私は、論理的であることもまた感情的であることであると、しばしば思うのですが。
論理系って、まず自明な事柄があって、そこから一定の規則に従って構築されていくものです。人間の場合、その自明な事柄って、感情だったり衝動だったりすると思います。
例えばケンカ中の彼女は一見すると非論理的な言動であなたを攻撃してきますが、実は彼女の行動は「とやかく言わずにとりあえず謝って欲しい」という直感的な感情から、彼女の行動ルールに従って導かれたものであり、それはそれで論理的なんだと思います。
すくなくとも私は、論理もアプリオリであると考えています。ただ、その発現の有無というか濃さというか、が違うのかなと。あ、それって結局、アポステリオリって事なのかな・・・?
一見感情的に見えても、というか実際感情的だけど、論理的一貫性があるがゆえに太刀打ちできない、という事は良くありますね。
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論理系って、まず自明な事柄があって、そこから一定の規則に従って構築されていくものです。人間の場合、その自明な事柄って、感情だったり衝動だったりすると思います。
例えばケンカ中の彼女は一見すると非論理的な言動であなたを攻撃してきますが、実は彼女の行動は「とやかく言わずにとりあえず謝って欲しい」という直感的な感情から、彼女の行動ルールに従って導かれたものであり、それはそれで論理的なんだと思います。