自然では食うか食われるかの世界です。
最悪,共喰いする生物さえあります。
法律,憲法,道徳等は人が勝手に作った物であります。
自然はそのような縛りはありません。
あなたの考えを教えて下さい。
答えは二つあります。
人を殺したら、殺された人の友人、家族など、それを見聞した他人でさえも不快な思いをします。
これはよくある回答です。
普通なら、人を殺せばかなりの罪悪感が残ります。
もし、人を殺しても、社会的な倫理における、法の処罰を受けなかった、もしくは殺人がばれなかったら殺人者は自由の身です。
しかし、普通なら、罪悪感が度々フラッシュバックし、自身を押しつぶすようになります。
つまり、自分が自分に思えず、自分らしく生きられなくなるわけです。
余談ですが、ギリシャの或る哲学者の話で、「或る羊飼いが、透明になる布を被って、王を殺した。透明だったから誰にもばれない。この場合、彼は誰にもばれていないのだから罰も受けていない。」と云うものがありました。
もしあなたが羊飼いだったらどうなるか・・・。
かなり考えさせられます。
例えば
「pida6を殴る事を罪としない」
という法律が出来たとして、貴方は、おとなしく殴られますか?
殴られるのは嫌ですよね。
他人が理由もなく他人に暴力を振るうのは罪。そうしておかなければ、たまにいる凶暴性の高い人を止められませんよね。
で、殺人は、暴力の中でも最も凶悪な行為です。暴力そのものが止められてるんだから、殺人が止められるのは当たり前でしょう。
それは違うというのなら、貴方自身が証明して下さい。明日から誰に殴られても、蹴られても、投げられても、一切警察に通報せず、全部許してください。それらは殺人よりもずっと軽いのです。
殺人に限らず、暴力が悪ではないですか?
ちなみに、悪ではない暴力も存在するし、そういった場合は殺人も許される事が多いですよね。
ボクシング等の格闘技であれば事故扱いで殺人罪にはなりませんし、戦争もそうですし、暴力をふるわれて反撃した場合は正当防衛です。
この問いに対しては、もしも、人を殺すことが許されていたら、どういう世の中になるかを考えてみるといいでしょう。
・凶悪な性分をした人は、気に入らない人間を次々に殺していくこともあるでしょう。
・自分の名誉欲、性欲、物欲、働きたくないという欲などから、殺人に及ぶこともあるでしょう。
・殺された側の人を愛していた人は、復讐することもあるでしょう。
・人を殺すことが際限なく連鎖していけば、やはり戦争に発展する可能性が大いにあると思います。
・殺人への罪悪感がない世界の戦争では、核兵器が使用され、生物の存在しない地球になりかねません。
ここまでは、一般的な考察です。
これからは、私の個人的な考え方です。
私は理科という学問を数十年間学んできて、進化論はおかしいという結論に達しました。
宗教心から、そういう考えを持ったのではありません。
原始生物が高等な生物に変わっていくというのは、科学の専門用語でいうなら、エントロピーの法則に反します。
それは神の力なのか、他の何かかはわからないものの、現代科学では説明できない現象が起こっていることは確かなのです。
また、人間だけが極端に知能が高く、特別な力を与えられているとしか思えません。
動物同士が殺しあうのと、人間同士が殺しあうのは別であるということは、私は人間は単に動物の1種とは違うという考えによります。
答えは二つあります。
人を殺したら、殺された人の友人、家族など、それを見聞した他人でさえも不快な思いをします。
これはよくある回答です。
普通なら、人を殺せばかなりの罪悪感が残ります。
もし、人を殺しても、社会的な倫理における、法の処罰を受けなかった、もしくは殺人がばれなかったら殺人者は自由の身です。
しかし、普通なら、罪悪感が度々フラッシュバックし、自身を押しつぶすようになります。
つまり、自分が自分に思えず、自分らしく生きられなくなるわけです。
余談ですが、ギリシャの或る哲学者の話で、「或る羊飼いが、透明になる布を被って、王を殺した。透明だったから誰にもばれない。この場合、彼は誰にもばれていないのだから罰も受けていない。」と云うものがありました。
もしあなたが羊飼いだったらどうなるか・・・。
かなり考えさせられます。
いろいろ理屈はありますが、突き詰めれば「誰だって殺されるのは嫌だから」という事に尽きるかと思います。「自分がされたら嫌なことは他人にもしない」という当然の倫理です。あなたは他人に理不尽に殺されても文句はありませんか?。
殺人罪に限らず、たいていの法律の基礎はこの「自分がされたら嫌なことは他人にもしない」を明文化したものです。誰もが自分の欲望だけを優先して好き勝手に振る舞えば、そもそも社会を維持することは不可能になります。法律、憲法、道徳等は「人が勝手に作った」のではなく「人が社会を作るために作った」物なのです。
自然界は弱肉強食と言いますが、その自然界においても群れをなす種類の動物では、その群れという社会の中でのルールは存在します。共食いすら普通にするような種類の動物は絶対に群れをなすことはありません。もし人類がそのような基準で行動していたらそもそも社会を作ることは出来ず、今も原始人のままで文明を得ることは出来なかったでしょう。
現在の人類文明を否定し、野生動物のままでいたほうが良かったと言うならともかく、文明を肯定するなら文明化を可能とした「人の社会」も肯定するべきものであり、その社会を維持するための法の存在もやはり肯定するべきものでしょう(個々の条項の是非論はまた別の話ですが)。
コメント(1件)
状況が自然と全然違いません?