みんな一所懸命生活し、生きることに時間を費やしていますが…
生物の本能とは言え、人として生きていくことがそんなに幸せな事だとは思えません。
だから、心から自分の子孫を残したいとも思わなくて…
私が不幸だからそう思っているのではないのです。
自分で言うのもなんですが、私は今までにたくさんの人から愛され、
完璧ではないですが優しい夫と結婚し、
不自由のない生活を送り、仕事もほどほどに趣味を楽しんでいます。
それでも、周りの世界を見ていると…
そこら中に幸せも不幸もあるけれど、
何だかそれを超えて全てが悲しいというか虚しくて。
夫は子どもをほしがっていますが、ただ楽しい希望だけを抱いて子どもをつくる気になりません。
きっとこれからも環境に合わせて楽しく生きることはできると思いますが、
何だか得体の知れない歯車にはまっているような違和感のような気持ちが何年も消えません。
変な内容の質問ですが、その気持ちの原因ってなんなんでしょうか。
実感がないような、それなのに楽しい事もあるけど面倒なことも多い世界で生きていて…
別にどっちでもいいけど、正直、いつ死んでも悔いはありません。
今も十分幸せだし…
最近、危険度を伴う趣味を好むのは、生きている実感がないからなのかなぁと思っています。
最初は仲間と旅行や絶叫マシーン程度だったのが、女一人で海外に行くようになり、終いには廃墟を巡るようになり、だんだんサバイバルや登山といったものに興味を持ち始めました。
もし、子どもが生まれたら”子どものために生きる”という、誰かのために存在する喜びを感じられるかもしれません。
でも、そうじゃなかったら…
「失敗だったし、止めた!」とも言えないですしね。
果たして、この世界にこの命の循環が続く意味はどこにあるんでしょうね。
個人的には、ないとずっと考えてきたのですが。。
最近、祖父が亡くなって、祖父からゆずられた家に引っ越してきたのです。
江戸時代(?)からあるような、ものすごく古い家です。(修理が必要です、汗)
この家には、とても長い家系図があります。
上の世代の人は、自分が残してきたものを子孫が受け継ぐように、と願ってきたのでしょう。
そして、これが自分の代で途切れる、と考えることがあります。
上の世代の人は、生む生まないは、個人の選択の範囲ではなかったのだろうと思います。
子どもが欲しいか欲しくないか、と考えるのは現代っ子の悩みなのかな、と。
私は昔の歴史を知るたびに、現代に生まれてよかったと思っています。
それは何につけ自分で選べる機会が多く、自由度が高い世の中だからです。
でも、ある程度シキタリが決まっていた昔の方が、
悩む余地がない点では楽だったのかもしれない…とも思います。
それに最近では色んな情報や知識がありすぎて、
余計に悩んでしまう辛い部分もありますもんね。
続けることと終わらすこと、どっちが困難なんでしょうね。
余談ですが、私は古い建物が大好きです。
あわよくば、廃墟のように崩れ落ちそうなくらい古いのが味があって好きです。
最近は新興住宅のメルヘンな家が多いですが、
何だかその区画を通るたびに浮いていて落ち着かない気分がしました。
もし、家を選べるなら私は土地に馴染んだ古い家に住みたいですね。
だから、歴史ある建物に住めて羨ましいです。
私は、ふとした瞬間に、「あれ、なんで自分は生きているんだろう」と思うことがあります。
自分自身は、自分の意思と関係なく、この世にひっぱりだされたことに心底納得していません。
もし自分から子どもが生まれてきたら、そんな同じ疑問を抱くのではないか、と考えます。
それと、質問者さんは同じ感覚なのかな、と思います。