社会的、技術的な側面から考えられることを教えてください
PCの小型化・大容量化と、高速通信で、映像音声込みのユビキタス。
塚本教授みたいなウエアラブルが、そんなに違和感無く装着できるようになると共に普及し、蓄積型コンテンツだけでなく、リアルタイムに人の人生をのぞき見るようなコンテンツが現れる。
もちろん、過去の出来事も全て蓄積され、人は脳みそを「記憶」に使う必要がなくなり、いつでも必要なことは検索できるため「学習」も必要ない。
目の前の人間には興味が無くなり、ネットを介した人間関係がメインとなる。
その結果習熟な必要なものは廃れ、表面づらだけのチープな文化が出来上がる。
なんて可能性が高いような気がする。
塚本教授
情報技術によって、離れた場所にいる人々と音声通信や映像通信ができるようになりました。
しかし、人間の五感のうち、情報として扱えるのは視覚と聴覚だけです。
将来、その他の五感(味覚、嗅覚、触覚)も情報として扱える日がくるかもしれません。
なるほど、新しい感覚のインターフェースが
拡大するということでしょうか
今の傾向からすると、ネット専門と化しているPCは早々にすたれて、楽しみたい情報の質によって、携帯電話の将来像、ひとりでこっそり系と、テレビの将来像、大画面娯楽系とにいったんは分化しそうな気がします。
携帯電話の入出力はいまあまりにも貧弱なので、そこがとりあえずよくなってくと、これは期待ですね。入力は、指ごにょごにょするだけで筋電拾ってマウス的に反応する指バンドか手袋ができるとかどうだろう。いっぽう、大画面娯楽系って、欲しいと熱烈に思う人と、ちっとも思わない人がいるようで、かなり安価にならんと、そちらの将来像はないかもしれません。携帯電話から大画面が出てると錯覚できるようなデバイスが、とりあえずの希望。
携帯電話の拡張として新しい進化した装置が
普及するってことですかね
質問の内容の直接的な回答にはなっていないと思いますが、とりあえずこれまでのトレンドを整理してみましょう。
コンピュータ黎明期
発展期
バブル経済
現在
技術的なトレンド(こちらは期待も含めて)
検索エンジンが進化してパーソナルな情報が
データベース化して検索可能になっていくとうことでしょうか
今から10年後くらいを勝手に想像してみます。
最近流行のARToolkitなどのように実際そこにないものをあるかのように扱う技術が発達し、携帯電話と同じく普及。多分眼鏡型のものや、あるいは携帯のカメラに映像を重ねて映し出したりする。例えば、スーパーに買い物に行くと、自分の家に既に買ってあるものについては注意書きが表示されたりできるし、カーナビなどはこれを補助する役割になる。これによってGPS技術が重要視され、民間でも精度の高い位置座標取得を可能にし、プライバシーの確保の問題も一定数発生する。この様々な付加情報を特定のグローバル座標に発信するための標準プロトコルがいくつか考え出され、これを利用して、家のサーバからその端末に対して情報を発信する。家でサーバをもち24時間稼動にする人が増加する。
これに付随して、文字認識技術と、視線の動きを感知する技術等が応用され、たとえば、対象の文字を2秒みつづけたあとまばたきをすばやく2回(ダブルマバタキ)でその字句に対する情報をWikipedia(多分まだある)などからとってきて注釈として映し出すなどのことが可能になる。
また対象物に対して、手のジェスチャーによって何かを行うことが出来るため、傍からみると何もない虚空で手を変に動かしている人が増える。今の携帯を昔の人が見たら、何を一人でぶつぶついってるんだ。と思うだろうけどそれと同じ。
とかこんなんでどうですか。
ポータブルな端末が進化して新しい入力方法で
様々な情報の取り扱いができるということでしょうか
10年前の将棋ソフトは、とても弱かったのですが、最近の将棋ソフトは、本当に強くなりました。ところが、翻訳ソフトにおいては、現状まだまだであることを否めません。しかし、将棋ソフトのように、将来、情報技術の発展によって、満足いくレベルの自動翻訳ソフトが開発されれば、英語の教育・学習に莫大な時間とお金と労力をつぎ込まずにすみます。それに使っていた時間を他のことにまわすことができ、真のゆとり教育が実現します。
結論としては第二言語習得の利便性が向上し
学習に役立つということですかね
技術的には今おきていることでもありますが、ネットワーク化して、
ネットワーク上でほとんどの情報処理を行うことになるのだと
おもいます。
社会的には、さまざまな影響を及ぼすと思いますが、
その形は、今「IT技術」と呼んでいるノウハウやエリアが分解され、
活用され、既存の社会活動の諸要素を「強化拡大延長加速・顕在化」
するはたらきとして拡散・浸透・透明化するようなものと見えるでしょう。
この動きは今もすでに進行していて、たとえば、今「金融産業・金融技術」
と呼んでいるものの構成要素の多くは、実際問題としてIT技術(応用)
そのものです。
今後の変化として予測すると、大きな変化として感じられるのは、
今のところ比較的影響が少ないようにも見える人間活動の諸側面、
つまり政治、感情、教育、文芸、育児、芸術といった文系と呼ばれる
エリアでしょうか。これらについても加速され拡大される、とみる
のかどうか、がIT技術の影響力についての判断が分かれるところです。
個人的な意見では、そう感嘆には、質的な影響が生じないだろうと
思っています。「生物・動物としての人間」に関するところだからです。
ツールとしては進化するが、人間の学習は本質的に
古典的に自己の努力に係っていく。
それは進化してもあくまでツールは補助的な役割を果たすとうことでしょうか
小型化は進むでしょうね
それがどこまで進み結果どういうコンテンツが利用可能にんなって日常生活にどう及ぼすかが問題ですね
>人間は脳に配られたカードをや理解のテンプレートを持っていかに使うか
>というのは普遍な気がします
理解のテンプレートは必要です。
そのための、基礎教育も当然必要だと思います。
が、コンピューティングの発展により、テンプレートに当てはめればその場はしのげる、という状況がますます増えるのではないか?
と思います。
言葉足らずだったので、補足させていただくと、
例えば、書店に行けば、今に限らず過去からずっと「ハウツー本」「ノウハウ本」という類がかなりあります。
私としては、これら「ハウツー本」の類を読んで活用するのは「学習」とは言わないと考えています。
「学習」という言葉を使うためには、自らの失敗も含めて体得する、会得する必要があると思うんですね。
そうでなければ、テンプレートに当てはめたその場しのぎは出来ても、テンプレートから外れた場合の「応用」や、新しいテンプレートを作ることが出来ませんから。
で、私としては、コンピューティングの発展で、これら「ハウツー」知識がさらに手軽に利用されるようになり、「学習」に対する意欲が相当低下する。
という意味でした。
量子化できないものは軽視され、アナログは懐古趣味という状況に拍車がかかるとも考えられます。
ついでなので、もう1つ。
私自身は、Getting Things Done(GTD)というスタイルが気に入っています。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/gtd_index.html
脳は「やるべきこと」を覚えておく為のものではなく、アイデアを創出するためのもの、というのがエッセンスですが、このための道具としてコンピューティングの発展がかなり役に立つと思います。
クリエイティブな作業に集中することはエキサイティングで楽しいものです。
これを阻害する最大の要因は人間関係ではないかと考えますが、これを含めた阻害要因を遠ざけ、頭を創造に集中させることがコンピューティングの発展で可能になると楽しいなと。
やはり情報技術が発展しても人間の脳が最大の
情報処理システムとして創作活動の中核である
ということになりそうですね
結局、コンピュータで万能の創作ができてしまうと、人間は劣化すると思います
ムツカシくてよくわからなかったのですが
その名の通り次世代のネットワークの一部ですね
ありがとうございます。
小型化・大容量化、ユビキタスはともかく
記憶の外部化の結果、学習も必要なくなるというのは
古い「夢」のような気がしますね。
人間は脳に配られたカードをや理解のテンプレートを持っていかに使うか
というのは普遍な気がします