幸せになる権利があるのです。」これ、裏を返せば「幸せになる権利がない」と思い込んでいる人や、実際にこう言われたことがある人がたくさんいるということですよね。わざわざそう言ってもらえないと、幸せになってもいいんだと思えない。

加えて、今日読んだ「「イライラ脳」の人たち 脳の仕組みから探る男女の違い」によると、女性は話を聞いてほしい、分かってほしいという気持が強いということなので、悩みを黙って聞いてもらえると、なんとなく分かってもらえたと考えるのかもしれません。

2008/09/24 20:20:23
id:pahoo No.3

回答回数5960ベストアンサー獲得回数633

ポイント15pt

「魂のレベル」と聞いて、ダンテの「神曲」を連想しました。

ただ、キリスト教の素地がない我が国の場合は、「魂のレベル」というのは「権力闘争」の一種じゃないですかね。目的は現世利益――だって、偏差値を上げる目的は現世利益でしょ? 親や先生はそうは言わないかもしれないけど、大人ならみんな知ってますよね。


いつの時代も格差がありますから、少しでも上のレベルへ行きたいですよね。なにせ、格差は世襲しますから。

親の魂のレベルが低いと子どもも低くなってしまう――なんて言っているスピリチュアルな人はいませんか? え?いないって。失礼しましたー。


参考書籍

神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

  • 作者: ダンテ アリギエーリ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • メディア: 文庫

戦国自民党50年史―権力闘争史

戦国自民党50年史―権力闘争史

  • 作者: 板垣 英憲
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • メディア: 単行本

週刊 ダイヤモンド 2008年 8/30号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2008年 8/30号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • メディア: 雑誌

id:webees

むしろ、現世利益の方がすっきりするんですよね。医者になりたいから勉強するとか。ある一定以上のポイントためないと天国行けないとか。

スピリチュアルの考え方って、例えば「子どもが授かれなかったけど、これにも意味があって、修行の一貫なのだ」という現世利益を得られないが故の意味付けを持っていたりするものです。魂のポイント貯めても現世では威張れないわけ。だからあの世とか魂を持ってくる必要があるわけです。

まあ、回答者の方も最後に一人ツッコミを入れているように、違うなあと思っているわけですよね。

2008/09/24 21:10:51
id:marve_lasde08 No.4

回答回数28ベストアンサー獲得回数1

ポイント50pt

魂のレベルを上げる、という考え方は日本に限らず、というか世界中の宗教の根幹を成す部分に少なからず組み込まれていると思います。

イスラムや西欧宗教における「天国」と言う概念は、

生前に徳を積んで煩悩から解放された人は魂のレベルが上がり、天国という名前の「より神様に近い世界」に生まれ変わる権利を得る、という概念でしょうし、

バラモン(ヒンドゥー)のカースト制度も、「今生でそのカーストに見合った魂しか持たない人間が、今生の努力により徳を積んで魂を磨くことで、来世においては高いカーストに生まれ変わることができる」というものです。

もちろんそんな単純な話ばかりではないとも思いますが、スピリチュアルな人たちはそういった色々な宗教観やなんかをごちゃ混ぜにして自分の話のひな形にしているのではないでしょうか。


「人生は苦行である」という事に関しては、聖書を読んでみると良いと思います。どこを読んでも「今は辛いよ、苦しいよ。でも今がんばれば神様はきっと見ていて、来世かどこかできっと救われるよ]というようなニュアンスのことが書いてあります。

id:webees

やっとまともな回答が出て来た… 

ありがとうございます。

この中で近いのはヒンズー教ですかねえ。生まれ変わらなければ格差が埋まらないという究極の格差社会。仏教の前段階宗教だから、隔世遺伝ですよね。

ちなみに今朝偶然聖書を読んだのですが「キミたちが言う事聞かないから、剣とか病気とかで殺してやる」と神様が宣う話が出てきます。鳥に体を食わせるという話もありました。もちろん旧約聖書の話ですが。神様はきっと見ていてやさしく救ってくれるような存在ではありませんでした。

新約聖書は「もうすぐローマの馬鹿どもが滅ぼされる」と約束していたフシがあり(もちろんいろんな説があるようですが)、現世で救われるという話だったようです。結局成就しなかったので、黙示録はいつの話だかがぼかされた形で残存しているというのです。新約聖書で「来世」とか「天国」を探すと苦労することになると思います。キリスト教に生まれ変わりの概念はないですから。

2008/09/24 21:23:40
id:yumisaiki No.5

回答回数70ベストアンサー獲得回数3

ポイント10pt

魂のレベルを上げると一切は空となります。

仏教の基本的な考えです。

人生に上も下もない。成功も失敗もない。すべては空なのです。

http://www.aiseikai.or.jp/documents/inhalt/information/st3/hanny...

あるのは それゆけどんどん。

私しゃそう思ってます。

id:webees

どうも宗教の実践者の人たちって、人の話を聞かなくなるようですね。悲しいことです。まったく質問の答えになってない。しかも宣伝まで。ご苦労様としかいいようがないですね。

実際に仏教を実践している人たちのなかにも「私の方がマシ」とか「俺の方が真実に近い」と思っているヒトは多いかもしれません。日本の仏教では戒名にも格と価格がありますからね。

すべては空で、それゆけどんどん。こういう理屈だと、リーマンブラザーズも成仏できるというものですよね。やれやれ。

2008/09/25 08:04:13
  • id:motsura
    奥さーん、騙されてますよー
    その宗教観は支配階級の搾取を誤魔化すものですよー
    って言ったのがニーチェ。
  • id:miharaseihyou
    まあ、宗教組織というのは国家とならぶ経済団体だから、納得も得心もさせて収益を得たいと思っているのだから、それなりに工夫してくる。
    目的は魂の救済とか、精神の平穏などと言っても、求めるものは現世の利益。そうでなければ、とっくに消滅している。
     
    一応、文字に書かれた宗教になると社会の内部の問題に対応するやり方を教義にしていることが多い。
    代表的なのが性交の禁忌や肉食の禁止、飲酒の禁止など。それ以外にも現在の法律の役割も果たしていた。
    仏教の戒律や旧約聖書のモーゼの十戎などはそれである。

    宗教的な法律にハムラビ法典がある。「目には目を・・・」の条文は損害賠償の規定でもある。
    与えられた損害を与えられた分だけ正確に賠償してもらう事を規定している。 
    宗教の禁忌に不思議なのが、麻薬の類はあまり禁止されていない。
    宗教儀式には昔から不可欠だったらしいのは言わないお約束のようだ。
    幻惑的な雰囲気で信者獲得に勤しんだ宗教が生き残ったと言える。
     
    原始宗教が一番分かりやすいのだが、「原始」とあるとおり文字にはなっていない場合がほぼ全て。
    周囲の自然界を崇拝したらしいのは推測できるのだが、何をどのように崇拝したかは絶滅した民族も多く分からない場合が多い。
    もしかしたら「自分たちと一緒に自分達の信じた神をも連れていったのかもしれない」と想像を廻らして遊ぶのも楽しい。
  • id:webees
    この質問、イマイチだった。というより宗教論を語りたがる人がこんなに多いとは思わなかった…。

    日本には「無党派」の人が多いのだけど、宗教も「無宗教」がかっこいいと思っているヒトが多いんだなーということを思い出しました。
    ニーチェが「奥さん騙されてますよ」と言っているのは、宗教が権威だったからです。

    スピリチュアルは宗教的な何かは欲しいけど、権威に帰依するのはイヤだなあという人たちを集めているので、奥さんを騙すことがあっても、支配階級の搾取をごまかすことはありません。

    次に律法ですが、スピリチュアルを信奉する人たちは管理しやすい人たちです。自分で盗んだり、殺したりはしないと思います。
  • id:yumisaiki
    あなたも、いつかわかる日がきます。
    私は別に宗教家ではないけど。
    いろんな苦労をして魂のレベルが上がっているかどうかはわからないけが、たまたま見たホームページのそういう言葉が自分に響くのです。

    新興宗教にはまる人と、倫理的に思索的に生きている人というのは違います。
    成功している会社の社長さんは、たいてい読書家で、哲学的な思索をされています。

    何をもってして成功なのか、何が幸せなのか、そういうことを考えて生きていかなければ、真の成功はない。
    絶対無我の境地にはたどりつけないのです。

    チベットの僧侶が中国の圧政に対して現在もなお庶民といっしょに静かなる抗議をしています。
    フィリピンのドンボスコストリートチルドレンセンターは、たった一人のカトリック神父が始めました。
    そういうことも調べられたらいいでしょう。

    魂のレベルを上げるという考え方は、闘うための考え方です。
    なぜ宗教や哲学があるのかといえば、「負けてはいけない」ためだと私は思う。

    それは、為政者にとって都合のいい思想とか、来世でいい暮らしをするために善行を行うというような単純な思想ではないと思います。
    基本的には辛い人生の闘いのための指針なのです。
  • id:hidetoz
    たぶん逆が真実なんだと思います。「人生は苦行であり、魂をステップアップするためにある」→「修行しないとステップダウンするよ」→「修行しない≒悪いことはしちゃダメ」。


    法による罰則が及ばない、字のままの「無法者」を咎めるには、地獄の概念を持ち出さないと対応できず、こんな考えが生まれてきたんじゃないでしょうか?
  • id:webees
    今日読んだのは、1940年体制という本でした。
    http://d.hatena.ne.jp/webees/20080925

    「負けてはいけない」というのはかなり重要な言葉です。野口悠紀雄によれば、戦時体制がそのまま経済成長に置き換えられたのが1940年体制だそうです。つまり日本人はずっと闘い続けてきたわけです。「真の成功」というものがあるというのも同じです。本来、人間は一人ひとり違っているはずで、幸せも一人ひとりにあると考えると、間違っている成功も、真の成功もありません。そもそも成功する人生と失敗する人生という概念さえあり得ないはずなのです。仏教的な考え方では、我をなくすということが最終的な目標なのですから、真の成功を求めるのは執着ということになってしまいます。

    その祖型が何であるかは別にして、我々は議論をする時に、実は誰かが作ったひな形の上に知らず知らずに乗っていることがあるのだと思います。

    さらにその先には、実際には私達が共通に戦える目的など20年くらい前には消えてしまったのではないか、という問いがあります。だから環境問題のように誰もが否定できないものが、ファシズムっぽく語られるようになったのではないでしょうか。でもそれは、みんなで米英を駆逐しようとか、豊かさを追求しようというような大きな目標には成り得ないでしょう。

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    日本人の禁止は「他の人が見ているから」とか「回りの誰もやっていないから」という形を取ると思います。ピア・プレッシャーといいます。なので、努力しないとダメだよというのは一見アリなように思えますが、実は違っています。

    例えば「子どもを流産した」ときに「人生は苦行だから」と言われます。決して禁止するために言っているわけじゃないのです。
    それとは違って「今年は大殺界だけれど」「緑色のヒスイを持つと大丈夫」という、厄をアイテムで打ち消すという考え方もあります。本来的には苦役から逃れたいと思っているのです。


    ちなみに同調圧力は実は透明バリアみたいなもので、突破も簡単です。だから社会の同調圧力が強まると禁止とか罰則みたいなことが多く語られるようになります。

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