彼はいつごろからユダヤ人の排斥の考えを持ち出したのでしょうか。それは彼のどういった著作から知れるものでしょうか。この辺りの経緯について書かれたものがあればそれも教えてください。
著作では無いですが…
別の某サイトに
「いつごろからユダヤ人の排斥の考えを持ち出したのか」が書かれています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115709...
ヒトラーとホロコーストの関連ついて、「ウィキペディア」によると、
時系列的には、次の記述が見られます。
*940年、ヒトラーはドイツ国内のユダヤ人をマダガスカルに移送させる計画
(マダガスカル計画)を検討させた。これはドイツの影響下からユダヤ勢力を
排除するための作戦であり絶滅作戦ではなかったが、戦局の悪化により移送
は不可能になった。
*1941年12月には閣僚の提案によってユダヤ人滅亡作戦を指示した。
*1942年1月にはドイツ国内や占領地区におけるユダヤ人の強制収容所への移送
や強制収容所内での大量虐殺などの、いわゆるホロコーストの方針を決定づけ
るヴァンゼー会議が行われた。
この際に「ヒトラー自身がユダヤ人絶滅作戦を口頭で指示した」という説が
あるものの、ヒトラー自身がユダヤ人絶滅自体を命じたという書類は存在しな
い為「ヒトラーがユダヤ人絶滅を命令していないという説」も存在など。
その時期や命令方法については、研究者によって見解が違っている。
*1941年12月12日に全国指導者や大管区指導者を集めて行われた会議において
ヒトラーは「ユダヤ人の絶滅は必然的結果でなければならない。」と演説して
おり、その演説はゲッベルスの日記に記録されている。
また、参考までに「ヒトラーのユダヤ人に対する行為は何故なのか」という考察で
次のような説もありますので、付記しておきます。
↓
ありがとうございます。
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/frame.cgi?page=browse....
新書ですが。面白い本でしたよ。
ミューヘンが一時的にユダヤ人社会主義者の手に落ちたことで、土壌として、当時のミューヘンには反ユダヤ思想がすでにあったこと、そういう時代背景にあるとき、彼は政治家を心ざし、頭角をあらわしています。
筆者は、政治家を志す半年前より急速に反ユダヤ思想をかためたと述べています。
彼の政治家としての野心、天才的演説の力を認めつつ、「だれが今の苦境の原因をつくったのか」という民衆の不満の受け皿となったのだと推察しています。簡単にいえば、当時ヒトラーだけでなく、誰もが持ちえたユダヤ人に対する不満を、誇張することで、民衆ウケを狙ったということでしょう。
ありがとうございます。早速、読んでみましょう。
ありがとうございます。深層のところでこれですというものは中々、わからないでしょう。
おおまかなところで納得できます。