まず、国語辞典の定義を当たってみました――。
辞典では逸話の真偽について明確に定義をしているわけではありません。実際、「歴史上の人物の逸話」として知られている話の真偽は明らかではないものが多いですね。
したがって、逸話の要件は以下の3点になるかと思います。ご質問の②に近いでしょう。
逸話は事実だとおもいますよ。
事実でない場合は、「彼には○○といった逸話があってもおかしくないorありそうだorまことしやかに伝えられている」といった風に事実ではないような語尾になっていると思います。まあ、伝聞されるうちに語尾が取れてうその情報になることもよくある話ですが。
ともあれ逸話の本質は、「逸」であり、本筋でないところだと思います。
逸話と言う言葉自体は、本当にあったことであると言う意味であるのか、或いはその言葉の中に既に
事実の真偽は不明であるという意味が既に入っているのか、それを知りたい。
真実のつもりであったが、新しい資料をみると偽りであったと言う事はあり得る話であり、それは
仕方のないことであると思います。
こちらは参考になるでしょうか。「トピックス」よりも「エピソード」の方が近いようです。真偽性は関係ないようで、もちろん、真であることが前提になっていると思われます。
●きょうのことばメモ: 「逸話」の意味 ←色々な辞書を比較検討しています。
>『大辞林』は「その人の隠れた一面を知らせる、世間にあまり知られていない面白い話。
http://yeemar.seesaa.net/article/16038812.html
●逸話
>逸話(いつわ、英:anecdote)とは、世間や世人にあまり知られていない興味深い話、世人の目から逸した(逃れた)話のこと。特定の人物や物事に纏わる興味深い話として逸話が語られることが多い。同義語としてよくエピソード(注・和製英語:episode)が用いられる。
そうなのですが・・・
④関係者の証言などから事実である可能性が高いものの、確実な証拠が得られないため「事実ではない可能性がある」として紹介される話です。
逸話が真に真実である可能性はどのくらいなものなのでしょうか? 私には1%ぐらいが関の山かと
思うのですが、如何でしょうか? そうすると、事実の可能性があるとしても、ほぼそれは虚偽である
と考えて逸話を聞いた方がよいと思うのですが・・・(嘘と思って、逸話を聞いていてもおもしろく
ありませんが・・・)
いずれでもありません。
強いてあげるなら、その人となりを説明するのに都合のいいエピソードであり、真実かどうかは
問題としない。
二つほどあげましょう。有名な毛利元就の三本の矢は古くから事実ではないと考えられていました
が、跡継ぎの毛利輝元を叔父である小早川隆景や吉川元春が支えたことからあってもおかしくないと
今でも伝えられています。
上杉謙信は義のために戦ったとされていますが、最近の研究では他国に侵略したのはその土地に
住む農民を捕らえて奴隷として売るためで、そのため戦いに勝利してその土地を占領しても維持
できず、放棄せざるを得なかったから越後の領主で終わったとされます。
逆に山本勘助は長い間、想像上の人物とされていたものの、最近実在の人物であったことを証明
する文書が発見されています。
ここまで言い切って頂くと、返って爽快です。
逸話=逸脱した話
つまり。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&dname=0na&dtype=0&stype...
枠から外れた話。
本筋から外れている話
まあ、そうなんですけど
> 実際には、逸話とされる事柄の99パーセントが実際には無かったことなら、逸話と言われても全く面白く聞けない。
そんなこと言ってたらドラマだってSF映画だって、全部全く面白くないですよ。
例えばそれが99%嘘と分かっていたとしても、
そういうエピソードが後々言われるようになるくらい○○な人物だ、というように、
その人物の特性をうまく表すのが「逸話」なんですよ。
これは人物でなく物体や場所に関する逸話であったとしても同じですよ。
その物体や場所の特性、イメージなどをうまく表現したものが「逸話」です。
よって、逸話は全ておもしろいものだとは限りません。
おもしろくない逸話もありますし、すごく興味深い逸話もあります。
(例)
清純派のみんなに好かれる女性芸能人がいたとして、
「あの人は一般人には清純でいい人というイメージを持たれているが、業界関係者の間では性格が悪いと有名だ。
彼女のそんな黒い部分を表す逸話として次のようなものがある。
ある若いADがお茶を楽屋まで届けたときのこと。誤ってそのADはお茶をこぼしてしまった。
すると彼女は番組プロデューサーを呼び出し、今すぐそのADをクビにするように命令したというのだ。」
その事件に実際に関わった人がはっきりしており、彼女も実際にあったことだと認めているならこれは「逸話」とは言いません。
エピソード、もしくは事件などのように表現されると思います。
しかし、誰もこのことが本当にあった出来事なのかどうか確かめる術がなく、真偽の確認が出来ていない場合、これは「逸話」となります。
冒頭で「その人物の特性をうまく表す」と言いましたが、一般人からするとこの話は全く彼女をうまく表していません。
なぜなら業界人の間で有名だという彼女の本性を知らないからです。しかしこれは「逸話」です。
一般人はこの話を聞いたとき、
「そ、そうなのか。彼女は本当はそんな人なのか・・。いやまてよ、この話が本当だとは限らない。本当はどっちなんだ!?」
となります。
これも「逸話」だからそう思うのです。これが「エピソード」だとすると、既にこの出来事が起きた裏が取れており、信じるしかないものになります。
ただし、業界人にとってもこれは「そこまでひどいことはしないだろう」と思われる事態です。
そのため「恐らく嘘だろう」「99%嘘だろう」と思われることになります。
しかし、ほぼ嘘だとは分かっていても、
彼女なら“もしかすると”そういうことをするかもしれないというくらい彼女の性格の評判が悪かったとします。
そうすると、この逸話は業界人にとっては「その人物の特性をうまく表す」逸話となります。
これが「99%嘘」という逸話の例です。
つまりここでいう99%とは、誰かが確認したわけではなく、そういった文献が残っているわけでもないので証拠はないが、
(残っていたとしても、それが証拠として示されるほどの信頼おけるものではない場合も)
誰も確認していないだけで、その人物(物体、場所など)ならそういったことが実際起こっていてもおかしくはない、
という意味です。
私は逸話という言葉は99%だけでなく、「100%」嘘の場合でも使われると思っています。
上記の例の場合、彼女が実在しており、現存する人物なので「99%」となりますが、
例えば聖徳太子などのように、その存在自体も逸話になっているような人物の場合、
100%嘘というような「聖徳太子は12人の話を聞き分けることが出来る」などのような話を作っても、
「それくらいすごい人というのを表そうとする話なんだな」と嘘と分かった上でその逸話の意図を汲み取ることが出来るので、
おもしろさはなくとも、説得力のある話となります。
(まぁ聖徳太子の例は100%嘘と思っている人と99%嘘だという人は別れるかもしれませんが)
あと、コメント欄まで口だすのもあれですが、
>99%と100%はほぼ同じです。
「98%と99%」は同じようなもんだと思いますが、「99%と100%」は結構違いますよ。
「100%」や「99%」というのは数学的な意味だけでなく、日常で使う“言葉”になってますからね。
100%の場合は「絶対」「確実に」などの意味になりますが、
99%は「おそらく」、「たぶん」、「ほぼ」などのような意味になりますよね。
よって「99%と100%は違う意味で使われる」というのが世間的な解釈だと思いますので、
今は同じだと思っておられたとしても、今後考えを改められた方が良いと思います。
テレビやラジオでこんな逸話があると紹介されたとき、逸話を紹介するアナウンサーもそれを聴取する
リスナーも逸話という言葉について同じ認識であれば問題ないと思います。
話す方は、真偽の確認されない話であるという認識で話しており、聴取者はそんな事実があったのかと
いう風に聞いているのでは問題だとおもいました。また、その逆もあるでしょう。このあたりが悔しかったので質問を行いました。皆さん、ありがとうございました。
本当にあったことなのか、本当は無かったことなのか、それが解らないと逸話が面白くなくなる。
実際には、逸話とされる事柄の99パーセントが実際には無かったことなら、逸話と言われても
全く面白く聞けない。