飛び降りるビルや橋に靴を脱いで揃えたり、足もとに靴を揃えて首を吊るといった行動には理由があるのですか?
もしかしたら人によるかもしれませんね。
(回答という程の物ではないですすいません)
例えばドラマ等でよくある、
遺書を靴の上に置き、学校の屋上から飛び降りる学生。
「私はここで自殺した。ここで。」という
単なる意思表示かもしれませんし、
「今まで歩いてきた人生(道)はここで終わり。」
という意味で脱ぐのかもしれません。
個人的には、
「靴を履いたまま飛び降りて(又は首を吊って)しまうと、もう一度地に足をつくことができてしまう。
……地に足をつくことを許されてしまう。」
という理由で決心の固さを示す為かもとも思いました。
(※実際には自殺なんて辞めるべきですが)
実際には、実行しようとした方にお聞きするのが
一番かもしれませんが、思い出すのも辛いでしょうし。
やはり無意識に最期の一踏みをはっきり足跡として残したかっただけなのかもしれませんね。
内容の無い乱文失礼致しました。
ここから飛び降りたんだ、という足跡を残したかったんだと思います。
要するに未練はあるがそれでも飛び降りなければ、死ななければならない理由がある、それだけを理解してほしいという意味で靴や免許証を置きます。
この話は自殺の名所である東尋坊で聞いた話です。
回答有難う御座います。
靴に拘るのはただ最初にそうした人が靴を脱いで逝ったからでしょうか…?
免許証だったら個人情報が分かってしまいますが…。
自分を主張せずただ心の何処かに留めてほしいのなら靴が良いでしょうね。
何にせよ、無言で訴えてくる物は不思議な力を持っているような気がします。
誰かに、止めて欲しいと、思っています。
今までの、足跡を分かって欲しい。
そんな気持ちで、靴を置きます。!!
追い詰められているから、ね。
その理由も、あるかな。!?
回答有難う御座います。
止めて欲しいとしたらもう手遅れではないでしょうか…?
そこまでして助けを求めれば怨念となって地縛霊になりかねない気もします。
足跡を強調させるために靴を置くのは良いですね。
追い詰められた先の逃げていく足跡は消したい物でしょうし。
意味はありません。これは、テレビのサスペンスで、飛び降り自殺をした、というのを強調させるためのものです。首吊りのシーンで、昔のドラマでは口から血が出ていましたが、それも死んでいるように見せるためのものです。
実際は、靴を脱いで飛び降りたりする人はいないそうです。と、コナンで説明していました。
あ、以前はありましたね。でも今回は変えてませんけども・・・?
あと、コメントの内容がだんだん質問とは関係なくなってきたので、別の場所で話しません?
>あ、以前はありましたね。でも今回は変えてませんけども・・・?
はい、以前のように証拠隠滅のようなことをしても意味がないように、既にこの回答は魚拓を撮っているので大丈夫です。
>コメントの内容がだんだん質問とは関係なくなってきたので
常にあなたの回答とそのコメントについての話をしてるのですが、あなたの回答はこの質問と関係ないのでしょうか?
それで本音で趣旨がわかったと言われたので何がわかったのかをお聞きしたのですがそのお返事はまだでしょうか?
本音で言われたのですからすぐに答えれると思ったのですが。
まさか本音で言ったことが嘘なんてことは無いと思いますし。
これは、前から気にはなっていました。
確かに、知人の婚約者は谷に飛び込みましたが靴を脱ぎ揃えてました。
多くの人は靴をぬぐのを家で靴を履かないからだとします。
http://ameblo.jp/cute-music07/entry-10055290969.html
でも、駅での人身では靴脱は少ないような気がします。
なので、もう少しだけ、日本的な感受性を考慮して追加してみます。
高いところからの身投げは覚悟の上の行為ではないでしょうか。
この覚悟の投身は、あの世を安らぎを与えてくれる終の住処と想念しながらの行為だと思えるのです。そうなると土足ではいけない。身なりを整えてからの覚悟の自裁というんでしょうか。思いつめてはいても、まだ人間的な処し方なのかもしれないと思えます。
ところが、鉄道での投身は、どうも、切羽詰まって行き場のない人たちの、この世からの逃亡行為なんじゃないかと。ほんとうに捨て鉢の行為というんでしょうか。
あるいは、フラフラと気がつかないうちに飛び込むなんてのもあるかもしれません。発作的なのではないでしょうか。
比較するのは何なのですが、前者のほうが、まだ情緒的なものが動いているような感がします。
以上は、自分の想像でありました。
他人にはよくわからない自殺者の心理をもっと理解できるような社会にならないと減らせないでしょうねえ。
そういえば電車に飛び込むなら、人目だけでなくタイミングも気にする必要があって、
もう本当に決死の(って死にたいからあたりまえなんだけど)覚悟で
電車が入ってくる直前にエイヤッと飛び込まないとうまくひき殺してもらえなさそうです。
そう言う状況を考えると、高いところからの飛び折りや、海等への入水と同じ感覚ではないことは確かですね。
ふと思ったのですが、
電車を使う場合でも、ホームではなく、駅から離れた線路に横たわって轢かれるケースだと、
ひょっとして靴をそろえて脱いでる可能性があるんじゃないでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218360762
こんな質問をみつけました。
寺田寅彦の随想に関連する記述がありました。
皆さまのご参考まで。
以下、『藤棚の陰から』より
「入水者はきっと草履ぞうりや下駄げたをきれいに脱ぎそろえてから投身する。噴火口に飛び込むのでもリュックサックをおろしたり靴くつを脱いだり上着をとったりしてかかるのが多いようである。どうせ死ぬために投身するならどちらでも同じではないかという気もするが、何かしら、そうしなければならない深刻な理由があると見える。
この世の覊絆きはんと濁穢じょくえを脱ぎ捨てるという心持ちもいくぶんあるかと思われる。また一方では捨てようとして捨て切れない現世への未練の糸の端をこれらの遺物につなぎ留めるような心持ちもあるかもしれない。
」
もしかしたら人によるかもしれませんね。
(回答という程の物ではないですすいません)
例えばドラマ等でよくある、
遺書を靴の上に置き、学校の屋上から飛び降りる学生。
「私はここで自殺した。ここで。」という
単なる意思表示かもしれませんし、
「今まで歩いてきた人生(道)はここで終わり。」
という意味で脱ぐのかもしれません。
個人的には、
「靴を履いたまま飛び降りて(又は首を吊って)しまうと、もう一度地に足をつくことができてしまう。
……地に足をつくことを許されてしまう。」
という理由で決心の固さを示す為かもとも思いました。
(※実際には自殺なんて辞めるべきですが)
実際には、実行しようとした方にお聞きするのが
一番かもしれませんが、思い出すのも辛いでしょうし。
やはり無意識に最期の一踏みをはっきり足跡として残したかっただけなのかもしれませんね。
内容の無い乱文失礼致しました。
回答有難う御座います。
地に足をつくことを許されるですか…!
これは考えた事がありませんでした。
確かに靴を履いてしまえば足の無い幽霊になれるのかなとか、何かそういう疑問が湧いてきますね…。
まだ短い間しか生きてこなかったのでそのような御方には御逢いした事がありませんが、いつか逢ってみたら尋ねてみたいです。
実際に飛び降り自殺をする前に靴を脱ぐ人がいないわけではありません。
http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2008-04-21-6
じゃぁ何故靴を脱いだのかということについては、正直申し上げて自殺した人に直接お尋ねになるしかないというのが残念なところでしょう。
私がよく聞くのは船から海への投身自殺の場合で、死体が発見されないと困るといったケースですね。保険金がらみといったことです。
実際の犯罪史においても「カクタホテル殺人事件」の主犯和泉が逃走中に捜査の目を誤魔化すために船に靴を脱いでといったことを行っています。
これまでの回答の幾つかに反論を申し上げますと、コナンで言っていたってあれは漫画ですよ。それも子供向けの。実際には不可能な犯罪だって可能にしていますよ。特に毒殺なんかは。
自殺する人は止めて欲しいと願っているからというのも眉唾物です。靴を脱ぐという行為は後戻りしないという決意の表れの場合が多いんです。これは自殺ではありませんが強姦目的で山中に連れ込まれた女性が下着まで脱いだものの靴だけは履いたままにしておいて、犯人の隙を突いて逃げたというケースもあります。止めて貰うとして靴を履いていなければ、歩くことは出来ませんからね。生きたいと本音では願っているのなら別の行動に出るはずです。知り合いに予告の電話をする、目立つビルの屋上でしばらく躊躇しているフリをする。
犯罪者にしろ、自殺願望者にしろ行動は異常でも合理性はあるものです。
リンク先にもある通り、投身自殺の前に靴を脱ぐのは日本の場合、家に入る際には靴を脱ぐ習慣があり、天国という家に入るといった考えに基づくものと推測されます。
回答有難う御座います。
やはり天国は家なんでしょうか…。
昔ある漫画で、「自殺した人は、天国には行けない。地獄に堕ちるからさ。」という台詞を見たりしましたが、そういった発想が無いあたりが自殺志願者なのでしょうか。
脱線してしまいました、すみません。
海に飛び降りるというのも靴は良い証拠ですね。
しかし最近の若者には保険金の事を考える余裕のある自殺は出来なさそうな気もしますが、まあそれは私の偏見です。
ご参考までに「日本人の自殺者はなぜ履物を脱ぎそろえるのか?」という点について、川部裕幸氏が歴史民俗学19号で小論文を書かれているようです。
自殺する日本人はなぜ履物を脱ぎ揃えるのか?: 詩集 お母さん、いまどこにおられますか? がんばろう日本
アメリカ映画「ブリッジ」(2007年6月公開)はサンフランシスコのゴールデンブリッジから飛び降り自殺なさる人を実写で撮り続けたドキュメント映画でしたが、ああ、アメリカ人もたくさん絶望自殺をなさるのだと認識をあらたにし(撮影中の1年間で24人がこのブリッジ66メートルの高さから海面に飛び込んだ)、さらに、ああ、アメリカの人は履いていた靴を脱いでそろえてから舞い降りる方は一人もいないのだと感心しました。
感心、といっても誉めて称えているのではなくて、ぼくたち日本人の基本的なメンタリティーとの部分的な差異を思い知った次第でした。一人も靴を脱ぎそろえた人はいなかったのです、一人も。履物に遺書を置き残すという所作もないようでした。一人も。
では、なぜ日本人自殺者は履物を脱ぎそろえるのでしょうか。川部裕幸氏(成城大学民俗学研究所)が:自殺の作法~〈履物を脱ぐ〉をめぐって:と題して歴史民俗学19号(2001年3月)で小論文を寄稿されています。文献的には井原西鶴「好色五人女」(1687年)や「太平記」(14世紀中頃)「源平盛衰記」(14世紀後半)などに履きものを脱いでの自殺描写があるそうです。詳しくは同論文をごらんいただくとして、なぜ? の疑問に川部氏は次のように述べておられます。
・自殺以外に日本人はどういうときに履物を脱ぐのか考えてみる。四つの場合がある。1・和風家屋に上がるとき、2・畳の部屋に入るとき、3・宗教的行為としての脱履、裸足、4・礼装として素足、である。・・・・
・そこに共通して見て取れるものは、大切な場所(ウチ)、神聖な場あるいは上位の空間および人に対しては、裸足で接すべしという、日本人の感性的規範である。感性的規範とは、感覚的直感に基づいて、その時その場にふさわしい行為を命じる心の声であり、その感性は、幼年期からの躾や身の回りの様々な見聞によって、知らず知らずのうちに育まれてきたものである。
また、民族学の用語で言えば、日本人には、ハレの領域に入るとき、あるいはハレなるものに接するとき、履物は脱ぐべきという作法があった。すなわち、ケからハレへの移行儀礼の一端として、、<履物を脱ぐ><裸足になる>という作法があったという言い方も可能であろう。
・自殺とは自らを、この世からあの世へ、生の領域から死の領域へと移すことである。そして人は自らの死に臨んで、当然、粛然たる気分になり、それにふさわしい「装い」と「所作」すなわち儀式を自演する。あの世への移行儀礼。日本人の場合それが、<履物を脱ぐ>という儀式であった。
ご参考になれば幸いです。
回答有難う御座います。
成程、儀式的なものというのはありましたが此処まで深いとは…。
やはり島国ならではですね。
日本のこういう文化風習その他諸々がやはり薄れつつあるもののしっかりと受け継がれているというのがよく分かります。
死に相応しき装いを、海外の方は如何考えておられるのでしょう。
成程、儀式的なものというのはありましたが此処まで深いとは…。
やはり島国ならではですね。
そうですね、私も今回調べてみて自分が想像していたよりも古い時代からそうした描写があることに少々驚きましたが、考えてみると昔の人のほうが川部氏の言う"それにふさわしい「装い」と「所作」すなわち儀式を自演する"という意識は強かったかもしれませんね。
先入観だそうです。
アニメとかで飛び降り自殺のシーンがあったとして、下を映さなくても飛び降りた事がわかるからと考えます。
回答有難う御座います。
やはりテレビに死体をそう簡単には映せませんよね。
まあ想像するだけでもそのグロさは分かります。
しかし靴を残すというのを最初に思いついた人は素晴らしいですね。
回答有難う御座います。
2012/02/23 16:53:38地に足をつくことを許されるですか…!
これは考えた事がありませんでした。
確かに靴を履いてしまえば足の無い幽霊になれるのかなとか、何かそういう疑問が湧いてきますね…。
まだ短い間しか生きてこなかったのでそのような御方には御逢いした事がありませんが、いつか逢ってみたら尋ねてみたいです。