実は文字には本当にその言葉通りの現実を創る力というものが備わっているようなのですが、みなさんはこの話を信じますか?
そして、自身または身近にまさにそんな方法によって望む現実を創ることに成功した例があれば、そのエピソードの詳細を聞かせて下さい。具体的にどんな書き方をしたのかということも。
名前の存在の大きさは,合理的に説明することも可能だと思います。
親や周囲の人が,本人に名前の由来を語って聞かせたり,自分自身で名前の意味について考える機会があるからです。また,そもそも名前に親の教育方針が反映されているからです。
もちろん名前(その文字)が一個人を形成する一要素として小さからぬものであるというのは認めます。
しかし、他の要素、例えば知能や体力、ルックスと比較すると小さなものでしょう。
例えば、「幸」という名前をつけられた人がおり、みんながうらやむ幸せな生活をしていたとします居ます。
極端な話ですが、この人は「幸」という名前に相応しい心がけや努力をしたからそれを得られた確率は高いですが、
毎日部屋に引き篭もって念じながら自分の名前を紙に書きまくったから幸せになったという確率はほとんどゼロでしょう。
何が言いたいかというと、いくら立派な文字が並んでいても、それを活かすも殺すもその人次第というわけです。
あくまで、能力や努力に付加しえる要素として名前(文字)があるわけで、文字から能力や努力が生まれるわけではないということです。
決して、心を込めて立派な文字を並べれば他に何もしなくても世の中がその通りになる、などということはないでしょう。
親の教育方針に関しても、名前どおりの人生を送った人間よりも、そうでない人間の方が比較的に多いでしょう。
その根拠は簡単なもので、大半の親は自分の子供に悪い名前や不吉な名前を通常はつけないからです。
しかし現実には主観的であれ客観的であれ、悪い人生、不吉な人生を送っている人は少なからず存在します。
もし名前どおりの人生が送れるとしたら、早死にした子供には「死」の字、連続殺人犯には「殺」の字がついている必要があります。
とまあ、文字は頼る/信じるものではなく、使う/活かすものだという意見です。
それが本当であれば、名を授かった瞬間から人生が決まってしまうようなものです。
仮に、「不幸」という名前をつけられた人は一生を不幸に送る=努力すらする意味が無い、とは信じる気にはなりません。
また、「幸」という名前をつけられた人は一生を幸せに過ごす=努力しなくても大丈夫、などという論理がまかり通るほど世の中甘くは無いと思います。
宗教も迷信も、科学ですらそうですが、未来を導き出すのは自分の意思と判断であり、経典や聖書の言葉や科学法則ではありません。
それらは全て、一個人の生においては一つの判断要素、もしくは後日再検証する際のネタでしかないと思っています。