そもそも、百人一首がカード形式になったのは、「カード=Carta=カルタ=歌留多」の当て字からわかるように江戸時代のポルトガル人が紙に印刷したカードで遊ぶということを教えたからで、カルタが伝来する前は、はまぐりなどの大きな貝殻で遊んでいました。また色紙は屏風などに貼っていました。
貝殻、色紙、屏風=万葉仮名や草書体のようなもので濁点なし
江戸時代=歌留多あそびができるが、文字はかな漢字混じり草書体でひらがなが今のようではないのでやはり濁点なし
明治時代に、作家の黒岩涙香にみちびかれて公式の百人一首競技ルールが制定され、そのとき公式の歌留多札もほぼ仕様が決定されました。そのころは日本語が大きく転換していたので、ああいう形になったとおもわれます。
それ以来、歌留多の競技用公式札の仕様は、ほとんど変わっていません。
このへんは漫画・アニメ「ちはやふる」でも有名になった全日本歌留多協会の先生たちがおしえている歌留多の歴史にはたいてい記載されています。
http://www.karuta.or.jp/index.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/carta/03.htm
http://www.karuta.org/wp/2010/03/17/post_2314/
ちなみに今公式札を作っているのは、大石天狗堂さんくらいです。箱に「全日本歌留多協会公認」とあります。
また、京都嵐山にニンテンドーが建てた「時雨殿」の二階に、百人一首札の歴史が見られる展示があります。競技用でない札で、濁点があるものがあります。
濁点半濁点というのは、安土桃山時代ちかくで作られたそうです。
百人一首の書かれた時代では、文の流れで濁点や半濁点を付けて読んでいたそうです。
日本に来た宣教師達が、読み方を習うのに使いだしたのが広まったんだとか。
平安あたりの文学には濁点が付いていないですが、教科書ではたぶんついてるかもしれません。