今の政治で、結果どうなると想像していますか?

1、公務員の採用人数を減らす。→国民から職を奪うのだから、国会議員はもっと犠牲にするべき。
2、基地問題。アメリカと協議して得た結果を皆様にご理解いただけるように。→自民党がしたことをじゃなくて?
3、高速道路無料化延期→結局何がしたいの?
4、子供手当、高校無料化→親が働かなくても子供はどうにかなる状況は、ある意味怖い。出産手当の方が良かった。
5、事業仕分け→事業廃止ででる失業者数などの検討は?
元々別に自民党で良かったと思っている人間なので、今の政治ででる変化は、今の政治を指示している人たちの中だけで受け止めてほしいと常々感じています。私の今の考えでは、影響を受けたくありません。
今の政治の結果、日本はどうなるのでしょうか?
できれば、プラスになることは現実的で詳細な検討を知りたいです。

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回答46件)

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韓国のイ・ミョンバク氏が日米に代弁させてるようですが・・ takokuro2010/05/27 09:17:24ポイント1pt

北鮮が撃沈したと言うことにして

そのことについて

南鮮(韓国を海外ではこう呼んでるようですが・・)のイ・ミョウバク大統領が

日米首脳に

委員会で彼の主張を代弁するように電話したようですが・・

もし??

北鮮を占拠してる成りすましの将軍様が

南鮮のイ・ミョンバク土木ゼネコン大統領(実は、今の中国や世界中の

ヒステリックな土木建築工事は

彼の指示の元で進められてるのでは??・・??)

と協力して

ケンカしてるように見せ、

日米中を戦争の仲間に引き連れだそうとしてることはないだろうか??・・??

歴史改ざんがされてる??

万葉集の『桂木の高天タカマの萱屋カヤの早矢ハヤ知りて

     刺めささましを、今ぞ悔しき』

ヒミコ?と神武帝は

大山の山深いところまで夷賊に終われ亡命し、

何とか追っ手が来なくて安寧な日を過ごし

皇子に下の出雲に葦が豊かに生い茂り水を浄化した湿地に

水田を開墾し治めるように命ず、

ある年、見事に水穂、稲穂が実らせた頃、

皇子は

下の水穂の国を見下ろせるところから

その水穂(稲穂)の国で

悪者たちが暴れまわって騒いでるのが見え

「これはいけない」と早速、ひきかえし

ヒミコに伝える

ヒミコは神武帝に相談してから

天の四洲川(ヤス川 明治期までヨをヤに宛てはめられる

      『八』は倭人たちはヤァと呼んでいて

      元々は『)(』と記し

      川が洲?河原で狭まったところで議員?大臣?らを集めて

      会議?議会?をしていたところ・・

      国会にあたるところ??

      それを八卦の指示に従って

      略奪を繰り返し進めて行く戎賊・八岐大蛇に表現されるが

     『8』人の頭がいて龍を信じていた・・

      彼らが大和のヒミコたちの都にたどり着いて

      橿原神宮の前身を建て、

      ヒミコたちが都を手放す代わりに幼い一番下の王子すさのお(須佐の男)の命を助けてくれるように約束し

      置いていったあと、

      育て、自分たちの娘と結婚させ、

      その後も、

      須佐の男にヒミコたちの亡命先を偵察させ

      暴れさせ、川上で川をせき止めたりして干ばつや洪水を起こさせ

      弱ってる所を攻めさせた・・

      和歌山のかつらぎ町のニオ神社は

      ヒミコの跡継ぎの姫が黒い馬に乗って周国から救出に派遣された神武帝の若者と

      結婚するための絹を織ってたときに

      それを聞きつけた須佐の男が

      黒い馬を赤はげにして(皮をむいた、夷賊は赤色の衣をつけていた)

      機織中のニオ姫(ニオとはカイツブリの倭語で、元々はオシドリになるはずだったのに

      暗殺された姫をヒミコは亡命する先々でも悲しんで

      オシドリを見るたびに『ニオ』姫と呼んだことから

      のち、戎賊がかつらぎ町を征服した時、

      丹生ニオ神社(丹というのは赤い色砂のこと、埴輪ハニワを作った土丹(赤土)は

      垂仁帝御陵の奥にある県立ならHPのあたりは

      昭和60年までは一度も掘削されていない所で、

      官舎の庭を掘ると

      20センチも掘るときれいな赤土粘土土の層が有り、

      それで

      尼ヶ辻(尼とは実は神道での巫女?、天アマ、海女アマ(伊勢神宮近くにあった海士郡は

          姫の宝物として『真珠』を採っていた女性職)

         (明治期?初のパリ万博に出展したパールの(マッカツたちにpear西洋梨に当てはめて英訳されるが

          pureとなづけたつもりがpearに変えられてしまった)

          御木本幸吉が真珠を人工的に作ることに成功して平和の鐘としてパリ万博に出展だったと思う

          長池小学校の頃の国語か大阪の副教材で教えてもらった覚えがある)

      元々、垂仁帝の御陵を守っていた皇室の女性を尼と言っていたので

      その周辺は、『尼ヶ辻』と呼ばれていた

      その自宅?邸?が現、唐招提寺で

      聖武帝の仏教マッカツ・ゼンエコン集団が倭国を襲い

      次々遷都させたり、寺を建造させたり仏像を作らせ、

      ゼネコン、建築費用を分捕りながら

      遷都した先々を占領していった・・

      彼らは仏教を盾に様々なテロをして

      暗殺や干ばつ、洪水、虫による飢饉などをおこしては

      仏教のたたりだと恐喝して寺やおどろおどろしい仏像を建てさせた

      聖武帝は本来の仏教とはこんなものでないと、

      若い僧を教育すべく

      鑑真和尚を唐よりよび

      尼ヶ辻の尼の邸内に

      仏教学問所『招提寺』をつくり、若い僧たちが

      オカルト仏教ではなく真の仏教たるものを学ばせる・・

      のち、マッカツが主権を握るようになると

      招提寺を増築させ、唐招提寺と改名させる・・

      神仏併合で神社とお寺がいっしょにされたのではなく、

      元々、神社だった所をお寺に変えて行ったというのが歴史上の真実だと聞いた・・

      なお、神社は鎮守の森の麓に社をもつが

      マッカツが建てたお寺は

      鎮守の森を制圧したという証拠に

      頂上近くに建てられたそうだ・・

      空海は鑑真和尚をよぶにあたり

      朝廷に信仰される法華経(鶯にシンボル?人間の差別?セクトを主張する奈良の南都仏教に対し

      皆は平等で民主主義社会を主張し

      倭人としての自覚を説き、マッカツ勢の南都寺院と論争

      これを天台宗の弟子だった法然(源空)と弟子の親鸞は

      貴族武士蘇民に広く支持され

      1186、叡山・顕真にサポートで

         大原問答を大原勝林院で

         叡山内の南都派僧と議論し信服を得、

      のち、マッカツ勢の興福寺僧兵らの圧力で

      マッカツ拠点の"土佐"に流され・・

      洗脳生活を送らされ、『浄土宗』南無阿弥陀仏のお呪いだけで天国にいけるという宗教に変えられてしまう!)

      (親鸞はシャ空(糸+卓)と言う名だったが

       越後に流され、

       そこでのほうはまだ若いというので

       俗に戻され妻帯・肉食させられ、

       善信房と言う名に改名させられて

       浄土真宗を開祖させられる・・

       でも本当は神道の『真』実を追求したのが彼自身の本心だったが

       マッカツらの圧力で

       ゆがめられてしまったものの

       明治帝は見真大師という贈り名を送られてる)

   ・

    失脚させようとする元々はアリストテレス的ヒポック偽善的なルールで

    民主主義の実態を破壊するカルトである儒教側の僧兵?工策員?の空海は

    最澄を失脚させる狙いでお供し

    長安(三菱・永易?氏??)で

    真言密教と言う呪術やオカマ(宦官)や九の一(色欲系で朝廷と仏教界を堕落させ

    倭国侵略の機会を作る・・

    帰国しマッカツ嵯峨帝に宦官に周囲を取り巻かせ、九の一を与え、

    ニオ姫(名前は高?田鹿?タカ鹿はカジカ蛙が田の周辺の川で鹿のように美しくなくことから??

         確か・・??子どもの頃、高槻だか?能勢だか?まだ、靱公園だった時期の博物館から

         カジカ蛙を見に行って

         初めはそのおどろおどろしい姿に気持ち悪かったのですが

         珍しく、何時間か川遊びをする時間が有り

         遊んでるうちに持てる様になって

         あんまりいい声で鳴くので連れて帰って

         西田辺のそこらじゅうを掘ってミミズを捕まえてえさ探ししたことがある・・)

      弟は、桃が池まで探しに行ってくれ

      あるとき、ボート遊びをして

      (どういうわけか?!住宅街ですのに一軒だけ

        西洋お城風のラブ・ホテルが昔からあってその前の桃が池には

        白鳥やアヒルが居て鎮守の森も残っていて

        貸しボートがあって

        4年生の担任の滝川先生は

        体育の時間、校外へマラソンに連れてってくれ

        桃が池のそばの公園で皆を仰向けに寝転がせ

        『空と雲を見よ』といわれた・・

        あのラブホテルが松山さんという酒梅組の3代目??・・??!?・・??

        去年、祖父の死後、法名が変えられたことや

        無理やり、長居公園のお寺で大々的なお葬式を常夫叔父と和夫さんとがし、

        そのあと、永坂の墓守をしていた祖母の姉がもっていた位牌を

        常夫叔父と靖代叔母が

        西大谷に渡して

        それと引き換えに

        新しく作った(我が家にはこれまで仏壇が祖母やひいじじの頃からなかったし、

        谷口の家でも無かった(仏間自体がなかった)つまり過去帳なんてあるわけがない)

        過去帳を

        母がもらったと靖代おばは

        入院中、留守中に急に6つも今までなかった位牌が出てきたと言うので

        娘と父が笑いながら話していて

        入院した当日、弟が

        まだは母生きようとしてるのに

        私が行くと最悪の事態、死を覚悟せよといい、

        何だか芝居じみてる・・??ヘン??と思い、

        去年、一月に靖代おばにだまされて

        静恵さんが叔母に大宝の家をたとえ月々数万円分割でもいいから

        買ってほしいと言い出しに出かけた時に

        母を騙して

        静恵さんが祖父が自分にと遺言してくれた遺産であるはずの大の家を

        自分のものとして買えというといって

        当日、母は私と上田会計事務所に父とともにでかけるはずだったのを

        急に呼び出し、

        静恵さんはそうとも知らずにハイキングの後

        自分ではいい話を持ってきたつもりで

        すでにパイロゲン?と見せかけた覚醒水準を落とす?薬が入ったお茶を勧められ??

        また、静恵さんもつくと母が来ていてびっくりし、

        やはり、お茶を飲んだ後、

        2人とも、兎も角、記憶がないといっていた・・

        ご多忙で金沢への講演で中々連絡を取れなかったのに

        やっと植田先生のアポ当日、

        父から母が急に足立に呼び出されて出て行ったという電話が有り

        今日はいけないから先生に連絡を採るようにと言う

        私は何事が起こったのか、

        母の形態はかからない(電車)、足立に電話すると

        足立さんの長男?だったか足立さんが出ていて両親2人とも留守だと言う

        そのあと、安立さんから電話がかかり、

        母の携帯番号を教えるようにいうので教える

        何が有ったのかはとぼけて、言わない・・

        静恵さんとも連絡が取れない(ハイキング中は形態をきりっぱなしにしている)     

        何か仕組まれてる?ヘン??ッて感じ、その後、足立に半時間ごとに電話するが

        かからない、

        一度かかった時には、

        静恵さんはトイレだといい、折り返しするように言うが

        そのまま・・二回目にやっとかかった時は

        静恵さんはまだ8時だと言うのに寝てると言う・・

        トイレに行ったのは気分が悪かった??睡眠薬??

        このときの結果で

        大宝は売却され

       そのお金で

       静恵さんは福屋工務店で山坂神社の家を買い、

       そこに大宝のめぼしい家具や食器など持ち込み

       『ヒモ状態の足立さんと分かれるなら大阪へ帰ってきて

        つきに僅かでもいいからお小遣い銭程度のお家賃をくれればいい』と

       母と山坂の家を決めてもことだった・・

       常夫叔父も足立と分かれるようにいっしょに靖代叔母に説教したと言ってた

       というのは・・

       一度目に静恵さんが東京に様子を見に行った時は

       お家賃をすでに半年以上も滞納状態で

       足立さんは郁子ちゃんの子どものお守りをしに毎日

       マンションへ出かけ運転手をするのが日課だったと言う・・

       私的には静恵さんから

       今、遺産を靖代おばに渡しても

       足立さんが自分のものにしてしまうだけになるかもしれないから

       郁子ちゃんのご主人が住友だか?不動産でバリバリしてらっしゃると言うので

       郁子ちゃんに相続するつもりで

       静恵さんは郁子ちゃんの方から

       渡されるものだと私は思っていたが

      靖代叔母が大阪に着てから、

       母は騙されたことを認識したようで

       入院中、意識が藻だってから私がおばを連れて行くと

       どうして呼んだとたいへん怒った

      また、ICUにもすぐに駆けつけている・・ヘン??・・??

       静恵さんには知らせないで・・!?!

      どうも・・突然出てきた位牌やミユキさんや和夫さん、米倉、ヘンな人たち

       私が子どもの頃から知ってる母の友人ではなく、

      むしろ避けていた人たちが

      我が物顔で来ることや

      病院での対応が異常であること、

      母や父の様子も

      『『誰が聞いてるか分からない』と真剣に個室で言うこと・・

      祖父死後、西田辺の母を手伝う為に南田辺に引越してきて

      毎日、家族の一員としていた静恵さんが来れない状態?

      母が呼んでくれた時に行くという状態、

      目を傷めたときに古座からアイオイへmすめたちを相生にひきとり

      大阪での生活を始めれるようにサポートし、

      俣、母が西田辺へミユキさんの言で祖父の元から出て

      竹中さん(材木経営)と草葉さん(焼き物の土の卸)rつまり・・マッカツ系?の間の家に引越して

      質屋に着物を入れて薬屋さんの支払いをした頃、

      民子叔母が用立ててくれた・・代わりに着物を渡したが

      民子おばは私が結婚する時にその着物をくれた・・

      そういう祖母が早世した後、

     一心同体で助けあって幼い伯父と叔母を育て、

      浪費家の海辺育ちのミユキさんの生んだ和夫(はじめは良だったhずですが・・?)も育て

      山本の叔母が中々お見舞いに来てくれない・・

      これない上体に有ったよう・・

     SCUの時、アッコちゃんといっしょに来てくれたとき、

     ははは高熱で撃つうtだけれどホッとした笑顔を見せた・・

     

      母は自身が呼びたい人を呼べない状態にあるなど・・変ですので

      何もかもが自分雄意思に反することを強いられてるのが

      上六へ引越してからの母の生活で

      ただ、旅行へ娘たちと5人で出かけた時は

      車の中とお部屋では昔どおりの和やかで落ち着いたかんじでした・・

      母と大阪で外食する時は初めに決めていたところでないと

      予約してなくても大変怒りますし

      そばにヘンな中高年女性がテーブルし

      母も父も言葉を選んでやや、下品な話題にしたり

      私をバッシングしたりすることが多い

    私も、エキスポ・ホテルである人と待ち合わせをしたとき、同じことを感じ

      馬鹿げたわだいをし

      この不況に

      さしてしっかり仕事をしてる人にも見えない女性たちが

      グループで周囲の席を取り囲み私のテーブルや書類を後ろから覗き込んだり・・

     

   兎に角変なので

    靖代おばは静恵さんをわたしがかばうのは

     私が静江さんにだまされてるからと言い

     私は、静恵さんに、一体、何をしたのか何度も問うが

     さっぱりわからないという・・

     でも、母の入院でどうもおかしいと確信し、

     静恵三位直談判しに夜明かしで行くというと

     『靖ちゃんはそんなこと一つも言うてへんよ

      南やったら、よぼか?」といって電話で呼ぶと

      いききらせてきて、

    いきなり『一恵ちゃんはいつもウソを言う』猛烈な勢いでいう

    絶交だと最後にいうが

    辻褄を合わせようと

     こまかく、順序だて訊ねて行くと

     そんなこと一恵ちゃんには言いたくないという・・

     つまり・・焦点はぼかして

     母について民子叔母も絶交したいといっていた

     大通りで母に罵倒されたからという・・

     で翌日、山本に言って

     ママに罵倒されたからママと行き来しなくなったの?

     (アッコちゃんの結婚式に主席しなかった母は

      お祝いのお礼に来てくれたシゲ子ちゃんを門で帰し

      後、民子叔母に絶交の手紙を書いて送ってきたが

     その内容が

     民子叔母が

     祖父のありもしない悪口を言いふらしてるそうですねというないようだったっそうだ・・

      その頃、相生の家から母から私にも

     年賀状でおどろおどろしい水に油えのぐをうかべて

     おどろおどろしい色の年賀状で

     同じような呪いのような文面を貰っていて驚いてたので

     (父は紀伊田辺に単身赴任中)

     でも、母から大きな街中で罵倒されたことはないと

     一恵ちゃんに言われてから昨日からずっと考えてるんだけど

     そんあことはないよ、

     ただ、昔から何か自発的に人の眼に立つようなことをしようとすると

     袖を引っ張ったり

     『この子(妹)は行き届かないので』と押さえつける?ところはあったけど・・

     (これは私にも同じ)

     そこへ、どういう訳か??(恐らく、シゲちゃんが靖代叔母に電話連絡したのだと思う

      シゲちゃんは滋賀歯科大卒で創価学会とも仕事上?患者さん?などでおつきあいがある??・・?・)

     靖代叔母が息せき切って現れ、

     また、いきなり、『一恵ちゃんはうそをつくから私はとても怒ってるの』と現れ

     民子叔母に話を訊ねていたのを中断させられる

     つまり・・

     母が民子叔母を外で罵倒したと言うのもウソで

     民子叔母から母に絶交したいと言ったのもウソってことを推察・・

     で、

     仕事の作品を持ってきてるが

     指先はわなわなと振るえ、頬はピクピクと引きつってる・・

     ヘン??ヘン??

     挙句に足立と分かれられないのは

      信長の末裔だからと言う・・完全に洗脳されてる!

     ノブ長野末裔があの加山雄三タイプのヤサ男であるわけがない!

     (これはやはり、博物館で行った白峰村での経験から確信)

     信長も、

      父は神道だが政治上、マッカツ嫁を貰うことになり

      貴公子に育った弟の仏教系が後を継げば丸く収まると思い込んでたが

      実は、父は朝廷とのパイプに受容視していた平手氏をノブ長野教育係りにし

      信長波長なんだが時分が告がずに

      弟に継がせればいい丸く収まると思って

     呆けた芝居をし

     平手が実は仏教系が倭国をのっとろうとしてると言うと

     そんな馬鹿なと笑い飛ばす。。

     平手はウソでない印に切腹し、

     信長丹平手打ちを食らわしs

     信長は父が大変いたい切にしていた平手を自分の不行き届きで死なせて姉妹

     そこから、信長の国とり、仏教制圧が始まる・・

ともかく、靖代叔母が

   永坂の位牌を西大谷へ納め

   そのかえしとして

    改ざんした過去帳を貰い、

そのあと、大谷の東にし戦争はいつの間にかなくなってる・・

ヘン・・??

実はまっかつ国際的に散らばってる華僑が

 日本をのっとって、日本として

 コリアン韓国、南朝鮮をして

  世界制覇に出ようと言うもくろみ・・??・・??

って心配はないだろうか・・??・・??(苦笑)

    

何か知らないかと問いただすと、

   

      が

      のことなど    

       ということを静恵さんはいいに行くといってた

       

     

松山えっチャンは

        小1・2の学級委員でとても正義感があり

        昭和町の長屋でお隣の一人っ子でお父さんが早世された真面目なんだけれど

        融通の利かない山代?ヤマシロ君をかばってあげていた

        何かを皆でしゃがんで相談?説明してもらってる?と

        そんなことわかりきったことでしょ、~すればいいやん、という韓さんと

        とても中が悪かった・・

        松山さんは

        ウィキの家茂の絵の様な

        公家顔のお顔立ち、やや緩やかな鷲鼻で

        (額はやや狭く、切れ長の目、でも眉毛・モミアゲ?に当たる生え際が

         とてもきれいで

         人柄としても印象は「まっすぐ」彼女もお父さんが居なかった??・・??)

        をの霊山である高の山に

      

      その時に

      

と書き換え、

      

       奪ったあと、

          の数字を信じていて

      

      のち、夷賊が橿原神宮を立て

      ヒミコと神武帝が大和を立ち去る時に

      まだ幼いスサノオの皇子は山奥深くに亡命する旅には耐えられないだろうと

      乳母や世話をする者をおいていき、

      戎賊らは

    神武帝の立てた橿原の宮(田圃の間にモチノキを植え、

                鳥を取るのに餅?糯?をくっつけた(鳥もち)

    をつぶし、

    その近くに、

    自分たちの橿原神宮を建て、

    周囲の鎮守の森を伐採し、焼き払い、

    青銅器?を作るための樫の木を植える・・

    彼らは樫の木の炭で高熱鋳造精錬技術でもって

    『草なぎの剣』など大変に固い純度の高い鉄や青銅を精練し

    そのために、

    聖服する先々で森を焼き払って拝火教、火を奉っていた・・

    

    樫の

議員?

部下を偵察にやるが

皆帰ってこない

それをキジの鳴き女を使いにやると

皇子の家は荒らされ暗殺されて

卑弥呼が持たした弓矢が卑弥呼たちの隠れ住んでる所にまで、

血のついた状態で

山奥の高天原にまで飛んできて

異変が有ったのを知り・・・?

実った水田はのっとられ、

悔しい・・ってこと??

日本神話の題材を歌ってるので

マッカツの義経が頼朝に負われて吉野に入ったのではないこと・・

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