いあ、言葉の意味なんて百通りも解釈できますから、単に打たれ弱いだけです。
打つべし、打つべし・・
人が傷ついたかどうかは本人にもわからないし、態度にださなければ他人には一切通じません。
傷ついて見せる人はそれを二度と言って欲しくないという意思表示をできるというだけのことです。
暴言なのかどうかもわかりません。
ですから「まともな人間」=「傷ついてみせる人間」とは限りません。
傷ついてみせる人間のほうが、知恵がありそうに見えるだけです。
もしも英語で皮肉・あてこすりに近いことをいわれたとしても、いわれた人が英語が一切わからなければにこにこしてるだけです(まあ顔色を読める場合もあるでしょうが)。傷ついた顔をすれば、少なくとも言った内容は通じているらしい、コミュニケーションが成り立つらしいということがわかります。それをさして「まともな人間」というのならおっしゃるとおりでしょうね。
個人的には、それがまともかというと必ずしもそうでもないとわたしは思います。よのなかには、良識派ぶって何にでもナイーブぶる人なんかもいるようです、たとえば「放射脳」と名付けられた、極端に放射線を恐れる人たちは、みんな我慢していることを大声で騒いで、まわりにどれだけ大丈夫と慰められようともいちいち曲解してきずついた顔をするようです。そういう人には、私はあまり近くにいてほしくないです。
言葉の意味だけでなく、どうしてその人がその言葉を発したのかその心情までわかってしまうと傷ついたと言うことさえできなくなります。それがまともかどうかはわかりませんし、心のなかにたまった澱のようなものをなにかで吐き出さないといけないですし、やはり傷ついてはいるのかしらね…。でも暴言を吐いた人の心情がわかるということは、一時的かどうかはわかりませんが、同じような経験をした可能性もあるのです。複雑ですね。
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