歴史についての質問です。


桶狭間の戦いについて、何でもいいので情報ください!
本当の(?)歴史上の情報で、二次創作などの情報はいいです←

例)今川さんと織田さんが戦った
↑でもいいです。とりあえずください←

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  • 登録:2013/01/03 15:57:10
  • 終了:2013/01/10 16:00:03

回答(1件)

id:gtore No.1

gtore回答回数2481ベストアンサー獲得回数4372013/01/06 14:40:01

基本的な情報ですが…。

戦国時代、その名をとどろかせた武将(ぶしょう)・織田信長。織田家は強敵に囲まれた小さな国の大名にすぎませんでした。その織田家をついだ信長の運命をかえたのが、1560年の「桶狭間(おけはざま)の戦い」です。敵は、勢力を広げていた戦国大名・今川義元(いまがわよしもと)です。今川義元は、25000の大軍を引き連れ、信長の領地にせめこもうとしました。とちゅう、はげしい雨の中、今川軍は「桶狭間山」で兵を休めていました。そこにすきをついて織田軍二千の兵がせめこみます。敵の数は10倍以上。それでも信長率いる軍には勢いがありました。今川軍は総くずれとなり、義元は討(う)ち死に。信長の勝利となりました。この時、織田信長27歳(さい)。大きな力を持っていた今川義元を討ったことにより、その名は、またたく間に天下に知れわたりました。
織田対今川・桶狭間の戦い

1560年(永禄3)5月19日,織田信長が今川義元を尾張国桶狭間村(現,名古屋市緑区有松町)・大脇村(豊明市)一帯の起伏の激しい丘陵地帯で迂回奇襲し敗死させた戦い。今川氏は門地・実力・地理的条件からみて上洛して将軍を補佐しうる最大の戦国大名であり,三河も掌握し1554年(天文23)武田・後北条・今川3氏和解の体制をつくり,58年ころから尾張侵入をはかり品野・笠原・鳴海・大高城を前線拠点とした。一方,信長は59年に岩倉城を攻略し,ほぼ尾張一円の支配をなしとげた。

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