誤字や脱字が散見されるような場合は、読む価値がないというより、ちょっとやっぱりしらけますね。プロの作家さんの作品ではほとんど見られないのではないでしょうか。プライベートで書いてネットで発表するようなものですと、厳密な校正を経ていないわけですから、無理もないかもしれません。ないに越したことはありませんが…、しらけより面白さが上回っているような作品なら、誤字脱字などはさほど気にならず、最後まで読むというような感じですかね。
筒井康隆とか清水義範の小説で、もし誤字脱字があったら、小説として成り立たない。意図的に誤字を織り込んだのか、ほんとに誤字なのか判別がつかないのでは、読む気にならないでしょう。
誤字脱字のある小説は、郵便料金の足りない手紙を受け取ったようなものではないでしょうか。読者になにか努力をさせるのは、作家としてなにか間違っている気がします。
当方大学生であります。小説中に誤字脱字が放置されているということは、裏を返せば著者が自分の書いた文章を何度も読み返して推敲するという行為をしていないことであり、自分の文章を良くしようという努力の欠如を露呈するものであるがゆえに、読者は読む意欲を無くしてしまうのだと思います。個人的には、あまり口語的な表現や、書き言葉として不十分な表現には、書き手の日本語の運用能力自体を疑ってしまいます。やはり物書きたるものは、自身の書く文章によく注意を傾ける必要があると思います。誤字脱字が見つからないというのはその結果に過ぎないでしょう。
まず回答から
>普段から心がけとくべきでしょうか?
べきです。
>また、読者の視点から小説の誤字、脱字は気になりますか?
なります。
ほんで、本題ですけど
商業出版物であれば誤字脱字がないのが当たり前。
その為の仕事もあるわけですし。
読む価値がない、という考え方も画一的であまり好きにはなれませんけど。
アマチュアでも、それに準じるべきですが、長編に1文字2文字ミスがあって、それで全てダメだとまでは思いません。人間ですのでミスはあります。書き手がそれを期待するのはお門違いですけど。
あと、会話と違って文章というのは修正できるものですので、誤字脱字が多い文章は、書き手の意識がその程度なんだな、という認識にはなります。