THEME:「面倒を面白くする!家族で家事の楽しみ方コンテスト」
日々の暮らしとイエの中で、こんな時どうしてますか? “イエコト・ミシュラン” は、暮らしに楽しいサプライズアイデアを語らい、★(一ツ星)~★★★(三ツ星)のミシュラン評価をしていくコーナーです。ハウスキーピング、ハンドメイド、エコロジー、ヘルスライフ…毎回の質問に、あなたのアイデアをご投稿下さいね!
豊かな暮らしをつくっていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20090420
プレゼント変更ご案内
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は4月27日(月)正午で終了させて頂きます。
今、靴さん…と心の中でつぶやいてみたら、軽く埃を払うだけで全然磨かれていない私の靴が、たまらなく可哀想に思われてきました。あとで磨こう…。
こんなふうに対象を擬人化して考えると、ていねいに手入れをしたくてたまらなくなってきますね。家中がそういう気持ちなら、家事に家族が協力しないなんていう悩みは生まれてこないかもしれません。
私もこういう物を擬人化して考えるやり方は、全く子供だましだとは思いません。むしろ物の心を考えず粗末にしていく現代人の感受性の麻痺の方が問題だと思います。物にも心が宿ると考え続けてきた日本の伝統を大切にしていきたいですね。
わが家では、家の各部分などを「さん」付けで呼び慣わしています。ドアさん、玄関さん、床さん、天上さん、階段さん、窓さん、浴槽さんに洗面台さんに便器さん…。家というのは実に様々な「皆さん」がこんなにもたくさん寄り集まって出来ているんですね。
こうやって対象を「さん」付けで呼んでいると、片付けや掃除というものは、日頃お世話になっている皆さんへの恩返しという感覚になってきます。というのは大げさかもしれませんが、たとえば「さっき降りてきた時、階段さんの隅に埃があったなぁ、彼が言葉をしゃべれたら、取ってくれよと言うだろうなぁ」なんて思ってしまいます。
掃除を頼まれたりした時に断ると、あぁ、あそこのお部屋さんに不義理をしてしまったなぁ、嫌われたとか思っていないだろうか、悪いことをしたなぁ、君のこと大好きなんだよ、ちょっと時間の都合が合わなくて断っただけなんだ、なんて考えて、後日改めて請け負ったりしてしまいます。
「雨樋さん直してよ」なんて言われて様子を見に行くと、傷ついた雨樋の悲鳴が聞こえてくる気がします。ごめんよ、週末まで待ってくれ、心を込めて、壊れる前よりずっといい状態にすると約束するから、あとちょっとだけ辛抱しておくれよ、なんて本気で話しかけたくなってきます。
こういう擬人化は少々幼児っぽいかもしれません。しかし、日本人は昔から「付喪神(つくもがみ)」などと言って、物に魂が宿ると考えてきた伝統があります。そういう気持ちを迷信と一蹴してきたことが、現在の資源浪費大国を作ってきてしまったのではないでしょうか。
最近掃除に参加していないなぁ、家さんに不義理をしているなぁと思うと、週末には掃除しようかと素直に思えてきます。掃除だけでなく、布団干しとか大物のシーツ洗いなども、いかにもやったという充実感があって、これで少しは日頃の恩を返せたかなとうれしくなってきます。また、家族でうまく分担して家事がこなせていると、こういうのも家族愛の形の一つだなぁ、家さんのおかげでわが家はこんなに幸せだ、恩返ししないとなぁ、などとまた家事への意欲が増す善循環が発生します。
価値観が違う人から見ると、臭くてたまらない精神論に見えてしまうと思います。でも逆に考えてください。価値観一つでこんなに考え方も行動も変わってくるんだと。「家さん」がいてくれる幸福への感謝の気持ちが、何かをしないではいられない気持ちに育っていきます。