http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6#.E8.B5.A4.E9.96.80
(1)「赤門(あかもん)はそのまま東京大学の異称にもなっており、日本国内の大学における第二次世界大戦前の異称にも影響を与え、「○門」という異称を持つ大学を増やした」
(2)「また、鉄門(てつもん)は東京大学医学部が自ら名乗る異称だが、これも赤門に影響されて付けられたものと推測されている」
のところの記述はそれぞれ何を根拠に書いてあるのでしょうか? これのもとになる書籍等の出典を教えて下さい。
予想や推測は不要です。
明確で信頼できるソースを求めています。
よろしくお願いします。
(1)はわからないので、(2)のみお答えします。
『鉄門倶楽部創立百周年記念誌』には以下の記述があります。
安政5年(1858年)5月7日、神田お玉ヶ池に種痘所(東京大学医学部の前身)が開設されたが、わずか6ヶ月あまりしかたたぬ安政5年(1858年)11月15日、江戸名物の家事で類焼し、下谷の和泉橋通りに新館が建てられた。この種痘所の門が鉄の門扉(厚い木の板を芯として、その上を鉄板で囲い、その鉄板と鉄板とを頭の丸い鋲釘で打ち付け、真黒に塗ってあった)であったので、当時の江戸市民は、「種痘所」と呼ばないで「鉄門」と呼んだ。さらに種痘所が西洋医学所と改称されるに及んで、ますます呼びにくくなって、すべての人々が「鉄門」といった。
この昔風の鉄の門扉は、後に本郷竜岡町の東京大学医学部の正門に取り付けられ、使用された後廃棄されて、新しい鉄の門扉に取り替えられた。
明治32年(1899)4月11日学生や先輩有志による医科大学ボート選手の慰労激励会の席上、学生の運動を奨励し応援する組織を作ることが提案された。同年4月30日に発会式が行われ、医学部の象徴であった鉄門の名を冠し、鉄門倶楽部と名付けられ、東京大学医学部(医学科)関係者の相互の親睦を図る組織となった。
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/outline/pdf/dayori54.pdf
これを読む限り、「鉄門」が東大医学部の異称になったのは「赤門」よりも古いようです(もちろん赤門自体は鉄門より古くからありますが)。
ありがとうございます。
東大医学部が「鉄門」と呼ばれる由来は調べていたのですが、ここでの質問は、鉄門と呼ばれる由来というよりも、wikipediaにあるような「赤門に影響されてつけられた」というところが事実かどうか、ということを知りたいと思っています。ここが非常に疑問なので、もしかするとこの記述は間違いではなかろうかと思っておりまして、「赤門に影響されてつけられた」かどうかを知ることができればと思っています。