結局仏陀は何て言ってたのか?



本を読んでいると、仏陀は死後の世界なんて知らないと答えたと書いてありました。
後世の人が付け加えた言葉を省くと、結局仏陀は最初どんなことを言っていたのでしょうか?

高校生にわかるくらいの説明でお願いします。

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  • 終了:2009/07/20 08:00:02
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回答3件)

id:castle No.1

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12

ポイント27pt

「死後の世界なんて知らない」は儒教の孔子のほうじゃありませんか? いまだに生のことすらわかっていないのにいわんや死をや(どうして語ることができようか)、という訓話では。

 

仏教の仏陀でしたら、多分、「生病老死すぎて生きるのが辛い」という教えだったかと。

生きるのマジぱねぇっす(四苦八苦) → でも生は死んでも生まれ変わって永遠に続くという…(輪廻転生) → 早く悟ってこの苦しみの連鎖から抜け出さなければ(解脱) → 昼寝してたら俺悟ったよ!(涅槃)

という流れだったと思います。

とにかくまあ生きていることは辛いことなんで、この生きる苦しみをどげなせないかんという考え方が仏陀の出発点になっているらしいと聞き及んでおりますが、実際のところ仏陀本人がなんと言っていたかについてはタイムマシンで大昔に遡り直接仏陀に聞かないとなんともいえませんか。書物や言葉というものは、その弟子や教団を通して年々編集を重ねられながら後世に伝えられるメディアなのだそうで。

 

http://www.ijournal.org/world/buddism.htm

id:garyo

>「死後の世界なんて知らない」は儒教の孔子のほうじゃありませんか? いまだに生のことすらわかっていないのにいわんや死をや(どうして語ることができようか)、という訓話では。

立ち読みした般若心経の解説本に書いてありました。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10020436357.html

ところが一方、宮元啓一『ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ』(2004年、春秋社)には、次のような文があります。

「ゴータマ・ブッダは輪廻説を否定したとする、ときどき忘れたころに出てくる『論文』では、かならずといってよいほど、仏典で輪廻を説いている箇所はあるが、それらはみな後世の付加によるものであるという文言が入る。これは、絶対に批判は許さないという『論文』なのであり、ゆえに学問性、知性が完全に欠如しているのである」(はじめに)

まあ、これは聞きたいことの本筋ではありませんが。


>書物や言葉というものは、その弟子や教団を通して年々編集を重ねられながら後世に伝えられるメディアなのだそうで。

できるだけ、原始に戻った時の話が聞きたいですね。 

2009/07/13 08:53:01
id:kn1967 No.2

回答回数2915ベストアンサー獲得回数301

ポイント27pt

中部経典第63経あたりの話だと思いますが、

「知っているとも知らないとも応えておられない」ですね。


とは言え、この経典作成や写本等に際し、後世の者が手を加えていないとも、また、

手を加えているとも、誰も証明できませんから、そこには可能性だけが残されて、

「知っているとも知らないとも応えなかった可能性が高い」という所まででしょうか。



余談になりますが、

宗教系の話は、言葉の微妙な解釈の違いで時に大火事に発展する事がありますので、

出来るだけ「xxによればyy」という具合に出典を併記なさる事をお勧めします。

id:garyo

ありがとうございます。

知りたいのは仏陀の死生観ではなく(それも含めて)仏陀が最初に唱えた仏教はどんなものだったのかという質問です。

2009/07/13 09:03:25
id:buppou No.3

回答回数31ベストアンサー獲得回数0

ポイント26pt

それは今は真の正しい仏法者がいいないから誰も答えられないでしょう。何故正しくないというかそう主張するにはわけがあります。

釈尊は最初、自分が説く『法』は宗教ではないといったからでそれは以下の毒矢経にもありますが、この経が説かれてから神や霊魂を話さない人が仏法者とされたのです。

毒矢経   骨子

ある人が釈尊に問いました。

「世界に果てがあるのかないのか 霊魂と身体は同一か同一でないのか 死後の世界は存在するのかしないのか 」

それに対して釈尊は次のようなことを言って諭した。

「譬えば、ある人が毒矢に射られたとする。 

すぐに医者にかかり、治療しなければならないだろう。

ところが手当てをしなければならない人に向かって、待て、私は知りたいのだ。

一体この毒矢を射た人は誰か、どんな名前の人か? 身長は、どんな顔の人で、

どこに住んでいた人か? どんな弓で射たもので、どんな矢じりがついていたのか?

それらが解らないうちは、矢を抜かないでくれ。

と言うならば、その手当てをしなければならない人はわかってしまう前に毒がまわり死ぬであろう。」 

「それとおなじで 霊魂と身体は同一か そうでないか人間は死後も存在しているのか 

そのような問題に答えたところで私達の人生の解決にはならない。

そのようなことがはっきりしたら修行すると言うのは正しくない。 

私たちの老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてある。 

私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説く。」 

http://blogs.yahoo.co.jp/dionysion_888/32655076.html

今現在全ての仏教宗派全てが、全て、上記のHPでさえ天使や十字架を書いているのです、神や霊魂の話をしているではありませんか。霊や神は因果=原因と結果の法則が当てはまらにから話しをしないのです。因果とは当たり前のことです。

当たり前のことを当たり前にする。仏法とは簡単に言えばそれだけです。

id:garyo

ありがとうございます。

毒矢経の例えは判りやすいですね。

私たちの老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてある。 

私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説く。」 

これについてどんなことを言っていたのか知りたいですね。

2009/07/14 10:32:51
  • id:kn1967
    >できるだけ、原始に戻った時の話

    タイムマシンがある訳でもなく、
    それは無理な話なので、私の回答は開かないでください。
  • id:garyo
    どっちかというと宗教の質問ではなく仏陀の伝記の質問みたいな感じです。
  • id:rsc96074
     こちらは参考になるでしょうか。どうやら、沈黙で答えたようです。
    ●仏教のアートマン(永遠不変の魂)否定
    >無我の思想 --- 第二章 ブッダの沈黙 ---
    (1)ブッダの沈黙
    http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/muga-t.htm

  • id:garyo
    rsc96074さん、ありがとうございます。
    >>
    第三章 ブッダの主張

    人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。アートマンについても、死後においても生残るなどという形而上学的空想問題としては沈黙を保ちましたが、経験や知覚の世界の問題としてはアートマンに関して明確に無我の主張をしました。
    <<


    上記の中の以下の部分について知りたいです。高校生にも分かるような言葉で。
    >>
    人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。
    <<
  • id:hiko3karasu
    http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%BB%8F%E6%95%99-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A7%8B%E6%9C%88-%E9%BE%8D%E7%8F%89/dp/4061597787/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1247461791&sr=1-1
  • id:garyo
    hiko3karasuさん
    面白そうな本を紹介頂き、ありがとうございます。
    ただ書籍でなくどこかネット上にある情報でお願い致します。
  • id:garyo
    >本を読んでいると、仏陀は死後の世界なんて知らないと答えたと書いてありました。
    質問の趣旨は上記に対する質問ではなく、
    仏陀が生きている頃に直接弟子に言った教えが知りたくて質問しました。


    つまり、現在では仏教というと仏や浄土、極楽が出てきますが、
    仏陀の頃まで遡ると、そんなことは言っていないらしいので
    最初はどんな教えだったのか知りたくなりました。
  • id:pascal7
    極楽浄土等を言うのは大乗仏教です。
    つまり、後期に生まれた物です。
    オリジナルは上座部仏教(じょうざぶ ぶっきょう)と呼ばれ
    スリランカ・ミャンマーなど南方に現存します。
    南方仏教とも呼びます。
    小乗と言う言葉は、大乗の人たちが自分たちは多くの一般人を救うのを目的とする偉大な仏教だか
    あなたたちは、自分だけ救われようとする。小さな考えの仏教だと言うので呼んだ呼び方で
    蔑視を含んでいます。
    .
    (知識の元はNHKの市民大学です。大きな図書館に行くと教科書が残ってるかも)
    オリジナルは、ユダヤ教キリスト派のように、ヒンズー教仏陀派として生まれました。
    当時多くの分派か発生しましたが、現存するのは数派だけたと思います。
    ジャイナ教は生き残っています。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99
    ヒンズー教の方では仏教をヒンズー教の一派と考えます。
    .
    上座部仏教は、自己の解脱を目標とします。
    仏陀自身は死後の世界につき全く言っていないと思います。
    仏陀以降の上座部仏教では、輪廻の輪がら解脱することが目的になると思います。
    極楽と言うのは輪廻の一部で、極楽にいくと言うのはシステムに縛られたままだと思います。
    .
    日本の仏教と違う部分をあげます。
    1.葬式を取り扱いません。
    2.肉食は、厳禁ではありません。
     あなたのために殺された肉を食べてはいけないとなっています。
    3.現実主義者です。
     初期には、大量殺人犯でも許し仏教徒としましたが。
     政治権力(王様とう)から苦情がきた後は、勝手に許さないことにしました。
    4.厳しい修行はしないと思います(滝行とか)。
    5.来世のことは言いません。
     現世で修行をして解脱することが目的なので
     来世は言いません。来世があるということは輪廻の輪にとらわれたままと言うことです。
    こんな感じですか?
  • id:garyo
    pascal7さん
    ありがとうございます。
  • id:rsc96074
     実証できないあやふやな前提に基づく議論は無意味(肯定することも否定するもことも不可能)だからしない。ということかも?
  • id:garyo
    rsc96074さん
    そうでしょうね。
    その上で
    「私たちの老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてある」
    こちらの方は主観的ですが、観測可能です。
    どうすれば
    「私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説く」
    と上記を超えることができると、仏陀が言ったのか知りたいですね。
  • id:rsc96074
     悟りに達すればそのようなことは気にならなくなるであろう。とのことで、悟りの境地に至るために修行に励めということでしょうか。悟りの境地に至ると、「9 『ウダーナヴァルガ』」のような考えを受け入れられるようになっているのかも。(^_^;

    ●釈尊(ブッダ)の言葉
    >8 毒矢の例え
    >悟りに達すればそのようなことは気にならなくなるであろう。」   中部経典第63経
    >9 『ウダーナヴァルガ』より
    まことに、この世において、怨みに報いるのに怨みをもってすれば、ついに怨みのやむことはない。堪え忍ぶことによって怨みはやむ。これは永遠の真理である。怨みは怨みによって静まるようなものではない。怨みの心は怨みの無いことによって静まる。怨み続けていると、いろいろなことが次々に現れてくるが、それは結局私たちのためにならないことは明らかである。だから、物事の道理を知る人は怨みを捨てる。
    http://members.jcom.home.ne.jp/khiroaki/buddhism/buddha.htm

  • id:garyo
    釈尊(ブッダ)の言葉拝見しました。
    色々仏陀の述べられたことが解説付きで書いてありわかりやすいですね。
    ありがとうございます。
  • id:kmond2
    「私の回答は開かないでください」と書いている人にはポイントを付けなくてよいでしょう。
    「タイムマシン」とか意味不明の発言をしていますし。
  • id:buppou
    どうすれば「私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説く」と上記を超えることができると、仏陀が言ったのか知りたいですね

    書いた当人として究極を答えます。口伝ですので既成の全ての仏教者の知らないことで、経文にはあります「唯仏与仏」。(初めて公開します)

    仏と同じになることです。仏と同化することです。科学で共鳴を習ったでしょう。原理はそれと同じです。仏と共鳴させるのです、それが唯仏与仏。

    そうすると仏と同化します。

    問題は同化した後です。仏と同化した後はこの方法を『化衆生』することです。

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