司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいます。
(日露戦争について、この小説以外の知識はありません)
司馬遼太郎は、乃木希典を(人格的には優れているものの)バカで戦争下手と描いています。
指揮官が乃木希典以外の優秀な人間だったら、旅順攻略や203高地で日本側の被害ははるかに少なくてすんだと
司馬遼太郎は言っていますが、本当なのでしょうか?
また、203高地を陥落させたのは、満州軍総司令部からやってきた児玉源太郎が
乃木から指揮権を奪ってやったことだということになっていますが、
本当なのでしょうか?
資料が残っていないので、純粋に戦略面の観点から見直してみると、乃木は特に無能という訳ではなく、普通の将であったといえるでしょう。
犠牲が増えたのはむしろ中央からの要請による、無理な要求が原因であったようです。
市街戦で高地を奪うのは常道ですが、二百三高地を奪うのは小説にもあるように、旅順艦隊を壊滅させたい海軍側からの要請で、乃木は旅順を先に落としてしまえば勝手に落ちると、考えていたようです。
二百三高地攻略の指令が来るまでは、旅順を攻撃し、一応の成果を上げていたようです。
しかし、二百三高地を攻めるとなれば、旅順側の包囲も解くわけには行かずニ方面作戦になります。
この時点で味方側から不利な戦いを強いられているのは明白です。
更に当時も今も、低地から高地を攻めるのは困難なものです。
上からは下が丸見えで、銃や大砲の格好の餌食です。
乃木でなくとも多くの犠牲は出たでしょう。
小説中にも汽車で旅順に向かう児玉に、二百三高地の一時的な占領が出来たという知らせが来ます。
これを考えれば既に児玉の到着以前に周辺の大半の攻略はできており、後は戦地によくあるような、敵味方の押し引きの状態であったとも理解できます。
そうだとすると児玉の到着直後に完全な占領ができても、特に不思議はありません。
児玉もここまで来ているならと、乃木に任せて視察だけで済ますのが軍隊組織の上からもまともな感覚でしょう。
司馬氏は小説の中で一方の英雄を賞賛するのに、今まで偉人とされてきた人を貶めるような手法を良く使います。
空海の風景では、空海の性格に問題があるような描写で、最長に同情が集まるような書き方をしたりしています。
そのように書く事で、読者に義憤といったものを感じさせ、小説に感情的な賛同感を持たせるようです。
これを事実と思う者は既に司馬氏の術中に嵌っていると見るべきでしょう。
小説は作者の説を述べるから小説であり、歴史的な事実とは違うものです。
その辺を考えて読まないと、小説の描写を事実と思って吹聴すれば恥をかく恐れもあるかもしれません。
本当らしいですよ。
高校の世界史の先生(旧海軍士官)が授業で、二百三高地は、馬鹿みたいな例だといってました。
兵站無視(これも日本陸軍の悪しき伝統といってましたっけ)で総攻撃しか能がなかったそうです。それを何度も繰り返す。
ここからは私見ですが、ひょっとしたら、天皇陛下のために国民はどんだけ死んでもいいと思ってたのかも知れないですね。ご本人も殉死しましたしね。
ありがとうございます。
旧海軍士官の方のコメントであれば、信憑性を感じますね。
その先生も「坂の上の雲」を読んでいて、影響を受けているということも考えられますが、
旧海軍士官という経歴の方が一編の小説だけで歴史観を作られたというのも考えにくいと
思います。
総攻撃しか能がなかったというのは、乃木に限らず、(児玉のような一部の天才を別として)
日本陸軍の一般的な将軍であれば皆同じだったのではないかという気がしています。
つまり乃木希典は、児玉源太郎のような将軍と比べれば能力は劣っていたけれども、
当時の日本陸軍の平均的なレベルには十分達していたのではないかと・・・
あくまで私見なのですが。
乃木が将軍であったために、児玉が将軍であったとしたら払わなくていい犠牲を
多く払ってしまったのは事実かもしれないけれど、それは乃木ひとりを責めるべきものではなくて
当時の日本陸軍の実力そのものであったのではないかという気がします。
瞬時に何百人もが殺されることがわかっていて、機関銃にむかって「突撃!」と言われる
兵士のことを思えば「無能!」とののしりたい気持になりますが。
以下児玉源太郎 - Wikipediaより引用。
日露戦争のために新たに編成された満州軍総参謀長をも引き続いて務め、旅順攻囲戦においては、満州軍総司令官大山巌の承認を得て第三軍司令官乃木希典大将の指揮権に介入し、作戦を成功に導いたとされる。しかし、旅順陥落直前に督戦に訪れたことは事実であるが、児玉の指揮権介入を事実として証明する一次資料は存在せず、また、このエピソードが広く知られるきっかけとなった司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』以前に、そのような経緯を記した信頼に足る記録も見出せない事から、司馬の創作であるとする意見がある。ただ、軍司令官の指揮権に介入することは違法であるからそれを証する一次資料が残っていれば児玉は軍法会議にかけられていたはずであり、彼が指揮権介入を証する一次資料を残させなかったと考えるのが妥当である。さらに、児玉ほどの戦略家が最前線に観戦に来ただけというのも考えにくく、また彼が来た直後にそれまで難攻不落だった203高地がいとも簡単に落ちていることなどの状況証拠から、たとえ司馬遼太郎の推測による創作だったとしても、その推測は正しいと考えられる。
明確な証拠は無いが、状況からみて児玉源太郎の功績であり、乃木は無能だったという事のようです。一般的に指揮官に要求される能力は重要度順で[ 戦略、戦術、人格 ]となり、乃木は人格的には優れていたとして擁護する声も有るようですが、最前線の兵士にとってみれば、命がかかっているのですから、勝てるかどうかが最重要問題で有り、[ 戦略、戦術 ]が最も重要です。人格などは有った方が良いという程度の物でしょう。( まあ、平時なら人格の方が重要でしょうが... )
ありがとうございます。
Wikipediaのこの項は、私も読んでいました。
児玉が指揮権を一時奪って、、、の信ぴょう性についての議論は
これだけの状況証拠で「正しいと考えられる」と結論を出していいものか
少し疑わしい気がします。
今までやみくもに「突撃!」の一辺倒だった乃木司令本部も
散々辛酸をなめたあとで(児玉に指揮権をゆずらなかったとしても)
今までの攻撃方法を変えて、勝ちに行ける戦術を知恵を絞って考えたということも
考えられると思います。
しかし、作戦そのものが今までの乃木軍では到底考えられない劇的な変化をしているとしたら
指揮権の全権をゆずったかどうかはともかく、児玉の介入が大きく影響していると
考えてよいかなと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E5%9B%B...
ウイキペディアですが、比較的詳しく事情が書かれています。
乃木将軍を擁護する立場も根強く存在します。
たとえば、旅順要塞攻略は日本軍が今まで経験したことのないものだったのは間違いありません。(このへんは司馬遼太郎も指摘していたともいます)そのため、乃木将軍が優秀だったかどうかはともかく、乃木以上に適任な(要塞攻略に経験が深い)将軍はいなかったともいえます。
また、児玉源太郎が乃木から指揮権をうばったという明確な証拠(文書)は実はありません。
さらに、児玉源太郎が来てからわずか4日後に旅順が陥落したのは事実ですが、指揮権を奪って新たな作戦をたてて旅順を攻略したにしては、時間が短すぎるという見方もできます。
もっとも、個人的には決死隊(いわゆる白襷隊)のような、後の特攻隊に繋がるような作戦の立案など、あまり乃木将軍の能力を評価していません。(人格的には尊敬する人がほとんどで、それには異論がないのですが)
ありがとうございます。
Wikipediaのこの項は、私も読んでいました。
> 乃木将軍が優秀だったかどうかはともかく、乃木以上に適任な
> (要塞攻略に経験が深い)将軍はいなかったともいえます。
この意見に共感を覚えます。
乃木が戦場の現場を指揮する将軍として、飛びぬけて優秀でなかったのは間違いないと思いますが、
現代人の歴史観に大きな影響力をもつ司馬遼太郎の作品で、あそこまでクソミソに書かれるのも
あまりフェアではないような気がします。
> もっとも、個人的には決死隊(いわゆる白襷隊)のような、
> 後の特攻隊に繋がるような作戦の立案など、あまり乃木将軍の
> 能力を評価していません。
ここも同意したいです。
少なくとも現代人の感覚からすれば、死ぬとわかっていて、なんの戦果も得られないようなところに
多数の兵士を送り込んだというのは、憤りを感じるし、その無能さにイライラします。
> 人格的には尊敬する人がほとんどで、それには異論がないのですが
悪いやつで人に迷惑をかけるやつよりも、すごくいい人で人に迷惑をかけるやつというのが
一番始末が悪いかもしれませんね。
司馬遼太郎の小説に出てくる乃木希典は、
幕末は、おとなしくかつ、従順な人であまり頭がよくないようにかかれてますね。
そして、死んだということで、英雄にされたというように書かれています。
この時代の話は、かなり隠蔽されてしまっていることが多いので、
(坂本龍馬の薩長同盟の話も、いろいろ後で脚色されていることが多いそうなです。)
本当かどうかは、いろいろなところで論議をかなりされているようです。
乃木無能論は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」から大きく取り上げられるようになったと聞きます。
まぁ、それは、いろいろな人を死なせたという記録は残っているようですので、
いい印象を与えてなかっただけなのかもしれません。
ちなみに、児玉源太郎が乃木から指揮権を奪ってやったと証明する一次資料は
存在していないそうですので、本当かどうかわからないそうです。
※ 司馬遼太郎の小説は、おもしろおかしくするために一部空想が入っていることがあります。
あっ、私は、司馬遼太郎の大ファンですので批判してはいませんので、悪しからず。
以上。
ありがとうございます。
私も司馬遼太郎の大ファンなのですが、冷静に考えて、確かな資料が絶対に残ってる
はずのないようなことも真実らしい空想で描かれているので
うっかり信じそうになる自分にブレーキをかけることがあります。
まあ、だから面白いんですけどね。
乃木希典以外の人物が指揮を執ったとしても人命損耗などの結果は変わらない、という見解に同意します。満州方面についても同様なのですが、日本陸軍は基本的に重砲に関してはロシア軍に劣っていました。これは戦前の想定が甘かったと言う事でもありますし、当時の日本の工業力の低さに起因する事でもありました。要塞の攻略に際しては当然要塞を崩す事のできる重砲が決定的に重要なわけですが、第三軍にはそれが不足していました。軍艦や国内の重砲を寄せ集めて第三軍に送る辺りから、戦況が変化します。
と言う事なので、旅順攻略に時間と人命が浪費されたのは、司令官の指揮の問題であると言うよりは戦備を整える後方(陸軍省及び大本営)の問題であったと言うこともできると思います。なお、この辺の事情については、最近出版された山田朗『世界史の中の日露戦争』(吉川弘文館、2009年)が詳しいです。
なーるほど!
現代の目から見れば、司令官の問題が目につきますが、
そもそも根本的に大本営の戦略に問題があったというのは
非常に納得できますね。
ありがとうございます。
資料が残っていないので、純粋に戦略面の観点から見直してみると、乃木は特に無能という訳ではなく、普通の将であったといえるでしょう。
犠牲が増えたのはむしろ中央からの要請による、無理な要求が原因であったようです。
市街戦で高地を奪うのは常道ですが、二百三高地を奪うのは小説にもあるように、旅順艦隊を壊滅させたい海軍側からの要請で、乃木は旅順を先に落としてしまえば勝手に落ちると、考えていたようです。
二百三高地攻略の指令が来るまでは、旅順を攻撃し、一応の成果を上げていたようです。
しかし、二百三高地を攻めるとなれば、旅順側の包囲も解くわけには行かずニ方面作戦になります。
この時点で味方側から不利な戦いを強いられているのは明白です。
更に当時も今も、低地から高地を攻めるのは困難なものです。
上からは下が丸見えで、銃や大砲の格好の餌食です。
乃木でなくとも多くの犠牲は出たでしょう。
小説中にも汽車で旅順に向かう児玉に、二百三高地の一時的な占領が出来たという知らせが来ます。
これを考えれば既に児玉の到着以前に周辺の大半の攻略はできており、後は戦地によくあるような、敵味方の押し引きの状態であったとも理解できます。
そうだとすると児玉の到着直後に完全な占領ができても、特に不思議はありません。
児玉もここまで来ているならと、乃木に任せて視察だけで済ますのが軍隊組織の上からもまともな感覚でしょう。
司馬氏は小説の中で一方の英雄を賞賛するのに、今まで偉人とされてきた人を貶めるような手法を良く使います。
空海の風景では、空海の性格に問題があるような描写で、最長に同情が集まるような書き方をしたりしています。
そのように書く事で、読者に義憤といったものを感じさせ、小説に感情的な賛同感を持たせるようです。
これを事実と思う者は既に司馬氏の術中に嵌っていると見るべきでしょう。
小説は作者の説を述べるから小説であり、歴史的な事実とは違うものです。
その辺を考えて読まないと、小説の描写を事実と思って吹聴すれば恥をかく恐れもあるかもしれません。
すごい!素晴らしい洞察ですね。
「坂の上の雲」で司馬遼太郎が述べている見方よりも mododemonandatoさんの見方の方が、
「坂の上の雲」の中で紹介されている事実や状況と一致するような気がします。
司馬ファンの私としては、小説の面白さにグイグイ惹きつけられながらも、
小説の中での乃木軍の扱いというか見方に、何か釈然としない違和感があったのですが、
mododemonandatoさんの意見を聞いて、すっきりした気がします。
ありがとうございました!
『馬鹿に将軍は勤まらないし、かといって天才が幅を利かせる程、戦争は原始的でもない』とかなんとか言ってた人がいたなぁ
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/nogi.htm
乃木将軍についてはリンク先がよくまとまってるんで読んでみてください
児玉総参謀長の指揮権委譲については残念ながら明確に答えてくれる史料は見つかっていません
もっとも児玉総参謀長が旅順に到着したとき203高地の攻防戦はすでに始まっており、軍事的な常識に従うならばこの時点で軍司令官にできる仕事はほとんどなく、どちらが指揮を執ったところで結果は変わらなかったと思われます
「坂の上の雲」が発表された当時、世間での乃木将軍の評価は『軍神』でした
その世の中に「乃木は無能だ!」って話を演出して読者を魅了する。そこが作家としての司馬遼太郎の巧みさなんですね
でもどんなに優れていても小説は小説、歴史じゃない。歴史を知りたければ他の質問のコメントで紹介したような史料を、できれば一次史料を読みましょう
あと私個人としては乃木将軍のことはそれなりに評価しています
歴史を紐解けば決戦に間に合わなかった戦力は数知れず存在します
でも第三軍は間に合った、遼陽には間に合わなかったけど奉天には間に合った、乃木将軍は間に合わせた
それだけでポイント高いですよ
ありがとうございます。
リンク先にあった説明は非常にわかりやすく、
「坂の上の雲」には「事実ではないこと」が事実であるように描かれているということがよくわかりました。
乃木希典は、「軍神」と呼ばれるほど優秀な指揮官ではなかったかもしれないけれど、
「坂の上の雲」で受けている(そして多くの日本人が信じている)ような
ひどい将軍ではなかったのですね。
みなさんの意見をいろいろ教えてもらっているうつに、
今の日本での乃木の評価はあまりに悪すぎ、
子孫の方々にもあまりに失礼なのではないかという気がしてきました。
今度NHKで「坂の上の雲」がドラマ化されるということで、
私も期待しているのですが、こういう事実に反することについては
たとえ原作とちがっていたとしても何がしかの配慮があるといいなと思います。
すごい!素晴らしい洞察ですね。
「坂の上の雲」で司馬遼太郎が述べている見方よりも mododemonandatoさんの見方の方が、
「坂の上の雲」の中で紹介されている事実や状況と一致するような気がします。
司馬ファンの私としては、小説の面白さにグイグイ惹きつけられながらも、
小説の中での乃木軍の扱いというか見方に、何か釈然としない違和感があったのですが、
mododemonandatoさんの意見を聞いて、すっきりした気がします。
ありがとうございました!