推測というか、個人的な分析で申し訳ないのですが・・・
説(1)
「一二三四五」は重みというかパーセンテージで、仮に
一 30%
二 20%
三 15%
四 10%
五 5%
他 20%
くらいと仮定して
一 + 二 + 五
30% + 20% + 5% = 55%
大体気持ちの上で半分以上(55%)は入れ込んでる。という意味かも?
説(2)
一二三四五は、行動の順番を表していて、
一回目 ○
二回目 ○
三回目 ×
四回目 ×
五回目 ○
つまり、まず好きなことをする。次にまたするが、2回くらい続けてしたら休む。
2回分に匹敵するほど休んだら、また好きなことを始める。
でしょうか?
失礼ですが、正確な意味と由来を知りたいです…。
teztezさんの推測では五の後も続く感じですね。
私は五が最後(締め)かと想像してました。
URLは例です
よく使われるのが
一と二同じ物を入れて五が次点に来るもの
これは、最初に入れたものがぬきんで重要だと言うことを表現するために使われています
ここにありますが、元は
「一にも二にも〜」というのが由来です
最近「一に○、二に△、三に×、四、五がなくて、六に□」というのも見受けられますが、これは1,2,3が抜き出ていて、他の追従を許さないような時に使いますね
いわゆる派生語です
「一にも二にも」ですか。
「一に○○、二に○○、三、四がなくて、五が○○」の言い回し自体に言及されたものがあれば紹介していただけると嬉しいです。
書籍などでも構いません。
>「一に○、二に△、三に×、四、五がなくて、六に□」
語感が悪いですね。言い切る前に突っ込まれてしまいそう。
http://www.hatena.ne.jp/1073654860
「1に××2に××、3、4が無くて5に××」という言い回しがありますが、最初に言い出したのは誰ですか? 回答にはその根拠としたURLを併記してください。.. - 人力検索はてな
ストレートな回答ではありませんが、過去のはてなに似た質問がありました。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n02-1.htm#203
クイズ日本史 飛鳥〜平安時代1
で、
『僧侶道鏡は、引退していた孝謙上皇の病気の治療を行い、彼女に気に入られたということです。詳しい史実は分かりません。しかし、正式な配偶者のいない女帝と怪しげな僧侶という話は、いろいろな連想を生み、江戸時代には、「一に道鏡、二に自分、三四がなくて、五にお馬」という郭話(くるわばなし)も生まれました。(意味はご想像に任せます・・・)』
ということで江戸時代にはこの表現があったとのこと(孫引きですが……)。これによれば一、二、五は違ってますね。
過去の質問未読でした。
明確な由来はわかりそうにないですね。参考になりました。
今回の質問に至ったのは、それぞれ同じ言葉を入れる言い回しを読んで(何故三、四がないのか)と疑問に思ったからでした。
皆さんありがとうございました。
yuuri29ものっかりありがとうございます。