140文字のつぶやきにどれ程の価値があるのでしょうか?
「空間、情報の交差点」というのはいいですね。
個人的には、テキストメッセージを使ったリアルタイムのコミュニケーションを、シンプルに一元化できるインフラの一つだと思っています。
twitterは機能が少ないなど仕様がシンプルでAPIも公開されているので、アイディア次第でいろんな使い方ができるという点が魅力的です。
140文字に価値があるかというよりも、140文字分のメッセージングインフラを全世界で勝手に用途を考えて使える、というところに価値があるんじゃないかと思っています。
人間同士のコミュニケーションだけでなく、機械と人間のコミュニケーションも可能だし、他にも様々な twitter を「利用した」サービスがどんどん生まれているのでますます楽しみです。台風が来たときには近辺の状況が TweetMap などを使って地図上でリアルタイムにわかったりして便利でしたよ。
例)
ASCII.jp:Twitterで使えるbot50徹底レビュー!
http://ascii.jp/elem/000/000/410/410755/
RFID認証・Twitter通知搭載の猫ドア Tweeting Cat Door
http://japanese.engadget.com/2009/04/09/rfid-twitter-tweeting-ca...
ねとらぼ:Twitterで抽出お知らせ mixi社内に“萌え”コーヒーメーカー - ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/02/news072.html
TWEETS MAP
・・・と私情を書いたらミもフタもないので。
「短い文章だから楽しめるのか?」という疑問に対する回答であれば「だからこそ裾野が広がった」とも言えます。
ブログは日記同様、何か気取っていいこと書こうと頑張って、結局何も書くことが思いつかずに終わる。
でも短い言葉で「つぶやく」なら、何か思いついた事を書き込めばいい。
それを他の人と共有する事で、気がつけば何かうまいこと会話が繋がってしまうのがtwitterの魅力とも言えます。
・・・ただ僕個人的には、特定の人の無意味なつぶやきをウダウダ書きなぐられるのを見るのが嫌でやめましたけどw
やっぱハイクの方が(ry
書いた文章を短くする事の方が大変でして…。冗長な文章を書くのは簡単なのですよ。
私は twitter を使わない理由はその辺りにもあったりします。
酔っぱらってくると面倒臭いのです、文章を短くするという「作業」が。
ですが、ある程度制限があった方が内容が詰まるという傾向がある様に思えます。
単に語呂を持ち合わせていないが故に短くなってしまう方と、短く上手く相手に物事を伝えられる方がおりまして、
後者ならばフォローして発言を眺めていられる事は楽しいのではないのかなと思います。
ハイクにはほぼ文字数制限が無い (65000 バイトまで) 事やお絵描きができる事など色々違いますが、
twitter には現行のまま文字数制限があった方が良い様な気がします。
将来、バージョンアップして無制限とかになるのかもしれませんが。
しかしながら、私はその時には twitter が逆に廃れるのではなのかなとか想像しています。
ほら、MS-Paint だけでどこまで描けるかとか、軽自動車でどこまでやれるかとか、そうした壁があった方が楽しかったりもするのですよね。
そしてそういう場では一層個性が出てくると言いますか、ネットならば文章力なども明確になってくるのではと。
でも、どうしてはてな内なのに皆さん twitter の質問ばかりするのでしょうね、はてなハイクも使って下さいよ(笑)
電車が遅れてるよ、みたいな情報が検索、閲覧できたり、はてなブックマークのコメントを投稿したらそれに対する感想を読んだり議論のやりとりが出来たりと、勿論従来のウェブ(ブログ、rss、はてブ)でも出来たことではありますけれど、情報の広がる早さとコミュニケーションの速度が凄いな、と思っています。
followを自分で選択出来る=読みたい人の書き込みだけを見る事になる、というのは魅力と書いてしまうと些か語弊があるとは思いますけれど情報コントロールという意味においては有用な手段であるように思われます。
140文字の呟きに価値があるのではなく、多くの人がpostを行っているという事実、そしてそれが「いつでも何処からでも」出来るというところが面白いのだと思っています。