例えば有名なアメリカ映画「卒業」とサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」の詞の内容。どう見てもあの有名なラストシーンのカップルの状況と世界像をそのまま謳っているようにしか思えないのですが、ウィキを見る限りそうやって触発されて書いた、とか映画側から依頼されてキャンペーンソングのように書かれた、とかのエピソードは見当たりません。この2つの作品の背後関係は全く無くたまたま偶然なのでしょうか?(もちろんS&Gがサウンドトラック担当していたのは知ってますが当楽曲はサントラには入ってないのです。)
大島渚の映画「愛のコリーダ」と有名なディスコソングの「愛のコリーダ」の関係も単にタイトルに触発された???ということぐらいは判りますが、エピソードとして納得できるものではない。こういうのは普通権利関係で揉めますから。大島に打診があって快諾されたのかどうかとか。
更に昔から気になっているのは、伝説的な日本名画「太陽を盗んだ男」とほぼ同時期の山下達郎の出世作である「Bomber」の歌詞内容は、 (質問文・下につづく)
(質問文・上からのつづき)
私が読んで感じる限りあまりに酷似しており、たまたま偶然なのか、それとも本来公式挿入歌として予定されたものがエラー進行になったのか、単にクインシー案件のようにどちらか一方が他に触発された書いたのか、、、、、さあどっちなんだ?
上記以外にも理由は知らないけど似たような「不穏当関係」の映画と音楽ってありますかね?
あと聖子ちゃんの「青い珊瑚礁」と映画の「青い珊瑚礁」もほぼ同時期にありましたよね。イメージソング提携でもなんでもないんだけど。あれは意図的非公式提携の広告展開として行なわれたとしか思えない。
※「不穏当」とは語弊もありましょうが、修辞として付けました。「奇妙」「興味深い」程度の意味でもいいと思います。
※山下達郎「Bomber」は日本語表題未だに「ボンバー」となっていますが(Inウィキ)、別件でオカシイですね 発音は「ボマー」、bはサイレントでしょ、ハハハ
〔並存〕 《卒業》の主題曲となった《サウンド・オブ・サイレンス》
…… 映画の前に発売されたレコードと、映画のために録音されたサウンド
・トラック盤とふたとおりある。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710708 Paper Concert
…… 三〇〇万ドルの低コストで一億四〇〇〇万ドルの収入を得た成功
映画として一躍評判となる。人妻のアン・バンクロフトも好演。
── 田中 純一郎《日本映画発達史Ⅴ 19760710 中公文庫》P178-179
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050608 ミセス・ロビンソン
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%D4%C2%B4%B6%C8
よく分らない例は他にもある。多くの観客は《第三の男・落ちた偶像》
とおなじように、この作品も理解しているのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031208 第三の偶像
〔決裂〕 《影武者》における、世界のクロサワ vs タケミツ
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4167679019
…… 武満さんは、ついに立ち上がった。「黒澤さん! 僕の音楽を切
ってもハっても結構です。お好きなように使って下さい。でも、タイト
ルから僕の名前をけずってほしい。それだけです! 僕はもう、やめる。
帰ります!」── 《影武者 19800426 東宝》《乱 19850601 東宝》
https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%AD%A6%E6%BA%80&ao=a
〔論外〕 ウンザリ三部作《戦メリ》《ソナチネ》《コリーダ》
…… 石原 慎太郎が(略)ほんとうに《人間の条件》その他の演技を
観たのか、いまだに疑わしい。
── 《日曜ワイド 20131215 14:00-15:55 TSC》石原 裕次郎&津川 雅彦
むかし観たときは、いかにも軽薄な演出だと思ったが、いま観るに、
大島 渚や北野 武や松本 仁志の予告編など、はるかに及ばないのだ。
彼らは、チャップリンの映画も理解できなかったのではないか。
黒澤 明は、ほとんど他人の映画を観なかったそうだ。
http://q.hatena.ne.jp/1388910719#a1221564(No.1 20140107 09:18:22)
三度泣いた ~ 人間の条件、狂った果実、オトゥール ~
こんにちわ
細かいこと言うと、サウンド・オブ・サイレンスが「映画のために録音された」という歴史的事実は無いと思います。唄のトラックはデビュー・アルバム収録の時そのままでその後本人無許可で勝手にバックバンドの演奏が付け加えられヒットして、そのヒット作が映画のサントラでそのまま採用、のはずです。
黒澤暴君エピソードについては僕の想像ですけど、やっぱり芸術表現のための厳しさとか以外の「単なる鬱憤バラシとかちょっとした職場イジメ≒かわいがり」とかはいっぱいあったんだろうな、と想像します。そしてその「イジメ」も又、産みのプレッシャーからの副作用として芸樹の現場ならばある程度は甘受されなければならないのではないかと思います。今日は機嫌が悪いとか、まあ、そういうもんだろうと。度を超えちゃうとスタッフ誰も付いて来なくなりそれも結局破産なんでしょうけど。
例えばと想像の話ですけどね、撮影現場の待ち時間の過ごし方とか横目でチラ見しながら若手が競馬新聞でも読もうものなら「コノヤロー」と思って本番で意趣返しされてもおかしくない。そんな感じじゃないかしらと思いますね。
その件は結局和解したので判例は出ずに終わりましたけどね。
2019/05/01 17:50:41https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E8%AE%83%E9%A0%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6
合唱曲「大地讃頌」の件は初耳でした。替え歌文化はよく問題になりますよね。
2019/05/05 17:43:07