強くてもそれほど表に出さないものなのでしょうか。それともはっきりと表に表すものなのでしょうか。
殆どの国は日本よりも遥かに愛国心は高いと思いますよ。
例えば先日行われたイギリスのエリザベス女王即位60周年記念行事に
世界中の ロイヤル / インペリアル・ファミリーと世界各国の国家元首が集まったのですが、
そんな中スペインの国王夫妻は招待を断って参加しませんでした。何故だと思います?
スペインとイギリスはジブラルタルをめぐる領有問題で争っており、 スペイン国王夫妻は 英国に対する「抗議」として 招待を
きっぱり 断ったのです。
また過去にはフォークランド諸島の領有権をめぐりイギリスとアルゼンチンが紛争を起こしていました。
時折、アルゼンチンが占領しましたが、当時のイギリスの首相のマーガレット・サッチャー女史が、直ちに戦争を起こしてイギリスが勝利してフォークランドを 奪還したのです。
世界各国を見渡せば、自国の国益のために 戦っている国が
こんなにもあるというのに、それに比べて日本は竹島や尖閣諸島や北方領土などの自国の領土に対してあまりの関心のなさに他国から舐められた始末です。
中には田母神さんと一色正春さんなど一般市民含めて多くの人達は愛国心があると思いますが、それでも他国に比べたら全体的には薄いものです。
多くの他国は表を出してまでも自国を守ろうとする愛国心があります。
歴史的にいえば、ヨーロッパなどでは日本と比べナショナリズムが興隆したのは、19世紀でした。この時期、フランスで革命がおき、その後ドイツ、イギリスと次々に民族主義的なナショナリズムがおきていきました。
ベネディクト・アンダーソンによれば、ナショナリズムとは発明されるものであり、元々国民がいて原点を探るような試みではなく、民族的な統一を後からメディアなり国家なりが扇動して形成するものだと指摘してます。
また、20世紀において、主にアジアは、ヨーロッパによる植民地ナショナリズムを形成しました。これは、ヨーロッパのナショナリズムとは違い、アジアは上から起きたということをです。
インドシナでは、ベトナム、ラオス、カンボジアそれぞれ別々のナショナリズムが発生したのに対して、広大なインドネシアに単一のナショナリズムが発生した原因を、オランダとフランスの植民地行政、とくに教育制度の違いがもたらした巡礼路の差によって説明している。インドシナと対称的にオランダ植民地の巡礼路は、植民地の首都バタヴィアに収斂していたのである。
このように、愛国といってもアジアのように後からヨーロッパによって達成されたアジアと革命により愛国があったヨーロッパとでは少し違うように思います。
思うに、韓国のナショナリズムが周回遅れでやってきているのは、ヨーロッパや他のアジアの地域が19,20世紀にやっていたことを韓国は現在しているのだと思います。つまり、民族、国家、言語の源流という物語の共有を国民が現在において行い、国家統合をしている途中なのだと思います。
なので、海外によって愛国心が強いとか弱いとかの問題ではなく、どの国も歴史的ナショナリズムの過程があったのです。日本も、今でこそ過度なナショナリズムを形成していませんが、WWW2の時期や、あるいは戦後も、日教組という左翼的な枠組みを通じながら沖縄(琉球民族)や北海道(アイヌ)に本土の標準語の徹底を行い、民族統一を行ってきました。
この点を鑑みると日本もそれなりに愛国心を生み出すような政策をやってきているので、愛国心が弱いわけではないと思われます。
http://q.hatena.ne.jp/1346074909
私も英国のエピソードです。
日本の場合、愛国の士が単独であるいは小規模集団で活動するといったイメージがあるのですが英国は集団でという感じがします。
第二次世界大戦の緒戦でドイツの猛攻に追い詰められた英仏連合軍は英国への撤退を決意します。30万人を超える兵士を救出するために860隻の民間船が徴用されます。貨物船は勿論のこと一般の漁船、貴族のヨット、湖の観光船までが救出に協力します。船を操ったのは勿論元々の船長達です。
つまり、兵士を救える立場(船艇を保有している)の国民全てが身分に関わらず軍の敗走を助けたのです。
この時の国民の勇気はダンケルクスピリットという言葉として現在でもしばしば使われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%A2%E4%BD%9C%E6%88%A6
外国人が愛国心が強いのではなくて日本人が愛国心のない国なだからではないでしょうか
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5719219.html
関連資料
http://brogmeshikue.at.webry.info/201011/article_104.html
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2009-07-01
日本人はあまり愛国心がありませんよね・・・。
アメリカは愛国心めちゃくちゃ強い国ですが、場所によっては全然そんなことないです。でもすごいところは街中に国旗さげてあるとか。
>海外、愛国心について
愛国心には、大きく分けて2つの意味合い、”愛郷心”と”忠誠心”があると思います。
・自分が住んでいる地域、人、文化等から自然に生まれてくる、故郷への愛着(愛郷心)。
・国家によって強制的に心教育されて生まれてくる、国家への愛着(忠誠心)。
(1)どちらかと言えば、”強い”があたりまえ?
強い弱い、どちらかと言えば、”強い”と思います。
海外は陸続きの国々がけっこうありますよね。歴史的に他国から侵略されるかもしれないという緊張感が絶えずある。徴兵制もあったりして、自分達の国は自分達で守るという強い意識があるのではないでしょうか。
また、移民を多く受け入れている多民族国家は、祖国が違っても他者へ敬意をはらうことで民族融和を図り、愛国心が育まれるんじゃないかなと思います。
もっとも、中国のように心教育している国は、愛国心が強いのはあたりまえと言えるかもしれません。
(2)それほど表に出さない。それともはっきりと表に表す?
はっきりと表に表すことがありますよね。
オリンピックのウィニングランで、国旗を持って走る海外のアスリートがけっこういます。国旗を持って走る日本のアスリートは、以前は全く見かけませんでした。最近は見かけますよね。海外では寄せ書きはしないようです。
ちなみに、日本では「国旗、国歌に関する法律」(国旗国歌法)が成立したのが、1999年(平成11年)8月13日です。
また、アーティストのように表現できる手段を持っている人は、はっきりと表に表しています。スティングのイングリッシュマン・イン・ニューヨークはいい曲だなと思います。
そして、愛国無罪というように、暴動で愛国心を表現する国民もいます。
愛国心が強めなのは、普通でしょう。
そのように教育されてきてるのですから。
>強くてもそれほど表に出さないものなのでしょうか。
>それともはっきりと表に表すものなのでしょうか
これ立場や状況によって違います。
バカ?な庶民は表にはっきり出す傾向に強いかもしれません。
不満のはけ口が、弱いものいじめか、強いものとの同化の違いだけです。
インテリ連中は
自分に都合よく周りを動かすために、愛国心を強く出す人もいるでしょう。
要は、扇動しやすいんですよ。
国を愛する心を批判することなんて、その国に住んでいる限り無理なんですから。
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単に、国家の都合。
多くの国で、義務教育課程で、愛国心を叩き込んでるからです。
叩きこむというと語弊があるだろうけど
家がキリスト教徒なら、その子供もその色に染まりがちで
家がイスラム教徒なら、その子供もその色に染まりがち。
そんな感じ。
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愛国心というのは、
国家が統治するのに便利に使えますから
当然、教育課程でそう教育しますよ。
愛国心とナショナリズムとは違うものです。
また祖国を愛する心を持つのは当然ではありません。
親が子供を愛するのは当然とかという論理と同じで
そんなのは事実ではありません。
そうですね。
割とはっきりと表に出す(それも実名顔写真付きで)でしょう。
ただ”日本は愛国心が薄いのか”というと海外からあまりそういうふうにはみられていないようで「日本の愛国心の高さにはびっくりする」みたいなコメントもちょいちょい見受けられます。
日本人からするとなんのこっちゃ?と思うんですが・・・皇室の扱い(メディア上の強いタブーや暗黙の了解など)とか、右翼の扱いとか、あるいは欧米に比べ移民を受け入れていない部分でそう見られる事があるようです。
なので日本人の考える「愛国心」と海外、というか欧米のそれに多少ズレがあるのも事実だと思います。
そもそも「愛国心があるのに表に出さない」というのが海外からみたらよくわかんないんじゃないでしょうか。
あとドイツは愛国的な事はあまり言いませんね。少なくともネット上ではそういう印象を受けます。
ネオナチ的な人は一定数いますが、それ以外の一般人は非常に中立的というか冷静と言うか、ナチス以外の自国の歴史に対しても卑屈であるようにすら感じます。
日本の「愛国心」が内外から叩かれたりまたその反動でネットに感情が噴出しているのも、結局は大戦の影響が未だにある、ということなのかもしれません。
コメント(1件)
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インドシナでは、ベトナム、ラオス、カンボジアそれぞれ別々のナショナリズムが発生したのに対して、広大なインドネシアに単一のナショナリズムが発生した原因を、オランダとフランスの植民地行政、とくに教育制度の違いがもたらした巡礼路の差によって説明している。インドシナと対称的にオランダ植民地の巡礼路は、植民地の首都バタヴィアに収斂していたのである。
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この一文は専修大学のゼミ資料(作間逸雄ゼミナール公開ゼミ資料
――「東ティモール」問題から「ナショナリズム」について考える――)からの引用ですよね。
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