社会学や政治学の用語を使わずに、わかりやすく解説をお願いします。
かなり歴史的な事情があるので、現在の社会に当てはめるのは難しいでしょう。
当時のヨーロッパはカトリックと王侯貴族の時代であり、現在の中国のような貧富の差の大きな社会でした。
当時の一般常識では王侯が全ての決定を行うことが正しいとされていました。
しかしルソーは王侯が全てを決めることに反対でした。
彼は国家を構成するのは一人一人の人間であり、王侯貴族といえどもその一員に過ぎないと考えました。
そして、一人一人が「生存の障害を排除するために社会と契約する」と考えました。
分かりやすく言えば、一人では生きていけないから集まって社会を作る。
そうやって作られたのが国家であり、一人一人の意思が社会の意思を形成すると主張しました。
また、国家の意思に人々は従わなければならないとも考えました。
国家の意思と社会の意思が分かりにくいんですが、国家を形成するには条件があります。
それは、構成員全てが自分の全てを共同体(国家)に委ねるべきだという考え方です。
そして、絶対権力は王侯貴族ではなく人々から全てを委ねられた共同体、つまり国家に与えられるべきだと考えました。
人々から全てを委ねられた国家の意思のことを彼は「一般意思」と言いました。
現在は国家は議会や法律によって管理されるべきだと考えられているように思います。
当時は直接、自分たちの意思によって国家を運用しようと考えたんですね。
彼は政治制度論を構想したようですが未完のまま終わり、社会契約論として残された著作は民主主義の形成に多大な影響を与えました。
フランス革命の息吹が聞こえて来そうな気がしませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%8A%B6%E6%85%8B
かなり歴史的な事情があるので、現在の社会に当てはめるのは難しいでしょう。
当時のヨーロッパはカトリックと王侯貴族の時代であり、現在の中国のような貧富の差の大きな社会でした。
当時の一般常識では王侯が全ての決定を行うことが正しいとされていました。
しかしルソーは王侯が全てを決めることに反対でした。
彼は国家を構成するのは一人一人の人間であり、王侯貴族といえどもその一員に過ぎないと考えました。
そして、一人一人が「生存の障害を排除するために社会と契約する」と考えました。
分かりやすく言えば、一人では生きていけないから集まって社会を作る。
そうやって作られたのが国家であり、一人一人の意思が社会の意思を形成すると主張しました。
また、国家の意思に人々は従わなければならないとも考えました。
国家の意思と社会の意思が分かりにくいんですが、国家を形成するには条件があります。
それは、構成員全てが自分の全てを共同体(国家)に委ねるべきだという考え方です。
そして、絶対権力は王侯貴族ではなく人々から全てを委ねられた共同体、つまり国家に与えられるべきだと考えました。
人々から全てを委ねられた国家の意思のことを彼は「一般意思」と言いました。
現在は国家は議会や法律によって管理されるべきだと考えられているように思います。
当時は直接、自分たちの意思によって国家を運用しようと考えたんですね。
彼は政治制度論を構想したようですが未完のまま終わり、社会契約論として残された著作は民主主義の形成に多大な影響を与えました。
フランス革命の息吹が聞こえて来そうな気がしませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%8A%B6%E6%85%8B
ありがとうございます。わかりやすいです。
こうしてルソーの社会契約論を反芻してみると、検めて民主主義の原点を考えさせられます。
民主主義の原点は直接民主主義だということです。
議会制民主主義はあくまでも方便であり、一人一人の意思を体現する民主国家が理想の姿として求められ続けるべきだと。
情報制御と統制によって選挙を操作するのでは民主主義とは言えないと言うことです。
日本人の民意にどういったバイアスが掛けられているか考えると、日本はまだまだ民主主義国家ではないんだと納得してしまうのもやむを得ないと考えます。
従って、解決策としてはバイアスを与える組織の影響を出来るだけ排除する仕組みを作るべきでしょう。
圧力団体や宗教組織などは政治から排除されるべきだという理論の論拠が明白に存在すると思います。
社会全体(公共の福祉)を目的とした、よい方の「世間」。災害地に義援金を送ったり、節電に協力したりといったものがこの一般意志にあてはまります。
逆に個々の利益追求を肯定した、よろしくない方の世間を「全体意志」といいます。水の買い占めや国ぐるみでの民族差別などが例として挙げられるでしょう。
リンク先は少し極端な言い方をしていますが、取り上げられている本はちょっと面白かったです。
http://agora-web.jp/archives/1408544.html
ルソーの時代に義援金や節電があったんですか?
《(フランス) volont gnrale 》私利を追求する個々の意志の集合(全体意志)ではなく、共同の利益のため利己心を捨てて一体となった人民の意志。ルソーが使用しはじめた用語。
ありがとうございます。わかりやすいです。
2011/12/27 12:37:22こうしてルソーの社会契約論を反芻してみると、検めて民主主義の原点を考えさせられます。
2011/12/28 00:51:37民主主義の原点は直接民主主義だということです。
議会制民主主義はあくまでも方便であり、一人一人の意思を体現する民主国家が理想の姿として求められ続けるべきだと。
情報制御と統制によって選挙を操作するのでは民主主義とは言えないと言うことです。
日本人の民意にどういったバイアスが掛けられているか考えると、日本はまだまだ民主主義国家ではないんだと納得してしまうのもやむを得ないと考えます。
従って、解決策としてはバイアスを与える組織の影響を出来るだけ排除する仕組みを作るべきでしょう。
圧力団体や宗教組織などは政治から排除されるべきだという理論の論拠が明白に存在すると思います。