質問は、シャノンが、この図の中で意味のことを論じなかった理由は何か
(1) それを論ずると、軍の機密にひっかかるから、わざと避けた。ごまかした。
(2) 意味を重要視していなかった。考えが整理できてなかった。
(3) 情報源符号化・復号化は言語の問題であるので、情報理論としては触れないと自己抑制した。
(4)それとももっと別の理由があるのか。
どう考えればよいのでしょうか。
http://plan9.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf
(4)数学的理論と意味論の間に連関性を見出すことが出来なかったから。
オントロジー、セマンティックウェブなど、今でこそ情報工学と意味論の間に接点が生まれていますが、
この論文が叙述された当時は、情報の取扱い方そのものが確立していなかった時代です。当該論文の
出現により、情報を数量的に扱うことが出来るようになり、以降情報理論という新しい学問分野が
確立されていったのです。
メッセージの伝達という観点で考えた場合、元々(意味的に)誤りがあった情報は誤りを含んだまま
伝達されます。そういう面では、メッセージの持つ意味も確かに重要かもしれません。しかし情報が
持つ意味、あるいは情報の真贋は、伝達方法や手段には影響を及ぼさない、と考えることもできるで
しょう。
本論文あるいは情報理論で取り扱うのは、「どう情報が伝達できるかどうか」であって、その元となる
情報が(意味的に)正しいかどうか、という観点では捉えていません。
URLはダミーです。
「意味は工学とは無縁である」
すべてはこれだと思います。
>宛先の人が図の中にいる以上、意味論が図の中にあってもよいのではないか
定義として、意味を廃すると言っているので、意味論は入りませんね。
人間が受け取るのは
b・o・o・k
であり、これが英語で「本」の意味だろうが、スラングで他の意味があろうが、関係ないです。
数学的に扱えるからこそ、工学的に扱えます。
意味論を語る目的ではないということでしょうね。
復号しない暗号のままのメッセージを受け取るだけでは、通信が成立したことにならない気がするのですが、、、。
質問者の方のコメントを読み、補足します。
「rightを右ととるのか、正しいととるのか」
これは、言語学の意味論の世界で論じられる話ですね。
あるいは現代であれば、計算言語学的なアプローチもあるかもしれません。
シャノンが何を考えていたか、は想像の域を出ませんが、彼は元々電気工学、数学のバック
グラウンドを持つ人です。そのシャノンが仮に「rightを右ととるのか、正しいととるのか」
という疑問をいだいていたとしても、それを数学的に解決できる発想までには至らなかった
ために、「意味は工学とは無縁である」という前提で当該論文の対象から外したのではない
でしょうか。
URLはダミーです。
シャノンは、第二次世界大戦中は、暗号解読の分野で活躍しました。
だから、意味を気にした可能性はないかなと思ったのです。
それに宛先は人であるならば、rightが正しいか右かで、とるべき行動はぜんぜん違ってきます。ああ、でも、シャノンは、そっから先は受け取った人の責任、解釈次第と考えたのかもしれませんね。
意味論を論じないから、情報理論は発展し成功したのでしょうが、そこを追究していたら、情報理論と記号論の接点が生まれていたのではないかと思います。
>復号しない暗号のままのメッセージを受け取るだけでは、通信が成立したことにならない気がするのですが、、、。
復号はされています。通信も成立しています。
「意味が伝達されていない、意思疎通が成立した事にならない」
と言うだけでは?
情報理論の話の中で、意味論・記号論を語ってもしょうがないのではないでしょうか?
ありがとうございました。たしかにそう割り切ったおかげで、情報通信の分野は大発展を遂げたのですね。
ただ、rightを右ととるのか、正しいととるのか、bookを本ととるのか、予約するととるのか、宛先の人が意味を考え出すと、非常に迷うであろうという現実が想像できたなら、シャノンは何か別のことを考えるということはなかったかなと思ったのです。
意味論をこの一般的な通信モデルの図の外に置くことも可能だったかもしれませんが、宛先の人が図の中にいる以上、意味論が図の中にあってもよいのではないかと、ふと思ったのです。
意味の符号化・復号化は、人間の脳内で行なわれていることで、その部分については、シャノンといえども無自覚であったということになるでしょうか。