THEME:「日本の祭りは面白い!あのマチ、我がマチお祭り自慢」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とルポ例
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プレゼント変更ご案内
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※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は10月8日(木)正午で終了させて頂きます。
私もかつて「しょうじょう」が何なのか分からなくて、辞典で調べたりしたことがあります。
ショウジョウバエとかこちらから名前が来ているんですよ。
サルの悲しい鳴き声が川や谷に響いていたことで、村落の人が神のお達しと考えたことが始まりだと思います。
山形・秋田県境に止まったとき、夜中に聞くサルの悲鳴は迫力ありますよ。
私も鉄道旅行が大好きで、信越本線によく乗りました。越後岩塚駅は風情ある駅舎というよりは古いという印象しか残ってないですね。
ここでこんなお祭りがあったなんて知らなかったです。花火なんて当時珍しかったでしょうし、できるだけ当時のお祭りを儀式として保存しているんでしょうね。
蝋燭もきっと農家の副業として作っていたんでしょう。こういった生活する人の気遣いが感じられるマチやお祭りが私は大好きです。
世田谷八幡宮はよく自転車で行っています。何かイメージには合わないお祭りなので、日本人らしいお祭りだと思っています。
恒例の農大生の相撲はいいですよね。学生界でもトップに位置し、大相撲にも数多の力士を送り込んだ試合を見ると何か心のどこかで落ち着きが持てるのです。
学生相撲なので、体格差もプロ以上。ですが、そこにはプロ以上の気迫があるのです。
兵庫の運河祭りって、明治期から始まったあのお祭りでしょうか?
海運で富を成した方がかつては寄附をして運営が成り立っていたといいますが、いまはどのようにして運営しているのでしょうか?
世界でも有数の規模を誇っていた神戸港の趨勢と共に運河祭りって変化するんですね。
毎年地元のテレビ中継が入る大イベントなんですが
とにかくその綱の大きさが凄いんですよ
(TVで見るだけの自分ですが見るのは大好きです)
東と西で引き合う綱引き
参加する人も凄く多くて勝負の決着がつかない事もあります
今年ももうすぐやってきますが
楽しみですね
何気なくテレビのチャンネルを変えたら
この祭りの中継がやっていたので少し見ましたが
迫力があってすごかった~
テレビで見るだけでも
凄い迫力なのだからじかに見ると言葉が出ないほどかも
しれませんね・・
そういう迫力ある祭りを見てみたいものです
ぼくの住む兵庫にも運河祭りはあるんですよ。
普段は船など通らない運河であることは芝浦と同じですが、この日ばかりは川面がにぎやかになります。
ペットボトルで作ったいかだのレースがあったり、ジャズを演奏しながら運河を下っていくジャズ船なんかもあるんです。
会社の敷地のすぐ外を通る運河ですので、このお祭り、実に身近な感じがしています。
運河も毎年少しずつきれいになっているような気がしています。
馴染みが無いでしょう!でも名古屋市南部やその近郊では知らない人の方が少ないぐらい有名なんです。
天下のグーグルで検索すれば、当然出てくると思っていましたが全然ありません。
ショックですね~~~っ!!!
それで、言葉を分けて検索してみました。
「しょうじょう」・・・ありました!
ウィキペディア(Wikipedia)よりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%A9%E7%8C%A9
猩猩(しょうじょう、猩々)は、中国に由来する伝説上の動物である。
人語を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で、酒を好むとされている。
元来は礼記に「鸚鵡は能く言して飛鳥を離れず。
猩々は能く言して禽獣を離れず」とあるのが出典である。
後代の注ではしばしばオランウータンなどの大型類人猿に擬せられる(猩々はオランウータンの漢名でもある)。
オランウータンの漢名としても使われたのに合わせて
チンパンジーの和名は黒猩猩(くろしょうじょう)、
ゴリラの和名は大猩猩(おおしょうじょう)とされた。
■猩々祭り
愛知県の名古屋市緑区を中心とする地域の祭礼には、猩猩が祭りに欠かせない。
猩々祭りは旧東海道鳴海宿を中心とした地域で行われる。
猩々人形が子供達を追いかけ、大きな赤い手でお尻を叩こうとする。
叩かれた子は夏病にかからないという。最近はお尻を叩かず、頭を撫でる。
猩々人形は赤い顔の面と上半身分の竹枠組みで出来ておりその上から衣装で覆う。
大人がこれをかぶると身長2メートル以上の巨人となる。
どうもこれが派生して それぞれの地域に密着していったようです。
調べていくと宮崎駿監督の映画「もののけ姫」に出てくるキャラクターにも
「猩猩(しょうじょう)」があるようです。意外でした。
Yahoo!知恵袋http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1291029...
東京世田谷というと、世田谷文学館を思い出します。ちょうどサイトを見てみたら、ジュニア寄席を開催するとのこと。落語を愛する人が多いマチでもあったかと思います。
漫談ですと紙切り漫談は後継者さんが少ないのか、たまたま寄席に行かないだけで存在を知らないだけなのか、テレビではなかなか見ることができなくなりましたね。ラジオなんかですと、漫才やしゃべくり漫談は声だけですから、夜に結構発信されていますが、紙切りはラジオでは楽しめません。これはお祭りで楽しめると言うのはとってもラッキーなことだと思いました。
ピエロの事を聞いて、こちらには大道芸ワールドカップin静岡、というのが行われているのを思い出しました。今年は10月31日から11月3日までだそうです。
こちらの土日の静岡は、歩行者天国になるので大道芸をしているチームがいくつかあります。それもなかなか凄いのですが、ワールドカップとなると世界中から集まってくるのか(それとも在日の方か?)懐かしのチンドン屋さんから、サーカスクラスのスケールの大きいパフォーマンスを楽しめます。
これまた馴染みのない名のお祭りですが、なまはげのお祭りのようにとても楽しそうですね。
なまはげは確か「泣く子はいねーかー」と怒りながら(?)入ってくるのを、家主がなだめながら招き入れるものでしたが、しょうじょうべったんは「しょうじょうべったん くそべったん」とわざと怒らすのですね(笑)。
しょうじょうべったんを見て泣いている子供がいると、サンタさんを信じている子のように純粋だなぁって想像します。子供はもちろん可愛いけれど、それくらいの頃の純粋な小さい子って物凄く可愛いですよねw。
私も北海道といえば小樽はベスト3に入るマチなのですが、「雪あかりの路」というノスタルジックなイベント、とても素敵な風景が広がっていましたね。小樽の運河にそって、柔らかい雪と明りに包まれながら歩くと言うのも洒落たものです。
それに、小樽といえばガラス細工が有名なところ。以前、ガラス細工屋さんでオリジナルのブレスレッドを作ってもらいました。マチの風景を楽しみながら、オシャレなお買い物にも興じたくなってしまいます(笑)。
信越本線が越後岩塚駅にさしかかると、山の側にまるで古代にタイムスリップしたような大きな社が見えます。それが宝徳山稲荷大社です。
創立は遠く縄文の昔までさかのぼると言われ、殷帝大王(いててのひみこ)の命により物部美万玉女尊(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名(ぬな)の里に日の宮のみやしろを御建立したことに始まるのだとか。日本の歴史に最初に稲荷神が登場するのは8世紀初頭ですから、それ以前は日を祭る神殿として祭祀されていたことがうかがわれます。
現在の御祭神が祭られたのは持統天皇の時代と言われ、持統天皇の在位は7世紀末ですから、その差はわずかに十数年。ほぼ日本の稲荷信仰の発祥と宝徳大社の伝承は合致します。建物は近年建て替えられた物のようですが、由来を紐解くと、とても歴史の古い神社であることがわかります。
遥か昔は日本海側に大きな文化圏が広がっていたと言われています。ですからこの神社には、遠く島根の出雲大社と連動する伝承があるのです。それは神無月のはじめ、出雲の国に参集される神々様達がいったん越の国に集合され、この宝徳大社でくつろがれる、というような言い伝えです。たくさんの神々様を言い表すのに「八百万」(やおよろず)という表現が使われますが、ここにはそれを遥かに超える千五百万の神々様が降臨されると言われているそうです。
そこで神無月の初頭、宝徳大社に善男善女が集まって、神々様をお迎えするための壮大な明かりを灯します。それが何万本ものろうそくがゆらめく宝徳大社の神幸祭です。
すっかり日が暮れた坂道を登っていくと、巨大な朱塗りの鳥居とお社が現れました。ここが大社の本殿です。本殿でお参りを済ませ、さらに山道を15分ほど登っていくと、これまた大きな鳥居が立っています。奥宮です。
奥宮は普段は無人ですが、この日ばかりはテントが張られ、たくさんの神職や巫女さんが待機しています。ロウソクや御供物を売っているテントがあるので、そこでロウソクなどを買い求めます。
ロウソクに願い事を書いて供えると願いが叶うといわれているそうなので、私も願い事を書きました。奥宮の向かいには体育館のような大きな屋根が作られていて祭壇がありますので、御供物を供える人はそこに供えます。
さらにその向こう側にはグラウンドのような広大な敷地が広がり、そこがロウソクを灯す専用の広場になっています。願い事を書いたロウソクはそこに立てるのです。私が行った時にはもう、すごい数のロウソクで埋め尽くされていました。
広場に足を踏み入れると、何万本ものロウソクの炎に包まれたその場所は、まるでこの世とは思えない幻想的な世界でした。地球創世の昔に返って燃えさかる溶岩の中に立っているような錯覚すら覚えます。炎の織りなすイリュージョンに、しばし心は何億年の昔の神話世界に遡ります。
と、花火が上がりました。花火大会ではないのでそんなにポンポン上がることはありませんが、異世界に迷い込んだように呆然としていた心をシャキッと元に戻してくれました。その後は一晩神事が続きます。
http://www.youtube.com/watch?v=wpm1MaEkEL0&feature=related
youtubeにこの神幸祭の様子を撮った動画がありましたのでリンクしておきます。この神社は大変に霊験あらたかとのことで、全国にたくさんの崇敬者がいるそうです。ですからお祭りになると全国から善男善女が押し寄せます。
御神輿が出たり露店が並んだりするお祭りではなく、厳粛な神事を行うお祭りですが、これが本当の祭りの原点ではないかと思います。今年ももうすぐ神無月。神幸祭の季節がやってきます。あまりに遠方なので簡単には行けませんが、あの時見た幻想的なロウソクの明かりを思い出し、そっと越の国に向かって手を合わせます。
それ僕もおなじ
長野県原村は街明かりの影響が少ない、日本屈指の美しい星空が見られる所です。ここでは定期的な観望会が開かれていますが、星まつりの時はただの観望会ではなく、光学メーカーや光学機器販売店、天文グッズ販売店、その他たくさんの協力企業がブースを構え、楽しいイベントが繰り広げられます。
会場の八ヶ岳自然文化園は標高約1300m。空気も澄み渡って、驚くほどの星また星。まるで宇宙のど真ん中にいる気持ちになってきます。その感激を、星が好きな人たちと共に味わっていく楽しさは格別です。
しかしこれは日本有数の天文好きが集まるイベントですから、やってくる人たちは半端ではありません。とにかくまず設備がすごい。信じられないような巨大な望遠鏡を持参する人もいて、高価な機器や高度な技術で作られた自作機器などが林立します。
そして皆さんの知識がまたすごい。たまたま隣り合わせた人とジュースを飲みながら雑談しただけで、学会誌を閲覧していくような高度な情報がバンバン出てきます。皆さんただ星が好きというだけでなく、一歩でも星に近付きたいと、すごい勢いで学んでいるんですね。
でも、家族連れの人が多いです。高度な光学機器を除けば家族キャンプに来たような人たちがたくさんです。ちっちゃな幼児もいれば、元気のいい小学生もいます。家族で星を眺め、そして見知らぬ星好きの人たち知り合いになって交流する。きっと子供心にもすてきな体験が得られることと思います。
昼間はあちこちのブースで開かれる様々なイベントや興味深い展示などで楽しみます。星のことばかりでなく、お茶の野点があったり、音楽のライブが行われたり、なんと落語の高座まであったりします。子供のための科学実験コーナーや紙飛行機大会など、天文に興味が無い人でも楽しめるコーナーが盛りだくさんです。
また星空講演会というのもあって、講師は天文学者というより、天文雑誌の執筆者として著名な方などが多く、アマチュアの心を熟知した楽しい講演を聴かせてくれます。もちろん日が暮れればみんなの視線は夜空に向かいます。観測専用のコーナーには望遠鏡の砲列が並び、夜を徹して星談義に花を咲かせるのです。一応、適度な睡眠を取りましょうというのが参加の心得ですが、星見屋は寝るなら昼間ですね(笑)。
こちらに去年の様子がたくさん掲載されています。
http://www.nab.co.jp/~harlock/2008/hara2008/
サマーホリデーin原村星まつりの日程は、毎年8月の第一金曜日17時開会、翌日の土曜日は丸一日星三昧、そして日曜の午前9時に閉会、お疲れ様というスケジュールになっていますが、終わった後にも「あとのまつり」企画として野辺山電波天文台見学ツアーなどがあったりします。
神社仏閣のお祭りとはちょっと違ったイベントですが、ある意味ここには、人々が心を一つにして集い、楽しみを共有していくという、祭り本来の姿があるのではないかと思います。
最近はお盆前は忙しく、なかなか参加のチャンスが掴めませんが、また行きたいなぁ。2010年の開催予定は8月6日~8日だそうです。
TVのニュースで見るたびに一度はこの眼で見てみたい
そう思いますね
南の島に住んでいるので
寒さに震えるかもしれないけれど
雪の風景というだけでも
あこがれちゃうんですよねえ・・。
雪像の一つ、一つの大きさに感嘆してみたい
旧暦の8月1日(八朔)は八代海(不知火海)に神秘の火「不知火」が現れるとされ、その前日から二日間に渡って行われるのが、この不知火海の火まつりです。
地元ではないのであまり詳しいことは書けませんが、とにかく古事記や日本書紀の時代に迷い込んだかのような幻想的な祭りです。
それもそのはず、この祭りは日本書紀にある景行天皇九州御巡幸を綴った記述に由来しているのです。
いわく、景行天皇ご一行は、暗闇の八代海で方向を見失い、あわや遭難という危機に見舞われました。するとご一行の前に不思議な火が出現。その導きによって無事陸地を目指すことが出来た…と。
期間中は盛りだくさんの行事が行われますが、なんといってもハイライトは、景行天皇の伝承を今に再現する松明行列でしょう。祭りの奉仕者は、古墳時代のような装束で海岸に登場します。海上には大きな台に据えられた、まだ未点火のかがり火があります。
地元の市長ら一行を乗せた船をご巡幸船と見立てて、それが海の中の鳥居に姿を現すと、古代装束の射手が海上のかがり火目がけて火矢を放ちます。すごい腕前!!見事かがり火から炎が上がりました!!
こうして海辺が炎で照らされる中を、何十人もの古代装束の人たちが船を出迎え、そして各々松明を手に町に出て練り歩きます。この松明行列は荘厳かつ厳粛。古代の儀式もかくやと思わせる雰囲気です。
松明行列が終点の公園に到着すると、雰囲気が一変します。踊りや太鼓、爆笑の舞台演芸もはじまります。海上では花火が打ち上げられ、こうして夜を楽しく過ごしながら、不知火が見えると言われる深夜を待つのです。花火が夜空に昇り、海上にも映って、上下二重に輝きます。この光に誘われて「不知火」が現れるか!期待が高まります!
深夜0時を過ぎた頃から「不知火」が現れると言われていて、祭りは喧噪を鎮めて不知火の観望会へと移っていきます。
「不知火」は、潮の干満の大きさや風、海面上の気温など、さまざまな自然条件の総合によって発生する自然現象です。ですから、潮の干満と連動する旧暦で祭りの日程が決まるのですが、だからといって毎年確実に見られるものではありません。私が行った時には……でした。みごと「不知火」を見ることができた人には証明書が贈られるそうですから、またいつかきっとチャレンジしてみたいと思います。
"true tears"というアニメがあるのは知りませんでした。富山の城端のマチは風情あるマチとして知られていて、私もバスで通過したことがあります。私の観光目的は食事だったので、お祭りなど関心がなかった当時です。あぁ、当時イエはてながあったら・・。
外部の人や観光客が踊りに参加できるというのはいいですね。踊りというとただ眺めているだけ、地元のお祭りでも沼津音頭というのがあるのですが、多くの人が見ているだけ(苦笑)なんとか踊りも楽しく、多くの人に知ってもらえないかと考えたことがあります。
比較的新しいお祭りだとしても、風土や習俗をきちんと伝えていれば密度は軽薄な「お祭り」よりもあると思いますし、お祭りの充実感も違うと思うんですね。地元のお祭りが夜店・花火と当たり前のお祭りになる前に本当のお祭りの意味を考える貴重な機会になりました。
思い出したので、最後の1つの回答権を使います。芝浦運河はもともと移動には便利なところだったんですよ。
晴海からですと船が出ていると思いますが、その船に乗って浅草まで登ってみるといいかもしれないです。
都内はもともと海が入り組んでいたところなので、地名や地勢を知る上で「川上り」をしてみるといいことかもしれません。
TomCatさんの「城端むぎや祭」を調べてみました。華道もそうですが、動作には機敏さと不自然さのないことが求められますよね。
踊りにもきっとそういうことから生まれたのではないかと思っています。
お祭りから、動作や所作など日頃の振る舞いを見つめ直すいい機会にしたいですね。