全員が一生懸命に働かなければ回らない社会よりも、働く人が少なくても回る社会がいいことは自明のはずです。
SF小説では、ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来が描かれています。ある意味失業率100%ですが、それは現代に生きる人が夢に見る社会です。
ところが現在の世の中は、そのような未来に向かっているにもかかわらず、需要を増やして景気を上向かせ、失業率を改善することに躍起になっています。
この理想と現実とのギャップは、何が原因で生まれているのでしょうか?
社会というものは、そもそもは人々が分業することによって楽をするために存在するはずなのに、なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのでしょうか?
私が求めているのは、仕事がないと給料がもらえなくて生きていけない人がいるから、といった表層的な回答ではありません。
より根本的、本質的な問題を見極めたいと思って質問をしました。
多少学術的になってもかまいませんので、できるだけ説得力のある回答をお待ちしております。
まず以下の文に賛成しておきます。
「全員が一生懸命に働かなければ回らない社会よりも、働く人が少なくても回る社会がいいことは自明のはずです。」
そのうえで、以下の疑問にお答えします
「仕事が減って失業率が上がることが問題視されるのはどうしてですか?」
失業率を上げても「働く人が少なくても回る社会」にならないうえに、さらに遠ざかってしまうからです。
今この時点で世界中の人が労働を辞めてみたらどうなるでしょう? 失業率は100%です。
はたして社会は回るでしょうか? その状態を続ければ将来回ることが期待できるでしょうか?
失業率を上げても理想に近づく事はできません。 このことには同意していただけると思います。
次に「この理想と現実とのギャップは、何が原因で生まれているのでしょうか?」
すべての仕事をこなしてくれるようなロボットが居ないからです。 残念です。
そして最後。
「なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのでしょうか?」
これには色々な回答があると思いますが、私は以下を答えとします。
「借金には利息がつくから」です。
http://video.google.co.jp/videoplay?docid=-3788207618449105637#
あなたは直接の借金は無く、会社からの給料だけで生活できているかもしれません。
ですが、会社はそのお金をどこから調達したのでしょう?
製品を売った売り上げから? じゃぁその製品を買った会社は、そのお金をどこから調達しました?
お金はすべて銀行で作られている以上、手元のお金をたどっていけば必ず「誰かの借金」です。
借金である以上、かならず利息がつきます。
でもどうやって返せばいいのでしょうか?
お金は銀行しか作れない&必ず利息がつくので、返さなければいけない額は常に「発行済の総額」よりも大きくなります。
その総額を超える分、言い換えるなら「過去から期待された分」だけ、私たちは景気を良くしなければならないのです。
ちなみにできないとどうなるのか?
今の日本が良い例ですが、「ものすごい勢いで逆回転」してしまいます。
|ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来
これは実は過去に「ロボット」を「奴隷」、「人間」を「支配者」として実現していた時代があります。そのことから考えると決してこういう社会が実現することは不可能ではないことが想像できます。ただし、支配者となる人はどのような条件が整えばいいのでしょうか?生産の三要素というものに「土地」「資本」「労働」の3要素がありますとおり、一般の個人が生まれながらに持っているものは「労働」しかありません。つまり、「土地」「資本」の対価を得られる人は「世襲により財産を受け継いだもの」ということになります。財産を世襲することのない世の中の多数の人々は「労働」の対価で財を形成する以外に方法がないということになります。
また、
この世には需要と供給が均衡したところで「モノの値段」が決まるという市場メカニズムがありますが、ロボットの製造・労働にコストが0円になり、そのロボットが人間の生存を維持するために必要な財の生産をできるのならば、実際にご指摘のような世界が誕生するかもしれません。
実際、ごく一部の石油産出国ではこれに近いものがあるようです(税金の必要がない)。
|社会というものは、そもそもは人々が分業することによって楽をするために存在するはずなのに、
|なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのでしょうか?
では、ご指摘のような社会が誕生するためにはどのようなパラダイムの転換が必要なのか今一度整理してみますと、人々が分業することによって楽をするということは実際可能なのでしょうか?
現在の世界では、分業をすることで楽をする以前に、競争によりその産業の利益率は減り、ともすると自国内の収益を減らす(生活苦に陥る)という悪循環が生じているのが現実かと思います。もちろん、競争は悪いことではなく、生産性を上げるために有効な手段であることは事実ではあります。ただ、この価格メカニズムによる「競争」というものは「所得の公平」を生むということを保証しておりません。貧困と富の拡大という悪影響があることも確認されています。
富の有効な分配≠パレート最適
富の分配=生産3要素への分配
ということから考えると、
土地・資本を持たない人への分配がどれだけ高くなるかということが実は「すべての民が富んだ生活をする」ということの最短の道であると考えるのもそれほど無茶な話ではないと思います。
ご参考までに、最近の日本では労働分配率が低下しているという事実があります。
これは「富」を資本に分配する割合が高まったということで、
個人の「土地・資本」保有が高まったのであれば悪いことではないのですが、個人が「土地・資本」の保有が高まらないままにこの現象が現れたということであれば「国民」の「奴隷化」が始まっているとうことにつながりかねません。
ロボットが働くから幸せな社会のロボットが・・・多数の国民となり、好きなことをして暮らしている人=(一部の)資本家という図式が成り立ってしまう危険性があります。
餓死する人がいない。衣食住に困る人のいない社会に達した段階で、ご指摘のような「社会」をどのように作るべきか、真の意味での共産主義というものが生まれる可能性はあると思います。ある国だけでご指摘のような国が誕生したとすると、その国は即刻「経済制裁」「軍事行動」の対象となってしまう危惧がある。そのような世界であることはなんとも残念な話だとは思いますが、そういうことなのかと思います。
生産要素とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%94%A3%E8%A6%81%E7%B4%A...
労働価値説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E4%BE%A1%E5%80%A...
労働分配率
http://www.jeiu.or.jp/onesheet/upfiles/2009020400001_11.jpg
パレート最適
自分は、社会学者でも文化人類学者でも経済学者でもないですし、どんな内容だと説得力を持って受け止めていただけるかが、皆目見当がつかないのですが、敢えて、トライしてみます。
質問文を読んでいて気になったのは、
SF小説では、ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来が描かれています。ある意味失業率100%ですが、それは現代に生きる人が夢に見る社会です。
という部分です。
確かに夢見る社会ですが、逆に、SF 小説に出てくる世界が、どうして成り立っているのかが不思議です。
ロボットが全て仕事をこなしてくれるとして、では、そのロボットは誰が作っているのか? そのロボットを製造、維持するためのコストを誰が負担しているのか。ロボットがロボットを製造、維持しているのだろうか。
そう考えると、理想と現実のギャップは、そのロボットの存在そのものではないでしょうか? ロボットが自らロボットを製造・維持し、人間が必要とするもの、欲するものを全て提供出来る。そうなれば、人間は自らの生を維持するために経済活動を必要としなくなり、失業率 100 % で幸せな生活を手にできるかもしれません。
ですが、残念ながらそのようなロボットは、少なくとも現在は存在していません。また、近い将来、そのようなロボットが実現出来る、という目処もありません。
そのようなロボットの頭脳をどうするか、というのが人工知能の分野になってくると思いますが、SF の世界で描かれるような人工知能を実現する上では、フレーム問題や記号接地問題といった問題を根本的に解決するか、さもなければ、全く別なアプローチ(例えば、ロボットを工学的に製造するのではなく、生命体として実現する)が必要になると思います。
仕事をしなくても良い、という事は、一切の経済活動が無くても生きていける、という事になります。一切の経済活動無しに生きられるとすれば、前述のように、人間以外の何かが全てを提供してくれるか、さもなければ、自給自足ということになるのではないでしょうか?
みなさんへ。
これほど大量の回答が付くとは予想していませんでした。
答えてくださったみなさんに感謝します。
返信は、一気にはできないので書きやすいところから少しずつしたいと思います。
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まず、ロボットの話に関してですが、私も本当にそのような未来が実現するとは思っていません。
ただ、機械に任せられる作業がどんどん増えて、人に取って代わりつつあるのは確かで、その流れは今後もずっと続くでしょう。
私が言いたかったのはそういうことです。
「仕事」という言葉をどう定義するかも難しい問題ですね。
私も厳密に定義して使ってはいませんでしたが、今定義するとしたら、気が進まなくても生きるためにしなければいけないもの、ということでしょうか。
人間には普通、他人の役に立ったり他人から認められたりしたい欲求があるので、仮にロボットが世の中を動かしてくれるようになっても、お互いの助け合いのようなものは残るでしょう。
ロボットが完全に人間の代わりをしてくれるような社会は当分実現できないでしょうが、人間のそのような自発的な行動のみに支えられた社会というのは、必ずしも実現不可能なものではないと思います。事実、ネット上に限って言えば、すでにその状態に近い社会ができあがっています。
仕事が減って失業率が上がることが問題視されるのはどうしてですか?
まず、問題視する人と問題視しない人がいますね。何が違うかというと価値観が違うということです。
・誰もが仕事がなく、好きなことをやっているそんな世界が幸せだと思っている人
・仕事をすることでお金を得て、家族を養って、生活することが幸せだと思っている人
・お金はあまりなくてもいいけど、好きな仕事で、人々を喜ばせるのが幸せだと思っている人
・とにかくお金が欲しい。それで遊んでくらすのが幸せだと思っている人
・・・・・
一人一人皆、幸せになりたいという価値観が異なるわけです。そしてこのような違う価値観を
問題視するかしないかも、その人次第です。
失業率が上がることが問題だと感じる人はネガティブな感情をいだいてしまっているわけで、そのベースには
恐れがあります。すべてどのように感じるかで反応が決まってきます。
回答どうもありがとうございます。
個人のレベルで考えたときに、たとえば個々の日本人が失業率が上がるのを問題視するのは当然だと思います。
職を失って給料をもらえなくなると、貯蓄が十分にない限り、生活保護に頼って最低限の生活しか送れなくなるからです。
しかし、国家やさらには国際的なレベルで考えると、状況は少し変わってくるはずです。
なぜなら、それらは政策を実行して社会のしくみをコントロールできる立場にあるからです。
おっしゃるように様々な価値観を持った人がいるのなら、失業に関してもさまざまな意見があってよいと思うのです。しかし、そのような立場にある人からは失業を問題視する意見しか聞いたことがありません。
学術的な回答や、説得力のある回答にはなりませんが、回答させていただきます。
①全員が一生懸命に働かなければ回らない社会よりも、働く人が少なくても回る社会がいいことは自明のはずです。
⇒良いかどうかを何で判断するのかは個人の気持ちでしょうが、私は[健康な人が働かないでいる社会がいい]とは思いません。
生物は基本的には死亡します。死亡するまでの間に子孫を残します。成長する間は餌(エネルギー原など)の摂取が不可欠です。 多くの生物には生存中に餌の摂取以外に休養(睡眠)などもします。 生物はそうして存在し続けていますが、餌を得るために特別の活動を要しない状態を良い状態という見方はしないと思います。
人間の場合は分業システムが発達して、他から餌やサービスを提供してもらうのが、現状では普通化していますが、給餌やサービス提供をしてもらって生きている構成員がほとんどを占める社会が良いとは私は思いません。
優しい買い主に飼われて安楽に一生を全うするペットや、野生の2倍以上長生きする動物園で飼われた動物が、良いのではなくて、日々生存のために餌を探し、雌を争って負けるかもしれない生活をする雄、生殖の能力を失えば急速に死を迎えることになる通常の生物は、それが普通でしょう。その普通を避けて、何もしなくても長生きする状態が良いとは思いません。
私自身はそうした状態で生きていくのは何かイヤな感じがします。もしも私にものすごく財産があったとしても、何かをしたいです。生存と生活面で全く不自由しないとしても、個室に籠もってヘッドフォンとビデオ鑑賞、一人酒では、ダメだと思います。そんな状態で死ぬまで続くのは勘弁して欲しいです。極楽で華と芳香に囲まれ、腹も減らない、喉も渇かない、排泄も不要、飲食は欲しいものがいつでも可能、労病苦死がない、そういう環境はうらやましいとは思いますが、そんな状態で、(寝ても良いけど)睡眠も無用で、24時間×7日×52週×数百年……… 私は勘弁して欲しいです。
私は、労病苦死があっても当然だと思っています。危険だってあって当然です。安逸も楽も快もあって、でこぼこ上下に変化していて、良いこと・悪いこと・苦労・心痛、でも少しは良かったことも、……… それが良いような感じがします。
なお、実感がわかないのですが、ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来が描かれているSF小説って、具体的にどんなものでしょうか。
仮に、衣食の供給や廃棄物処理もを全部ロボットがやって、自分は好きなことをやれば良いとしても、その好きなことをやる過程は一人なのでしょうか、誰かいるのでしょうか。やった結果は自分一人でみるのでしょうか、他人もみたりするのでしょうか。一人で独立し、他人とは徹頭徹尾一切関係がないとすれば、その状態を好む人は少ないと思います。何かで仲間(犬猫ではなくて人間)と繋がりたいです。音楽を楽しむのだって、酒を楽しむのだって、書を楽しむのだって、他人と何かは関係しています。竹林の七賢をイメージす場合でも集まって清談するイメージです。達磨でも一人面壁したまま死亡すればだれも大師などといいません。誰かと関係すれば、全部がうまくいくことはありません。相手が論外にダメだったり、自分がたいしたことなかったり、いろんなことは起きます。
安逸と喜楽だけというこことはあり得ません。必ず、悲、苦、痛もあると思っています。
私は、懸命にというイメージが好きです。懸命に練習する、懸命に工夫する、懸命に家事をこなし、懸命に子育てし、懸命に働き、練習を重ねてカラオケで歌う、友達との夏の旅行計画を懸命に作る (懸命といっても命を懸けているわけではないので、イメージです) スポーツは、怪我と隣り合わせです。怪我はしない方が良いですが、ぎりぎりまで詰めないとおもしろくありません。途中で苦労し、苦痛を経験するのは当然です。たまに怪我をするのは止む得ません。そうしたからといって上達は保証されません。だめな場合だってあります。プロ級を目指して苦労し、怪我や故障を厭わずに頑張る人は大勢います。その過程では(他のことをあきらめる)のは誰でも経験することです。それでも、プロ級・一流を目指した人のほとんどは、プロ級にも一流にもなれません。懸命にやったということ自体が、良いことなんだと思います。スポーツや芸術、学問、旅行や冒険、趣味に懸命になることも可能です。社会が豊で福利厚生施策が充実していて、働かなくても、衣食から医療まで何とか得られるとしても、懸命に働くことがとても大切だと、私は思っています。大学生や若い人で、ボランティアで懸命に汗を流し苦労もしている人が少なからずいます。定年後にシニアで海外まで援助活動にいっている人もいます。 懸命にやることがまず重要だと思います。
労働する以外にも、懸命になれることはたくさんあり、今の世の中ならば、労働以外に懸命になるという道もあるとは思います。しかし、労働以外を懸命にやっている人が大半を占めた社会が続くのは難しいと思います。
働いている人の中には、働き方ややり方に工夫を凝らして、生産性や効率などを上げる成果を出してくれる人がいます。そうした成果が色々と積み重なって、今の社会ができています。その結果、昔には考えられないような多くの人口を地球は抱えています。今、日本は、多くの食料を他国から送っていただいて1億人以上が飢えることなく暮らしていけるようになっています。なにも生産に寄与することなく、また他にサービス(労働)をすることなくしていても、確かに、暮らせないことはない社会に見えるのですが、自分の周りはそういう社会であると思ったにしても、自分でできることで懸命に働けることを探して、懸命に働くのが良い(労働するのが良い)と、私は思います。(スポーツや芸能、学術研究に懸命ではいけないと言っているのではありません。多くの人は、労働することの方に懸命であった方が良い。多くの人は、余暇や趣味として、スポーツや芸能、学術研究に懸命になる程度の方がいいという意味です。スポーツや芸能、学術研究に懸命な『専門家』は少数でないと困るという意味です)
なお、今の日本が豊に思えたとしても、今の地球上には、飢えた人、飲料水に事欠く人、ごく軽い医療さえも受けられない人が大半を占める社会がたくさんあります。トータルでみて、また10年後を連続線上で予測するならば、この先は非常に厳しい状態になることになります。10年後、20年後の日本の将来が今よりも生活上楽になるという見通しを立てることはほとんどできません。 懸命に働く人の人数が日本で減少すれば、10年を待たずに、経済も破綻し、治安面でも非常に良くない社会が到来すると思います。経済が破綻して生きるためにやむを得ずに労働するよりは、経済が順調な時代であっても労働に懸命であれば良いと思っています。
個人的な資質にも関係するのではないかと思っていますが、私の場合は、スポーツや芸能、学術研究の分野の専門家として懸命になるのは難しく、一般の労働者(就業者)として懸命に(たいした懸命さではありませんが)働く方がずっと簡単であり、そこそこに『やったな』という充実感?も得られます。
②ある意味失業率100%ですが、それは現代に生きる人が夢に見る社会です
⇒夢をどう見るかは、ちょっと別です。夢は追求するものとは必ずしも言えません。
宝くじを買う多くの人は高額賞金が当たったときの夢をもっているでしょうが、すべての人に3億円の賞金を与えると、単にインフレになるだけでしょう。だれもが就業せずにいる社会を政治家は望まないでしょう。既に豊かな資産を形成している開業医も閉院しません。生活に全く不安を抱かない資産家でも何かの仕事をしてることが多いです(資産運用だって仕事の一つです) 生活のために働くか、生活のためとは言えないが働くのか、その混合・中間も含めて、多くの人は何かの仕事をします。生活に不安がなければ、仕事を嫌い就業しない人も多くいると思いますが、過半数は(健康があり仕事の場があるならば)就業するだろうと思います。
失業率100%を望むと言うことが、自分も誰も就業しないということを意味するのならば、そいういうことを望む人は過半数にはならないと思います。
③仕事が減って失業率が上がることが問題視されるのはどうしてですか
⇒理想と現実のギャップとは関係ない質問として、回答させていただきます。
失業率の計算は【完全失業者数÷(就業者数+完全失業者数)×100】で計算します。なお、完全失業者は、【就業しておらず、かつ就職活動をしている失業者】の意味です。失業率が上がる理由にはいくつかの理由がありますが、『仕事が減って失業率が上がる』場合は、【就業⇒失業&就業を希望&雇ってくれるところがない】or【これまで就業していなかったが、就業を希望した&雇ってくれるところがない】というケースが増加していると言うことです。
就業を希望する理由は、おそらく、資産も乏しく、日常の継続的な収入がないと生活ができないから、収入をえる手立てとして就業したいからということです。 希望が満たされない人が増加するのなら、それが問題視されるのはある意味当然です。また、就業できないため生活ができない人や生活が苦しくなる人が増えるならば、それが問題視されるのは当然です。
これは、質問者の希望する回答ではなくても、ちゃんとした回答だと思います。決して表層的な回答ではありません。
④社会というものは、そもそもは人々が分業することによって楽をするために存在するはず
⇒社会の存在理由が、分業のためであるという説をほとんど知りません。人間にとって、アプリオリに社会は存在すると私は理解しています。社会では、分業があり、時代が進むと分業も進のは事実だと思いますが、分業で楽にするために社会があると思ったことは私はありません。
⑤なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのでしょうか
⇒多くの人は新しい工夫を考えたり試行したりはしませんが、多くの人の中にはそういうことをする人が出現します。それを目的論的に解釈もできると思いますが、私は一つの自然現象だと思っています。自分で詩歌を作ったり、発表したくなる人、人の作品を見て感激してまた別の人に紹介したくなる人、紹介や印刷出版を業にしたらどうかと考え事項する人、新しい広告方法・効果的な広告方法を考え実行する人、もっときれいな印刷や製本を追求してしまう人、ビジネスとしての出版業を始めてしまう人、出版の取次店や本屋(小売店)を始めてしまう人、 。こういうことは製造業、農業、金融業、どこにもいます。教育関係でも、学校の先生でも色々な工夫をします。警察や軍隊だって、色々な工夫をする人がいます。その結果、新しい道具ができたり、そのための産業ができたりします。しかし、その人は[新しい産業を生み出し、景気をよくして世の中を忙しくしよう]という目的意識でやっているのではないでしょう。
例えば、従来延べ1000時間の労働で生産することができたのを、新しい工夫で延べ600時間で生産できるようになれるとします。この場合、自分や仲間の労働時間を減らしていくことに主要な目標あるいは]成果の振り分けが行われるかというと、多くの場合、生産性が上昇したので、もっと生産して売る、価格を下げてもっと売ると言う方向に進むのが普通です。それだから、西暦500年、800年、1100年、1400年、1700年、2000年と経済的に豊になり、今ではとてつもない多くの人口を養っていけているのです。良い工夫で成功したからアウトプットは従来をキープし、労働投入を下げるという人が多くを占めていたら、今のような社会はできていないと思います。良い工夫をして失敗を重ねながらもチェレンジしてしまい、成功しても忙しさの削減にはそれほど執着しないのが普通です。 工夫や努力にしっかりした目先の目的はありますが、大きな目標などをしっかりともっていたための工夫や努力ではなくて、創意・工夫・熟慮/ひらめきとそれを形に仕上げる努力は、一部の人が自然にもっている人間の生命活動だと思います。(人間全員がもっているわけではないようです)
もちろん、産業政策、景気回復、あるいは国富を豊にするという目的意識を持っていたり、自分の勤務する店や工場の成績が上がって興隆するという目的意識を持っている場合もあると思いますが、全体から見れば少数であり、新しい工夫やその試行(当然失敗は成功の数倍あるはずです)は、目的意識の産物として生まれることよりも、懸命に仕事をしている人の中の何人かから自然に発生するものが圧倒的なはずです。
[恒常的に忙しい社会を作ろう]という目的意識で何かをする人は、ほとんどいないと言っても良いほどかなり珍しいと思います。
なお、少数であっても、自分の勤務する店や工場の成績を上げよう、産業政策、景気回復、あるいは国富を豊にしよう、新しい産業を生み出させよう、新時代を作るようなすごいことをしようという目的意識でやっている人はいると思います。その結果忙しくなることがあっても、そのことはあまり問題にしていないと思います。それは、[豊であることは良いこと/繁盛することは良いこと/貧することは避けるのは当然/自分の意に反して仕事がなくなるのは悪いこと]という強いイメージがほとんど普遍的にあるからです。その強いイメージを追い求めるには、多くの労働が必要である場合、どこまでの労働を甘受するのかは社会や個人/状況によって変わります。1日16時間の拘束が必要であると想定される場合でも、頑張って仕事をする人は大勢います。今は1ヶ月休んでしまいたいと休み人もいます。そのシグマ(単純合計)が、その店、工場、地域、国家の経済活動の状況になると思います。
もちろん、自分の店になるべく客が来ないで欲しい、自分には仕事が回ってきて欲しくないと思う人は少なからずいるはずですが、そうした希望が職場全体の表立った強い要求になることはないと思います。なぜならば、仕事をしない(アウトカムを出さない)状態が続けば、独立した主体として存続することが経済的に困難になるか、役所のようなところでも仕分け整理されてしまう危険度が高いからです。
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hakoda-te-kunさんは、[仕事が減って失業率が上がる]ことが気になりませんか。
全然気にならないのなら結構です。
自分が失業する危険性は、就業先が倒産する、人員整理する、職場の人間関係がうまくいかない、職場で戦力外と思われる、定年などになるなどの場合に高まります。失業した場合に、再就職が難しいとか、生活が大変になることが予想される場合には、今、自分がそうした危険から遠い場合でも、【周りで仕事が減って失業率が上がっている】といわれれば、それは気になる情報です。そうした中で、就業できないで困っている人が増えているのであれば、今、自分がそうした危険から遠い場合でも、よそ事であっても、何とか【そういう事態が改善される】のを望み、現在の状態を問題視するのが普通だと思います。
普通は失業率が低下するのは、改善と見なされます。([適正]な失業率水準もありますが)
普通の人(=多くの人)は、『仕事が減って失業率が上がることが問題視されるのはどうしてだろう。社会自体は回っているのだし、働く人が少なくても回る社会に近づいていることを示しているのではないか。それは現代に生きる人が夢に見る社会が近づいているのではないか』という発想をしないと思います。
昔、『食べるパンがないのなら、ケーキを食べたら』という発想をした人がいたというような例えがあります。この例えのポイントは、普通の人と感覚が大きくずれているのはその人に問題があるということだと思います。
アスペルガー症候でコミュニケーションの障害があると、『仕草や状況、雰囲気から気持ちを読み取れない、他人が微笑むことを見ることはできてもそれが意味していることが分からない。最悪の場合、表情やボディランゲージなど人間間のコミュニケーションにおけるニュアンスを理解することができない。行間を読むことが苦手あるいは不可能である。つまり、人が口に出して言葉で言わなければ、意図していることが何なのかを理解できない』などと言われます。
マスコミや周りの人が[失業率が上がっている][もっと景気浮揚策を]といっているときに、賛否はともかくも、いっている人の気持ちや気分、主張の背景にあることは、理解するように努力した方が良いと思います。
そうした努力の一つがこのはてなへの質問なのかもしれませんが、色々な文章やrテレビの番組の発言、新聞や週刊誌の見出しを、単なる言葉(辞書に載っている言葉)としてではなくて、どんな気分のメッセージなのか、何を考えて/何を言いたくて/誰に向けてのメッセージなのかを、お考えになると良いのではないかと思います。
あまり 参考にはなりませんが http://okwave.jp/qa/q3984835.html
http://www.direct-comm.com/skillup/group/group_004_kyotsu.html
こんな言葉がありました。『感情の識別」からスタートし、「感情の利用」「感情の理解」というコースをたどり、最後に「感情の調整」を経ることで、対人コミュニケーションにおける「効果的な言動」という果実を生み出すのです。』
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070626/275904/
上記に会話例1と会話例2があります。相手の気分を損なわないようにするには、同僚としては会話例2が良いと思いますが、私個人は会話例1を基本にしています。仕事の同僚ならば通例としては会話例2は避けるべきだと私は思っています。この会話例の[自分]さんが『今やってる作業,ようやく終わって納品できたんだよ。最後は連日深夜までかかったけど,お客さんにも喜んでもらえたし,何より自分としてもやりきったなって感じがしてほっとしたよ』という発言の中で、【納品した/ほっとした】の中で、【ほっとした】という部分を重視して、私は会話例1の同僚の発言をします。【ほっとした】という部分を感じて会話例2のような表現をすることはしないようにしています。
しかし【ほっとした】と言う部分を無視して、【納品した】という部分のみを聞いてしまうのは、対人コミュニケーションで問題だと思っています。
そして、多くの日常会話では [自分]さんは『今やってる作業,ようやく終わって納品できたんだよ。最後は連日深夜までかかったけど,お客さんにも喜んでもらえた』と言って終わり、『何より自分としてもやりきったなって感じがしてほっとしたよ』という部分は声に出さないことが多いのです。 でも、大事なのは、その人の普段の思考や行動から、『何より自分としてもやりきったなって感じがしてほっとしたよ』という部分が強いのか、『思いもよらない問題が噴出することもあるし、別のプロジェクトでこの間・・・』ということを気にしているのかを、聞き取ることが大事だと思っています。
もしも、hakoda-te-kunさんが、[失業率が上がるのは問題だ。何とかしろ]と言っている人の気が理解できないのでしたら、表現されていない部分の気持ち、誰に対してアピールしたいのか、どんな感情や不安を持っているのかを推し量るようなことに、もっと気を遣われるのが良いように思います。
なるほどいいなぁ面白いなぁ。最初に、現実の話からしましょうか。
私たちは、社会というコミュニティを作って生活しています。原初のコミュニティは、所有の概念がなかったものと思われます。所有の概念が生まれたのは「欲しい」ものは力尽くで奪ったもの勝ち。という動物的なものから脱却したことにあると思います。“力尽く”と書きましたが、これは場合によって生死をかけるものになります。強いものが弱いものを駆逐していく。ところが強いものは、より強いものがでてくるとこれまた駆逐される定めになるわけです。「ジャギ<ラオウ<ケンシロウ」の世界ですな。
それでは困る。寝首をかかれることになる。そこで、所有というルールができました。誰かのものは力ずくで奪ってはならない。物々交換や、通貨が生まれてくるのはある意味自明です。ちなみに所有物の中に「命」も含まれると私は考えています。蛇足ですが。
原初はそれで良かった。ところがルールを重ねるにつれ、やはりどうしても歪みが出てしまう。貧富の差が生まれます。共産主義というのをご存じかと思います。理想論でいけばおそらくこれが一番平等な世界だったはずでした。歪みを無くして平等に分け与える。ところが、やはり支配層が腐敗という構造の中から生まれてしまって、失敗に終わります(ここ注目していて下さい)。
歪みは歪みでしかたがないから、なるべく歪みを無くす努力をしつつ(それすらしないのはまず置いておいて)もっとリッチになろうぜ!というのが資本主義です(厳密な定義ではないッス経済学者さん怒らないでね)。これが現在主流。コミュニティ全体では成長していく。ところが歪みも拡大していく。富めるもの。貧するものが明確になってくる。
歴史的に国家が分裂するパターンには大きく分けて2つあると思います。
南アフリカは両方含んでるかな。閑話休題。
つまりコミュニティが崩壊するわけです。歪みによって。なので、できるだけ歪みを作らないようにする。失業率に着目したところが面白いなと思ったのですが、失業者は食べていけますかね。収入がない。もしくは極端に少ない。そうすると失業者は死ぬか暴徒化するか(ちょっといい方極端ですが)になっていきます。コミュニティの崩壊は富める人たちにとっても深刻です。今は冨が「お金」によって示される傾向にあるためです。
さてさて、より現実に近いところで話を進めます。
腐敗によって崩壊した共産主義。共産主義の理想はある意味自給自足です。そして平等です(ホントはそこに労働こそが生きる意味であるという理想が現れてくるんですが、崩壊してますので無視)。これを、ロボットなどにやらせることができれば、SF世界の再現になるかも知れません。一部のプログラマーがちゃんとしたプログラムを作り、一部の技術者がちゃんとしたロボットを作る。後は悠々自適。ここでしょ、質問者の「理想」という世界。
実は歴史的に破綻しているんですね。共産主義は、本来あるべからざる支配層を生みました。人々に指示監督するという層を生んでしまった。なぜか。一番最初の行に戻って下さい。「みんな楽したい」皮肉なことに平等ってのが、労働意識を欠落させたんです。配給制で食べるには困らないはずだった。いくら頑張ってもそれ以上の報酬は得られない。怠ける人が出る。怠けたら示しが付かないから、監視する人が必要になる。監視する人に袖の下を渡せば楽できる。監視する人は「偉い人」になってしまう。
あれ?平等が階層作っちゃいましたね。これ簡略化してます。ソビエト崩壊の歴史のあちこちに見られます。資料をたぐってみて下さい。
反して資本主義。楽したいのはみんないっしょ。でね、原初のコミュニティのところで「欲しい物」ってあったでしょ。何でも好きなものを上げるよといわれたらそれも一生そうであったら、最初はガンガン身近なものや、便利なものを手に入れる。それから、他人と違うものを欲しがる。他人よりもより上回るものを欲しがる。バブル真っ盛りの日本はそうでした。現在の中国富裕層がそうです。
エゴです。言葉が過ぎたらゴメンナサイですが、結局自分が一番になりたいと思う人が出てくる。何でも好きなものが手に入ったとしたら地位かな。お金かな。ロボットを動かす原動力は太陽光などにしてしまって、人間は一切しなくても良くなったら、権威的なものや、より他の人より上回るものを欲しがる人たちが必ず出てくる。ちょっと人間臭さが出て来ました。原初の世界に戻る気がするんですね。
税金もない。欲しい物は何でも手に入る。隣の人とまったく同じ。なんか違いを求めたくなるっしょ。ファッションみたいに。
根源的に貧富の差は生じると會澤は思います。
人と同じで満足しない人が必ず出てくると思います。
SFの世界に達する前に、現在・今ある貧富の差がコミュニティを壊すと思います。
富めるものが富み、貧するものがより貧する社会になりつつあります。
これ良い方向ですか。會澤は違うと思っています。
仮に貧富の差を克服できたとして、今度は自己顕示欲が出てきます。自己愛が社会を滅ぼすのではと危惧しています。
質問からは離れますが、たぶんSFの世界を構成している地球の人口は今の数億分の一程度でしょうね。
本質的にな問題は、仕事云々ではなく人の心の中にあると思います。
もちろん逆も真です。
負のパワーの方が優勢になるケースが過去の歴史の中では、圧倒的に多かったと思います。コミュニティ全体を平滑化すること。それすらできていないのにSFの世界は残念ながら遠いでしょうね。
こんなんでいかがでしょう。
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Kenichi Aizawa
kaizawa@mac.com
kaizawa@smile-peace4.com
Twitter : @kenichiaizawa
私はこう想像します。
結局ほとんどの人は、肉体的満足か、自分の存在を映す鏡を求める活動をしているだけにすぎない。
仮説1 人々が自己の存在を映す鏡を求める活動をやめれば、お金という自己の外部に存在する価値はなくなる。
仮説2 人々は自らが所属し共有する社会システムを維持運営するために、自主的に働く。
仮説3 社会システムの運営にあたり、社会問題がインターネット上で系統だって議論され、その対処方法が決定される。
仮説4 社会問題の対処方法に従って、自主的に参加した人々によって組織される無数のワーキンググループがその問題の解決に当たる。かつての仕事といわれたものの代替活動である。
仮説5 基本的に競争がないため、必要以上の生産活動は行わず、過剰なエネルギー消費も行わない。
仮説6 問題解決のためのワーキングループが、不足している人員をインターネット上で募集し、各人はそれに応募する。
仮説7 社会システムのよりよい運用が各人の最終目的となり、技術研究開発、学習行動のすべてが、各人の目的遂行のモチベーションとなる。
仮説8 かつて商店と言われたところにかつて商品と言われたものが並べられ、無償でそれらを得ることができる。もしくは、個別にインターネット上で必要なものを注文する。
仮説9 生産の需要は系統だった議論から発生し、生産活動はインターネット上でその必要量を管理される。
仮説10 自己の存在を映す鏡を求める活動をやめることによって、必要以上の物的要求はなくなり、過剰な消費活動は行われなくなる。
お金はコミュニケーションツールであるため、人々の分離を生み出す。労働の対価であるため、パワーを生み出す。物・サービスの対価であるため、人々の欲望を生み出す。
仮説11 インターネットがコミュニケーションツールとなり、労働を公共への奉仕活動へ転換し、人々の欲望を消し去ることができれば、お金の価値をなくすことができる。
我々は人類の欲望の奴隷としてストレスを溜めながら労働しているのである。
仮説12 お金を排した自ら所属する社会と以前の社会システムを維持している国との交易にのみ従来のお金が使われ、社会全体での収支の計算しか行われない。
こういう世の中になると、社会貢献をしないと、良心の呵責に悩まされるため自発的に仕事をすると思いますよ。
http://q.hatena.ne.jp/1275884374
石油国家が働かないで済むのは
石油資産をイノベーションしたりメンテナンスしなくて済むからです。
もちろん表面的には機械をメンテナンスします。
しかしそれは売上の数%でしょう。論より証拠、企業にしても
欧米石油メジャーの殆どは実際に収益の大半を配当で支払い続けています。
石油立国は、石油が出続ける限りはこのように働かずしてぐうたらが可能なのです。
そして製造国では、機械は更新され知識は時代共に変化していきます。
ロボットは時代が来れば、古臭いものとなってしまい
次のロボットを作らなければなりません。仕組みとして自動化は不可能に近いと思います。
知識にしても、次から次へ新しくなる為にプログラマーや医者は常に勉強しっぱなしです。
物づくり企業にはこのような配当政策を長期で継続するのは不可能です。利益があっても開発や研究をしない企業は淘汰されますから
利益を配当に全部回すことが出来ません。設備投資にも毎年沢山のお金が必要です。成長のためだけでなく維持するだけでもかなりのコストです。
それと失業率があがって問題なのは
再配分が政治的に難しいって事なんじゃないかって思います。
なんか壮大な無駄をしているようにしか、見えないですけど。
まず以下の文に賛成しておきます。
「全員が一生懸命に働かなければ回らない社会よりも、働く人が少なくても回る社会がいいことは自明のはずです。」
そのうえで、以下の疑問にお答えします
「仕事が減って失業率が上がることが問題視されるのはどうしてですか?」
失業率を上げても「働く人が少なくても回る社会」にならないうえに、さらに遠ざかってしまうからです。
今この時点で世界中の人が労働を辞めてみたらどうなるでしょう? 失業率は100%です。
はたして社会は回るでしょうか? その状態を続ければ将来回ることが期待できるでしょうか?
失業率を上げても理想に近づく事はできません。 このことには同意していただけると思います。
次に「この理想と現実とのギャップは、何が原因で生まれているのでしょうか?」
すべての仕事をこなしてくれるようなロボットが居ないからです。 残念です。
そして最後。
「なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのでしょうか?」
これには色々な回答があると思いますが、私は以下を答えとします。
「借金には利息がつくから」です。
http://video.google.co.jp/videoplay?docid=-3788207618449105637#
あなたは直接の借金は無く、会社からの給料だけで生活できているかもしれません。
ですが、会社はそのお金をどこから調達したのでしょう?
製品を売った売り上げから? じゃぁその製品を買った会社は、そのお金をどこから調達しました?
お金はすべて銀行で作られている以上、手元のお金をたどっていけば必ず「誰かの借金」です。
借金である以上、かならず利息がつきます。
でもどうやって返せばいいのでしょうか?
お金は銀行しか作れない&必ず利息がつくので、返さなければいけない額は常に「発行済の総額」よりも大きくなります。
その総額を超える分、言い換えるなら「過去から期待された分」だけ、私たちは景気を良くしなければならないのです。
ちなみにできないとどうなるのか?
今の日本が良い例ですが、「ものすごい勢いで逆回転」してしまいます。
なぜか資本主義と社会主義の話になっているようですので、それからは離れた見方を。
人間は働くため以外に生きる事は出来ない。これが全てだと思います。
そしてその本性に最適化するように社会が作られているから、
各個人が働く事が出来るかどうかは最も基本的な条件として重視されるのだと思います。
世界の大多数の人間が毎日衣食住が足りて生きているけど働く必要がないとしましょう。
そうすると動機が無くなりますよ。生きる動機が。そして多分すぐ絶滅します。
お父さんは朝7時に起きなくていい、そうすると昼まで寝たり、朝まで起きたり、生活リズムは全くぐちゃぐちゃになるでしょう。
でもそれを正す必要は無い。何故ならその必要は無いから。
珍しく朝起きて、新聞を広げたいと思った。でも新聞は存在しない。誰も記事を書く必要などないから。
テレビをつけようと思っても。放送されていない。誰も出演する必要は無いし、制作する必要も無いから。
誰かが鼻歌を皆に聞かせたいと思った、でもそれは空に溶けていくしかない。何故なら社会が必要としていないから。
もういつのまにか、散歩に行きたいと思っても、すぐにまあいいかと思うようになってしまう。
人間と言う生物は、全く動機が無い状態でもその上に更に目的や目標を持って生きていくような芸当は出来ない。
昔は特権階級が半ばそういった生活をしていた。つまり一部で実験農場みたいに試みていた。
農耕が始まってから4000年ぐらいの間、特権階級は働く必要が無くても更に目的や目標を持って生きていくことができるかを実験していた。
でもここ最近100年位はやっぱあかんかったということで、実験は全面的に停止して、
人間という生物の身の丈に最適化した社会しか作らないでおこうとしているのだと思います。
1のowadaさんの回答がしっかりしてるので何も問題ないような気もしますが、よりフラットに回答してみます。
まず第一に、ロボットが色々なものを生産するとして、それらを使用する権利を分配する必要がある訳ですが、
人間社会は有史以来、そのときどきで「効率的かつ文句の出ない分配形態」を模索し続けているにもかかわらず未だ十分な成功を収めているとは言えません。
だけで良いのに、何故でしょう?
その理由としては、
ぐらいのことが挙げられます。
さらに、分配の為の仕組みは悪用予防のため事務コストがかさむという問題もあります。
また性善説によらないならば上記以外に、
という問題もあったりします。
参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%88%8...
現在大学で経済を勉強しています。
表層的でない、根本的な問題の理解を望んでおられるということでしたので、文章ごとのポイントにまとめて質問者さんの疑問について説明します。レベルをそれぞれの話に分けて深いレベルでより詳しい説明を設けました。低いレベルで理解できた場合にはその時点で別の話に進んでいただけるようにしました。
なお、資本主義社会を前提としています。
>仕事が減って失業率が増加することが問題視されるのはどうしてですか
1. それは「失業率が増加することが問題だから」です
1.1. 現在の失業率の定義は「職を探していて、でも職に就けない人」のことです。そのためそういった人が増えることが問題になるわけです。こういった意味での「失業者」が増えることは人々の不満が高まることなので、問題視されるわけです。
1.2. ちなみに基本的認識としていわゆる「ニート」は職探しをしていないため、失業者の定義には入りません。学生、主婦も同様です。
>全員が一生懸命に働かなければ回らない社会よりも、働く人が少なくても回る社会がいいことは自明です
2. 経済的にどちらの社会がいいかと問われれば、ざっくりいえば前者の社会です。
2.1. 現在私達が生きている資本主義経済というのはGDP、「国民総生産」という指標で測られるように、活発な経済活動の中で多くのモノを生産し、多くの付加価値を創りだし、それを経済活動の中で消費してさらに多くの付加価値を創り出して拡大させていくことを目標に作られています。質問者さんが「回る」と言っておられることは簡単に言えばこういうことだと思われます。
2.2. その二つのケースを単純化して比較します。前者は失業率0%、後者は失業率90%だとします。その場合、前者は生産→消費→さらに多くの生産というプロセスが100%できるのに対し、後者の経済は生産→消費のプロセスで90%の消費した分はさらなる生産を生み出しませんから、前者と比べて生産が増加しないのは自明です。もちろんこれは単純なモデルですから突っ込みどころは多いと思いますが、少なくとも後者は失業という問題を抱えている、社会において失業が問題なのだというのはわかっていただけると思います。
ここからは質問者さんの言う「理想社会の仮定」について経済学を学んだものとして説明できることを説明します。それ以外は一般人として簡潔に言おうと思います。基本的に「職に意味がある、私は働かない社会など嫌だ」というような議論は避けたいと思います。最後に大きな問題点はまとめて話します。
>ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごす
3. 一般人として:その好きなことが「仕事」である場合はどうなのかなと思います。これは他の人も述べているため簡潔にしておきます。
>失業率100%ですが……人が夢に見る社会です。
4. 些細なことですが1.で述べた失業率の定義に従うと「誰も働きたがらない、職を探していない」のなら失業率は0%になります。
>需要を増やして景気を上向かせ、失業率を改善することとのギャップ
5. 現在の社会は2で述べた「生産→消費→……」の拡大プロセスが上手く機能していません。そのため為政者は制度設計と裁量的政策を駆使してそれを上手く動かし、失業その他諸々の不安不満を解消させようとします。けっして失業率0の完全雇用を達成することは第一の目的ではありません。強いて言えば不満の解消が第一目的です。
>社会というものはそもそも人々が分業することによって楽をするために存在する。
6. これは完全に認識が間違っているように思われます。分業の目的は「社会全体で効用をより多く得るため」です。「楽をするため」ではありません。
6.1.1. 「効用をより多く得る」とは簡単に言えば社会全体でより多く、10よりも11のモノを得られるように、その結果1人1人がより多くのモノを得られるようにするのが目的です(効用の概念とは、実際はもっと複雑ですが、これについては詳しくは説明しません)。そのために分業と特化が行われるわけです。この特化についてはチャップリンの『モダン・タイムス』がわかりやすいと思われます。1つの複雑な作業を覚えるよりも、10人が分担してそれぞれの作業の仕方のみを覚えれば修得も早く、生産性も上昇します。しかしその結果として1人1人は個別の同じ作業ばかりをすることになります。持ち場を離れることも、別の作業をすることもできません。そんなことをしたら生産の流れが止まって全体が迷惑を被ることになるからです。ちょっと想像すれば理解していただけると思いますが、これはむしろ「楽をすることのできない」社会です。
>なぜ新しい産業を生み出し、景気をよくして忙しくしようとするのか
7. 「生産→消費→……」の原則に従っているからです。もっと単純に言いますと1つの技術だけでは市場が飽和するためです。
7.1. 例えばこの世に1種類のビデオデッキしかなかったとします(テープは無視します)このビデオデッキは故障しない、壊れない、新しい技術革新も生まれないと仮定します。開発された当初は多くの買い手がいます。しかし時間がたつにつれて皆が持つようになると、やがて市場は飽和し、それ以上生産しても消費されない(買われない)、そのために企業は生産できないとなり、経済は停滞し、やがてこの拡大プロセスは停止してしまいます。そうなれば失業が生まれることになります。この仮定が強引だとしても、似た様なことが起こりうるために、企業は新しい産業(というよりは、技術革新)を通じてこのプロセスを維持しようとします。そしてこのプロセスの中で、新に付加価値が生み出されていくことになります。
おそらく質問者さんが想像しておられるのは『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』のような社会ではないかと思われます。この作品の中では「イメージ・コントロール」略してイメコンというものにより「毎日が日曜日」と称されるような暮らしがされていました。
これに加えていくつかの前提を加えます。
人々はベビーカーのような乗り物に乗り、1人ですべての生理行動を処理できます(生殖行動は別にして)。また、ロボットはロボットで意思と権利を持つため、所有もこの際考えないことにします。ロボット達の意思を妨げない程度に国が持っているとでもすればいいでしょう。加えて『ドラえもん~』と違い、ロボットは反乱を起こしません(笑)この辺りは『PLUTO』のロボット三原則を遵守してもらいましょう。またロボットは単純行動以外の知的活動を行えます。先のイメコンはそのロボットが作ったものです。
このぐらいの条件を完備すれば、質問者さんのいう「理想社会」は実現できると考えますが、その場合は代償として資本主義社会というものが意味を成さなくなっていると思われます。これは実現可能か? という問いに対しては質問の趣旨を大きく外れるので回答しません。
また、質問者さんの意図に少々わかりかねるところもありました。
質問者さんの意図を私は「人が働かなくてもいい社会が理想なのに、なぜ現実の経済は逆方向のベクトルに進んでいるのだろう」という風に理解しました。
それに対する私の最終的な解答は「現在、経済システムの目的である付加価値を高めることは直接間接的に人間活動を介してでしか行えないものだから」です。
理解が不十分でしたら、また返信欄にてお返事下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%8...
ブリキの迷宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B...
モダンタイムズ
ちょっと視点を変えての回答です。
専門家ではないので個人的な考察になりますが、
ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来
これがそもそも、「一個人」の夢としては理想的なのかもしれませんが、
長期的に考えれば「種」として理想的な未来とは言いがたいでしょう。
先に結論を言うと、「失業率100%の世界」を夢見る人や組織は自然淘汰され、
「失業率0%の世界」を望む人や組織が生き残るのが、人類の生物としての原則なわけです。
生物学的に考えると、生物というのは周囲の環境が変化し、
生態系に危険が近づくことで進化していきます。文明も同様です。
人類は捕食者から身を守るために火を使うようになりました。
更に効率良く互いを守り、食料を確保するために集団となり、
それを効率良くまとめあげるために法を定めました。
また、他の集団から己の集団を守るために産業を興し、兵器を発明して来ました。
進化というのは危険と隣り合わせである時に、初めて起こる訳です。
事業や学問でもそうでしょう。競争相手が居ればこそ、お互いが成長していく訳です。
最も良い例が戦争ですね。最先端技術の大半は、まず軍事利用を目的として開発されています。
国家単位の死活問題という大きな危機に直面した時に、文明は最大限の進化を遂げてきた訳です。
では、「ロボットがすべて仕事をこなしてくれ、人間は好きなことをして過ごすような未来」ではどうでしょう?
ロボットがすべて仕事をしてくれるということは、人間は物理的に常に満たされており、
富の奪い合いも起きないため、己の身を守らずとも楽ができます。
自分の生活に危機感がない訳ですから、競って学力や労働力を身につける必要もなくなります。
人が「働く事」や「学ぶ事」を止めれば、文明の発展はそこで止まります。
良い意味で社会は現状維持が続く訳ですが、人間そのものはどんどん退化していくでしょう。
極端な話、最後は歩くのも面倒、食べるのも面倒、
ロボットに世話をしてもらいながらダラダラ過ごすろくでもない生き物ができ上がります。
しかし、そんなロボットに頼り切りになった「失業率100%の世界」に、
「失業率0%の世界」を望む人や組織が現れ、意欲的に他の人類を支配しようとしたらどうでしょう?
人々は働く事も学ぶ事もせず、ましてや戦う事などしたことがありません。
ロボットは与えられた仕事をこなすだけなので、
何百年前の科学力でプログラムされた、想定以上の事態に対処することはできません。
結果、「失業率100%の世界」を夢見た人々は、
「失業率0%の世界」を望む人々に支配され、
やがて「失業率0%の世界」を目指す世界がまたでき上がります。
「失業率100%の世界」を夢見る人々はいずれ滅びるのが自然の摂理な訳です。
楽過ぎる世界というのは、リスクが大きすぎるのです。
別に人でなくても、巨大隕石の衝突でも地球外生命体の侵攻でも良いでしょう。
平和に慣れ過ぎてしまった世界というのは、突然予期せぬ危機が迫った時、いとも簡単に滅びる訳です。
このような世界は、お世辞にも「夢のよう」とは言いがたいでしょう。
平和の中で危機感を忘れずに居られることこそ、社会の理想形態だと僕は思います。
実際にあった例を挙げるなら、共産主義と資本主義の戦いですね。
共産主義というのは、仕事をしなくてもいいというわけではありませんが、
最低限の労働さえこなしていれば生活は国家が補償してくれると言うものです。
ある意味、質問者様がおっしゃる理想の世界を、ロボットなしで実現しようと言うような政治思想です。
それに対して、資本主義というのは労働の分だけ富みを得る事ができ、
逆に労働しなければ(極端な話)生きていけないと言う仕組みになっています。
結論から言うと、共産主義は資本主義ほどの自発的で柔軟な発展ができず、
ソビエト崩壊とともにその幕を降ろしました。
その中で、日本は世界で唯一社会主義が成功した国とも言われています。
協調性を重んじる、出る杭は打たれる、沈黙は金など、
おおよそ階級差を道徳的に良しとしない文化から、それが伺えます。
しかしこれは日本人が失敗した共産主義圏や社会主義権圏の人々より楽をしているというわけではなく、
逆に互いが互いに強いプレッシャーを与え、意欲的に学び、働く事で成り立っています。
「他人に負ける」という危機感というか、「社会から逸脱してしまう」という危機感が、
社会全体の原動力となって比較的に平等な社会が形成できたわけです。
人々が同じ権利を主張するには、原則として、人々が同じ義務を負わなくてはならないのです。
それは共産主義のように物理的に課せられたものではなく、
人々が自発的に背負ってこそはじめて成り立つもので、
楽をするだけではやはり成り立たないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/社会主義
http://4plus.jp/blog/archives/351
余談ですが、専門であるITの分野について一言。
これはロボット(AI)が自発的に進化できないという前提で語って来ました。
少なくとも、無機物(半導体)を使ったAI技術では、自発的に進化するロボットは作れません。
また、有機物を使ったAI技術が将来開発され、ロボットが自ら学習して発明までしてくれる時代が来たとします。
そうなった時は、今度はロボットの有機生命体としての性質が、人間を支配するか滅ぼすでしょう。
例えば、ターミネーターのように。
>働く人が少なくても回る社会がいいことは自明のはずです
そうですね、
少子・高齢社会となる日本国にとってはそれがベターな環境というよりも
働く人が少なくても回っていなけばならないことをむしろ強制的に要求されていると云えます。
結論からすると
質問の裏返しのような回答になってしまいますが
労働制度の目的が、単なる生産行動だけではないという点にあると思います。
だいたい、非生産的な就労など、現に沢山ありますからね!
皮肉なことにそちらの類のほうが効率よく儲けていたりするし。
共同体内で、互いに他人をコントロールするため
ヒトの行動をある範囲内に拘束させるために金銭があり、
その金銭を得る手段として労働制度があるのです。
たとえば
みんなが食べられるようにするなら道路の街路樹を果物にしたりすればいいわけです。
世界規模で考えると
牛肉の生産をやめてしまえば、大豆やとうもろこしだけで
十分世界人口を養うことが可能といった試算もあります。(牛肉1人前のために大豆20人前を消費)
しかし、そういうことは決してしない。
人は他人をある程度コントロールしたい。
ある一角の土地をテーマパークにしたい人と図書館にしたい人とがいたとき、
同時に2つ叶えられないならば、どちらにするか何かの基準で決定しなければならない。
駅前どおりを
ある人は演歌の流れる街にしたく、別の人は中国の音楽、別の人はアニソン・・・、静かさを好む人もいます。
そうしたときに
金銭といった有限な歯止め機構を使って解決させるのが現代文明です。
その金銭が手に入らない人たちが出てくるということは、
すでに金銭をもっている一部の人による権利行使が横暴になり
人間の共同体全体としてモラルハザードが起きやすくなるわけです。
で、金銭をもっている人たちは
何か崇高な思想や戦略でもない限り
自分が何か困っていなければ、他人に権利行使のチャンスをわざわざ分け与える理由がない。
構造不況はこんな点から来ているのでしょう。
5番目のkaizawa0428さんのご回答にやや近いです。
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/amemiya.pdf
まず
は分けて考えるべきです。
そして、昨今の失業率の話題は、基本的には前者の問題として議論されているように思います。
つまり現社会がより悪化することを避けるという意味で、「今ある社会の維持」を目的として議論されています。
少なくとも、ロボットが支える社会うんぬんというのは「未来の社会」に関する話題です。これは今後ゆっくり時間を掛けて、深く議論を積み重ね、段階的に対策なり改革を進めるべきです。一方、失業率は「今ある社会」が抱える問題です。現社会は資本主義を前提に構成されているので、失業率の上昇はその前提が崩れかかっていることを意味します。社会がより悪化することを避けるという意味で、失業率は早急で具体的な対策が必要です。
現実社会を生きる人の多くは、当事者としてまずは今ある社会がこれ以上悪化することを避けたいと願うはずです。そういう意味で、今ある問題として、失業率上昇の問題が優先的に議論され報道されるのは妥当な流れだと思います。
極端かもしれませんがもしいま凄い高性能なロボットがたくさんあると仮定して
現在の人類がおこなっている労働を全てロボットが行い、仕事をしていた人たちは自由に使えるようになった時間をもっと有意義に使うということでしょうか。
もしこれが出来れば食料は勝手にロボットが農作業でもして作ってくれますし、生活基盤のインフラも勝手にロボットが整備してくれるわけです。ロボットが壊れても他のロボットがそれを直してという風にまわすことが出来ればもう人間の出るまくはないなもしれませんが、進歩がそこで止まってしまうような気がします。
争いや競争を肯定するわけではありませんが、そういったものが無くなると進歩がなくなります。人間というのはとってもぐ~たらな生き物で「進歩させなくても現状で十分な性能」が得られていれば急いで改善する必要がないと思うかもしれません。もしくは高性能なロボットを開発できる企業が富を独占してさらに貧富の差が激しくなるかもしれませんし、ロボットを使って悪さを行ったりロボットで代理戦争なんて起こるかもしれません。
それに一生懸命働くことは悪い側面ばかりではなく、人間としての成長や生きる上でのやりがいなどいい面はたくさんあると思います。
すごく単純なことをお伝えします。
hakoda-te-kunさんのおっしゃる理想世界では、誰もが働かなくても
欲しいものを欲しいだけ得られるということだと思います。
ところが、誰もが手に入れられるものには(生存に必要なもの以外)、価値はありません。
なぜなら価値というのは、突き詰めれば稀少価値しかないからです。
そして人間は、他者よりも高い価値を得たがる生き物です。
だから、hakoda-te-kunさんのおっしゃるような、「完全な平等社会」は実現しません。
あるいは持続しません。
平等を嫌い、稀少価値を得るために他者よりも働こうとする者が必ず現れ
それによってその者たちが高い価値を得るようになれば
平等に甘んじていた者たちは相対的に低い価値しか得られなくなり
その状況に満足できなくなり、働いて高い価値を得ようとしはじめるからです。
これって実は、今の日本社会でも起こっていることだと思います。
残飯で生きていけるホームレスって、もっと多いと思いませんか?
でもその「最低の平等」に甘んじている人って、そんなに多くないですよね。
(ほぼ無関係な、ホームレスの知恵袋)http://www.tanken.com/home.html
回答どうもありがとうございます。
owadaさんの認識としては、現在に至るまで必要とされる仕事はあまり減っていない、ということですね。
本来、企業(≒社会)が生み出したものは人に与えられるべきなのに、それが近年人を介さずに企業間を循環するようになり、結果として大多数の人は自分たちのためにならないことを延々やらされる羽目になり、ごく一部の人だけに多くのものが与えられている・・・ということでしょうか。
私も経済学にはあまり詳しくないのでよく分かりませんが、それが事実だとしたら、私の質問の前提が崩れることになります。