「北里柴三郎がドイツ留学中に湯煎していた試験管が倒れたのでそばにあった鉛筆でつまんで直した。そばにいたドイツ人はピンセットを探していたので、それに驚いた」というような日本人の器用さを見せつけたという内容を子どもの頃に伝記で読んだ記憶があります。(野口英世が米国に渡航し研究を始めた頃の話かもしれません)/しかし、箸を使う文化圏の人間は日本が鎖国している時代でも欧米に存在したはずです。中国大陸からでてきた華僑との交流やチャイナタウンやタイ王国などのアジア人とは面識がなかったのでしょうか?

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  • 登録:2011/02/25 00:30:43
  • 終了:2011/03/01 23:34:17

回答(2件)

id:online_p No.1

online_p回答回数1153ベストアンサー獲得回数592011/02/25 05:17:42

ポイント45pt

戦前はドイツにはアジア系の人はほとんどいなかったと思いますよ。現在でもチャイナタウンはありませんしね。対して日本からは留学は2/3くらいがドイツでした。多少中国人がいたとしても大学や研究所には皆無でしょう。戦後60年代くらいに韓国から多量の看護婦とその家族が移民したので、現在は韓国系が多いです。その子弟が大学まで行きだしたのは最近、中国人は今現在増えていますが、それまではあんまりいませんでした。

だから、戦前に知識人階級が接触する可能性のあったアジア人は日本人のみですね。中華レストランの類いもなかったと思いますし、あっても箸は出しません。

http://www

id:nawatobi_penguin

そうですか。

ただ陶磁器のマイセンやオリエンタリズムのずっと前の様式にシノワズリというものも存在していますから、

実際には見ていなくても書籍で文化人には「箸を使う文化圏」という認識はなかったのでしょうか?

イギリスには確かチャイナタウンが早くにできていた様な記憶があるのですが。

2011/02/25 20:23:07
id:adlib No.2

adlib回答回数1894ベストアンサー獲得回数1112011/02/26 13:34:55

ポイント25pt

 

 箸々の話 ~ 何処のドイツか存じませぬが ~

 

 野口 英世は(火傷の後遺症で)箸を使うことができなかったので、

いつも弁当は握り飯だったそうです。湯川 秀樹は、不器用だったため

実験が苦手で、理論物理学に進んだそうです。下記は米留学生の逸話。

 

── 私の研究室で飼うことのできる動物は何かというと、これはゴキ

ブリなんです。ゴキブリを八十匹ぐらいかごに入れていろいろ実験をや

ったんですが、ときどきそれが逃亡しますと、研究室の建物全体の大問

題で、女の子なんか怒っちゃって、あなたの方がゴキブリよりもっと害

虫だとか(笑)何とか言われて、それを耐え忍んでやっていたんです。

実験をするときに私が手製の箱をつくりまして、かごの中から箸でパッ

と入れると、みんな見に来て、神業だと。(笑)どうして捕えるんだと

言って。つまり一番いいのは、手でつかむより箸でサッとやるのがいい

わけです。それで随分苦労して、結果はアメリカの心理学雑誌に一九四

三年にドクター論文をそのまま出してもらいました。

http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/...

 『学者渡世―心理学とわたくし』を中心として

 

 南 博 社会心理学 19140723 東京 20011217 87 /一橋大学教授/東 恵美子と別姓結婚

http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4004120616

── 南 博《社会心理学入門 19580319 岩波新書》

 

id:nawatobi_penguin

うーん。

貴重なお話をソースを示していただきありがとうございます。

このお話は知りませんでした。

伝記で読んだのは実験動物ではなくて細菌学など生化学系のはなしで欧米だったと記憶しております。

本当に知識階級の一部の趣味人しか箸の存在を知らなかったということのようですね。

http://homepage3.nifty.com/onion/labo/chopsticks.htm

2011/03/01 20:26:23
  • id:darkwood
     wikiですと

    [ 最も古いソーホーのチャイナタウンは1950年代に形成され...](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3#.E8.8B.B1.E5.9B.BD)

    と有りますから、イギリスのチャイナタウンは最近かと(北里 柴三郎は1853年〜1931年)。日本人は差別された事が余り無いせいか、感覚的に理解できないようで、最近でこそ、露骨な人種差別はタブーとなりましたが(近年はエコロジーという衣を被って、狡猾に行われていますが)、当時は、人種差別の嵐。有色人種は劣等感で自国にコモッテいました。積極的に留学生を出して、勉強に務めていたのは日本のみ。日本以外の有色人種が積極的に欧州に行くようになったのは、日本が日露戦争(1904〜1905年)に勝って、白人優位の神話が壊れた以降だったかと( 奴隷を除く )。

     実際、wikiにも[ 当時は欧州本国にまで移住する華人はいたとしても少数に過ぎなかった。第一次世界大戦中及び戦後(1914〜1918年)の人手不足の時代に華人大量移民の第一波が始まった。]と記載されていますから、まさに日露戦争後。

     で、当時は白人優位ですから、美術品に興味のある一部の好事家を除き、有色人種の文化になどに興味は無いでしょうから、まず、知らないかと。仮に書籍で知っていたとしても、箸など見たこともないのですから、理解していたとは考え難いでしょう。そのような状態で実演してみせたのですから、そりゃ驚くでしょう。

    #  ちなみに日露戦争は、世界史的には歴史の一大転換期になります。
    # 何しろ、白色人種優位の神話が崩れた瞬間なのですから。
  • id:nawatobi_penguin
    中国の鄭和もヨーロッパには行っていないですし、知識階級の人でも箸なんて知らなかったのでしょうか。
    (その割にはやけに中国古代の拷問に詳しかったりするんですよね)
    でも華僑の人々は東インド会社とかかわりのありそうなマレーシアやシンガポールにもいますが、
    それ程昔のことでもないのかな。

    美術品といってもマイセン等陶磁器は当時の技術の最先端であり外貨獲得源でもあったはずですから
    そう一部の人だけではないとも思うのです。
    買ってる人は王侯貴族・富豪でも実際に作っている側は職人ですし。

    日露戦争が世界史のターニングポイントであったのは禍黄論の湧きあがりや優生学を見ていると分かります。
    また、同じ白人同士でも金髪蒼目ではないと白人ではないと、
    ヨーロッパの文明の始まりであるはずのイタリア、ギリシャ、ヨーロッパ大航海時代の先駆けであった南欧は
    「金髪蒼目ではない」と劣った民族としてみられることもあるそうですね。

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