世田谷をなぜ「せたがや」と発音するのか疑問でした(今は慣れてしまいましたが)。「せたや」もしくは「せたたに」と読むのじゃないのか思ってました。でも、最後が「谷」のようなもので終わると書き方が変わるみたいですね。横浜の「保土ケ谷」のように「世田ケ谷」とすれば読み方もすっきりいくのかな思いました。そこで質問です。
①初めから、「世田谷」だったんでしょうか?「世田ケ谷」と書く時期は無かったのでしょうか?
②環八に「瀬田」という地名がありますが、「世田」と関係がありますか。それとも昔から言われていた音「セタ」を「瀬田」とか「世田」につけたのでしょうか?
よろしくお願いします。
区になる前は「世田ヶ谷町」だったり、「世田ヶ谷村」だったみたいです。
なお、この「が」は、現代の「の」にあたる言葉で、世田の谷、という意味です。
「おらが春」「誰がために」「塞翁が馬」などにみられる使い方ですね。
本来この字なら、「せただに」て読んでも良かったんだと思いますが、
「せたがや」と読ませたんですね。
意味が同じだけど、名称にあてる漢字と、読み方が違う例はいくつもあって、
一番極端な例は、福島県にある「勿来」でしょうか。
漢文の読み方で「くるなかれ」、と書いて、古語の読み方で「なこそ」、と読みます。
どちらの読みでも意味は、「来るな」です。
感覚的には、強敵と書いて「とも」と読むのと同じです。
だって、そっちのほうが面白いとか、粋じゃないかとか理由はいろいろあると思いますが
そのほうが意味がわかりやすい、というのが一番の理由じゃないかと思います。
区になる前は「世田ヶ谷町」だったり、「世田ヶ谷村」だったみたいです。
なお、この「が」は、現代の「の」にあたる言葉で、世田の谷、という意味です。
「おらが春」「誰がために」「塞翁が馬」などにみられる使い方ですね。
本来この字なら、「せただに」て読んでも良かったんだと思いますが、
「せたがや」と読ませたんですね。
意味が同じだけど、名称にあてる漢字と、読み方が違う例はいくつもあって、
一番極端な例は、福島県にある「勿来」でしょうか。
漢文の読み方で「くるなかれ」、と書いて、古語の読み方で「なこそ」、と読みます。
どちらの読みでも意味は、「来るな」です。
感覚的には、強敵と書いて「とも」と読むのと同じです。
だって、そっちのほうが面白いとか、粋じゃないかとか理由はいろいろあると思いますが
そのほうが意味がわかりやすい、というのが一番の理由じゃないかと思います。
…… 現在の世田谷区の一部の地名はかつて「世田ケ谷」と書かれてい
ました。世田谷区からの入植者がいた北海道江別市にも「世田ケ谷」の
地名が残っているそうです。
https://mainichi-kotoba.jp/photo-20200705
(毎日ことば)校閲センター
https://mainichi-kotoba.jp/blog-20170429
コメント(1件)
でも元々は「くまがい」だったはずなんですよね。
織田信長関連で有名になった能の「敦盛」(あつもり)がありますが、
源平合戦で平敦盛を討ったのが熊谷出身の熊谷直実(くまがいなおざね)です。
そういや名古屋弁って語尾が「やー」になるし、
静岡でも浜松のあたりは名古屋弁に近いらしいので、
家康の江戸移封によって
くまがい → くまぎゃー → くまがや
せたがい → せたぎゃー → せたがや
きっとこういう変化があったにちがいない(嘘)。
でも「せたがい」と呼ばれていたのは本当らしい。
また、「瀬田」の文字が充てられたこともあったそうだ。
https://www.city.setagaya.lg.jp/setagaya/005/001/005/d00135811.html
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平承年間(931~937年)の『和名抄』に多摩郡十郷のうち『勢多郡』という名があり、それが世田谷のおこりではないかといわれております。また『勢多郡』は『勢多郷』『瀬田谷』という字もあてられたこともあります。明治中期まで土地の人は世田谷を『せたがい』と呼んでおりました。
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