過日、北朝鮮で米国人の記者が拘束され、クリントン元大統領が訪朝して、特赦させるということがありました。

米国内での事件に対する評価はどうなのでしょうか。
日本で見ている限り、記者の軽率な行動を非難する論調はあまりないようですが、記者本人、あるいはゴア元副大統領が創設したというメディアは何かコメントしているのでしょうか?
論調は無事で帰って来てよかったという一辺倒なのでしょうか。
以前、日本人がイラクで捕まった際、いわゆる「自己責任」論がかなり出ました。あの感情的な評価にはうなずけないものは多いのですが、今回は性格を異にすると思われます。
取材を生業とする以上、危険な場所に赴くリスクは承知すべきでしょうし、それによって、国益に影響するのであれば、何らかの責任を求められてもやむを得ないのではないかとも考えます。
また、もし北朝鮮に不正な形で入国したのが事実なら、その国の法律に基づき処罰されてもやむを得ないことになります。
あくまで個人の感想や評価ではなく、米国内でのメディアなどの反応を知りたいので、出典を明らかにした上で、ご教授いただければ幸いです。

回答の条件
  • URL必須
  • 1人1回まで
  • 登録:
  • 終了:2009/08/23 12:19:40
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

ベストアンサー

id:maxpower No.1

回答回数522ベストアンサー獲得回数24

ポイント35pt

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1707.html

米国内では、あくまで"個人的な行動"としてのスタンスをとっていると書かれています。

その他の回答1件)

id:maxpower No.1

回答回数522ベストアンサー獲得回数24ここでベストアンサー

ポイント35pt

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1707.html

米国内では、あくまで"個人的な行動"としてのスタンスをとっていると書かれています。

id:winbd No.2

回答回数1050ベストアンサー獲得回数43

ポイント35pt

http://dogma.at.webry.info/200906/article_2.html

【生き地獄の炭鉱労働に米世論は…】

「ならずもの国家」とされるイランと北朝鮮…

今冬、その2ヵ国でアジア系女性記者の拘束事件が発生した。イランでは2月中旬に日系米国人記者ロクサナ・サベリさんがスパイ容疑で拘束された。北朝鮮による2人の女性記者拘束の前の月の出来事だった。

サベリさんは2003年にイランに入国し、3年間は正式に認可を受けた報道機関で業務していた。そしてスパイ容疑での拘束後、革命裁判所で禁固8年の刑を宣告された。



しかし、控訴審では実刑が覆り、執行猶予が付けられて釈放されるに至った。政治的な駆け引きであったにせよ。テロ支援国家=イランには上告が可能な裁判システムが存在したのだ。

一方、非テロ支援国家=北朝鮮で囚われた2人の記者は、平壌中央裁判所という北式の最高裁で裁かれた。判決は一発で有罪確定。そして共産主義特有の労働教化刑である。

おそらく米メディアは、サベリさんのケースと比較して北朝鮮の女性記者拘束の推移を見守りながら、極東の無法国家を直視せざるを得ないだろう。

取材中の報道機関であることが重要なのでしょうね。

この二人はケーブルテレビ局所属の正式な記者でした。

日本でも、ミャンマーで殺害された長井記者はさほど批判されませんでしたよね。


日本で大きく批判されたのは、バックパッカーとしてイラクを旅行中の男性や、フリーのジャーナリストです。

趣味の観光や個人の金儲けのためにそのようなことになったら非難されるのは当然のことでしょう。


現地で医療活動など行っているNPO法人の方が殺されたときも多少は「自業自得」との声があがりましたが、それは本質を理解していない人間だけで、『必要な活動』を行っている『団体』であれば道徳的に考えても批判されることはないでしょう。

  • id:zoology
    すみません。コメントをしたのが、飛んでしまいました。
    お二方ともありがとうございます。
    クリントン氏の行動が相当の配慮だったことは分かりました。
    ただ、一連の問題をたとえば、ワシントンポストとかがどうみていたのか。
    また、結果的に「不法入国」となってしまったことの責任論はあったのか。
    などについて、分かればよかったのですが。
  • id:takokuro
    クリントン元大統領のときに
    B1戦闘機開発予算がかかりすぎるとして
    中止されたが
    実際は、B1戦闘機自体が
    有り得るものでなく
    (ソ連ののレーダーをかいくぐって爆撃する)
    実はその莫大な資金は
    マッカツらに脅迫に手渡していた??
    orマッカツ対策として
    宇宙軍事開発していた・・??
    それをクリントン大統領は
    軍事費をかけて解決するのでなく
    互いに理解、納得で解決する為に
    大統領として北鮮へ出かけた・・??

    その続きを・・
    先だって、元大統領として北鮮を訪問??

    もちろん!
    麻生首相の外交努力の結果でもあるはず・・??



    安氏・・・
    安帝の永初1(107)に倭国王・師升が生口(奴隷?)を
    160人後漢に献上したとし
     魏志倭人伝にはない記述だそうで
     日本最初の王とするそうですが
     マッカツの常套手段として歴史資料や遺跡を
     自分らの都合のいいように平気で改竄するという点で
     この後漢の安氏一族も改竄史??好きのマッカツだったのではないだろうか・・??・・??
     ∵奴隷や遊郭や女工等々・・!という感性は・・・
      搾取することで豊かさを自分にだけ集めてきたマッカツ文化が作ったもの(→資本拡大の追求→巨大資本主義→政治も資本で動かす独裁社会)で
      倭国の文化にはない思想、むしろ、アンチ大自然哲学として
      『不浄』として忌み嫌ってきた思想・・?!?
      マッカツ勢力に断固として!対抗してきたのが真性カトリック(ソクラテスやプラトンら古代ギリシャ、古代ローマ帝国、真性カトリック教会、英国教会、ユダヤ人、GHQアメリカ・・)であり
      マッカツらに最初に蝕まれた中国の周は
      実は、それらと協力、サポートし合っていた周(戎マッカツに襲われ
      洛陽に遷都して東周ができ、
      マッカツ勢力との戦国時代『春秋時代』(春も秋も結局はマッカツ同志で
      彼らが内部分裂を起こさせ、
      結局、内部抗争させ、弱体化させている・・
      本当は・・!マッカツに一致団結して戦うべきですのに!
     世襲議員であり、会社経営もされた麻生首相は
     マッカツの戦略にのらないように味方陣営を
     組織できる角栄さん以降、初めての政治家??・・??
     しかも、角栄さんよりも上手なのは
     国際協力関係もつくることができる点で
     マッカツの謀略(宇宙兵器と天災兵器と巨大資本力で世界独裁計画?)に切り込んだ相当な智将・・??

     本格的抵抗をしたアレキサンダー大王に
     ソクラテスやプラトンの指示をうけていたマケドニア王フィリップⅡが側近として息子にゆずった智将のような感じ・・??
     アレキサンダーは
     母の愚かさをも受け継いでしまっていたので
     一見、自分の意のままに動いてくれる美しいマッカツ女性を
     九の一だとは思わずに妻にしてしまい・・
     麻薬や美酒で朦朧としてるときに
     洗脳され・・??・・??
     マッカツらペルシャの見かけ(上下関係を明確にした上へのへりくだりった迎合、お世辞、オベッカ使いに有頂天になって
     言いなりになる軍隊での規律正しさや洗練された見かけ)に
     感服し、
     父王時代から受け継いだローマ軍の伝統的な
     一人一人が国家を思うプライドにかけ
     良きと思うことを民主的に心に思うことを議論しあうという
     実は,最も人間を有意義に活性化させるシステムを
     疎ましく考えだし
     ペルシャの女性らやオカマらに煽てられ、
     また、マッカツ工策員により
     マケドニア武将にヤラセ失脚事件を引き起こして
     自分の思うがままに動く明確な上下関係が徹底された軍にしようと
     父王時代からのマケドニア将を左遷、失脚させ
     ペルシャ将を上において内乱をかかえながら、
     新たにインドでのマッカツ征圧へ向かっていく・・
     
     
      奴隷や命の売買などは
      倭国には元々ない思想だということ・・
      理由は・・
      倭国は神道として
      大自然が生み、作ったあらゆる生物・無生物に
      大自然の意思を感じ、畏怖,尊ぶから・・
      犬にせよ、馬にせよ、家族同様に昭和期までは接してきたのが
      日本人社会・・
      ましてや!人間を奴隷として
      売買したり,やり取りするという発想もない・・
      生き埋め、生贄思想もない・・
      生贄思想を戎族ら八岐大蛇にシンボルされるマッカツ戎勢力が
      日本にきて求めたとき、
      神武帝(日本神話では改竄され素戔嗚尊とされてる??)が
      深酒させて
      怒ってやっつけている・・?
      やっつけた結果、
      その八岐大蛇勢力がもっていたすばらしい製鉄技術で作られた天の叢雲の剣(三種の神器の一つ・・本当は神亀?スッポン??)を
      手に入れて卑弥呼(天照大神)に
      戎族マッカツをやっつけた印に手渡している・・??
      そのすばらしい製鉄技術は
      樫の木林で日常生活での炭文化を持ち、
      また、高熱で鉄器製造をささえる炭技術をもつ戎マッカツらが
      倭国弥生の桜井の卑弥呼らの住む町の周辺の田んぼだけで
      その境を鳥モチをしかけたモチノキで境界させた集落の
      出入り口辺りに
      橿原の宮を神武帝はつくって
      近衛兵のように守った・・??
      そこへ戎系マッカツが周を襲ったあと、
      倭国にもやってきて、
      神武帝と卑弥呼らは
      大山神社まで逃げる・・
      戎系マッカツらは
      神武帝と卑弥呼との生まれたての赤ん坊(素戔嗚尊)を
      つれて逃げるのは
      死なせてしまうと言うので
      乳母に頼んで置いていくが
      戎族は
      橿原の宮を破壊して
      自分たちのゼネコン技術で
      立派な橿原神宮を造り
      字は読めないので
      神武帝の宮にあった表札をくっつけて、
      自分たち拝火教のシンボルにしている炭をつくる樫の木をうえ、
      樫の木原として
      カシハラとよび、
      (船をつくる、水に強くて繁殖力のある樟クスノキも植える
       桐=キリ中が幹の中が空ろに突き通ってる木の意だそうだ・・
        名付けでは桐子ヒサコとある・・楠木正成の架空の妻??
        音読みはトウ(←唐→冬→北や東トウ→桃)
       モジ=南蛮桐:クスノキ科で南洋からきた種、クロモジ、シロモジ)
      神武帝と卑弥呼の末子をフラッグに
      神武帝だと主張し、
      自分たちの娘を嫁にさせ・・
      のち、本ものの神武帝と卑弥呼らが
      つくった水田の出雲を荒らしに出て行く・・
      

      橿原神宮
    マッカツの後漢に師升というマッカツ思想のもった王が倭国を支配していて
    奴隷をけんじょうしたとうが・・・
    伊勢神宮に関係する千種神社伝承と同じように
    生臭すぎる・・??


    肥前(長崎)
    肥後(熊本)・・・・・二条太皇后宮肥後・・二条帝・・源氏
    薩摩(鹿児島)・・・・マッカツ拠点  

    どうも・・・・
    マッカツらが日本人として定着して
    政治権力を振るいはじめたのが
    大化の改新で
    藤原氏の起源・・??
    でも・・聖武帝の時期には
    蘇我氏も藤原氏らもなく、
    神道哲学のもとで
    国家の一大事、東大寺大仏につかう金探しに力を合わせて、
    唐のマッカツ圧力に対抗してる・・・
    折角!平和的な大自然との協調文化になじんでも、
    また、拠点の卍仏教勢力として
    新たな工策員らが押し寄せてくる・・・
    平安時代になると
    それが源氏vs平家というラベリングで明確化され、
    どうも・・??
    源氏ってどんな人種だったんだろう??と想像して・・
    子どもの頃にたまたま、出会った同じ苗字の方がもってらっしゃった美しさだと仮定すると・・
    しかも・・その後も、同じ視点での美しさを見たときに
    目が釘付けにされる・・・

    どんな美しさだというと・・
    現、千阿弥系利休以降の茶道のように
    マニュアル化、ルール化されてない秩序ある動きと
    言葉ではない控えめな表情や素振りで
    豊かにできるコミュニケーション・・

    仏式テーブルマナーもマッカツがマニュアル化して
    自分たちに都合のいい段取りを作ったんだと思う・・

    野球も
    ライン上を走らせて、
    定位置に立たせ(守らせ)、
    一人ずつ順番に攻撃させるというルール化の極限のスポーツだから
    私には退屈にうつる・・・??

    サッカーのルールは分からないけれど
    ゲームを見てると
    獣を捕まえるのにみんなで協力して走り回っていた原始時代の生命力を思い浮かべ、
    エキサイティングに感じる・・

    池坊さんや着物の気付けやマナーの先生として
    テレビにでてる女性に
    何かしら不浄さ?下品さ?を感じるのも
    恐らく・・
    日本の根本的な文化を継承せずに
    上っ面だけのルールだけ継承してるだけで
    哲学そのものはマッカツ系??・・?? では・・??

    マッカツらは
    自分たちの戦士(千氏?)として
    残忍で卑怯に戦ってきてくれた凶暴な武将らに
    占領地である日本を分配させるのに
    劣等感を感じないよう、
    日本国民を下品で愚かで目先だけで動く大衆洗脳を
    してる・・??・・??

    母を
    公明関係者らが家族の目を巧妙にすり抜けて
    連れ出しはじめた頃、
    母が別人になったような下品な素振りや
    父の妹が
    母に昔、『姉さん、ヘソクリもしてへんの?」と
    言ったと言って、
    母は自分が裏表をつかう下品な人間だと想像されただけでも
    寒気がすると
    真剣に私に言い聞かせたことがある
    どうして、家族の中で
    こっそり(ヘソクリという隠し金など)しなければいけないのか?
    要るものには要る、
    不要なものは不要、
    そんなこと(ヘソクリ←母は言葉にするのも不浄、嫌って感じ)する必要が
    どうしてあるの?って
    結構、真剣に怒っていて、
    祖母もそんなことをする人ではなかったし、
    節約家の祖母が
    必要としたものを
    趣味人の祖父が不要としたこともなかったそうで
     これも拡大すると・・
    堀田力氏の隠し金を追求した三井環氏の事件以降に通じるのでは・・??
    行天氏ら三木氏、正木氏、白川氏、益川敏英氏、小林誠氏らに感じる下品さと
    相通じるようにも思う・・
    どんなに形や見かけを整えても
    彼らが作り出す文化の根底には、
    ドロドロとした欲が潜んでいて醜さあっての美しさであるという矛盾をのまなければならないこと・・
    それを無理矢理、美しいんだ!と押しつけたのが・・
    安倍氏の『美しい』論ではないだろうか(当時、京大教授の中山正輝?氏、橋下知事期には本間教授を新地マダムと国会議員宿舎に引っ越し準備していたとして失脚させ、そのポストに入って阪大教授だった
     ちなみに・・・
     本間教授は
     母校慶応でも、ペンシルベニアの指示で留学した米大学でも
     博士号は取れず、
     熊谷貞俊氏が阪大学長だったときに
     経済学部長だったときに本間教授により
     博士号を与えている・・!?
     橋下知事と知事選で戦った熊谷阪大工学部教授は
     彼の弟??
     選挙後、行天氏らヤクザが
     最初に拠点をもった大阪経済大学教授に赴任・・??
     だったように思います・・
     ヘンだというので選挙時と安倍期にかなり調べましたが・・
     なお・・熊谷氏は今回の選挙でも比例区全国区46位で
     出馬されてる・・
     あまり・・自民に比例区を集中させても危険ってこと・・??・・??
     改革クラブの西村信吾氏も
     つまりは・・マッカツによる日本占拠の工作員だった??ってことだろうか・・??・・??
      公明の池坊女史の日本語が
      ザァマス型でデビ夫人的で
      本当の日本の文化で育てられた日本語ではないこと・・
      一種の、明治期に活躍した江木キンキンなどのような
      マッカツらが常套していた政治工作員だったのかもしれない??
      (多分・・デビ夫人は民主主義勢力の為の働きをされた方なんだと思いますが・・)
     池坊女史は卍仏教勢力中華思想の“華”道?の工作員として
      日本に送られてきた一家で育てられた女性ではないだろうか・・??
      池坊の“6角”近くに古くから通っていたという茶の湯の
      地下の水脈が
      確か、大学の4回生の時に地下鉄工事がはじまった烏丸通りの近くで、
      それで裏千家が神様に供えていた井戸の水が
      断たれたんだとかお聞きしたことがある・・?・・??
      近くに,本能寺跡もあったはず・・
      毎日、通学に使っていたバス通学にとても大変な思いをしたのを覚えていて、
      時代祭に学生がアルバイトで当時で
      一日1万円だかもらえるというので
      当時にしては珍しい明るい話題で渋滞する間に
      誰か知ってる人が居ないか眺めていたのを思い出す・・  
      (浜四津女史や社民?福島女史らは
       韓国勢力?台湾の日本占領工作員として
       滝川春雄氏らが京都選挙で敗退し
       はじめて、革新系でなくなったあとの社民?民社?で
       同志社つながりの土井女史が
       躍進し、国会で正論をわかりやすく単刀直入に主張されていたのが
       辻元女史の活躍のなかで、
       どういう分けか!突然!土井女史が失脚したが
       あのときに社民はマッカツが黒幕になってるということ・・??
       その辻元女史と松浪氏が大阪10区で競合し
       松浪氏は
       アフガニスタン紛争で三木勢力として活動プロフィールがあり
       関空埋立地利権の点で
       公明が支援した東力氏/渡辺氏との裏での協力勢力があり
       民営化で公明が手にした利権の大きさを思うと
       決して表向きの発言通りに受け取ってはいけない実情を思う・・
       こういう経緯をみてると・・

    どうも・・三木系は南北戦の北鮮拠点のペンシルベニアの
      テンプル大学を
      日本で開校させ民営化、株主市場主義の経済体系に日本社会を
      シフトさせる人材作りをしてることから
      オプスデイ系の日本侵略組織で
      他方、公明は卍仏教系マッカツとして
      日本侵略の組織として
      伊勢神宮の元に集約される満州アヘン関係の元、朝鮮半島や
      アヘン資本のシナ人、馬族らの組織ではないだろうか・・??
      だから・・
      彼らのポスターは
      日本に残された歴史史跡にあり、
      そこにはクスノキが植わってることが多い・・

    さて・・
    沖縄空手の屋良先生が
    信太山で道場をされてらして
    その道場の一部でご子息がカイロプラクティックや鍼灸治療をされていて
    父が東大阪で整形を開業されていた奄美大島出身の塩川先生が
    文献でカイロプラクティックを実践されていて
    効果を薬屋さんに聞いて
    母が虚弱でしたので
    通うようになって
    先生は腹違いの弟さんを
    カイロをパーマ-大学で米留学させられ
    卒業後、麻酔で治療することの多かった日本の整形界に
    広めようと
    学校を東京に作られたのですが
    政治的な圧力?たぶん??or騙された??で
    失敗され、
    先生に習った人達が
    勝手に、学校を作ってはじめる始末・・
    昭和60年代に
    自転車でこどもを保育所にお迎えに行くときに
    中井さんという電器屋さんの自動車と
    大変、ゆっくり、止まりかけのスピードでぶつかって、
    肘と膝で体重を支え、
    その時、腕の筋肉が瞬時に緊張して守ったのでしょうが・・
    翌運動後にあるようなブルブルとした震えがあり、
    痛みはその時は感じませんでしたが
    その晩に背骨や首に激痛が走り、
    つまりは・・世に言う『ムチウチ症』だったのをおもいますが
    夜中に、まず、手先から血の気が引くのを感じ、
    そのあとに、激痛がはじまったというので
    つい、血流の神経系が悪かったのかと思い、
    当時はまだ福島の阪大病院の神経内科へいくと
    整形を紹介され、
    整形というと少し、野蛮などちらかというと医師としては
    医師と言うよりは
    歯科的な技術屋さん的な印象を持っていて
    かつて慣れ親しんだ境の労災病院の整形へ行きますが
    精神的なものだとまともに診察しようともしない・・
    (当時!すでに、境労災HPは近大や市大脳外科系マッカツ勢力が
     進んでいたのでしょうか・・??
     関西労災は山口系田岡組長だかの主治医の病院で
     その看護学校が堺労災に配置され
     小沢院長のあと、
     基礎の今泉教授が院長になられ
     人事など指示を受けていた??
     曲直部教授を讃岐勢力の美々卯(実は・ヘビのミ?ヘビに絞め殺されかけてるウサギ??)のサポートで
     作家をしてると祖父が言ってた山崎豊子は
     医療界の悪徳者のように
     『白い巨塔』を書き、
     それに出てくるドクターの名前は実際の日本側として戦った先生の名から取った名付けが多く、
     東教授なる小沢教授のあと、
     武田教授が就任にしたものの
     京大の731部隊の流れでのマッカツ勢力(当時、京大の医学は内科系や神経系で評価され、
     臨床的な外科系は阪大が日本で抜きんだ実績を持っていた)が
     阪大外科のジッツが増えていくのを牽制していたような感じ・・?
     政治的には吉田首相時の蔵相池田氏と吉田邸の主治医だった武見会長が
     政界に入って、
     医療界の民主主義社会を
     731部隊勢力の内務省系の山口系や卍系に対抗し
     小沢教授時に作っていったという感じ・・?
     武田教授は天理万HPを取得するのに
     京大に負けてしまう・・
     そのことの意味の大きさを
     武田教授は理解出来ないでいる・・
     で・・
     武鑑として曲直部先生が教授に就任され
     (讃岐?の美々卯系の山崎豊子女史は
      マッカツとして曲直部先生を攻撃してるが
      実は、彼女の方こそがマッカツで
      曲直部先生は
      対マッカツ戦略として武鑑として赴任されたのではないだろうか??
      最後に記憶のある先生の姿は
      読売テレビのマスコミとの協力に熱心だったこと、
      千里中央新薬情報収集センター?の民間企業を立ち上げられてること・・
      小沢先生のように
      直接、対決して折れないようフレキシブルに
      私自身を代表者として
      まだ平和平等民主主義国家の日本を信じ込んで疑ってなかった国民のための猶予期間を
      つけてくれ、
      国民が反旗を翻る猶予を作ってくだすってる??・・??

     山崎豊子女史は
    他でも労災HP患者の洋裁界の女性を話題に書いてる・・


     それを支援したのが
     榊原東大教授の兄の榊原HP院長だったのではないだろうか・・??
     (神戸でのサカキバラ事件は四国や満州系山口系マッカツらが
      オプスデイ系らしい因み方で仕組んだ事件??
      榊原温泉は戦前、祖父が毎週末でかけていた青山高原の渓流風情豊かな温泉で
      昭和50年代は大阪府の共済組合所有となっていた
      (昨晩、気になったのですが・・
        サカキバラ事件って榊原脳外教授関係者らが仕組んだということはないだ折るか・・??・・??
        市大脳外のはじまりとして
        とても不自然で、
        堺の労災HPにどうして!?市大脳外の先生が一人、
        送られてきたと言うこと自体も
        当時、まだ、日本一の水準をリードしてる阪大一外ジッツとして
        どう考えても不自然・・??
        何が仕組まれていたのか・・??)
      祖父の紹介で行ったのですが
      二度も大きな火事があってからは寂れて持ち主が変わったと
      残念がっていました)
      榊原院長も戦前は中国地方の大学の助教授だかで
      恐らく・・??その手術の方向性からすると
      731部隊人脈だったのではないだろうか・・??
      でも・・
      マナベ先生はその指導で開心術で
      脳外科の堀先生に勝ち、
      阪大一外教授に就任され
      堀先生は基礎の顕微鏡系の安住権八郎先生のもとで
    奈良医大脳外教授になられ、
      若かりし頃、一旦、漫画家を目指し、
      医業から出た手塚治虫が
      奈良医大で3年だかかなりの年月、研究してる・・
      (奈良医大で731部隊だけでなく日本の政治実態を
       マッカツらが動かしていて、戦争を仕向けたり・・など
       戦後、マッカツらが狙ってくるのは
       医療界でのマッカツ戦略であるというので
       彼らのしてきたことから考え得る予想を
       この時期に蓄積??・・??
       安住権八郎先生は
       山坂神社の近くに昭和50年代中頃には
       ご子息が開業されていて
       そこで隠居生活をされ、
       ご挨拶について行ったことがある・・
       鎧兜があり
       我が家の身内には
       そういうの重々しさを感じたことがなく、
       どちらかというと。。
       後鳥羽上皇の庄屋屋敷とされてる西尾邸の
       仰々しさのないところに懐かしさを感じる方で
       先生にも
       田舎の豪農のお家に感じる重っ苦しさを感じて
       深入りしたくないという想いで
       反射的に軽薄な今風の世間知らずのお嬢として振る舞って
      今、ふり返ると・・
      ある時、滝川先生の縁側のお座敷にも鎧兜が
      風を通されていて
      ヒョッとすると・・
      マッカツ卍勢力と戦ってきた武将の末裔だったのかも知れない・・??・・??

      阪大整形へ行き、
      越智教授の専門が首でしたのに
      どういう訳だか、
      先生の方へは受付時点で振り分けられないで
      手首の手根管症候というので
      ムチウチではないかと言うのですが
      主治医の先生の横に立ってる婦長らしき女性が
      しっかと若い先生を監督していて 
      どうしても首の方の診療には向けてくれない・・
      神経が一日で2ミリ伸びるからと服薬だけで
      で、一ヶ月まつがしびれは治らず
      二ヶ月目に入ると理論では神経はつながるはずなので
      それでしびれが治らないときは
      カイロにかかると先生に言って
      それで屋良先生の道場へ母と一緒に行かせてもらい
      直して頂いたことがあります

    大阪の塩川氏はどちらかというと・・
      朝鮮系のお顔立ちですが
      この奄美大島の塩川先生は
      奄美大島らしいお顔立ちをされてらしたし
      そのお友達でいらした沖縄空手の屋良先生も
      沖縄人らしい気質とお顔立ちでした・・
     奄美の塩川先生も
     沖縄の屋良先生も
     マッカツくささなどなく、
     大きな大自然の中で堂々と真っ直ぐに生きてられて
     奥様,女性を大変大切にされる文化をお持ちなのを感じました
     道場で
     先生ご自身が
     地元のおばさんたちに指圧をされていて、
     その時に、
     どこそこのボウズがヤンチャしてるとか言ってると
     そうか・・と聞いていて
     何だか、周辺の村の青少年指導の一役を担ってられるような印象を受けました
     今の沖縄人とは全く違う・・
    小さな目先のことは一向に気にしない大変、底抜けの大らかさを感じました
     
    昭和60年代になると
    東大阪の塩川先生が整形外科がとても流行ってお出でですのに
    どういう分けか
    故郷に変えられると言うこと・・
    この時点で
    何科がマッカツ勢力で決定された・・??
    実は・・
    阪神大震災計画が決定??ってことはないだろうか・・??
    塩川先生の弟さんのカイロの東京の先生の学校が未だ何とか残っていたので、
    お電話で経緯を話し、
    カイロプラクティック治療を
    大阪で安心して受けることが出来るところをご紹介頂きたいと
    お願い申し上げ、
    屋良先生のご子息をご紹介頂いたわけで
    でも・・
    どういう分けか・・
    ご子息はとても神経質で
    大々的にされることを好まれず
    やはり・・
    このお家にもマッカツ圧力がかかっていたのでしょうか・・・??

    大阪10区は
       アヘンでかつて満州勢力を富ませた二反長音蔵のいた地域であり・・
       カトリックの大阪司教区の玉造教会があるということ・・
       (でも・・この教会自体は仏スペイン・オプスデイ系に
        縁が深く、
        見せかけだけカトリック勢力のフリをした偽物の
        成りすまし千阿弥系利休ら卍勢力のマッカツに
        騙され、光秀は
        信長に謀反する・・
        いつから、
       田中利休が千阿弥系利休にすり替わったのか??
       滝川一益(恐らく・・師升の“升”は“益”に因んで
            敵ながらあっぱれという気持ちがこめられて
            のち改竄史されたもの・・??
            横“一”文字は大地、平等→大衆・・などを意?
            縦“|”が天から通されると
            Jewユダヤ教・・十字架のシンボル・・??
            当時、すでにスペインオプスデイ系に
            圧力をかけられていたカトリック勢力が
            紹鴎通じて寂茶、大自然に共生する生活の喜び?の極意を通じて
            武器供給や軍事支援をするときの
            一種の暗号がわりに那須の茶入れをつかい・・??
            それを封じる?ために??
            成りすまし千阿弥系利休が利休一族を皆殺しにして
            成りすましたまま
            光秀や秀吉に指示を与え、
            江戸期になると
            自分の息子に裏表を開業させ、
            裏は代々、30才代になって
            茶道の一通りを諳んじたら
            工作員の茶屋四郎次郎代々となり
            江戸城で家康に命じ、
            金山で聖武帝の頃からマッカツらが拠点してる加賀、
            石川と自分たちの歴史起源を日本史で
            改竄してきた伊勢神宮と京都と
            四国マッカツ勢力との間を往復した??・・
         秀吉が急に利休に切腹を申しつけたのは
         千阿弥系の忍者が成りすまして
         朝鮮半島に二度も遠征させ
         数万単位という人数を日本へつれ帰らせた真意が
         日本侵略にあったと言うことを
         知ったから・・??)
       滝川一升は
       伊賀に隣接し、
       昔から搾取されて苦い思いできた、しかも!彼らの内情をも
       手に取るように伺い知れ、
       彼らの易に沿ったパターン科されたピタゴラス的発想は
       何を考えてるのか簡単に予想してきたのではないだろうか??
       特高により仕組まれた『滝川事件』とは
       恐らく・・??その子孫??・・??の滝川学長が
       民主主義社会の人材作りをするのを
       阻止しようとした事件ではないだろうか・・??
       当時の文相・鳩山一郎氏は
       ブリジストン企業を与えられたが
       その前に、
       関東での足袋業あり、
       それは・・??
       早川徳治氏が関東大震災の前頃から
       何重取りもの詐欺などひどい目に合わされるプラトン社や日本文具やカテイ石けんやクラブ化粧品などの大手商社社長の中山太一一族らと内務省の保護の元で
       大阪で足袋業をしてきた福助や精工社(セイコー?日本の企業はシチズン?)や二反長音蔵のアヘン資本があるようですが
       その福助との関係で
       民主・鳩山一郎氏の経済基盤がはじまって・・??・?
       オプスデイ系の一員として
       政界へ送り出されたのではないだろうか・・??
       滝川事件で滝川教授を更迭し、
       その後もご子息の滝川氏が
       学力とは別の圧力で・・?!京大入学が出来なかったという
       教授会の動きもあったという・・
       戦後初の首相も
       一旦は、鳩山一郎氏にされていたが
       でも!カトリック系の働きで
       吉田茂首相が誕生し、
       そこにのち蔵相となる若かりし頃、大阪で南地大和屋に通う池田氏がいて
       (その能舞台があった大和屋はマッカツ系加賀の拠点だった花外楼に対抗して立てられたが
        吉本勢力が大阪知事政権になったときから
        太田知事期に圧力をかけられ
        廃業、つぶしてしまう・・
         昭和53年に一度、母と大丸のお着物の展示会に
        ご招待頂いたことがあり
        いつも前を通だけでしたので
        とても嬉しかったのですが
        母が拝見するだけということで
        お食事はおことわりして
        中に入らせて頂いたことがあります
        大阪商人のお金の使い方を見せてもらった思いがします
        京都のように出し惜しみして
        キンキラを使って値打ちをつけるような
        姑息さのない
        木にお金をかけるとこうなるんだ・・
       兎も角・・南地大和屋は
       お金だけでなく社会的な知性もある方だけが出入りされるという敷居の高さで南の安泰を見守ってるイメージ・・・
       京都の一見さんお断りというのではなく
       そんな難しいところは
       敷居が高くて入りたくない・・
       お酒で騒ぐところは北新地で
       南の芸者さんは賢くなくてはいけないという大阪の粋の文化、
       風格のシンボル?
       そこのお嬢さんだった若女将は
       吉田茂首相のバカ野郎解散だか?
       大阪の中央公会堂??だかで講演があったときに、
       別に大して目立った騒ぎがあった風に見えないのに
       いきなり、おこって?『バカヤロウ』??という感じで
       退去されたそうです・・
       その時、首相がお泊まりになって
       若女将としてご挨拶に伺ったそうで
       料亭の若女将というので
       水商売育ちでお酌に慣れてる女性だと
       おもいこんでられ
       実は、全く、そうではない育ちかたをされてらしたのですが・・
       (のち、御養子さんも文化や焼き物には通じておられても
       お商売下手でいらしたとのことでしたが)
      との深窓の令嬢にとっては
      吉田首相は随分、人を喰ったつかみ所のない人にうつったようです・・
      でも・・・
      今ふり返ると・・・
    GHQのカトリック系の民主主義勢力のはたらきで??
    鳩山一郎氏でなく
      吉田茂首相となり、
     大阪知事に
      田中広太郎氏が人事され
    三国人(朝鮮・中国・台湾・・・つまり・・マッカツの黒幕勢力??)政策がはじめられたそうですが
    1947年2月、警察部野公安課により
       S12年12月のマッカツがGHQの実権を掌握したときの公職追放のときに
       『朝鮮人登録』が禁止されてるのに
       田中知事の下で実施されたとして
       2/21、田中知事は解任され
       朝鮮系の関係者の内務部長・大塚兼“紀”氏!が知事業を代行
       (小学1/2年で大塚さんという美人で大柄ですのに
        どういうわけだか皆が嫌って居た女の子がいて
        私には虫をもって笑いながらどこまでも追いかけて来るので
        当時、少し、精神的に問題がある怖さを感じたものですが・・
        ヒョッとして・・一族・・??・・??
        3/11から高辻武邦氏が知事に人事され
        4/12には民選初の知事・赤間文三さん(福岡・佐藤内閣時法相)が
        選任されている・・
        赤間さんは阿倍野神社の鳥居の所の石の左右のどちらかに
        お名前が刻んであり
        もう片方が大阪歯科大の講師をされて開業されていた宮崎歯科で
        子どもの頃、院長先生は夏休みで子どもの患者さんが増えると
        南の国の王様の治療に招待され、
        お礼に島を頂いたそうです・・
        待合室には『神技は天に通ず』という色紙があって、
        私は麻酔なしで治療をされたことがあり・・
        先生は痛くないとおっしゃってらしたのですが・・
        泣くのは悔しいから死んでも泣くかと睨み付けてましたが
        痛かった・・
        (でも・・予後はとても順調でした・・
         私にとって
         歯医者さんほどキーキー鳴って野蛮で
         待合室で待ってるだけでお腹が痛くなったものですが
         のち・・・
         笑気麻酔をアメリカから導入された同じ大阪歯科大の
         後輩の先生にかかって、
         ホッと!したものです)
       で・・・
       マッカーサーらが失脚させられて以降のGHQは
       韓国が黒幕だったのではないでしょうか・・??
       統一教会系の人事のプロテスタント系や
       大阪市内に多くの女子校ができ
       阿倍野区にも
       港にあった英系の聖アンドレ修道院のつながりで
       桃ヶ池の表通りの昭和町に桃山学院ができましたが
       桃ヶ池は昔は長池とつながっていたそうで
       桃が元々植えられていたところではなかったそうです
       桃は虫を呼ぶので
       朝夕気温が下がる山でないと、植えない、
       ましてや!中国や朝鮮と戦争してるときには
       桜や梅を愛でても
       桃は縁起が悪かったはず・・?ヘン・・??

      吉田茂首相が
      三国の中の朝鮮半島に由来する人達にひどく侵略されかけている大阪に
      元、法相の赤間さんが送り込まれ、
      そのおかげで、
      大阪の民主主義教育行政(天高→京大or東大→官僚)や
      シャープの活躍、
      阪大病院(生物兵器?拠点??だった性病の桃山診療所の横に府立病院、
      結核療養所だった近畿中央病院横に堺の労災病院など
      小沢教授の名の下で設立し、
      北摂の結核療養所だったところには
      戦争で夫を失った女性でも
      寮つきで助手としてはたらきながら看護資格を取れる学校を付属させる等々・・)からの
      医学界での民主化行政などの基本がつくられた・・??
      この赤間さんのお邸があったが
      倉が残ってる駐車場と玄関部分と居住部分の洋館と客室部分の
      日本建築部分に分割されていて
      子孫の方は住友銀行にお勤めで
      倉のある駐車場部分だけを管理されていたのですが・・
      今は、耐震偽造が叫ばれてる不況時期の小泉期末期、安倍期に
      アパのマンションが建てられましたが
      元々は法務局のお庭のある古い日本建築の寮でした・・
      きっと・・??
      元々、法相で要らした赤間さんのお屋敷の前ですので
      その前に興亜コンクリートの社長さんのお屋敷がありました・・
      赤間さんの日本家屋の部分は
      住之江の南港にあった??藤永田造船の会長さんが
      小沢教授と同郷で小沢先生のお家に下宿されていた阪大工学部教授でいらしたおじさんが
      一人娘さんと結婚され同居され、
      毎朝、お祖父さんのところへ国産の大きな黒い車がお迎えに来て
      (周囲のお迎えの黒い車は外車が多かったのですが)
      おじいさんもおばあさんも
      日本に民主主義社会を作ってこられた方たちに感じる共感できる?親しみを覚える尊敬のきもちが起こってくる方でしたが
      どうも・・
      この時も、神主さんや骨董さんや不動産屋さんなど多くの資格をもってられる千種さん関係(つまりは・・伊勢神宮系マッカツ??)  で我が家にいらしてた大阪市行政に熱心な電器屋さん関係の紹介で
      母が反対するのに父が購入したのですが・・・
      我が家の前の持ち主の方がパチンコ屋さんだそうで
      大切なお嬢さんのお婿さんは警察官だそうで
      同居がいやだというので引っ越しなさるとのこと・・
      このパチンコ屋さんが建てられた日本建築ですが
      材木に糸目をつけてられないというので
      当時の新しい日本住宅では珍しい建築だったようですが・・
      気になるのは・・・
      二畳ある床の間の板は輪島塗で
      石川マッカツとも縁がおありになったのではないだろうか・・??
      去年だか、輪島が地震で破壊されましたが・・
      ヒョッとすると・・
      昭和50年代半ば頃から通院下さった纐纈先生ら勢力が
      行天マッカツらに崩されていったのが
      民営化の意味だったのではないだろうか・・??・・??
     赤間さんのお屋敷は鴻池新田で
      それは天神の森や西成のどちらかというと、
      ヤクザっぽい印象の地域とも
      古くからの通りで通じていて、
     天神の森は
     浄瑠璃でマッカツらが心中ブームのきっかけを作った
     (それまでは日本武尊もので
      垂仁帝④皇女倭姫命(卑弥呼の子孫として??)のことをテーマにして
      桜井から伊勢へ移ったあとのことを演じてた??
      垂仁帝自身の御陵のよこに唐招提寺があり、
      どうも・・
      開発される前、私が転勤で住んだ頃には
      唐招提寺の周囲の林はクヌギ林で
      神社の森のイメージでとても好きで
      子どもを連れ、早朝からよく出かけて遊んだもので
      平屋の神主さんのお家があって、
      そのお家に通じた唐招提寺内に
      建物ではありませんが立派な鳥居と祠があって
      唐招提寺境内内の林も
      お寺的な人為的な植木管理をしてなくて
      神社的な太古からの自然をそのままに残して、
      雉や野鳩らが子育てをしていたのを見つけたものです・・
      私はこの無造作な林が好きで
      毎日通って、
      唐招提寺も朝早くお坊さんたちがお掃除なさるのに
      門を開けられ、
      氏神様に入る感じで、
      入って散歩させてもらって
      宝物殿だか・・にも
      入らせてもらっていて・・
      そのうち、お坊さんたちの目が意地悪く感じたことがあるのですが・・
      今ふり返ると・・
      本当は・・拝観料を払って決まった時間に入るべき所だったからかもしれない・・と今、思いついたのですが・・・
      確か、お月さんを愛でる行事で団扇まきがあるというお誘いがあったように思いますが
      当時は子どもたちも幼く、
      夜、おいて出かけることはできませんでしたので
      その内に行こうと思って、諦めたように思います・・??
      (別の所と勘違いかも知れませんが・・)
      毎朝、水筒と網をもって(池と虫併用)自転車で通ったものです
      で・・今、ふり返って、
      聖武帝の頃の歴史を調べてると
      感じたのが・・
      唐招提寺境内は元々は神社の森だったところを
      マッカツ卍仏教カルトに苦しめられ続ける日本の天皇の誰かの時に
      本当の仏教とはこんなオカルト御利益、偶像崇拝、豪華建築、
      形式的な庭ではなく
      もっと、精神的なものであると
      オカルト卍仏教勢力に対抗させる為に
      世界中から高僧をよび、
      学者や若い僧らが勉強できるところと言うので
      招提寺(招待所?!→北鮮でもありましたよね!)が
      どなたか皇族の敷地に作られたのがはじまりで
      その後!また、マッカツが“唐の”をつけてしまい
      乗っ取ってしまったという流れだったと思います・・??
      確か、垂仁帝のときに
      河内の相撲取りを蹴り殺して
      その所領をのっとった相撲取りが
      埴輪(昔、我が家の近くに塙さんというしっかり者のご夫婦がいらして
      何かと若い母に意地悪で私たちこどもに
      開業してるのに
      捨て猫など飼うことを勧める・・とボヤいていたことがありました
      「好きだったら自分とこでかわはったらいいのに・・」と。。)要は、赤土レンガで人型をつくって
       埋めたとされてますが
      その相撲取りが兵庫県出身だと書いてましたが・・
      でも・・
      垂仁御陵からゴルフ場の方へ山へのぼると、
      当時は、赤肌焼きの窯が数カ所あって、
      私たちの官舎もその途中にあって
      当時は、歴史遺産というのでとても不便ですのに!
      何も建たないで開発されることなく
      庭に雨が降ると粘土土で水はけが悪く
      蚊のような感じですが
      噛まれると何年もかゆく、腫れるので
      子どももいるので
      耕して畑にしたのですが
      十数㌢も掘ると真っ赤な粘土土の層がきれいに出てきて
      それを十数㌢掘り進めると又、粘土土って感じで
      多分??地元の尼ヶ辻六条の土で作った埴輪だと思います
      で・・人を生き埋めにする風習があったというのは
      戎系マッカツらの習慣ではないでしょうか・・??
      倭国や本当の神武帝の日本神話では
      そういう残忍さや乱暴に大変、怒ってる様が描かれてる・・
      八岐大蛇(八卦信仰の龍?ドラゴン?)も
      戎系神武帝だったのではないでしょうか??
      真性神武帝が村を通りかかり
      娘を”生贄”にするのを毎年の行事にしてるのを知り、
      神武帝は深酒をさせ
      やっつけ、
      彼らがもっていた大変堅い鉄で出来た剣を得て
      マッカツをやっつけたよ、という証拠に
      卑弥呼へのお土産にし
      それがのちの三種の神器の『天の叢雲の剣』だという・・
     恐らく・・
      戎系マッカツは拝火教で
      大変なゼネコン術ももっていたが
      炭技術をももっていて、
      普段使いは樫の木の炭(で真性神武帝から奪い撮った橿原の宮を
      巨大な橿原神宮に建て直し、樫の木を植林し
      カシハラとなづけた??
      で、高熱を出す炭も知っていて、
      純度の高い?鉄を生成し、堅い鉄器で武器や道具を作って・・??・・??
      世界へ繰り出していった・・???
      神大和磐余彦尊→神カン倭ヤマト伊波礼イワレ琵古ヒコの命ミコト(記)
      畝傍山橿モチノキ原宮
      大和三山・・・
       畝傍山(橿原市で真性神武帝の橿原の宮が合ったという山
         後漢の記録に
         日本初の王として師升なる者がいて
         後漢に朝貢したとしてるが
         これも飛鳥遺跡同様のマッカツがでっち上げた改竄史??
         ピタゴラス狂にはまってるマッカツらの発想で
         『師』→のヘンはa『阜』から十字をとったもので
             ツクリはb『市』の意で
             11画にしない為・・??
            aは石のない丘、土山、意味し→阝
            bは市場の市だが
            もとは、一イチ、公平、平らにとどめ定める・・
            元々は、城下町?もっと前は、人々が住む集落で
           倭国の時代には
            畑や水田が作りやすい石の少ないところで
           津波や川の洪水に流されない丘に人々は住み着き、
           そこのリーダーが“師”とされていたのは
          マッカツでも倭国でもギリシャ、ローマでも同じだと思う・・??
        でも・・ある時、のち、マッカツ哲学で育ったシーザーの先祖。
         当時はマッカツらによりギリシャ神話がすでに筋が通らなくなっていて
         歴史書として重視すべきでなく
         科学的にものごとを解決していこうというので
         (でも・・ペルシャ支配でピタゴラス狂の数字合わせ?陰陽論→3皇信仰→四柱推命→五行論→亀甲→八卦・・へと又、
          方向性がオカルト化されていく・・??)
         水道橋などが作られたローマ王国と
         交易をする周王と
         朝貢関係にある倭国卑弥呼の国へ
         周国王の命で
         戎族が
         オリンピック開催後から潜入はじめ
         民主主義勢力が切り崩されていき
        とうとう!周王国も戎系マッカツに襲われ、
        東へ遷都する羽目になり
        周王からの命で
        のちの神武帝が
        武鑑として
        倭国を守るよう指令を受け
        日向から桜井の卑弥呼の宮の水田の果ての
        国境?の畝傍山に本陣をはり
        橿原の宮をつくった・・??
        恐らく・・水田の周辺に植えたイネを狙う鳥モチの木・
        橿を植えた原だった??
        でも。。するどい鉄器の武器でペルシャをてなづけ
       ローマ王国にも舌なめずりする戎族らが
        神武帝の軍をやぶり、
        卑弥呼と神武帝はどうも・・
        結婚して生まれたばかりの素戔嗚尊を
        長旅では死んでしまうと言うので
        乳母に託して
        大山へ亡命する・・
      神武帝が去ったあと、
       拝火教の戎系マッカツらが
       素戔嗚尊を神武帝として
       橿原神宮をゼネコン技術で建て
       橿原の宮の看板を探してきてつけ・・??
       自分たちが普段の拝火教の祭事に使う樫の木を植えたので
       カシハラと名づけ・・
       (字が読めなかった??)
       橿原はカシとよばれる・・??
      真性神武帝(太陽神信仰?)と卑弥呼が結婚したというのを
      日本神話の高御産日神タカムスビ←高神結びの神;背の高い結婚がシンボルにされた神というので
      卑弥呼と神武帝の結婚の意味が
      出雲大社でも
      神無月の10月には神々が集まって結婚の相談をするというので  神有月だし、
      信太山や新田氏や日本古来の歴史にある河内にある岸和田城の中の
      契り神社など
      結婚を記念とする古いいわれが
      洋式で教会でしても
      神式でもし直しするという習慣が根付いた所以??
      (でも・・小泉期頃から・・つまり・・北軍の本陣だったペンシルベニアで
       竹中氏が渡米すると指示を受けるところで
       東力氏が
       ここのテンプル大学(卍系?)を
       民営化と株主至上主義資本社会をスムースに構築する為に
       日本に分校をつくったり、
       紀子さんの父が
       学者としての基盤をつくり、
       紀子さんが生まれ6才まで育ったペンシルベニア大学のあるところでもあり・・
       南北戦争時には
       アイルランド系の貴族らが移民して
       綿農場でそれまでの庶民の衣服が麻だったのを
       アヘンを嫌って綿が一気に流通しだす
       カトリック勢力の英国も印度にアヘンでなく
       綿農場を広げる・・??
       綿農場主のアイルランド人たちが
       マッカツ系と協力してるスペイン人奴隷商らが
       アフリカから連れてくる奴隷を買って
       自分たちの農場管理者や
       ハウス・キーパー長として
       対等な立場で雇い入れ
       生活と人格と専門分野での意見を尊重保障した農場社会をつくる・・
       それをペンシルベニアのオプスデイ系マッカツ勢力らが
       少し、遺伝病があり鈍いリンカーンを使って
       南部農場社会が
       スペイン奴隷商から買ったアフリカ黒人を
       大切に人間らしく生活させ
       互いに、強く信頼関係がカトリック信仰通じ
       出来上がっていたのを破壊しようと・
       『南部は奴隷から搾取してる』と宣伝攻撃する・・
       これって・・大きく見ると・・
       マッカツがした悪事を
       是正した南部農家社会を
       マッカツ仲間の北軍が
       反対に、攻撃してる・・??・・??
      マッカツ同志が
       一方で奴隷を買わせておき、
       他方でそれを非難・・??
      巨乳手術を進めながら、
      他方で乳がん手術の成功例で
      宣伝大儲けする・・ってのに・・似てる・・??・・??

     今回の選挙は
     拝火教(那智ズム)勢力が
     戦争をさせようとしてる・・??
     先日までは北鮮と・・
     今は・・米露対立じくをつくり、
     日本からどうしても!!アメリカ、米軍基地を取り去って
      すんなりと!
      マッカツ韓国の領土にしてしまいたい・・ってのが
      本音では・??

    拝火教卍勢力として有力なのが公明・・??
    自民は所詮、太陽信仰系で
    先だってのノリピー事件のように
    過去の二度の世界大戦でも
    太陽信仰系は
    すぐに!内務省の公安系の拝火教勢力に
    簡単に呑み込まれる・・
    サン(太陽)・ミュージックは
    バーニング(拝火教)事務所に簡単に失脚させられてしまう・・??
    世界大戦でもそれまでは
    街中の火の用心や治安などをしていた大政翼賛会が
    急にファシズム化して
    町民に
    民主主義などいうと売国奴と『赤』のレッテルを貼ることで
    戦争ファシズム一色に塗りかえていったのを思う・・
    兎も角・・危険!?

    今回の選挙は
    拝火教の公明や野党らが
    突きつけてる目先の政策が問題なのではなく、
    世界大戦が開かれないように
    しっかりと!
    カトリック精神がギリシャ、ローマ、大英帝国時代通じて
    守り続けて戦ってきた武鑑の末裔がいる米国との連係を断ち切られないように維持し続けること・・

    公明は
    学会通じ、
    在米マッカツ資本に強いパイプをもつのは
    NASA打ち上げに
    民営化以降、
    山口系と共に拡大した公明勢力と吉本があるが
    その吉本の西川きよしの子分の間寬平が
    アメリカでマラソンすると
    それまで、中断されていたNASA打ち上げが
    急遽、実施され、
    その翌日に北鮮が発射させてる・・

    公明は本心を決して口にせず、
    言い難いことは自民に言わせてると見た方がいい・・
    橋本政権時期からはそれが明確化されてる・・

    また・・
    公明の松女史の
    松は
    松明として戦陣での焚き木につかわれる・・

    松は、
    子ども時分、母の一番下の妹の叔母の学生時代の演劇クラブの
    友人で三和開発という不動産開発会社に勤めていた人が居て
    当時、我が家で生活していた叔母を訪ねてきて
    母に何かしら一種のいやがらせをかんじる執拗さで
    購入させた今津と
    堅田から比叡山むけての奥地とそこへ通る小川の横の檜林を買ったままどうしようもない山の中ですので
    ほおっておいたのが
    隣山を宗教団体が大々的にお墓開発するというので
    資材置き場と飯場としてお貸しして
    お礼に
    我がやの山の一部に
    その飯場をリフォームして
    家をたててもらい、
    それで毎年、マッタケ狩りというので
    そこのリーダーが開催される集会にでかけるのですが・・
    その間は朝からずっと!
    松の下枝を刈っては燃やすのですが・・
    松葉には油が多く
    下で焚き木をしていても
    上に松の枝があると燃え移りそうになるくらい
    とても燃えやすい・・
    母はゆり根が出来て
    百合の花ができればいいと
    百合根を植えるのですが
    お猿が掘って食べてしまう・・
    で・・
    いつも・・
    松の枝払いと焚き木で整理をするのです・・
    その間に、
    そこで本格的にお家を建てられ
    住民票までうつされて
    水道や電気を引っ張る尽力をされた根っからの山好きの方に
    地元の山持ちの方といっしょに
    松茸やキノコ取りに連れてってもらうのですが
    マムシは小さいのが木の枝にいて
    上から飛びかかってくるので
    一番、恐いそうです
    蛇は下だけを見ていてもダメということ!
    実際、おじさんは枝にいたマムシを杖代わりにしていた棒で
    はたき落とし、
    あっという間にやっつけ
    マムシ酒にするといって
    持って帰られたのですが・・
    恐くてよく見ませんでした・・
    獣道ですので
    道らしい道でないので・・

    堅田側の方は
    隣山に大々的な墓地開発がされていて
    何度か散歩がてらいって観じたのは
    マッカツ系のゼネコン的な統制?石とコンクリとの熱地獄??
    観音さんだかの像が合って
    神社に感じる優しさが欠片もない印象を持ちました・・
    拝火教のバリエーション??

    結局、そうやって分譲することで・・
    マッカツらが山を買い占めるのを
    阻んでいたとも考え得る・・??
    で。実際に現地を見ようとそこへ連れてってくれたときに
    琵琶湖での海水浴で
    彼の目が子どもの私にも
    卑猥に水着姿の女性をおっかけてるのと
    叔母の親友の夫で同級生の演劇クラブ仲間だというのですが
    半ば、押し売りのしつこさとは無関係ではないのを思うし・・
    叔母が言うような資格試験の問題ではなく、
    営業をするには
    人柄に信頼性がないという点が問題だったのを思うし
    叔母の親友自体が
    何で、こんな人と結婚したのか・・
    しっかり者で学校の先生でもある叔母の親友自身にも
    問題あり!?・・??

    兎も角・・母は目先の作られたマッカツ的な問題と
    戦おうとせず、
    受け入れる?のむ形で来たことが
    結果的にマッカツらに周囲をかためられる結果に至ってる??
    そこが滝川先生や兒玉先生とはちがう母の倭の人的なところでもあるけれど
    早世した祖母なら
    先に見透かして
    絡まないようにしたはず・・と思うのですが・・
    いずれにせよ・・
    母はノンビリして自分では効いてると思ってる目先は
    実はごく、つまらないどうでもいい、潤滑油的なことだけだとは
    思いもしていない・・
    という点では
    誰も言いませんが
    愚かのかも知れないと
    私には思える・・??

       
    ともかく・・
    神武帝と卑弥呼との結婚で
    日本社会は
    遠く、ローマ王国にすでにあるカトリック社会での文化?価値観?で
    つながって
    サポートを受けてきたからこそ
    この長い年月の間、
    神道文化を日本社会で継承出来てきたことを
    深く考えるべきなのかもしれない・・??
    マッカツらは形やマニュアルで
    文化の上っ面だけとネーミングは継承するが
    その本質の哲学に
    拝火教の
    世界征服や略奪、搾取、残忍な処刑、血みどろに歓喜する文化は
    根本的に
    倭の文化と敵対する・・

    よって!
    隣国であっても、
    隣国だからこそ!
    マッカツの伝統文化の韓国とは
    一線を引き、
    その一線を守ってくれる米軍に協力すべきに思う・・
    そうやって・・戦い下手の倭の文化が守られてきたのを
    自覚すべきだし、
    米国に対する思いも、
    米建国以前からの
    ギリシャ、ローマ時代からの継承として考え直さなくてはいけないように思う・・??
    結婚式が
    どうして日本では必ず神道であげるのか・・
    一旦、教会で式を済ましながらも
    和装も着れるからいいでしょというので
    神道に拘る人達にこういうものだと
    させられるわけが
    ここら変に由来する執着心があるのかもしれない・・??・・??

    ま。今は、本来の神道とは
    こんなのではない、
    神道は
    大自然が創り上げたものを無生物でも大切にするということですが
    マッカツらは
    自分たちが人為的に仕組んだ結婚を
    大自然のもたらした運命として受け入れさそうとしてるのかもしれない・・??・・??
    気をつけよう・・一見!運命的な出会い!
    それが合コンなら尚更。。??

    岸和田城も元々は・・
    紀氏の城だったのが
    河内の豪族の篠田氏がつくって代々、神主さんだった現、信太神社の
    神主として
    マッカツ渡来系の天武帝が即位し独裁政治をおこなったときに
    信太神社の伝承がはじまり、
    鎌倉時代、代々、篠田氏(信太氏)が神主をし
    南北朝では後醍醐帝に
  • id:takokuro
    1985(S60)中曽根プラザ合意以降、
     米ソとも戦争不能症とされ
     マッカツが宇宙兵器、天災兵器で地球独裁権限をもつに至った??

    1978?、カーター大統領,B1計画中断
    1983:中曽根マッカツの言いなりレーガン、B1再開
    1987年1/7、ワンンバーガー米国防長官、
        次期主力戦略の爆撃機B1に重大な欠陥があると発表
      B1・・・
       対ソ戦の切り札として開発を進めてきた戦闘機
       ソ連レーダーにキャッチされずに侵入でき急所に核攻撃するという発想

    B1というネーミング・・
    米爆撃機は
     B17→ B24→ B29 →B36 →B52というネーミング
     B52の次が
     B1であると言うことの意・・??

    つまり・・
    爆撃機開発ではなく
    別の軍事開発がされていたのではないか・・??
    どうも・・・半導体西ほんの一部は流れていた??
    国防省は制御システムの半導体に欠陥があり
    原子力潜水艦が沈没すると
    半導体メーカーとの取引を延期

    実は・・地震発生システムに対抗するのに
    潜水艦開発をしていた・・??
    マッカツ資本の半導体メーカーが
    意図的にバグった??

    スp-スシャトルもこの時期、爆発バグらされてる・・
     日本の宇宙発射ロケットと同じ・・
    民営化して身売りするまでは
    失敗ばかり・・
    マッカツ工策??

    兵器には
    高熱炉でつくられる金属鋳造精錬技術が必要
    高張力鋼のためには
    転炉で精製するのに
    日本の転炉に依存している・・

    つまり・・
    製鉄業は実は
    拝火教マッカツ系資本が運営・・??
    オウムの村田氏は
    安倍氏が卒後入社した神戸製鋼に入社・・

    兵器でなければ、それほど薄くのばしてまで
    宇宙に飛ばす必要は無い・・??

    昨日、ニュースされてた
    月まで高速エレベータを開発すると言うこと自体が・・
    自転して惑星が回ってるのに
    おかしい??・・??発想・・??

    ヘン・・??

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません