どういった状況でのトラブルを想定しているのかわかりませんので、ネット(メール)上のやりとりに限定しますと、以下のような理由が考えられます。
細かいニュアンスが伝わりにくいので、内容に誤解が生じる可能性が高くなります
ニュアンスまでの理解が必要な議論のケースでは、特にこの傾向が強くなります。
また、相手の顔が見えないため、相手の様子に応じた話し方(喧嘩になりにくいような話し方)も出来ませんし
その場で反応が返ってこない前提があると、ついつい論調が必要以上に強くなっていることもままあります。
現実世界に議論の場を作っているわけではないので、相手に話し合う環境が整っているとは限りません
話し合う環境が整っていない状況で、無理に言葉を返そうとすると、メッセージの受け取り方に誤解が生じたり
メッセージの返し方に不備が起きたりする可能性が高くなります。
言葉でのやりとりのひとつひとつは、ネット(メール)でのやりとりに比べ、短い文章かつ短時間で行われます
曖昧な点・前提が分からない点があればすぐ発言者に聞き返せますし、
話し手は受け手の様子に応じて言葉を変えたり内容を補足することも出来ます。
一方で、ネット(メール)でのやりとりは、一度にやりとりする文章量が多くなりがちです
要点を押さえた文章にすると、細かいニュアンスの補足がより困難になります
(特にtwitterなどの文字入力制限がある媒体では、この傾向が強くなります)
逆に長くなると、文章中であまり重要ではないところの不明点・曖昧な点は、
無意識に自分の知識で補完してしまいがちになり、そういうところで誤解が起きやすいです
このような理由と私は考えていますが、以上を総括すると…
言葉同士のやりとりは、予想外に言葉以外の部分で内容を補足されていますが、文章でのやりとりはそれがありません。
その性質を理解して文章でやりとりを行えればよいのですが、大抵の人は言葉でのやりとりをそのまま文章でしてしまいます。
そういったときに誤解が起こりやすくなります。
誤解は喧嘩に繋がる場合が多いですが、上の3項にもある通り、文章でのやりとりは誤解が誤解と伝わりにくいのです。
よって喧嘩まで発展する可能性が高くなります。
以下のような人がいると喧嘩になりやすいと思います。
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってるかのように力説する人
・根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人
・「~~がムカツク」など自分の感情だけ書く人
要するに総合すると「理論的ではない文章」とも言えますね。
なぜ世間がそう思ってると思ったのか。
どういう根拠で相手を見下しているのか。
何があってムカついているのか。
そういったことをちゃんと書いてあれば喧嘩にはなりにくいと思いますが、文章だと長文の入力が面倒なこともあり、その辺を省いて書き込みがちなので喧嘩が起こりやすいのだと思います。
過去の経験からしますと、相手の語調、表情、若しくは『相手』が見えない為、その言葉がどういう意図で発せられたか、その強度が判別できない事より事態が悪化する事が多いように思います。
ネットに限っては昨今やたらと過激な言葉を用いる事が好まれているという風潮がある事からより事態を深刻なものにしていると思われます。
早い話が相手が見えないのにやたらと粗暴な物言いをしている、相手が自分の用いた単語を理解しないのを自分へのポイントと見誤っている、若しくはそれを用いている人間自身が言葉を理解せずに軽々しく用いているという事ではないかと。
我が国の議論には声が大きい方が勝ちという悪習がありますから、これが更に訳のわからない状況へ引き込んでいるとも言えましょうねぇ。
※その言葉がどういう意図で発せられたか、その強度が判別できない事より事態が悪化する事が多い
※相手が自分の用いた単語を理解しないのを自分へのポイントと見誤っている、若しくはそれを用いている人間自身が言葉を理解せずに軽々しく用いている
ご回答ありがとうございます。
話せば短いことでも、テキストにすると、簡潔に書かなければ長くなりがちなので、直接的になりやすいからと思います。
また、会話なら相手の反応を見て、フォローを入れたりもできますが、テキスト同士だと、なかなかそれもし辛い。
※話せば短いことでも、テキストにすると、簡潔に書かなければ長くなりがちなので、直接的になりやすいから
※テキスト同士だと相手の反応を見てフォローを入れたりもできない。
ご回答ありがとうございます。
ディスコミュニケーションですね。
こちらはどうでしょうか。
①会話による議論だと一回言われたことは、良いことも悪いことも、時間とともに忘れていくが、文章の場合、残るので、腹が立つと自分で何度も読み返してしまい、何回も文句言われている感覚になり、さらには、忘れにくくなって、怒りが増幅するのかも。
②会話による議論だと、無意識に、相手の顔色を見ながら、言うことを調節しているが、文章だと相手の顔が見えないので、言い過ぎてしまうことがあるのかも。(非言語コミュニケーションの欠如)
③匿名性から攻撃的になりやすいのかも。
※参考URL
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090107/1231302811
●第291回 インターネットと匿名性
※自分で何度も読み返してしまい、何回も文句言われている感覚になり、忘れにくくなって、怒りが増幅する。
※会話による議論だと、無意識に、相手の顔色を見ながら、言うことを調節しているが、文章ではそれがない。(非言語コミュニケーションの欠如)
ご回答ありがとうございます。
以前チャットをしていて、2人の方がちょっと口論っぽくなってしまったことがあるのですが、
・書き方の口調がきつかったり
・考え方の違いをきつく指摘したり
してしまっていて口論になったように思います。
文字だけでは気持ちは伝わりにくかったりしますので、なので最近は絵文字を使って文章をやわらかくしている人が多いのかなあと思います。
※文字だけでは気持ちは伝わりにくい
ご回答ありがとうございます。
相手の顔が見えない分暴言を吐きやすい。相手の反応が見えないので何でも好きなことを書きやすい。
たいていの場合一人で勢いで書くので、ついきつい言葉も使ってしまう。
返事が返ってくるまで時間がかかるのでいきおいがつきやすい。
こんなところでしょうか?
※たいていの場合一人で勢いで書くので、ついきつい言葉も使ってしまう
※返事が返ってくるまで時間がかかるので勢いがつきやすい。
ご回答ありがとうございます。
「文字には感情が込められないから」
だと思います。
私が習った中では、メール文や手紙といった文章だけで伝えられる気持ちは、全体の7%に過ぎないのだ
そうです。電話などの、手段を用いて、声だけで伝えようとしても全体の45%程度。
では、残りの55%はというと…。結局、身振り、手振りや表情といった、「目から入る情報」になります。
文章には感情が込められませんから、よほど注意して表現しなければ、簡単に勘違いされてしまいます。
メール文に顔文字を入れたり、文章に絵を加えたりするのはそういった気遣いの現れですよね。
ネット上で顔文字を用いたり、砕けた表現などが用いにくい議論の場では、文字表現によって感情が加工
されることなく、ダイレクトに伝わってしまいますからね(^^)
とくに議論する場合は当然相手とは真逆な理論で話しを推し進め、相手は意見の異なる部分を全否定して
くるわけですから。希に自分と同様な考え方を持っている人の意見まで、そうと気づかずに否定してしまう
こともあります。
まとめると、文字だけによる意思表示を行なう場合は、相手の感情を想像することしかできません。
ゆえに誤解が生まれやすく、感情を加えられられない文章という表現方法はその誤解を拭うことすら容易
ではありません。
ゆえに、簡単に対立が生まれやすく、場が荒れてしまうのだと思います。中には意図的に場の感情を煽る
やからもいますからね。
文字による感情の伝達手段は、よほど注意して行わなければなりませんよね。
※文字だけによる意思表示を行なう場合は、相手の感情を想像することしかできない。
ゆえに誤解が生まれやすく、感情を加えられられない文章という表現方法はその誤解を拭うことすら容易ではない。
※※メール文に顔文字を入れたり、文章に絵を加えたりする事で本来文章に欠けている「感情」を付加する事ができる。
ご回答ありがとうございます、id:nonkinonkiさん。
すごく興味深いので、できれば
>メール文や手紙といった文章だけで伝えられる気持ちは、全体の7%に過ぎない
のソースを教えてください。
文章同士の議論なので、相手方の表情や空気が見えないことから
※好きな事が書ける(自己中心的になってしまいがち)
同じく、好きなように解釈出来る(特に、相手方の言葉や、見えないからこその気遣いが足りない場合等)
※読む上での勘違いが生じる場合も…
そこで相手方の文章を読む
↓
上記の※繰り返し (尚、繰り返す毎にどんどん酷くなる可能性大)
簡単に言うと、ケンカになってしまいがちなのは このような感じではないでしょうか
※文章には受け取り手の解釈で、大きくニュアンスが変わってしまうという特性がある。
ご回答ありがとうございます。
やはり相手の顔が見えないからでしょうね。
相手の意図や感情が文章ではつかみにくいです。
文面ですと、よほど気をつけないと、自分が意図しないニュアンスを相手が汲み取ってしまう可能性があります。
なので、話し合いはなるべく電話や対面が良いと思います。
※相手の意図や感情が文章ではつかみにくい。
※よほど気をつけないと、自分が意図しないニュアンスを相手が汲み取ってしまう可能性がある。
ご回答ありがとうございます。
ではないでしょうか。
※文章ではニュアンスが伝わりにくい。
ご回答ありがとうございます。
>文章上での議論が、喧嘩になってしまいがちな理由を考察してください。
確かに文章だけでやり取りする場合は喧嘩になってしまうことが多いですね。
http://glossary.tank.jp/t09E2.html
一番の原因は「怒って書いた文章は相手を怒らせる」という点です。
最初は些細なトラブルでも、怒って書いた文章が相手を怒らせ、怒った相手の書いた文章でさらに自分が怒り、・・・・・・を繰り返しさらに見ている当事者以外の人も怒らせてさらに燃え広がっていきます。
防ぐ方法は簡単で、「自分が文章を読んで怒っていると感じたら2日は返事を書かない」です。
これは昔NiftyのFSFにあった「2日間ルール」というもので、トラブルの当事者は2日は互いに返信しないというローカルルールです。
2日もたって読み直すと面白いもので、なぜ最初に読んだ時にあんなに腹が立ったのか不思議になるほど冷静に読めます。
さらに、通常から気をつけておく点として
「否定→肯定」ではなく「肯定→否定」の形で文章を書くと良いと思います。
最初に相手を否定する文章を書いていると、後で肯定しても理解してもらえませんが、最初に相手を肯定しておくと、後で否定しても反発を受けることが少なくなります。
※怒って書いた文章は相手を怒らせる。
最初は些細なトラブルでも、怒って書いた文章が相手を怒らせ、怒った相手の書いた文章でさらに自分が怒り、・・・・・・を繰り返しさらに見ている当事者以外の人も怒らせてさらに燃え広がっていく。
喧嘩の回避法として・・・
※NiftyのFSFルール
「自分が文章を読んで怒っていると感じたら2日は返事を書かない」
※「否定→肯定」ではなく「肯定→否定」の形で文章を書く。
最初に相手を否定する文章を書いていると、後で肯定しても理解してもらえないが、最初に相手を肯定しておくと、後で否定しても反発を受けることが少なくなる。
ご回答ありがとうございます。
対面しての議論であれば、発言内容以外にも、表情・仕草・態度・語調などから発言者の感情を意識的・無意識的に読み取るので、自らが発言する際、表現を変化させる事で喧嘩になる事を回避しやすいと思います。
電話等の間接的なコミュニケーションによる議論だと、発言者の態度や表情などの情報が得にくいため、喧嘩になる可能性が高まると思います。
文章上の議論では、発言者の感情を推察する情報は、文章表現以外に無いので、受信者が発言者の感情について誤った判断をする可能性が多分にあり、感情の行き違いによる喧嘩に発展しやすいと思います。
※対面しての議論であれば、発言内容以外にも、表情・仕草・態度・語調などから発言者の感情を意識的・無意識的に読み取るので、自らが発言する際、表現を変化させる事で喧嘩になる事を回避しやすい。
※電話等の間接的なコミュニケーションによる議論だと、発言者の態度や表情などの情報が得にくいため、喧嘩になる可能性が高まる。
※文章上の議論では、発言者の感情を推察する情報は、文章表現以外に無いので、受信者が発言者の感情について誤った判断をする可能性が多分にあり、感情の行き違いによる喧嘩に発展しやすい。
ご回答ありがとうございます。
これだけ回答が溜まっていると既出かと思いますが、「声のトーン、表情、身振り手振り」といった付加情報がないと文章の「真意」はいかようにも取ることが出来るからでしょう。
田原総一朗さんが「テレビの時代になって政治家は大変になった。嘘を言ってもすぐに分かる。」と言っていたのを思い出しました。
※「声のトーン、表情、身振り手振り」といった付加情報がないと文章の「真意」はいかようにも取ることが出来るから
ご回答ありがとうございます。
・普段の生活態度があらわになる
・ホントの性格がでる
・いい加減な態度で臨む
・ネットマナーを知らない
・人間の暗黒面がそのまま示される
・国語力の低下
・語彙の不足
・相手を知らない、かつ自分を知らない
・民族性の限界
・二値論理でわりきりがち
・喧嘩好きがネットを好む
・会話べたな人が多い
・みんなに読まれている意識があるので、すぐ激こうする
・ネットライフがかかっている人もいる
・実生活のうさをはらす人もいる。というか、社会が落ち着かなくなるとネットでもそうなるのか?
※みんなに読まれている意識があるので、すぐ激昂する。
ご回答ありがとうございます。
口頭、対面の議論に対しての文章、非対面の議論であるとして回答します。
喧嘩になりやすい大きな理由は、
「伝達中に誤解の修正を行うことができない」ことであると考えます。
文章での情報伝達は書き手の表現力、読み手の理解力を双方が想像しながら
自分なりに解釈することで進んでいくと思います。
たとえ、過程において誤解が生じていたとしても書き手、読み手が
途中で軌道修正を行うことができない。または、困難であると言えると思います。
これに対し、口頭での情報伝達は
即時に相手の反応をみながら、伝えたい情報(目的)に即して修正しながら
行われることがほとんどでしょう。
※伝達中に誤解の修正を行うことができないから
ご回答ありがとうございます。
建設的な意見を交わす議論なら大丈夫と思いますが、
事態の収拾をするような議論であれば、難しいでしょうね。
特に、意見を持ち、自己主張をする者どうしであればなおさらです。
要は、議論を成り立たせることが難しいから、喧嘩のようになるのかと思います。
そんな場合、やはり対面して話すのが適します。
ご回答ありがとうございます。
再投稿です。
>すごく興味深いので、できれば
>>メール文や手紙といった文章だけで伝えられる気持ちは、全体の7%に過ぎない
>のソースを教えてください。
ネットで検索してみたのですが、ソースと呼べるほど明確なものをネットから引っ張ってくるのは難しそうです。
私が習ったのは、「選択理論心理学」という分野で、コーチングなどに用いられる手法です。
文字もそうなのですが、例えば電話で話しをするときなどに、一切抑揚を加えずに、ずっと同じトーンで話しを
してみてください。相手に与える印象はものすごく冷たいものになってしまいます。
回答中では、「電話などの手段などを用いて声だけで」伝える場合と表現しましたが、この場合は、音声よりも
寧ろ声に含まれる「抑揚」のことを意味しています。
厳密には、「抑揚を含まない音声や文字のみによる伝達手段」が7%、「声に含まれる抑揚や強弱」が38%、
「音声を含まない身振り手振りや表情」が残りの55%になります。
ですから、相手に本当に気持ちを伝えたい場合は、相手に直接会って話しをするのが一番良い、といわれるわけです。
このことが頭に入っていれば、同じ文章のみによる議論を行なう場合でも、同じことを表現するのに、どの表現方法
が一番正確に自分の感情を相手に伝える手段となりうるか、ということに関心が向かい始めます。
「内容や事柄」も大切ですが、それ以上にその奥に隠された感情がもっとも相手に気持ちを伝える手段となりうる
ようですよ。
何度も読み返せることが主な原因だと思います。
あと、文書を書く人はある程度教養が高く、また議論好きな人が多いのではないでしょうか?
そのため、
政府広報
論文
会社の報告書
には定型文があり、ケンカになりにくいようにしていると私は考えています。
http://q.hatena.ne.jp/1254255622
URLはダミーです。
※何度も読み返せることが主な原因
定型文があるのは業務効率化のためと考えていましたが、余計な感情を込めずにファクトを端的に伝える効果もあるのでしょうね。
ご回答ありがとうございます。
今までの私の経験では、力関係が不明確なので、序列をきめるために、威圧的な態度をとりがちなためではないかと思われます。
サル山の序列決めのようなものです。なぜ、力関係が不明確かというと言葉だけの世界なので、細かいニュアンスよくわからないからです。これは多くの人が指摘されていますね。
ブログに関連の記事書いています。
http://it.isogaya.co.jp/?action=journal_view_main_detail&post_id...
意見、忠告は、なぜ質が低いコミュニケーションなのか
質問本体とは異なりますが、 id:nonkinonki さんの『「抑揚を含まない音声や文字のみによる伝達手段」が7%、「声に含まれる抑揚や強弱」が38%、「音声を含まない身振り手振りや表情」が残りの55%になります。』について。
これは、メラビアンの法則です。
なお、メラビアンの法則が成り立つ条件は限られていますので(就職の面接指導などで拡大解釈されて使用されることが多い)、ご注意ください――下記、Wikipedia参照、または「メラビアン 都市伝説」でGoogle検索。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A...
どういった状況でのトラブルを想定しているのかわかりませんので、ネット(メール)上のやりとりに限定しますと、以下のような理由が考えられます。
細かいニュアンスが伝わりにくいので、内容に誤解が生じる可能性が高くなります
ニュアンスまでの理解が必要な議論のケースでは、特にこの傾向が強くなります。
また、相手の顔が見えないため、相手の様子に応じた話し方(喧嘩になりにくいような話し方)も出来ませんし
その場で反応が返ってこない前提があると、ついつい論調が必要以上に強くなっていることもままあります。
現実世界に議論の場を作っているわけではないので、相手に話し合う環境が整っているとは限りません
話し合う環境が整っていない状況で、無理に言葉を返そうとすると、メッセージの受け取り方に誤解が生じたり
メッセージの返し方に不備が起きたりする可能性が高くなります。
言葉でのやりとりのひとつひとつは、ネット(メール)でのやりとりに比べ、短い文章かつ短時間で行われます
曖昧な点・前提が分からない点があればすぐ発言者に聞き返せますし、
話し手は受け手の様子に応じて言葉を変えたり内容を補足することも出来ます。
一方で、ネット(メール)でのやりとりは、一度にやりとりする文章量が多くなりがちです
要点を押さえた文章にすると、細かいニュアンスの補足がより困難になります
(特にtwitterなどの文字入力制限がある媒体では、この傾向が強くなります)
逆に長くなると、文章中であまり重要ではないところの不明点・曖昧な点は、
無意識に自分の知識で補完してしまいがちになり、そういうところで誤解が起きやすいです
このような理由と私は考えていますが、以上を総括すると…
言葉同士のやりとりは、予想外に言葉以外の部分で内容を補足されていますが、文章でのやりとりはそれがありません。
その性質を理解して文章でやりとりを行えればよいのですが、大抵の人は言葉でのやりとりをそのまま文章でしてしまいます。
そういったときに誤解が起こりやすくなります。
誤解は喧嘩に繋がる場合が多いですが、上の3項にもある通り、文章でのやりとりは誤解が誤解と伝わりにくいのです。
よって喧嘩まで発展する可能性が高くなります。
私は普段使うよりも言葉は優しくしているつもりです^^
たとえば「〜じゃないですか。」は「じゃないですか?」にも「じゃないですか!」にもなります。
それに「〜じゃないですか」の前の言葉が反対意見の場合もっと強く怖く感じてしまいます。
言葉って怖いです。一歩間違えば人を言葉で殺せます(いじめなど。)でもそれ以上に人を元気づけて笑わせてくれます。
思ったことをいくつか。
・愚痴と相談の境目がわかりにくい。もしくは書き込む場所がまずい。
愚痴を聞いてもらいたい場合に、反論的な意見を言われるとそれだけで火が付きます。
相談用の掲示板で、愚痴を書いても意見が来るのは必然です。それを理解していないケースはよく炎上します。
・相手の痛いところに執拗にツッコミを入れる人がいる
本筋の議論と離れ、局所的な反論のみを繰り返し書き込むと火が付きます。
揚げ足取りに終始してしまうことで議論はまったく進みません。
進まないことに対する苛立ちもあり、ついには暴言を…。
・話の流れを変えるようなスキルを使う場所がない。
実際に言い合う形であれば、声のトーンや大きさ、発言のタイミングなどで会話の流れをつかめますが、文字で行う場合にできることは、語にインパクトを持たせること=きつい語彙を選ぶといううことぐらい。それをやると、相手にも火が付きます。
ネット上の書き込みは、燃料はいくらでもあるのに、消化器は少ない。
自然に鎮火するか、火元を遠ざけるぐらいのことしかできない。
周りに飛び火することもあるので大変ですよね。
相手が誰であっても、その場の空気・雰囲気を気にすることなく
自分の思うことを主張できるからではないでしょうか。
現実でどんな性格であろうと、文章でなら仮面をかぶることも可能
だから。
※文章だと長文の入力が面倒なこともあり、理由を省いて書き込みがちなので喧嘩が起こりやすい
ご回答ありがとうございます。