ご返答ありがとうございました。
お医者さんには行きましたか?お体ご自愛ください。
実は、ご質問を誤って解釈していた節があるので、もう一度解答してみます。
と、いうのも、執着について、ご質問?があったようでしたので。
私の最初の回答は、「つきつめると愛とは」という質問の回答ですね。愛とはとどのつまり。と、解釈してました。
愛の結末?というか、愛情というものは最終的にはどういうものになるのか。という質問に答えるのであれば、
「思い込み」と答えます。
よく催眠術で退行治療を行ったりすると思いますが、誤認(記憶の思い込みによる記憶違い)が含まれていることが取り沙汰されました。あれにちかいです。
「このひとはなんて??なんだろう」
「とても○○だ」
「こんなにも愛してくれている」
「あんなことも乗り越えた(かどうかは本人次第で)」
と。いった具合で。
「だから、こんなにも愛しい」と。
もう1点、ご質問の件ですが、
ご返答の中の質問というのは、
「日本文化にある貞操や物を大事に使う概念」と「欲(執着)が動力源とし、非常に合理的な経済システムを形成する”資本主義”」は、どう折り合いをつけているんだろうか?というご質問ですか?
それとも、資本主義的思考である異性・同性との関係の紊乱についても併せてご質問でしょうか?
前者であれば、試行錯誤をしているんじゃないかと思います。やれ素食ブームだの、ブランドインテリアブームだの、古民家ブームだのっていうのは、いいトコ取りできないか、いかに「本来のコストパフォーマンス」にこだわって、「消費させられる」状態から脱しようというのか。というところかなと思います。
ただ、私の思った執着というのは、例えばつぎはぎ合わせた人形に、名前をつけ、愛情(執着)を感じたら、それはただの人形ではなく、「自分が名づけた人形」だの「自分の特別思い入れのある人形」に変化するところを言い表しておりました。
後者であるならば、もともと日本人は性風俗にしても、物欲にしても、とてもおおらかな種の人間であると私は学んだので、規制がかけられているようにもそうそう思いません。しかし、自由だからこそ規制のあるものを選ぶ。というところかな、と。
節約して、大事なものを買うのも、一人だけ、大事にするのも、結局同じ執着の仕方かなと思います。
今度は、回答になったでしょうか・・・。
長々と、すみません。
これだけ短い質問なので、解釈はあの手この手でしてもらって全然よいのです。
ここまで回答を開いてきて、みなさんの答えを見るにつけ、
まず何が質問されているのか質問の解釈を自分で設定し、自分でそれに答えていただく形が分かりやすいというのが分かりました。
基本的には質問者(私)が面白いと思ったり示唆を与えられるようなものを求めていたわけですが、きちんと上記のことを踏襲いただくとこちらもその面白さが分かりやすかったです。
さて、
>「思い込み」と答えます。
とのこと。これは重要な要素だと私も思います。あれやこれと論理的思考もあるとよいのかもしれない、意思疎通を図って相手とのすり合わせは不可欠かもしれない、でもその根拠と突き詰めてしまうとなにやら、いいのか悪いのか「思い込み」なんて言葉も浮かび上がってくる気がします。
>もう1点、ご質問の件ですが、
この件に関しては、前者の内容になります。
日本的な物を大事にする文化と合理的な資本主義は、バランスを上手くとっていければいいんですけどね。”資本主義”はそのあまりにも無節制で強力なエネルギーによって世界中に細々と息づく文化をなぎ倒しつつあるように思えます。かといって古民家に住んで素食してゆく先に見えてくるものは自分の中ではっきりしないんですが。
性風俗などに関しては、民俗学系のお話のなかでちょろちょろと「おおらかだった」的な話はみますが、実際のところはどうだったんでしょうね。
仏教で使われる「執着」には、否定される捨てるべきものあるいはあらゆるトラブルの原因となるもの、といった意味合いがあると思います。
その部分が仏教の変なところというか独特と言うかコアな部分だと私は思うのですが。その変なところが好きです。
しかし個人的に執着とは。大事なものを…とか、一人だけ…とか、これだけは…というように集中的な欲望であって、あらゆるものに対する野放途な欲望に比べてストイック・節制的なものかもしれないと思ったりします。
さて質問期間も終了しますので、あまり執着せずにそろそろ閉じたいと思います。
みなさまありがとうございました。