「夜爪を切る」と「死に目に会えない」を分離します。
夜爪を切ると、切った爪を見失って、後で面倒です。爪の切りくずって、とがってますし。そこで、夜は爪を切らない、という主題が生まれます。(明かりが暗い時代を想定しましょう)
ただ、夜は爪を切らないんだよ、と闇雲に言っても言うことを聞かない人がたくさんいます。では、オカルトで処理することになります。なぜなら、人の範囲を超えているからです。どうしようもないから従わないといけない、という状況です。
で、「死に目に会えない」というなんとも情に訴える条件を提示します。人として親の死に目に会えないのは、かなり避けたい状況です。これを「夜爪を切らない」程度で回避できるならば、やらないでしょう。
将来、親の死に目に会えないことになって、「夜爪を切らなかったのに」というひともいない(ほかにも親の死に目に会えないという言い伝えがあるし)ので、問題にならないんですね。
子供が池に落ちないように「竜が住んでいる」といったり、騒音だから「夜口笛を吹くと蛇が来る」と言ったりするわけです。
「夜爪=世詰め」と当て字になっていて、つまり早死にの意味になるそうです。
昔の人が大好きな言葉遊びですね。
親より早く逝ってしまうと親の死に目には会えませんし、親不孝ですよね。
つまりそんな親不孝なことしなさんなよ、といういさめの意味があるという事です。
と、いうのは
分かりやすくして 結果子どもが信じやすいような迷信を作り
いさめる昔の人の知恵。
実際は、電気の普及していない暗がりで爪を切ると危ないから、
っていう注意の意味なんでしょう。
「雷が鳴ったらへそ隠せ!」もそんな感じだそうですよ。
雷様にへそとられるぞ!と子どもをびびらすも、
ほんとの所は 雷がなるような気候でお腹を冷やすと風邪ひくから、
って事らしいです。