なお、織田信孝が、「三七どの」というのは一体どういう意味合いだったのでしょうか。
どちらも幼名ですね。
織田信雄:
元亀二年(1571)舟江城にて元服、北畠具教の四女雪姫(千代御前)と婚礼。
北畠具教の嗣子として北畠三介具豊と名乗る。
http://www.gokuh.jp/ghp/matsuei/ko_02.htm
織田信孝:
幼名は三七(3月7日生まれだったためとも)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%AD%9D
どうもありがとうございました。
2014/01/12 11:28:48信孝の三七は、3月7日生まれということなら、あぁそうか、と思いました。
三介は、どうしてこのような幼名を付けたのか、北畠家でよく使う幼名だったのだろうか、
と想像しましたが、いかがでしょう。
(徳川家の「竹千代」みたいな)
なお、信忠長男の三法師も含め、「三・・・」が多いなと感じました。
北畠家でよく使う幼名だったというわけではないですね。
2014/01/17 09:20:49信孝が先に生まれていて実は三男なので、という説もあるようです。
単に信長の気まぐれなのかもしれません。