分からない言葉について教えてください


その話は神通川の傍になったあんねん坊の麓に出ると云うぶらり火のことであった。

この文章の「あんねん坊」とは、なんですか。

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  • 終了:2012/06/18 00:32:23

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id:a-kuma3 No.2

回答回数4973ベストアンサー獲得回数2154

質問の文章は、田中貢太郎の「放生津物語」からとったものだと思いますが、
元になっているのは、堀麦水の「三州奇談」正編巻五「妬気成霊」でしょう。
http://www.geocities.jp/hesoraku/main/bakemono2/kaika_other.html

神通川の辺り、あんねん坊の麓にある、
越中婦負郡呉服村には、
(現在の富山県富山市の一部)
ぶらり火という燐火が出る。


「呉服」は「くれは」で、現在の「呉羽丘陵」の辺りです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E7%BE%BD%E4%B8%98%E9%99%B5

「呉羽」は一帯の地名で、呉服部(くれはとりべ)にちなむものである。

http://gogen-allguide.com/ko/gofuku.html

【呉服の語源・由来】
古代中国の「呉」の国から伝来した織り方によって作られた織物のことをいった。
しかし、単に「呉の服」の意味から、「呉服」になったわけではない。
古く、呉服は「くれはとり」といった。


麓(ふもと)とあるので、あんねん坊は山を指すのかな、という気もしたんですが、
お寺さんがある場所の名前で、お寺さんを呼ぶことも多いので、SALINGER さんが
書かれているように「呉服山安寧坊」を指すんでしょうね、きっと。


同じことを書いただけだと、つまらないので、オマケを二つほど。

ひとつ目は、「三州奇談」。
堀麦水の「三州奇談」の一部は、↓で読めます。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/koten.htm



ふたつ目は、ちょっとうさんくさいネタ。
http://www.geocities.jp/une_gen/LegendsInSouthNoto-4.htm

 このモーゼの墓がなぜここにあるかというと、富山県の竹内家が代々守ってきた「竹内文書」という古文書に、次のように記されていることが根拠のようです。それによると、モーゼはシナイ山に登ったあと天浮舟(UFO?)に乗り、能登宝達山に飛来し、ここで「十戒」を授かったそうです。そして天皇の娘大室姫と結婚したモーゼはその後、538歳までをこの能登宝達で過ごし、三ツ子塚に葬られたと記されているそうです。


http://spiritualmother.blog104.fc2.com/blog-entry-4.html

モーゼは583歳の時、宝達山で亡くなっている。
遺体は宝達山ネボ谷に葬り、後に富山県呉羽山の安ネボ山にも分骨したそうです。


http://ameblo.jp/littlekanako/entry-11254119730.html

モーゼは日本と結構関わりありますね、
で葺不合朝70代、神心伝物部天皇即位75年9月8日、能登宝達宮において583歳をもって宝達山ネボ山谷に葬られ、分骨して越中の呉羽山の安念坊に葬られた。


いやいや、モーゼって...

# うさんくささは、ちょっとどころではないですね ><

id:aria7191979

地名かなって思ったのですが、「呉服山安寧坊」ですか…
色々教えていただき、どうもありがとうございました。

2012/06/18 00:34:58

その他の回答2件)

id:SALINGER No.1

回答回数3454ベストアンサー獲得回数969

神通川は富山県を流れる川ですが、その流域に安養坊(あんようぼう)という地名があります。
 

大きな地図で見る
 
この安養坊は安寧坊と言ったようです。
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori51/tayori51.htm

中世には安養坊(あんようぼう)、現在の富山市民俗民芸村の辺りから越えたと考えられています。木曾義仲(きそよしなか)の先発隊として加賀に派遣された今井兼平(かねひら)も、安養坊の八幡社で戦勝祈願を行なっています。また、現在五福にある長光寺は、元々は呉服山安寧坊と号し、安養坊(安寧坊)で大伽藍を誇っていたといいます。

 
あんねん坊とは現在、富山市の安養坊という地名、もしくは五福にある長光寺のことだと思います。
 
http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/yomimono/0608GL-toyama-shiseki.pdf

長光寺はもと真言宗の寺院で呉服山安寧坊と称した。

id:a-kuma3 No.2

回答回数4973ベストアンサー獲得回数2154ここでベストアンサー

質問の文章は、田中貢太郎の「放生津物語」からとったものだと思いますが、
元になっているのは、堀麦水の「三州奇談」正編巻五「妬気成霊」でしょう。
http://www.geocities.jp/hesoraku/main/bakemono2/kaika_other.html

神通川の辺り、あんねん坊の麓にある、
越中婦負郡呉服村には、
(現在の富山県富山市の一部)
ぶらり火という燐火が出る。


「呉服」は「くれは」で、現在の「呉羽丘陵」の辺りです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E7%BE%BD%E4%B8%98%E9%99%B5

「呉羽」は一帯の地名で、呉服部(くれはとりべ)にちなむものである。

http://gogen-allguide.com/ko/gofuku.html

【呉服の語源・由来】
古代中国の「呉」の国から伝来した織り方によって作られた織物のことをいった。
しかし、単に「呉の服」の意味から、「呉服」になったわけではない。
古く、呉服は「くれはとり」といった。


麓(ふもと)とあるので、あんねん坊は山を指すのかな、という気もしたんですが、
お寺さんがある場所の名前で、お寺さんを呼ぶことも多いので、SALINGER さんが
書かれているように「呉服山安寧坊」を指すんでしょうね、きっと。


同じことを書いただけだと、つまらないので、オマケを二つほど。

ひとつ目は、「三州奇談」。
堀麦水の「三州奇談」の一部は、↓で読めます。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/koten.htm



ふたつ目は、ちょっとうさんくさいネタ。
http://www.geocities.jp/une_gen/LegendsInSouthNoto-4.htm

 このモーゼの墓がなぜここにあるかというと、富山県の竹内家が代々守ってきた「竹内文書」という古文書に、次のように記されていることが根拠のようです。それによると、モーゼはシナイ山に登ったあと天浮舟(UFO?)に乗り、能登宝達山に飛来し、ここで「十戒」を授かったそうです。そして天皇の娘大室姫と結婚したモーゼはその後、538歳までをこの能登宝達で過ごし、三ツ子塚に葬られたと記されているそうです。


http://spiritualmother.blog104.fc2.com/blog-entry-4.html

モーゼは583歳の時、宝達山で亡くなっている。
遺体は宝達山ネボ谷に葬り、後に富山県呉羽山の安ネボ山にも分骨したそうです。


http://ameblo.jp/littlekanako/entry-11254119730.html

モーゼは日本と結構関わりありますね、
で葺不合朝70代、神心伝物部天皇即位75年9月8日、能登宝達宮において583歳をもって宝達山ネボ山谷に葬られ、分骨して越中の呉羽山の安念坊に葬られた。


いやいや、モーゼって...

# うさんくささは、ちょっとどころではないですね ><

id:aria7191979

地名かなって思ったのですが、「呉服山安寧坊」ですか…
色々教えていただき、どうもありがとうございました。

2012/06/18 00:34:58
id:taknt No.3

回答回数13539ベストアンサー獲得回数1198

http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/yomimono/0608GL-toyama-shiseki.pdf

最初の回答では 触れてないようなので補足します。
富山市五福にある長光寺のことです。

この長光寺には

境内には佐々成政の愛妾・早百合姫の墓が残されている。


とあります。
まさしく ぶらり火の登場人物が 出てきていることから
そのお寺であることは 間違いないと 思われます。


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